前回の記事で「上を向いて歩こう」が、私にとって原体験の曲だと書いた。人生で最初に歌ったのはきっと童謡だったろうが、自分の意志で歌ったという点で原体験の曲と言ってよいと思うのだ。そして小学生の鼻歌だから当然アカペラであり“歌の原点はアカペラ”という私の主張にも通じる。もう少しだけこの曲について書く。

 

まずタイトルだが、作曲者の中村八大にとって歌のタイトルというのは「星影の小径」とか「虹の彼方へ」など文学的な趣のある名詞形との観念があったのだろう。「上を向いて歩こう」というのは「タイトルらしくない」と作詞者の永六輔にタイトル変更を要求したそうだが、彼は「このタイトルで行きたい」と譲らなかったという。

次に歌詞の内容について永六輔は「60年安保闘争の挫折」がテーマだったとの発言もあったようだが、実際は中村メイコへの「失恋」がテーマだったらしい。政治的なテーマがカッコいいと思われた時代もあったが、今となっては男女の恋愛の方が恒久普遍的なテーマなので、むしろ好ましい気もする。

 

中村メイコは親しかった永六輔に神津善行との婚約を告げた際、ショックを受けている彼を見てどうしたらよいか作家である父親に電話で相談し「涙がこぼれないよう上を向いて歩きなさいとそれくらい気の利いた事を言ってやりなさい」との父の進言を伝えた。「だから彼は私のお陰で儲けたのよ(笑)」とはメイコ談。

 

中村メイコは黒柳徹子と並び草創期からTVを知る生証人。私の母が参宮橋にあった注文婦人服店を首都高建設の立ち退きで六本木(現在のROAビルの辺り)に移転した際、近くの喫茶店でよく見かけたと聞く。また永六輔氏とは西新宿にあった台湾料理屋に妹と食事に行った際に隣席してお店のママに紹介されたことも。

 

さて曲はジャズピアニストの中村八大の曲だけあって、メジャー(長調)とマイナー(短調)を組み合わせ、Aメロディ16小節とサビに当たるBメロディ8小節のA-A-B-A構成(計56小節)という、スタンダードの王道とも言うべき形態になっている。シロホン(木琴)の前奏から始まる演奏も軽快かつモダンな雰囲気で親しみやすい。

 

最後に歌唱だが、中村八大は当時まだ殆ど無名に近かった坂本九を起用した。彼は当時の多くの若者同様プレスリーに憧れるロカビリー歌手だったが、エノケン(喜劇王の榎本健一)も愛したといわれる哀愁ある声質と、プレスリー等の影響か下町生まれで邦楽の影響か“九ちゃん節”と呼ばれる独特の歌い方をした。

 

作詞した永六輔が初めて彼の歌を聴いた際「おい、ウフエヘオホムフイヒテって何だ!おれはそんな歌詞書いてないぞ」とショックを受け、中村八大に歌手を変えるよう要望したとのことだが、これについてはタイトルとは逆に、今度は中村八大が頑として譲らなかった。この曲には坂本九を起用しようと心に決めていたようだ。

 

当時の日本はまさに戦後の高度経済成長期で、中学を卒業したばかりの少年少女が先生に連れられて都会の「商店の小僧さん」「工場の作業員」「お屋敷のお手伝いさん」へと集団就職していた。童顔の九ちゃんは彼らのアイドルになった。彼の笑顔はどこか涙や悲しみの余韻を感じさせ、この曲調ともマッチしていた。

稀代の天才達(作詞:永輔、作曲:中村大、歌唱:坂本という「六八九トリオ」)の邂逅でこの楽曲は1963年6月15日付全米ヒットチャートでレスリー・ゴーアの「涙のバースデイ・パーティ」に替わりNo.1(ビルボードでは3週連続、キャッシュボックスでは4週連続)となり世界中で大ヒットしてポップスのスタンダードになった。

 

この曲は果たしてジャズかロックか。作曲者の中村八大は、ジョージ川口(ds.)、松本英彦(ts.)、小野満(b.)と「ビッグ・フォア」を結成して絶大な人気を博していたジャズ・ピアニストだったが、忌野清志郎はこの曲を自らのライブで「日本の有名なロックンロール」と紹介しカバーしていた。もはやジャンルレスなのかも知れない。

 

Saigottimo