梅雨入り前の最後の初夏の好天が続いていたが、昨日から曇り始め雨になった。九州北部は今日梅雨入りしたようである。
博多は30代の8年間を過ごした街である。週末、博多に一泊して旧友たちとの二日連続の飲み会をこなしてきた。近頃こんなことばかり企画している。旧友たちと昔話は楽しい。酔うにつれて、心と身体が一瞬、その当時にタイムスリップする。
一日目、友人との飲み会を終えて、一人で居酒屋「一本槍」に入った。銀行の帰りによく寄ったところである。仕事のこと、プライベートなことなど色々なことを話しながら楽しんだ記憶が残っている。
二日目、西新で昔よく行ったスパゲティ屋「パスティーナ」に行った。店内は昔のままで、歳はとったが当時の女性シェフが調理されていた。味も相変わらず美味い。昔のように「カルボナーラ(大盛り)」を注文した。サラダとバケット、食後にアイスコーヒーがついて1,050円(普通盛り850円)。手頃な価格だから昼時はいつも満席だ。
暇と金があれば、こんな思い出の場所を辿る旅も良いものである。
学生時代にある知人がいた。彼は名門、大阪府立北野高校出身の二浪で、さらに教育学部から経済学部への転学部組という変わり種だった。以後、彼を「教育学部(Pedagogy)」の頭文字をとってPと呼ぶこととしたい。
Pは2回生の終わりくらいから、私のグループにやたらと話しかけてくるようになった。経済学部に知人が少なかったからだろうが「ミクロ経済学の良い参考書を知らない?」とか「3回生からのゼミはどこを選ぶ?」など。
Pの親は金持ちだったようで、銀閣寺のお洒落な学生マンションに住んでいた。バス・トイレ付き、冷暖房完備の瀟洒なものだった。私の安アパートとは雲泥の差があった。
また、Pはいつもブレザーを羽織りお洒落な服装を身に着けていた。「いいとこの坊ちゃん」然としていた。また、我々を「○○君」と君付けで呼んでいた。どこか、我々とは一線を引いていたようだ。
一乗寺の卓球場でPと何度か卓球したことがあった。Pは我々の隣で遊んでいた女子学生2人に「一緒にやりませんか?!」と声を掛けた。十人並みの娘たちだったが。
さらに、Pは「これからお茶でも飲みませんか?!」と2人を誘った。おごってもらえると思ったのか2人は付いてきた。仕方なく、私もPに従った。
当時、一乗寺に「リプトン」というティー・ハウスがあった。私のような貧乏学生は行ったこともなかったが、とりあえず「金はPが持っているだろう」と信じて店内に入った。
合コンのような形になったが、Pは彼らに、なんと、ある戦国武将の話を切々と語った。私も名前くらいしか知らないマイナーな武将だった。2人は不思議そうな顔でPの話を聞いていたが、興味なさそうな素振りが見え見えだった。
彼女たちの連絡先を聞くこともなく「リプトン」を出た。食事代はPが払った。Pは「楽しかったね!」と言ったが、私には無駄な出費に思えた。まあ、私は1円も払わなかったが。
Pが「卓球で汗をかいたので風呂に入りたい!」というので、近くの銭湯に連れて行った。番台でPは1万円札を出し「いくらですか?」とオバサンに尋ねた。「ここはトルコ風呂じゃない!こいつ、銭湯も知らんのか?!」とあきれ、仕方なく150円ほどを立て替えてやった。
さらにPは「バスタオル無いかなぁ?」という。「そんなもの無いよ!」と答えると、Pは番台に「バスタオル売ってませんか?」と尋ねていた。タオル1本あれば体を乾かすことができ、当時銭湯にバスタオルなど持ってくる者は居なかった。
2回生の終わり、Pは「経営財務論」の浅沼ゼミ(浅沼萬里助教授)を選択した。3回生に入り、これからPが様々な珍事件を引き起こすことになる。