英語の散歩道(その1)-ローマ字から英語へ | 流離の翻訳者 青春のノスタルジア

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

一年で一番暑い時期を迎えている。やはり8月は7月とは気候も気分も全く異なるように思う。

 

 

「自叙伝」を終えて暫く経ったが、また何か文書に残しておきたいと思うようになった。やはり「英語か?」と思う。それで、小学校高学年くらいからの自分と英語との関わりについて「英語の散歩道」と題して少しずつ自叙伝的に綴ってみたいと思う。またお付き合いいただければ幸甚である。

 

 

カトリック系の幼稚園に通っていたので、最初に聞いた英語の歌は月一回の誕生会で歌われる「ハッピー・バースデイ」だった。この曲の中で「ハッピー・バースデイ・ディア・チュールエン(?)」と聞こえていたものが “Happy birthday dear children” だと認識できたのは、高校に入ってからだったかもしれない。

 

 

小学校4年くらいからローマ字の授業が始まった。アルファベットは祖母から教わっていたので幼稚園頃には読むことができたが、ローマ字により日本語の音をアルファベットで表せること自体とても面白く感じた。夏休みには、漢字の書き取り帳を先生に提出していたが、小学校の中・高学年からは、漢字に加えてローマ字の五十音も書き取りして提出するようになった。

 

当時は、とにかくアルファベットで日本語の音を表せることを面白がっていたが、後々これが英単語のスペルや発音に悪影響を及ぼすことになった。英語の音と綴りの関係に妙な先入観ができてしまい、この先入観から英語が苦手になった人も多い。

 

小学校でローマ字で誰かと競ったり、またローマ字の試験の勉強をすることも無かった。考えてみれば、ある日本語をローマ字にする場合、正解は一つしかない。創作ではなく単なる表記変換である。今思えば単純でつまらないものであった。

 

 

中学は篠崎中というマンモス校に進んだと以前書いたが、1年が13クラスもありその13組になった。担任は英語のS先生という男性だった。このS先生、厳しい方だったが好きな先生だった。この先生が最初の英語教師だった。

 

本来新しいものが好きで、この英語という新しい道具を使うことが楽しくて、勉強も全く苦にならなかった。単語や文法などが若い脳にどんどん吸収されていった。因みに教科書は New Prince Readers だったが、中学1年時、英語の試験は大概満点だった。

 

2学期のある日、父から「英検4級」の受験申込書を渡され「力試しに受けてみんかっ?!」と言われた。当時の4級は中学初級レベルだった。季節は10月下旬頃、試験会場は県立小倉商業高校だった。試験問題は学校の教科書の内容とはやや異なっていたが、難しいものではなかった。面接があったかどうか記憶がない。1か月くらいしたら合格通知が来た。

 

英検受験と前後するかもしれないが、中学1年時、教育実習生の女先生が1か月ほど英語の授業を担当した。とても優しい人で教育実習が終了してから、我々生徒に「自宅に遊びにおいでっ!」と誘ってくれた。私を含め英語好きの男女4~5名でご自宅に遊びに行った。季節は初冬、とても楽しいひと時だった。10歳ほど年上なので姉さんを越えて母親、いや、やっぱり先生という感じの人だった。

 

 

厳しい担任のS先生、教育実習生の優しい女先生、また初めての英検受験などもあり、私にとって中学1年時の英語との出会いはとても充実したものであった。