以前このブログで「人は苦手な領域では失敗しない」と書いたが、ここで言う「失敗」とは自分の地位や身分を危うくするような、取り返しのつかない大失敗のことを指している。しかし我々が仕事や生活で日常的に犯すミスのような身近な「失敗」は、むしろ余り得意でない領域か未習熟な領域で起きる方が多いだろう。

 

「トライ&エラー」という言葉があるように、人は何かに挑戦(トライ)して失敗(エラー)することによって経験値を積み成長していく。取り返しのつかない大失敗をしたら終わってしまうが、小さな失敗を重ねることで人は成長する。その失敗が成功に繋がるかどうか分からないが、少なくとも「失敗は成長の素」である事は確かだ。

 

そう考えれば「失敗(エラー)」は「成長」のためには必要であり、そのためには「挑戦(トライ)」も必要不可欠なはずである。最近、各分野のトップが「若手に挑戦せよ!と言っているが誰も挑戦しない」という嘆きを聞くが、これは「人が育たない」という声と一対であり、挑戦しなければ成長しないのは当然の事だろう。

 

では何故、挑戦しないのか?それは日本が「失敗を許さない社会」だからだ。役人から政治家、企業人、芸能人まで日本では「失敗」したら終わりか大打撃を受ける。政治家も芸能人もそうだが、企業でも社員が挑戦しないのは、失敗が処遇に響く評価制度だからで、トップが「挑戦せよ!」と言ってもしないのは当たり前だ。

【by fujiwara from (写真ac)】

 

起業に至っては、日本では事業資金に個人保証が必要な事が多く、倒産したら個人が借金を背負って自己破産したりするので「失敗したら人生お終い」となりかねない。一方、米国では何度も融資を受けて起業しては倒産させたベンチャー起業家の方が経験値が高いと見做されて資金が集まり易いともいうから大違いだ。

 

以前このブログでも紹介したNHK「奇跡のレッスン」で、大阪なおみをNo.1に導いたサーシャコーチが、最終日の試合で負けて泣いている生徒にこう言った。「試合の結果に“負け“なんてない。“勝つ”か“学ぶ”かだ。君は今日は学ぶ日だったんだよ」私はこの言葉に大きなポイントが、そして日米の彼我の差があると思った。

 

試合=挑戦と考えれば、勝利=成功であり、敗北=失敗だろう。でも彼は「“負け”なんてない」と言ったのだ。敗北(負け)ではなく学習する(学ぶ)機会、つまり「敗北≠失敗⇒学習」という図式である。大切なのは敗北などの失敗から「どれだけ多くの事を学べるか」という点であり「失敗から学ぼうとする姿勢」なのだろう。

 

エジソンが電球の発明で最も苦戦したフィラメント素材は最終的に日本の竹で成功するが、そこまでに何万もの素材を試した。後に「よく何万回も失敗して挫折しませんでしたね」と聞かれた彼は「私は1回も失敗などしてない。この素材はフィラメントに適さないという発見を何万回もしたのだ」と答えたという。まさに学習したのだ。

 

人は成功からも学ぶが、失敗からは成功より多くを学ぶ」と言われるように「失敗」は「学習の好機」であり「成長の源」である。だが、もし「失敗」から学ばないのであれば「失敗」は忌むべき存在でしかない。実に残念な事ではあるが、日本が「失敗を許さない社会」なのは、日本が「失敗から学ばない社会」だからである。

 

「失敗の本質」は、組織論の大家、野中郁次郎教授らが貴重な労作で示した、旧日本軍が第二次世界大戦において繰り返し犯した信じ難い数々の失敗の研究である。同著を読むと、恐ろしいことに現代においても、そしてどんな規模の組織でも、これらの失敗は容易に再発し得ると認めざるを得ず、実に悔しく悲しい限りだ。

 

 

これは我々が「敗戦」という「失敗」を忌み嫌ってここから学ぼうとせず、全ては最早現存しない“軍部という組織の不見識と粗暴のせい”と決めつけ、それを許した日本の内政、外交、言論、倫理、世論、報道等を含む「民族/国家/社会全体が構造的に抱える問題」を直視せず学ぼうとも変えようともしなかった証左だ。

 

誰でも成功したいし失敗したくないし「失敗してもいい」なんて思わない。だから本人の成長を願うなら「失敗してもいいよ」という姿勢で挑戦させるべきで「失敗するな」と言ってはいけない。結果として失敗したらそこからしっかり学ばせればよい。結果から学ぶ姿勢さえあれば、成功しても失敗しても挑戦は成長に繋がる。

 

では「無謀な挑戦」にも失敗はないのか?いや、成功が絶対に望めないと思うなら、また失敗が当然で何も学べないなら、それは挑戦とは呼べない。つまり挑戦とは成功する見込が皆無ではなく、成功しなかった場合にはそこから何か学べる事が条件だ。この条件を満たす限り、挑戦には成功か学びしかなく失敗は無い。

 

Saigottimo

映画「上流社会(High Society)」(1956年)はとても豪華な音楽映画だ。主役は1930年代からトップスターのビング・クロスビー、ヒロインは後にモナコ王妃となるグレース・ケリー。それにエンタメ界の大御所フランク・シナトラ、20世紀初頭から活躍するジャズ・ヴォーカルの開祖サッチモことルイ・アーム・ストロングも共演している。

 

こうなるとストーリーはどうでもいい。ビングとサッチモの共演「Now You Has Jazz」ではサッチモの存在感とビングの歌唱が圧倒的!次にグレースとシナトラの共演「Mind if I Make Love to You」での華麗なダンスシーン、さらに30年代(ビング)&40年代(シナトラ)のレジェンド同士のデュエット共演What a Swell Party」も豪華だ。

 

そして極め付けは、グレースがビングとのヨットでのハネムーンを回想するシーンでのコール・ポーターの名曲「True Love(真実の愛)」だ。この映画の直後にモナコ王室に嫁いでしまったグレースの可憐な歌声はこれが聴き収めとなってしまったが、短いフレーズながらヨット上での二人のデュエット部分は初々しくて美しい

 

私はこの映画は観ていたしこの曲も好きだったが当初は自分がこの曲を歌うことは想定していなかった。でも思いがけず歌仲間の大津晃子さんからデュエットのお誘いがあったので喜んで応じた。大津さんは日本のジャズシンガー第一人者マーサ三宅のお弟子さんで同スクールの発表会でも度々受賞している実力者だ。

 

彼女は、同門のベテラン男性ヴォーカリストで精神科の先生がこの曲をデュエットしていたのを聴いて自分もいつか歌いたいと思っていたらしい。もう20年近く前のことになるがデュエットは殆ど初めてだった私は随分緊張した。でもソロと違って美しいハーモニーが出来た時の歓びはひとしお、歌うたびに毎回感動してしまう。

 

その後、いろんな曲を男女様々なヴォーカリストとデュエットする機会を得たが、この曲は私にとって特別な存在でもある。タイトルが「True Love(真実の愛)」だし、歌詞もそれに相応しい内容だけに大津さんとは「この曲はお互い、全男性、全女性の代表として歌う曲ですからね」と申しあわせて、いつもそういう心境で歌う。

あるセッションで歌った後に「ダメだよぉ、大津さんとTrue Loveを歌った後に他の女性とデュエットしちゃあ」と言われてましたよ、と大津さんから告げられドキッとした事も。なので、この曲はその後、大津さんと30回以上歌っているが他の人とは決して歌わないし、この曲を歌った後のステージではデュエットはしない事にしている。

 

下記は、Catswingこと大津晃子さんとの「True Love(真実の愛)」デュエットの初期の音源だが、キメのエンディング「Love Forever ~ True…」のハーモニーもバッチリ決まっている。終わりよければすべてよし!上流社会(High Society)の真実の愛(True Love)はハーモニーも気高いのだ。

♪True Love with Catswing 2001年8月25日・大塚「Greco」でのヴォーカルセッションにて♪

 

Saigottimo

このブログでは「長所と短所は同じ要素の表裏」「ピンチとチャンスは同時に存在」などと書いてきた。誰もが自分の長所や短所を意識しながらピンチやチャンスといった局面に対処するが、いつも上手くいくとは限らない。私もそうだが成功する時もあれば失敗する時もあるのだがそこに意外な傾向があることに気付いた。

 

それは「人は苦手な領域では失敗しない」という事だ。よく自分の子や後輩を指して「あいつは○○が苦手だから、それで失敗するんじゃないか」と心配したりする。でも実際はどうかというと苦手な○○で小さな失敗はあっても、何故か、人は取り返しがつかないような大失敗は苦手な領域ではしないものなのだ。

 

大企業の新社長就任の際、その人が開発畑出身で財務面が苦手だったりすると財務分野で失敗しそうだが実際にはそうはならない。得意な開発面では自ら手も出すだろうし独断専行することもあるかも知れないが、苦手な財務面は自ら手を出さずに優秀な腹心を置いて専門的な判断は委ねるだろうからである。

 

今回も野球に例えると、カーブは得意だが速球に自信がない投手は速球で大ケガはしない。何故なら大事な場面で、得意じゃない球種で勝負しようとはしないからだ。得意球種には頼るのでカーブを見事に狙い撃ちされたら痛打を食らう恐れはあるが、パッとしない球種は相手もわざわざ狙わないので致命傷を負わない。

 

つまり人は自らの短所(苦手)と自覚したらそれによる失敗(のリスク)を回避すべく手を打つ(マネジメントをする)ので心配ないという事。逆に自らの長所(得意)と自覚している領域では失敗するという(リスク)意識は薄いが得意だから余り失敗しない(リスクが顕在化しない)。となると一番危ないのは“無自覚な苦手領域”か。

【byカメラ兄さんfrom (写真ac)】

従って冒頭に例示したように自分の子や後輩を指して「あいつは○○が苦手だから、それで失敗するんじゃないか」と思う場合は、それを本人が自覚しているかどうかが重要であり、もし本人が自覚しているなら余り心配する必要はなく、そうでないなら本人に「自分の○○はイケてない」と自覚させられるかどうかの問題だ。

 

これは本人の場合でも同じで「自分は対人関係が苦手だから失敗しそうだ」と自覚していれば対人関係で致命的な失敗をすることはない。そういう人は常日頃から対人関係に気を配るし自分の対応がダメならチェックもするからだ。つまり大失敗するかどうかは“リスク管理が出来ているかどうか”の問題という事になる。

 

「失敗するか」という観点では、当然、得意な領域より苦手な領域の方が失敗の確率は高いだろう。でも「失敗が致命傷になるか」という観点では、得意か苦手かではなく失敗のリスクを把握しマネジメントできているかどうかで決まる。だから苦手領域の方が失敗のリスクを意識している分だけ大失敗に至らない

 

組織不祥事のトップ会見で「そのような事は、ウチでは“あってはならない事”です」などと聞くと「この組織は危ないな」と思う。何故なら“あってはならない事”なら、あった場合を想定した準備(リスク管理)はしないだろうし実際に起きてしまったら“あってはならない事”だから“なかった事”にする(隠ぺいする)しかないからだ。

 

Saigottimo

コロナ禍でかれこれ半年も歌えないため楽譜などを整理していたら懐かしい曲も出てきた。その一つが「Thou Swell(ゾウ・スウェル)」、一瞬「象、吸える」と聞こえる変わったタイトルの曲だが、名コンビ、ロジャース/ハート(リチャード・ロジャース作曲/ローレンツ・ハート作詞)の戦前(1927年)の正統派スタンダードである。

 

私がヴォーカルデビューしたばかりのSEABIRD一金(第一金曜日)ライブ等で何度か歌ったが最近は全く歌っておらず、レパートリーであることさえも忘れていた。当時の一金バンドのベーシスト、Big-Mこと松本勝之さんから「これは“ジャズの端唄小唄”だからさ、軽~く粋に歌ってね」と言われていたのを想い出した。

【ローレンツ•ハート】

このブログで私は「ヴォーカリストは歌詞が重要」だの「詞の意味を如何に表現するか」等について散々語り、シャンソン、カンツォーネ、ドゥアップ、カントリーなどの曲を採り上げてきた。でも、ジャズには意味のない歌詞もある。所謂「ジャズ・ノリでゴキゲンに歌えればいい」という曲もあることを、この曲で改めて思い出した。

 

これも随分ご無沙汰している私のレパートリーで、歌仲間の益田伸子さんのレパートリーでもある「Frim Fram Source(フリム・フラム・ソース)」というスタンダードもそうだ様々な料理の名前が出て来て、これに韻を踏んだ名称の架空のソースをかけるという、歌っても聴いても楽しい曲だが、歌詞には余り意味がない

 

さて、この「Thou Swell」は「コネチカットヤンキー」というミュージカルの挿入歌だそうで、英語の古語とスラングが入り混じっていている。「Thou(ゾウ)」は古語で「あなた」、「swell(スウェル)」はスラングで「素敵!」。詳細な歌詞は歌詞サイトに譲るが、翻訳するのもアホらしいほど意味の無い内容だ。

 

ちょっとナンチャッテ和訳を試みてみると・・・

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貴方は素敵!頭が良いし、優しいし、立派だし

キスして!可愛い~ 手も握ってよ!

そのお目々で可憐に見つめてどうするつもり?

ブッ飛んだ貴方を選んだ私の叫びを聞いて!

二人だけの甘~い小さな愛の巣を頂戴。

大きな土地なんか要らない、二部屋とキッチン

これで充分やっていけるって。

ああ、ホントに、貴方は素敵!

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ってな内容だからねーこれを真面目に表現しようってもねえ…。

 

だから、まさにBig-M氏の言うように、それこそジャズのリズムに乗せて軽快に、小唄端歌のノリで歌い流す、という感じで歌えるかどうか、という曲である。私は寄席が好きでよく新宿の「末廣亭」に行くが、色物(落語以外の芸)で「俗曲」と称して三味線のお姉様が歌う都々逸なんかが近いのかもしれない。

 

ロジャース/ハートの名曲だけあって、錚々たるジャズ・ヴォーカリストの音源がある。ビング・クロスビーナット・キング・コールナタリー・コールフランク・シナトラブロッサム・ディアリージョー・ウィリアムズエラ・フィッツジェラルドサラ・ヴォーン、とキリがないが、こんなに軽薄で意味のない内容の歌詞なのに、である。

 

これを軽~く、粋に歌えれば、それこそ「いよっ、ジャズ・ヴォーカリスト!」って感じなんだろうけどジャズはおろかナンチャッテ・ヴォーカリストの私だからそれは当然できない相談。でも折角ジャズ・スポットで歌わせてもらっている以上は継続的にチャレンジし、いつかはBig-M氏に「なかなかいいじゃない」と言わせたい。

 

ライブに復活した際の楽しみがまた一つ増えたとも言えよう。下記はかれこれ20年近く前の録音で、当時の和田敬三バンマス(アルトサックス)と橋本潔さん(ギター)の2トップの共演が懐かしい。ま、私のヴォーカルも、そこそこ頑張っているとは思うけどね…。

♪Thou Swell 2001年5月2日・渋谷「SEABIRD」一金ライブにて♪

 

Saigottimo

中村八大といえばジャズ・ピアニストであると共に、このブログでも紹介したが全米ヒットチャートNo.1となった「スキヤキ」こと「上を向いて歩こう」の作曲者だ。だが、生涯で数多くの曲を生み出した彼が自分の作品の中で最も好きだったのは「上を向いて歩こう」ではなく、「黄昏(たそがれ)のビギン」だった。

中村八大もそうだが、この曲は何故かジャズミュージシャンに愛されている。私は以前一緒にバンド活動をしていたベテランのジャズ・ギタリストから「『黄昏のビギン』っていう良い曲があるんだ。いつか歌ってよ」と言われてこの曲の存在を知ったのだが、その後も何人ものジャズミュージシャンから「好きだ」という声を聴いた。

 

 

 

今でこそこの曲は、ちあきなおみの歌唱によって日本のスタンダードとして広く知られているが、もとは1959年の水原弘のデビュー第2弾シングルB面の曲。そんな地味な曲がどのようにして現在まで脚光を浴びてきたのか。その経緯は「黄昏のビギンの物語」(佐藤剛・小学館新書2014年)という書籍に詳述されている。

この本には作曲者の中村八大の生い立ちから作詞者の永六輔との出会い、そしてこの曲の誕生秘話からその後の音楽界での変遷まで書かれている。この本での永六輔の言によれば、中村八大に「君にしておくね」と言われたものの実際の作詞者は中村八大で、彼は作詞も作曲もしたから一番好きなのだろうとの事。

 

元々は低予算のロカビリー映画のために永六輔と二人で短納期で作った数ある挿入曲のうちの1つで題名すらない曲だったとの事。それを後に中村八大が構成し直し水原弘の楽曲として世に出した。その後は全国の盛り場で「流し」のプロ達によって歌い継がれ、1991年にちあきなおみの歌唱でブレイクしたという。

 

このちあきなおみ盤で私が知りたかったのは「あなたの瞳 うつる星影」という原詞を「~うるむ星影」と歌っている点だ。でもこの本では全く触れてないので特に何の理由もないただの間違いだったのだろう。アルバムリリースの翌年に彼女が原詞通り「うつる星影」と歌っているライブ動画も最近になって見つけたし…。

 

さて、映画の挿入歌として誕生した時には名もなく歌詞も部分的にしか出来ていなかったこの曲だが、中村八大によって楽曲として整えられ、水原弘の歌でリリースされる際に「黄昏のビギン」というタイトルが付いた。「ビギン(Beguine)」というのは「ツタータ、ツタ、ツタ」というビートを刻む4拍子のリズムを指す音楽用語だ。

 

このリズムで最も有名な曲はおそらく「ビギン・ザ・ビギン(Begin The Beguine)」という1935年のコール・ポーターの曲だろう。この曲名は「ビギン(Begineの曲)を始めよう(Begin)」という英語のシャレになっている。ジャズのスタンダードなので様々なアーティストがカバーしているが極めつけはフリオ・イグレシアス盤だろう。

 

リズムを指定したようなタイトルを付けた曲を、違うリズムにアレンジされたちあきなおみ盤、作曲者&命名者の中村八大はどう思ったのかが気になったが、前述の本には編曲者の服部隆之が「八大さんに『このアレンジが一番好きだ』と言われて嬉しかった」とあるので彼は特にリズムはビギンに拘っていなかったようだ。

 

ちあきなおみ以外にも様々な人がカバーしているが、セルジオ・メンデス&Sumireは16beat、尾崎紀世彦高橋真梨子は8beat、大橋純子岩崎宏美薬師丸ひろ子由紀さおり菅原洋一はスロウバラッドと、リズムは様々である。タイトルのままの「ビギン」で歌っているのは長谷川きよし堀内孝雄前川清など少数派だ。

 

私もこの曲をレパートリーにして何度も歌っているがリズムを「ビギン」とは指定しない。歌う際にバンドに「リズムは何でもいいです」とテンポだけ出すと大抵はスロウだったりラテンだったりでビギンにはならない。以下はSEABIRD一金ライブでのマッキーとのDuetだが、リズムはバンドにお任せしたところ「ラテン」だった。

 

♪黄昏のビギン Duet with 牧かおる 2019年11月1日・渋谷「SEABIRD」一金ライブにて♪

※私の声が大きく(マッキーの声が小さく)聞こえるのは私の胸ポッケの中のスマホで録音したためです。

 

Saigottimo

 
 

以前このブログで「語り」が入る曲として紹介した「想い出のグリーン・グラス」について語りたい。日本でも“望郷”をテーマとした森山良子のヒット曲として知られているが、この日本語詞原詞と3番の歌詞が違う。そしてこの3番こそ、トム・ジョーンズ盤(1966年・全英No.1、全米No.11)では切々と「語り」が入る重要な部分なのだ。

山上路夫による日本語の訳詞の1番はこうだ。「♪汽車から降りたら小さな駅で、迎えてくれるママとパパ、手を振りながら呼ぶのは彼の姿なの 思い出のグリーングリーン・グラス・オブ・ホーム♪」そしてリフレインで「♪帰った私を迎えてくれるの 思い出のグリーングリーン・グラス・オブ・ホーム♪」ほぼ原詞通りの内容である。

 

以降はそれぞれの歌詞サイトを参照戴きたい。懐かしい我家や遊んだ樫の木を歌った2番の日本語詞も、ほぼ原詞に忠実だ。だが問題の3番は日本語詞では都会で泣いてた自分が故郷に帰ったら夢がさめハッピーになる内容だが原詞は全然違う。主人公は死刑囚で、故郷に帰った事自体が執行直前に見た白日夢だったのだ。

 

韻を踏むリフレインも1番と3番では微妙に異なる。1番の後では、

Yes, they'll all come to meet me, arms reaching, smiling sweetly.
It's good to touch the green, green grass of home.

そうさ、みんな笑顔で手を差し伸べながら俺に会いに来てくれる

この故郷の緑の草の感触、なんて素晴らしいんだろう

 

これが3番の後になると、こう変わる。

Yes, they'll all come to see me, in the shade of that old oak tree,
As they lay me neath the green, green grass of home.

そうさ、みんなあの古い樫の木陰に見に来てくれる

この故郷の緑の草の下に俺を横たえようと

 

「come to meet me」が「come to see me」に変わっているのは、夢では生きていた自分が、現実では直後の刑執行で死ぬからだ。そして「夢」で出てきた故郷の樫の木陰に自分を埋葬するために、縁ある人々に来て欲しいと願う「願望」に変わっている。金髪でサクランボのような唇をした愛しのMaryはその中に居るのだろうか?

 

ところがジョーン・バエズ盤は最後の3番も「meet」を使っている。

Yes, we all be together, in the shade to the old oak tree,
we will meet be neath the green, green grass of home.

そう、私たちはみな一緒にあの古い樫の木陰にある、

故郷の緑の草の下で会うのよ

 

一瞬、「あれ、死んでないつもり?」と思ったがそうではなく、いずれ故郷の草の下(be neath)でみんな一緒に会えるよ、という意味のようだ。死んで埋葬されて終わりではなく、死後の魂の世界にまで思いを馳せるところが、親の代からのクエーカー教徒で反戦フォーク・シンガーの彼女らしい気骨を感じさせる歌詞のアレンジである。

 

♪思い出のグリーングラス 2000年11月25日・大塚「Greco」でのヴォーカルセッションにて♪

 

Saigottimo

全く不運としか言いようがないが今年はコロナ禍で各種大会や卒業/入学式も中止となり里帰りも出来ない人が多かった。おそらく結婚式を見合わせたカップルも居ただろう。4月からライブ出演は差し控えている私も結婚シーズンの6月には歌ったであろう曲を歌えなかった。その曲名は「To The Aisle(トゥ・ジ・アイル)

 

耳で聞くと一瞬「通じ合える」という日本語に聞こえるが、そうではない。Aisleは通路を指す。それに定冠詞(The)が付いた「The通路」とは何か?それは教会の中央通路、すなわちヴァージン・ロードである。従って「To The Aisle」とは男女が出会って、一歩一歩「結婚(式)に向かって」結ばれていく過程を描いた歌なのだ。

ドゥワップ(Doo-Wap)と呼ばれるスタイルのこの曲は「ファイブ・サテンズ」1957年のヒット。といってもトップ10に入るような大ヒット曲ではなかった(全米25位)こともあって、私は映画「アメリカン・グラフィティ」(1973年)の挿入歌として知った。この映画は1962年夏のアメリカ西部の小さな街での一晩の出来事を描いている。

歌詞はこう始まる…まず少年と少女は出会い、腰掛けて他愛もない会話をする、そしていつか君は彼女に「試しに僕と付き合ってみない?」と尋ね、彼女が「いいわよ」と言った瞬間君のハートは高鳴り、そして君らはバージンロードに一歩近づく…。歌詞の和訳と意味は、みるんさんという方が完璧に記事化して下さっている。

コーラスの最後(サビ後の主旋律)では「彼女の指にリングをはめると涙があふれる、そのとき君は彼女が永遠に君のものだと知る、そして君らはバージンロードに一歩近づく…」上記のみるんさんによれば、時系列的に考えると(バージンロードに近づく、つまりまだ歩いていないので)この“リング”は婚約指輪だろうとのこと。

 

映画の中では、まさに歌詞が未来を暗喩するようなドラマチックなシーンでカーラジオから流れる。そして何より間奏がツイン・サックス(サックス2本のハーモニー)で私の大好きなビリー・ヴォーン楽団の代表曲「波路はるかに」を想起させたこともあり、全編オールディーズの目くるめく40曲のなかでも特に私の耳に残った

【大阪USJのレプリカ店】

 

この映画はDVDを買って何度見ても、街並みが懐かしくて涙が出る。大阪のUSJでは家族と別れて一人だけ映画の舞台「メルズ・ドライブイン」のレプリカ店に半日入り浸り、店内で流れるオールディーズを延々と聴いていたが全く飽きない。何故だろうと不思議だったが、実は私の幼少期の環境がそうさせたのだと気付いた。

 

私の母が営む注文婦人服店は小田急線「参宮橋」駅至近の西参道沿いにあった。徒歩3分の明治神宮のすぐ隣には「ワシントンハイツ」という駐留米軍の高級将校用住宅街があり、現在の「オリンピック記念青少年センター」と代々木公園を合わせた広大な敷地で、そこはまさにアメリカそのものだったのだ。

 

【上:当時のワシントンハイツ】

【下:代々木公園に残る記念棟

 

米軍高級将校の子女を乗せた焦げ茶色に白文字のスクールバスや当時驚くほど大きかった米国車フォードV8などが西参道を行き交っていたことはクルマ好きだった私は鮮明に覚えている。大人は絶対入れてくれなかったろうが我々子供は金網の隙間からハイツの中に入って遊んでいた事も朧気ながら記憶がある

 

【上:西参道にあった母の店】

【下:店の写真が掲載されたカタログ】

【上:現在の西参道(の母の店跡地)】

【下:明治神宮側から臨む現在の西参道】

 

0歳から6歳まで参宮橋で暮らした私は乳母車や店のショウウィンドウ越しに米軍家族が闊歩する西参道の街並みを眺め、縫子さん達がミシンを踏む2階の仕事場のAMラジオでは50年代後期の洋楽やカバーポップスを聴き、金網を潜って米軍将校の子女と戯れていたこの時期がアメリカングラフィティだったのだろう。

 

♪To The Aisle の初演(2008年3月13日・四谷三丁目「Bobby's」での根市タカオさんセッションで)♪

 

Saigottimo

以前このブログで「長所と短所は同じ要素の表裏」と書いた。例えば「慎重さ」という同じ要素(個性)が、局面によって「用心深さ」という長所にも「決断の遅さ」という短所にもなる。そして、同様の事は「局面」についても言えるのだ。チャンス(好機)とピンチ(危機)は一見、真逆の局面のように思えるが実は同じ局面なのである。

 

今回も野球を例に説明する。「無死満塁」という「局面」は攻撃側にとっては大「チャンス」に見えるが実は大「ピンチ」でもある。なぜなら、得点出来なかった場合は味方のメンタル面のダメージも大きいし試合の流れが相手に行くからだ。だから、そんな場面で登場する代打を「ピンチ(チャンスではなく)ヒッター」と呼ぶ

 

守備側も同じだ。「無死満塁」は大「ピンチ」に見えるが実は大「チャンス」でもある。ここを無失点に抑えれば相手にはダメージを与え味方は勢い付き、試合の流れも引き寄せられるからだ。よく「ピンチはチャンス、チャンスはピンチ」と言うが、そうであるなら「ピンチとチャンスは同時に存在している」ことになる。

 

【photo by fujiwaraさん from (写真ac)】

 

現在、コロナ禍で多くの企業、店舗、労働者等が苦境(ピンチ)に陥っているが、これをどう見れば好機(チャンス)なのか。来店客数や収益額が例年の9割減という状況は無死満塁のピンチだとして、ここを無失点(或いは最少失点)で抑えるとは、倒産や自己破産等に至らないよう打開策を講じて乗り切ることだろう。

 

そのためには企業や店舗ならネット販売やwithコロナ対応への改革機会に、解雇や契約解除となった働き手なら新たなスキル習得機会や職種転換機会に出来るかどうかだろう。無策のまま臨んだら無死満塁では大量失点の可能性が高いように、ここはピンチと考えてもチャンスと考えても、奮起が必要な局面である。

 

コロナ禍と関係なく、苦手な人や嫌いな人が身近な環境になるというピンチを迎えている人は、そういう苦手を克服して自らの対人関係能力を改善するチャンスを迎えていると言えるだろう。これが人ではなく仕事だったとしても同様で、苦手を克服して成長するチャンスだと考えられるのではないか。

 

次男が少年野球をしていた頃にコーチの手伝いをしていて気づいたことがある。試合中、取れそうにない打球を見事にダイビングキャッチするような1つのファインプレーが試合の流れを変えるがよくあった。しかし、それとは逆に何でもない平凡な打球をエラーしても同様に試合の流れが変わることもよくあった。

 

難易度や頻度からすればエラーは(ファインプレーも)滅多に起きない事だからこそ流れを変えてしまうのかも知れないが、「何でもない平凡なプレー」は、裏を返せば「エラーせず相手に流れを渡さなかった」という点では、実は「目の覚めるようなファインプレー」と同じくらい価値があることと言えるのではないだろうか。

 

我々の日常においても同じで、家で事故や火事を起こしたり交通事故や災害や犯罪に巻き込まれたりしたら、それこそ人生の流れは狂ってしまいかねない。ということは、毎日「何でもない平凡な日常」が過ごせていることは、実は「目覚ましい活躍や称賛されるような行いをした」のと同じくらい価値あることではないか。

 

そのように考えてくると、穏やかな日常が過ごせている日々においては、毎日ファインプレーをしていると同じくらい価値ある事として「自らを称賛し」、いったん何かが起きてピンチが訪れた場合は、同時に成長等のチャンスも訪れていることを思い起こして奮起し「自らを変える」機会とすべきなのだろう。

 

Saigottimo

10月になった。コロナ禍で4月から歌ってないが例年なら10月に歌う曲は“青空”に因んだ曲が多い。ジャズ・スタンダードなら「Blue Skies(ブルースカイ)」「My Blue Heaven(私の青空)」そして私は「Volare(ヴォラーレ)」をよく歌う。この曲は「永遠のポップス」には載っているがジャズではないので黒/赤/青本には載ってない。

 

「知ってる!キリンのCM曲でしょ?」という人も多いだろうが、あれはジプシー・キングスのスペイン語でのカバー盤(1998年)であってオリジナルではない。オリジナルは1958年作のドメニコ・モドューニョのカンツォーネだから原詞はイタリア語。この曲が英語以外の歌で初の全米No.1になった事は以前ブログでも書いた通り。

実はこの曲には英語詞もあり、ディーン・マーチンは1コーラス目だけ英語で(何故か2コーラス目の前だけにあるバース以降は原詞のイタリア語で)歌っているオリジナルのドメニコ・モドューニョ盤のリズムは1950年代らしく三連(ロカバラッド)だが、40年後のジプシー・キングス盤は16beat(?)のアップテンポで実に軽快なアレンジだ。

 

でもこの曲が凄いのは「全米ヒットチャート」No.1のみならず、「サンレモ音楽祭」グランプリ、「第1回グラミー賞」最優秀楽曲賞と”三冠王に輝いた唯一の楽曲”である点だ。「全米ヒットチャート」No.1だけでも充分に凄いが「サンレモ音楽祭」はユーロポップス最大の祭典、「グラミー賞」はアメリカ音楽界最高の権威である。

“アメリカ音楽界のアカデミー賞”として1957年に創設されたグラミー賞の記念すべき第1回受賞曲を知っている人は少ないだろう。初の最優秀レコード賞&最優秀楽曲賞がなんと英語の曲でもアメリカ人の曲でもなく、イタリア人が歌うこのカンツォーネだったのだ。そういう点がいかにもアメリカらしいと言えばアメリカらしい。

 

もう一つ驚くべきはタイトルである。この曲のタイトルは「Volare(ヴォラーレ)」ではない。正式なタイトルは「Nel Blu Dipinto Di Blu(ネル・ブル・ディピント・ディ・ブル)」、日本語に訳すと「青の中で藍(色)に染まって」というような意味らしい。では「Volare(ヴォラーレ)」の意味は?イタリア語で「飛ぶ」だそうだ。

【アルバムタイトル↑Volareは括弧書き】

 

バース(前歌)部分からの全体の原詞(イタリア語)と英訳はWebに譲るが、コーラス(本編)部分の原詞と私の「ナンチャッテ」和訳はこうなる。「Volare, oh oh.../飛ぶ、おーおー」「Cantare, ohohoho.../歌が出る、おーおー」「Nel blu dipinto Di blu青の中で藍(色)に染まる」「Felice di stare lassù/そこにいる幸せ!

 

う~ん、はっきり言って「なんかヤバいクスリ、やってない?」と突っ込みたくなるような歌詞だが、まあ意味としては夢の中で歌いながら自由に大空を飛び回っている解放感あふれた?内容だ。話を戻すと「Nel Blu Dipinto Di Blu (Volare)=青の中で藍に染まって(飛ぶ)」だから「青空」に因んだ10月の歌なのだ。

 

映画音楽の主題曲などは「第三の男」(歌のタイトルは“Harry Lime Theme”)、「いそしぎ」(同“Shadow Of Your Smile”)などと映画のタイトルが通称名となってしまうことが多いが、1979年の大ヒットJ-POP、久保田早紀の「異邦人」も当初のタイトルは「白い朝」だったというから、こういうケースは案外あるのかも知れない。

 

♪Volare 2016年8月5日・渋谷「SEABIRD」第1金曜日ライブにて♪

 

Saigottimo

 

「奇跡のレッスン」というNHKの番組がある。様々な分野で世界から“最強コーチ”を招き、1週間にわたって普通の学校のクラブ活動の指導をさせ、その指導法や成果を紹介するドキュメンタリー番組だ。対象分野は野球、サッカーのようなスポーツから書道、ダンス、料理、ブラスバンドなどの文科系の活動まで幅広い。

“最強コーチ”はその分野では現役時代や指導者として世界的に通用する実績ある人なので一番勉強になるのは部活の指導者である顧問の先生方だろうと思う。そして“最強コーチ”は必ずしも外国人ではないが、分野を問わず共通している点が図らずも“日本の教育のアンチテーゼ”にもなっていて興味深い

 

共通点の一つは「(強制的ではなく)自主的に学ばせる」という点だ。自主的とは、自らが「好きだから」「自分に必要だと思うから」進んで行うのだ。「四の五の言うな!意味が分からなくてもいいから、歯を食いしばって言われた通りやれ!」と強制的にシゴくのが指導だと思っている日本の教育とは真逆だ。

 

いつだったか北欧から来たハンドボールの“最強コーチ”が部員達の日常の姿も見たい、と授業を参観した。終了後に先生にお礼を言ったコーチは首を傾げながら「ひとつ質問したいのですが」「どうぞ」「あのぅ…生徒達は、何故今日これを学ぶのか分かっていたのでしょうか?」と聞き、想定外の質問に先生は当惑していた

【デンマークの最強コーチ、ソーレン・シモンセン氏】

 

先生は学習指導要領に従って授業をしているだけだし、生徒だって試験に出るから学んでいるだけであって「何故(why)今これを学ぶのか?」など考えたことも無いだろう。でも本来なら「自分は今、何故これを学ぶ必要があるのか」を自分に問い、自分の頭で考えて納得せずして自主的に学ぶ動機は得られないはずだ。

 

「意味も分からず師匠に言われた通りに修行を積んだ事が今思えば良かった」というケースは確かにあるだろう。しかしそれが指導の全てではなかろうし、(仮に日本ではそれが普通でも)少なくとも世界的に見てそれは“指導のデファクトスタンダード(基本)ではない”という事を私は教えられた気がした。

 

共通点のもう一つは「一人ひとりを見て個別に指導する」という点である。そう書くと当たり前のようだが実際の日本の教育はそうなっていない。「新入り(初心者)は、まず~をすべし」という集団的で画一的な課題やハードルを与えるのが一般的で、個々人の特性や事情を配慮するのは一定レベルに達してからではないか。

 

「君は~だから強く~」「君は~だから柔らかく~」と、“最強コーチ”は初心者でも個々の特性に応じて全く異なる指導をする。「入門者だから一律にまずは基本の~を課す」ではない。「○道」などは日本人を前提に基本の「型」を学ばせるが、身体的精神的前提が異なる外国人には適応できない事もあるだろう。

 

そして「まず技術面を磨く」というのも日本独特の指導法だということが分かった。弦楽クラブを指導した“最強コーチ”は、(譜面通りに)上手に弾こうとしている部員達に「この課題曲はどういう曲か知ってますか?」と問うた。皆ポカンとしていたが「これは舞踏曲だから踊りながら弾いてみようか」と提案しで生徒達を驚かせた。

【弦楽の最強コーチ、ダニエル・ゲーデ氏】

 

「曲調等を理解し気持ちを込めて弾く」という感情面は「機械の様に譜面通りに正確に弾く」という技術面が出来てから、というのが日本的な指導法だが“最強コーチ”元ウィーンフィルのコンマス、ダニエル・ゲーデ氏「いや、どんな技術レベルであっても感情面は同時に取り組めるし、そうすべきなんです」と喝破した。

 

日本では数多くのピアノ教室があるが、そこに通った子供達が生涯を通じてピアノや音楽に親しめるようになるどころか、逆に「多くの子供達をピアノ嫌い音楽嫌いにしている」と揶揄される。私はその理由は、殆どがプロにならないのに「全員にプロのピアニストになるための基礎訓練をさせるから」だと思った。

 

ピアノ教室の先生の多くはプロのピアニストを目指して訓練をしてきただろうから、プロになりたい生徒への指導は自分がしてきた通りで良いとしても、そうでない子供達に何を教えて指導すればいいのか。ピアノに限らず日本の英語教育はプロの英文学者になるための基礎教育、国語も算数も体育も全て同じでは…?

 

Saigottimo