舌癌は癌全体のわずか3%。
父の闘病中に、何度も何度も「舌癌」というワードで舌癌患者ご本人やそのご家族の方の手記やブログを検索しましたがほとんど出て来ませんでした。
当時はたとえネガティヴな内容だったとしても、なんでもいいから情報が欲しかったのです。

少しでも「誰かの世界を参考に出来ると有難い」と思う方がいるなら書くべきだと思いました。

とはいえ病気の話はどうしても暗い話になります。
興味のない方や、癌の話で辛い気持ちになってしまう方はご覧にならないでください。

よろしくお願い致します。



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父は舌癌でした を最初からお読みになりたい方はこちらからどうぞ。

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2011.9.9
先月16日から、高熱→汗だくで平熱というのを繰り返し病院へ行くことを嫌がっていた父。

この日は退院時から予約されていた診察の日で、病院へ行くとやはり緊急入院になりました。 

主治医に私だけ呼ばれ「急変があっても延命措置はやめようね。お父さんはもうたくさん頑張ったから。」と言われました。

もうそこまで…と涙が堪え切れませんでした。

「たとえ息を引き取る時に立ち会えなくても、お別れ出来なかったなんてことはないからね。息を引き取る時に魂が消えるわけじゃないからね。」と慰めるように肩をトントンとされました。

弱気にはなってるけど、父はまだ戦うつもりでいます。 

そしてすぐ退院するつもりでいる。
けれど、もう帰れる見込みはないと。 

「お父さんにこの事を話すかどうか、娘さんが決めてね」と言われました。

いつ急変してもおかしくない状態なんて、知ってしまったら父はどうなるだろう。
でも、そんな大事な事を知らせずに闘いを終わらせてもいいんだろうか。 

主治医はこの翌日から夏休みで相談も出来ず。
 
覚悟なんて全然出来ていませんでした。 
母みたいに、前触れもなく一瞬で逝く方が本人も周りも幸せなのかもしれない。 

父が希望しても、もう治療らしい治療は出来ない。
父が懇願しても抗がん剤を使ってはくれない。
終わりを待つだけだなんて。
こんなの拷問じゃないか。 

ただただ癌に蝕まれてゆくのを見ているのが怖い。
急変を待つのが怖い。 
電話の音が怖い。






2011.9.26
毎晩 高熱が出るのは変わらず、どんどん痩せて行きました。

食事は病院食をなんとか半分は食べていましたが、それでも体重が40キロになってしまいました。
入院した日に計った体重は88キロなので、半分以下に。

主治医としては、もう検査をして癌の進行具合を知っても意味がないというような言い方でしたが、父は諦めきれない様子でした。

何度か緩和ケア病棟への移動を勧められていましたが、そちらへ移動することも嫌がりました。

モルヒネで抑えないと痛みに耐え切れず意識を手放す程なのに、モルヒネで訳分からなくなるのが嫌だと我慢することもありました。

もう誰がどう見たって限界が近い。

けれど、父はまだ闘うつもりでした。
熱が出なくなればまた治療が出来る、そう思っていました。

主治医に「進行具合を知りたい」と何度も頼み込み検査をしてもらえました。




2011.10.4
父に内緒で主治医に呼ばれ、検査結果を聞かされました。
「肺と骨への転移と、残念ながら他にも転々と、、やはりスピードの早いタチの悪い癌でした。脳への転移も時間の問題かと。もう痛みを抑えてあげるくらいしか出来ません。」

ああ、やっぱり…

「わたしからはとても言えないので、先生から父に話してください」とお願いして、父には会わずに洗い物だけ取りかえてすぐに帰りました。

逃げてしまった。
父の反応が怖くて、励まして支える立場なのに逃げたんです。最低だ。





続きます。