H29年10月結の大阪東洋ショー劇場における、荒木まいさん(東洋所属)の三周年週の模様を、三周年作「天女」を題材に、「踊り子は天女」という題名で語りたい。

 

 

 

三周年作は「天女」。川村あいねさんが振付したようだ。

次のような内容である。

照明が点いた瞬間、目の前の盆の上にいる天女扮するまいさんの美しさに驚嘆する。

なんという華やかであろう。ピンクのかわいい、いや高貴な天女様である。まずは、頭の部分の華やかさが凄い。銀の王冠の上にあるキラキラしたリボンが赤と黄色の二重構造になっていて、その上に丸い二つの髪の輪が並ぶ。更に、頭の上にはヒラヒラした白い布が輪状に揺れる。

ピンクの衣装もこれまた豪華絢爛。まさしく羽衣という感じで、薄くて長い袖を付け、足元まで裾広がり。胸下部に鮮やかな銀の帯を巻き、その下に羽毛が散りばめられる。スカート部にはピンクのラメがきらきらしている。帯にもスカート部にも金銀の刺繍がびっしり織り込まれている。

盆から立上り舞台へ。音楽に合わせて、裸足で舞い踊る。

楽曲は島谷ひとみの「YUME日和」(ゆめびより)。島谷ひとみの13枚目のシングル。2003年11月6日に発売。表題曲は、冬の優しく暖かい日差しを感じさせる、ほのぼのした曲である。2003年度下半期に『ドラえもん』のテレビシリーズのエンディングテーマになっている。今回の演目にぴったりな選曲である。

暗転。

2曲目がポケットビスケットの「Rink Princess」(アルバム『Colorful』に収録。発売日:1997年7月16日)に変わる。

上下セパレートの衣装で登場。白いブラにはピンクの細紐がフレンジされている。スカート部はきらきらした白い腰布からたくさんの紫・ピンク・白の生地が縦に重なり垂れる。左側頭部に紫の髪飾り、きらきらした白い首輪。ピンクの大きなショールを振り回して裸足で軽快に踊る。

3曲目は、華風月のオリジナル曲「深紅」。華風月(はなふうげつ)は、尺八・神永大輔(リーダー)、詩吟&歌&ピアノ・鈴華ゆう子、二十五絃箏・いぶくろ聖志の3人で編成された和風ユニット。

今度は、紫の襦袢姿で登場。赤い帯かと思いきや、赤い絵柄が襦袢に縫い付けられている斬新なデザイン。

髪はロングヘアを背中に垂らす。

盆に移動し、そのままベッドショーへ。耳障りの良いセンチメンタル曲が流れる。アニメ犬夜叉の「想譚詩(そうたんし)」。これは戦いが終わった後の平和なときに流れる曲。

立上り曲は、和楽器バンドの曲「オキノタユウ」。(2017年3月22日に発売するアルバム『四季彩-shikisai-』に収録)。和楽器バンドは、日本の8人組ロックバンド。尺八・箏・三味線・和太鼓の和楽器に、ギター・ベース・ドラムの洋楽器を加え、詩吟の師範がボーカルを担当するという編成である。和楽器バンドはこれまでメディアへの露出が少なかったのだが、今や大ブレイクしている。しかも驚いたのが先の華風月とメンバーがかぶっていること。後で、天女とはインド・中国・日本の文化が融合したものという話をするが、洋楽と和楽器が融合して大ヒットしていることに繋がっているような気分になる。

 

さて、今週、この周年作「天女」を観ながら、徒然に思ったことを述べてみる。

まず最初に、衣装の華やかさに目を奪われたこと。半端じゃないお金がかかっていると感じたよ。そのくらい素晴らしい衣装である。

天女の絵には、頭の上に丸い輪が二つあり、また白い布みたいな輪っかのヒラヒラしたものがある。調べたら、天女というのは中国から来たもので、昔の中国人の髪型や衣服に類似している。これは中国の道教などの神仙思想の影響か。また、日本の仏画などで見られるものは、古いものだと中国・唐代の女官が身に付けていた「披帛」(ひはく)で、現代中国語だと「披巾」(ひきん)、文字通りショール。鎌倉期以降の絵だと、奈良時代から平安初期の女性礼服にあった「領巾」(ひれ。比礼)と呼ばれるものに近いようだ。

ついでに少々歴史を紐解くと。唐代の「披帛」は、恐らくインドから仏教と共に伝わった衣装・風俗で、元になったのは現在でもインドでは普通に着用されている「サリー」。「サリー」はヒンディー語で、サンスクリット語では「シャーティー」と言う。

インドの神様はインドの普通の服装をしているから、弁才天(ヒンドゥー神話のサラスヴァティー)や吉祥天(ヒンドゥー神話のラクシュミー)など、仏教に取り入れられたインドの神様の姿形がベースになっていると考えられる。

日本に中国経由で伝わった「天女」は、上記「弁才天」や「吉祥天」同様にすでに完全に「中国化」していて、服装も中国式です。

それがさらに「日本化」する。例えば弁才天と宇賀神の習合など。七福神を思い起こしてほしい。七福神の中のただ一柱の女神である弁財天(弁才天)は、美しい女神である。弁財天は日本では、天女の姿で琵琶を持つ姿をとるが、このような弁財天は日本独自のものであると考えてよい。だから、天女もインドから中国を経て、日本でどんどん進化しているわけです。

そう考えれば、ストリップの天女がいても全然おかしくないよね。(笑)

 

さて、次に、私の勝手な想いを述べさせて頂きます。

私は、究極、踊り子は「ストリップの天女」であってほしいと願っています。

よくポラ撮影で土足でステージに上がろうとする客を戒めるために、ステージの上は神聖な場であり、土足で上がってはいけないと諭す。ステージは天女が舞う天空なのである。同じ理屈で、私は、踊り子は客と同じところの地上に降りてきてはいけないと感じている。つまり、客と食事するのもアフターで酒を飲むのも基本的にいけないこと。最近よくあるストキャバも私はあまり好まない。そもそもストリップの男性客というのは女性とあまり話せない根暗な客が多く、急に女性と楽しく会話なんてできないのだ。逆に苦痛になる。

踊り子は、ストリップファンから、常に憧れの存在でいてほしい。つまり高嶺の花的存在であるからこそ憧れるのである。簡単に男の誘いやお金になびいて付き合ってほしくない。であれば、踊り子ではなく、飲み屋の女レベル、極端には売女になってしまう。少なくとも精神的には聖女であり処女であってほしいと願う。

 

羽衣伝説とは、もともと白鳥処女説話の一つ。白鳥が処女と化して現れ、男性に衣を奪われて妻とされるが、やがて衣を取り返し、白鳥に戻って飛び去るという型の話。特に女性の処女性を白鳥で象徴する。類型は世界的に分布し、バレエ「白鳥の湖」や日本の羽衣伝説や昔話「鶴女房」もその例。

改めて、羽衣伝説を紹介する。羽衣伝説にはいくつものパターンがあるが、典型的なのは次のような話である。・・・

天女が地上に降りてきて、川で水浴びをしていた。それを見ていた男が天女の脱いだ羽衣を奪う。羽衣を失くし困っている天女に、男は優しく声をかけ自分の家に連れていく。天女は羽衣がないため天に帰れない。そのため、その後羽衣を盗んだ男と天女は結婚することになる。二人の子供も生まれたが、盗まれた羽衣を天女が見つけてしまう。天女は羽衣を取り返して天に帰っていくという話。

ストリップ流に解釈するとこうなる。そもそも天女は天の上にいるべきもので、人間の世界に降りてきて、迂闊にも水浴びなんかしてはいけない。天女の裸を覗いたうえに彼女の下着を持っていくなんていう男の愚劣な行為を戒める前に、裸を覗かれ、下着をもっていかれるのは、天女の脇が甘すぎたと思える。女の裸を見たいと思うのは男の自然な性であり、下着を欲しいと思うのも男の性と云えるだろう。下着泥棒は犯罪であるが、ストリップでこれだけパンプレが人気なのだからそれを否定してもしょうがないと思う。

せっかく劇場のステージの上に降りてきてくれたからには、裸を見せて人間の男性に楽しんでもらえばいいし、時にはパンプレをしてもいい。それがストリップ劇場なのである。

ただ、踊り子はあくまで天女であるべき。普通の女性と同じ立場で、お客といちゃついてはいけないもの。高嶺の花としての気品ある言動が望ましい。であるからこそ、お金を出して観に来たくなる。

以上、勝手なことを述べまして失礼しました。(ペコリ)  

 

 

平成29年10月結                      大阪東洋ショーにて