今回は、私のストリップ・ドライブとしてのアクアライン物語を話してみる。

 

私の現在の仕事場は千葉県内房の木更津というところ。

私にとって木更津の勤務は三度目となる。三回とも仕事内容、職場は違うが。

一回目の木更津勤務は17年前になる。大阪勤務から転勤になり、初めて木更津へ。大阪時代は泉佐野市に住んでいて、ちょうど社宅の窓から海の上に建設中の関西新空港がよく見えた。しかし残念ながら完成直前に転勤となる。そして、当時、木更津にも巨大国家プロジェクトとして東京湾横断道路(アクアライン)が建設中。そのときの勤務は三年間だったので、結局これも完成を前にしてまた転勤となってしまったが・・。

当時は子供も小さく、創作童話を作っては毎晩子供に語ってあげる良いパパだった。まだストリップ通いはしていなかった。

二回目の木更津勤務は7年前で、アクアラインはとっくに完成していた。そのときには私はストリップ通いする悪いパパになっており(笑)、木更津からアクアラインを渡って川崎、横浜、新宿などの劇場に足を伸ばした。しかし、当時アクアラインは高速代が片道3500円もして、交通費だけでかなりの出費になるためストリップ通いを控えめにしていた。二回目の木更津勤務も三年間だけで、その後仙台へ四年間の単身赴任。

今回、仙台から戻って三度目の木更津になったが、アクアラインが片道800円になり本当に助かる。それでもストリップ劇場に行くのに高速代だけでアクアラインの前後も含めて劇場入場料と同じ位かかるので金銭的に結構大変・・・。

いずれにせよ、今の私のストリップ・ライフはアクアライン抜きには語れない。

 

さて、今の仕事はあまり残業がないので、午後5時近くになると「早く劇場に行きたいなぁ~」という気分になってくる。木更津から関東の劇場に行くとなると、アクアラインを通って行くのが一番早い。車通勤なので、高速でアクアラインを通ると、川崎ロックが1時間弱、浜劇が1時間強で着く。そうすれば三回目ステージの二番目か三番目には間に合う。新宿や渋谷でも渋滞がなければ1時間ほどで行けるのだが、大体いつも渋滞しているので1時間半から2時間ほどかかる。新宿ニューアートやTSミュージック、DX歌舞伎、渋谷道頓堀劇場などには三回目の後半に入れる。しかし、ゆったり観るには川崎ロックか浜劇が最適。平日だと盆周りの席も空いていることも多く、けっこう満足して帰ることができる。単身赴任の頃の仙台ロックのまったり感に近いかな。

私は千葉の幕張に住んでいるので、朝は幕張から木更津へ、夕は木更津からアクアラインを通って劇場へ、そして夜中に劇場から幕張へと、東京湾一周200㎞弱のストリップ・ドライブをしていることになる。

 

 

ある週も、お気に入りの踊り子さん目当てで川崎ロックに何度か足を運んだ。

彼女の出だしの民族衣装が綺麗で、羽衣のように感じられた。その旨を手紙に書いたら「天女だなんて大げさですよ。笑」と返ってきた。次に私が「今日は乙姫様に会いに来た浦島太郎の気分です」と手紙に書いたら「浦島太郎ですか・・・(笑)。いっきにおじちゃんにならないようにして下さいね。笑」。私はこうしたやりとりが大好き。

改めて、童話は好きですか?と質問したら「童話は好きですよ。私は特に人魚マニアかな~笑」と嬉しい反応。私は、彼女のために童話を書いてあげたくなった。

羽衣とアクアラインを題材にしたいなとふと頭に浮かんだものの、すぐには構想が思い浮かばず、結局その週は渡せなかった。「童話楽しみです☆」と言ってくれた彼女に、次の機会に是非渡したくなって、今こうして妄想に入ってる(笑)。

 

 

『アクアライン物語 ~もうひとつの浦島太郎話~』

 

 私は真夜中に、車で木更津からアクアラインを渡り、海ほたるに着いた。見晴らし台の上から、木更津と川崎の両対岸に広がる美しい夜景を眺めながら物思いに耽った。

「今は車で20分足らずで簡単に東京湾を渡ってしまうが、昔の人はこの海を渡るのに命がけだったんだろうなぁ~」

 ふと、木更津という地名の語源になったと云われる「君去らず」の話を思い出した。木更津には次のような有名な日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説がある。

< 第十二代景行天皇の皇子として生まれた日本武尊は、父にうとまれ、西の熊襲、東の蝦夷の平定へと向かう日々でした。東へ向かった日本武尊は、弟橘媛(おとたちばなひめ)とめぐりあい、后に迎えます。しかし、相模の走水から上総へ渡ろうとしたとき、海が荒れ、船が難破しそうになりました。弟橘媛は尊の身代わりになって海神の怒りを鎮めようと、我が身を海に沈めたのです。

やがて木更津に上陸した日本武尊は、愛する媛の面影を偲んで何日も立ち去らなかったといいます。これが、君不去=きみさらず=木更津の起こりと云われています。また、媛の御衣の袖が海辺に流れ着いたことから、袖ヶ浦という地名が生まれました。>

(木更津市中央に位置する大田山公園にある「きみ去らずタワー」の台座文から)

このロマンチックな伝説に触発され、私はひとつ童話を創ってみた。

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昔昔の話。

海に近い木更津という村に太郎という若者が住んでいました。太郎は畑仕事をしながら暮らしていました。

ある晩、太郎の夢の中に、この世の人とは思えないほど綺麗な天女が現れ、太郎のために舞い踊ってくれました。太郎はこんなに幸せを感じたことがありませんでした。

夢から醒めた太郎は、その天女のことが忘れられません。来る日も来る日も、その天女にもう一度会えないものかと思いわずらう日が続きました。

 

太郎の家には、ウサギとカメが飼われていました。ウサギとカメは大事に育ててくれた太郎に恩返しできないかと相談しました。そして、ウサギとカメは、恋に悩む太郎にこんな話をしました。

「この海の向こうに渡れば、あなたの会いたがっている天女さまがいます。私たちがお手伝いさせていただきます。一緒に海を渡りましょう。」

 

 太郎はウサギとカメを連れて、海の岸辺に辿り着きました。かすかに対岸は見えますが、あまりにも遠い。はたしてどうやってこの海を渡るのでしょうか?

 ウサギは海に向かって叫びました。「サメさぁ~ん! 手伝ってくれー!」

 すると、たくさんのサメが集まってきました。そして、サメは一列になって海の上に頭だけ突き出しました。「太郎さん、私の後をついてきて下さい」と言って、ウサギはそのサメの頭をぴょんぴょんと飛び跳ねて行きました。太郎も必死でウサギを追いかけました。

 どれくらい渡ったことでしょうか。ちょうど海の真ん中くらいまで来たところで、サメの頭はなくなりました。

「ここから先は私にバトンタッチです。太郎さん、ウミガメの背中に乗って下さい。」

 ウサギの後を追って一緒に海を泳いできたカメは、大きなウミガメを連れてきていました。太郎はウミガメの背にまたがりました。

 ウミガメは太郎を乗せて、海の中にどんどん潜っていきました。どれくらい泳いだことでしょうか。

 

 暗い海の中に、パッと明るい建物が見えます。竜宮城でしょうか?

 よく見ると、その建物の看板には「川崎ロック座」と書かれています。

 太郎はおそるおそる扉を開けてみました。すると、大きなステージの上に美しい乙姫たちが音楽に合わせ舞い踊っています。たくさんの魚たちがステージをとり囲んでいます。出目金のように目をギョロつかせてステージにかぶりついている者もいれば、ヒラメのように上目づかいで乙姫の足元から覗き込んでいる者もいました。しかし、どの魚たちも手拍子をとり、中にはタンバリンを使って囃し立てたり、リボンを投げる者までいます。そこは人魚姫に恋する竜宮城でもありました。

 太郎は歳をとるのも忘れ、その竜宮城で時間を過ごしました。

                                    おしまい

 

ようやく約束の童話を書きあげた。書きあげてから、ふと「浦島太郎ですか・・・(笑)。いっきにおじちゃんにならないようにして下さいね。笑」という踊り子さんの言葉を思いだし思わず私は自分で苦笑した。

 

平成22年4月                          川崎ロックにて