私はこのブログで「個性を磨いて自分ならではのオリジナリティを向上すべき」と述べてきたが、では具体的に「個性を磨く」とはどういうことか?「個性」は他者とは違う「相違点」にあるだろうから、恐らく「長所」「短所」として表れてくるはず。一般的に「短所は直し長所は伸ばす」だろう。でも、実はそこに“落とし穴”もある

 

野球選手に例える。A君は小柄だがパンチ力があり「長所」は長打力で年間10本塁打するも「短所」は確実性に欠け年間打率2割。一方、B君は体格に恵まれているが繊細で「長所」はバットに当てる確実性で年間打率3割打つも「短所」は長打力の乏しさで年間3本塁打、と真逆な「個性」の2人のバッターを想定しよう。

 

「短所を直し長所を伸ばす」と考えれば、A君の育成方針は、短所を修正して確実性を増し打率を上げれば長所である本塁打数も確率的に増えるので、目標は「打率2割5分⇒本塁打15本」。一方のB君は、短所を修正して飛距離を伸ばせば本塁打数は増え、その分は打率も上がるので、目標は「本塁打10本⇒打率3割2分」。

 

そこでA君はB君を見習ってシュアー(堅実)にボールをヒットするように打撃フォームを改造し、一方のB君は逆にA君を見習って思い切り良く振り切るように打撃フォームを改造することにした。お互い自分に無い良さを持っている先生が同僚として近くに居たので教え合うことも出来、2人とも従来と違う打撃フォームになった

 

果たして結果は?A君は打率は2割5分台まで向上するも本塁打は影を潜め1桁に、B君は打率が2割5分台まで下がって本塁打も殆ど増えず、両者とも何の取り柄(長所)もない並以下のバッターになってしまった。これは残念ながらよくありそうな失敗例である。ではこのやり方の、いったい何が間違っていたのだろう?

 

両者とも「育成方針」と「目標」は良いが「方法」を間違えた。「短所を直し長所を伸ばす」のは当然だが、その際にはその人の持つ傾向(個性)である“持ち味”を削がない方法を選ぶべきだ。だが往々にして“持ち味”が何かを考えず「短所を直そう」として“持ち味”を削いでしまうもの。これが冒頭に書いた“落とし穴”だ。

【photo byラッキーエースさん from (写真ac)】

 

「長所」とはその人の持つ個性である“持ち味”が良い方向に働く局面での結果、「短所」とは逆に働く局面での結果。A君の持ち味は“思い切りの良いスイング”で、それが「長打の多さ」という長所にも「打率の低さ」という短所にもなる。だから“持ち味”を削ぐような打撃フォーム改造は「短所」と同時に「長所」も削ぐことになる。

 

A君は“持ち味”である“思い切りの良いスイング”を変えずに打率を上げる方法(ボール球を振らない、打つ球を絞る等)を、B君も“持ち味”である“繊細なバットコントロール”は変えずに飛距離を伸ばす方法(下半身の強化、筋トレ等)を模索すれば、自らの打撃フォームを改造して“持ち味”を削ぐことはなかっただろう

 

表側が美しい塀を「裏側が汚い」といって取り壊したら当然、表側も無くなってしまう。「長所」「短所」も、同じ一つの持ち味(要素・傾向)の表裏であることが多いので片方だけ無くす事は出来ない。「自らの短所は幾つも挙げられるが長所は殆ど思いつかない」人は多いが、逆側に働く局面を考えれば本来双方同数なはず。

 

ここで間違えてはいけない点は、A君もB君もレギュラー選手である点だ。基礎的に未熟な場合はまずそのクリアが必要であり、その段階での「未熟ゆえの傾向」や「単なる癖」は「短所」でも「個性」でもない。これは自戒を込めて既に述べた通り。“個性を磨いてオリジナリティを高める”のとは別次元の課題だからである。

 

勿論、他の要素がどんなに低いレベルでも、ある「長所」が飛び抜けて優れていたら、それだけでオリジナリティとして通用するケースはあるだろう。野球で例えれば、走塁やバントのスペシャリストなどがそうだが、それは当該分野で他に比して相当傑出している事と割り切りが必要であり、誰でもが目指せる道ではない。

 

Saigottimo