以前このブログで「語り」が入る曲として紹介した「想い出のグリーン・グラス」について語りたい。日本でも“望郷”をテーマとした森山良子のヒット曲として知られているが、この日本語詞原詞と3番の歌詞が違う。そしてこの3番こそ、トム・ジョーンズ盤(1966年・全英No.1、全米No.11)では切々と「語り」が入る重要な部分なのだ。

山上路夫による日本語の訳詞の1番はこうだ。「♪汽車から降りたら小さな駅で、迎えてくれるママとパパ、手を振りながら呼ぶのは彼の姿なの 思い出のグリーングリーン・グラス・オブ・ホーム♪」そしてリフレインで「♪帰った私を迎えてくれるの 思い出のグリーングリーン・グラス・オブ・ホーム♪」ほぼ原詞通りの内容である。

 

以降はそれぞれの歌詞サイトを参照戴きたい。懐かしい我家や遊んだ樫の木を歌った2番の日本語詞も、ほぼ原詞に忠実だ。だが問題の3番は日本語詞では都会で泣いてた自分が故郷に帰ったら夢がさめハッピーになる内容だが原詞は全然違う。主人公は死刑囚で、故郷に帰った事自体が執行直前に見た白日夢だったのだ。

 

韻を踏むリフレインも1番と3番では微妙に異なる。1番の後では、

Yes, they'll all come to meet me, arms reaching, smiling sweetly.
It's good to touch the green, green grass of home.

そうさ、みんな笑顔で手を差し伸べながら俺に会いに来てくれる

この故郷の緑の草の感触、なんて素晴らしいんだろう

 

これが3番の後になると、こう変わる。

Yes, they'll all come to see me, in the shade of that old oak tree,
As they lay me neath the green, green grass of home.

そうさ、みんなあの古い樫の木陰に見に来てくれる

この故郷の緑の草の下に俺を横たえようと

 

「come to meet me」が「come to see me」に変わっているのは、夢では生きていた自分が、現実では直後の刑執行で死ぬからだ。そして「夢」で出てきた故郷の樫の木陰に自分を埋葬するために、縁ある人々に来て欲しいと願う「願望」に変わっている。金髪でサクランボのような唇をした愛しのMaryはその中に居るのだろうか?

 

ところがジョーン・バエズ盤は最後の3番も「meet」を使っている。

Yes, we all be together, in the shade to the old oak tree,
we will meet be neath the green, green grass of home.

そう、私たちはみな一緒にあの古い樫の木陰にある、

故郷の緑の草の下で会うのよ

 

一瞬、「あれ、死んでないつもり?」と思ったがそうではなく、いずれ故郷の草の下(be neath)でみんな一緒に会えるよ、という意味のようだ。死んで埋葬されて終わりではなく、死後の魂の世界にまで思いを馳せるところが、親の代からのクエーカー教徒で反戦フォーク・シンガーの彼女らしい気骨を感じさせる歌詞のアレンジである。

 

♪思い出のグリーングラス 2000年11月25日・大塚「Greco」でのヴォーカルセッションにて♪

 

Saigottimo