『トップガン マーヴェリック』 「大ヒット上映中」 | やりすぎ限界映画入門

やりすぎ限界映画入門

ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『トップガン マーヴェリック』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2022年/アメリカ映画/131分
監督:ジョセフ・コシンスキー
出演:トム・クルーズ/ジェニファー・コネリー/マイルズ・テラー/グレン・パウエル/モニカ・バルバロ/ルイス・プルマン/ジェイ・エリス/ダニー・ラミレス/グレッグ・ターザン・ラミレス/ヴァル・キルマー/ジョン・ハム/チャールズ・パーネル/バシール・サラフディン/エド・ハリス/マニー・ジャシント/ジェイク・ピッキング/レイモンド・リー/ジャック・シューマッハ/カーラ・ウォン/ジーン・ルイザ・ケリー/リリアナ・レイ/アンソニー・エドワーズ/メグ・ライアン


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:トム・クルーズ


やりすぎ限界女優賞:ジェニファー・コネリー


やりすぎ限界男優賞:マイルズ・テラー


やりすぎ限界女優賞:モニカ・バルバロ


[「男は絶対見たくない」僕が追い込まれた「男」]




「ショーン・ペン」とか「北野武監督」とか、「男は絶対見たくない」僕が、「南斗水鳥拳」を見て「双節棍を落とした」「ユダ」まで追い込まれた「男」が「数人」いる。

数少ない「数人」の中でも「特に」、僕を「怖さ」にビビって震え上がらせ「泣きながら」、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」まで追い込んだ「男」「ベスト3」は、「シルベスター・スタローン」「ジャッキー・チェン」「トム・クルーズ」

「もしも」来世で生まれ変われるのが「女」なら、「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” に生まれ変わりたいが、「男」なら「シルベスター・スタローン」「ジャッキー・チェン」「トム・クルーズ」の誰かに生まれ変わりたい。

[『アマデウス』の「サリエリ」]



■『アマデウス』より

■「彼は-
  私の憧れだった」


「幼少期」気管支炎喘息で体が弱かった「鶏」は、「モテない男」の「苦しみ」を死ぬほど味わった。「シルベスター・スタローン」や「ジャッキー・チェン」に、…………「俺もこうなりたい」 ……「もの凄く」「うらやましい」と、「死ぬほど」「嫉妬」。「心から憧れた」。

仏様は残酷なもので「カッコいい男」から程遠い「モテない男」に、人一倍強い「性欲」を与えた。「とにかく」「カッコいい男」「モテる男」を「嫉妬」して憎んだ。「1986年全米大ヒットNo.1」『トップガン』で「大スター」となった「超カッコいい」「トム・クルーズ」など「言語道断」。「絶対許せない」まで「嫉妬」した。

だが『トップガン』以降、恐るべき「超天才」「脳みそ」で、『ハスラー2』『レインマン』『7月4日に生まれて』『遥かなる大地へ』『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』『ミッション:インポッシブル』………… と「絶対外さない」「超大ヒット」「超話題作」を、「10000%」「確実」「実行」で成し遂げる「激ヤバ」「超天才」な姿に、「あんたに殺されたくねえ」と「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。

「超カッコいい」「超天才」 “本物” 「トム・クルーズ」の前で「双節棍を落とした」「ユダ」と化す以外「選択肢」はなかった。「精神」「心」が破壊されるまで「ショック」「衝撃」に追い込まれ『アマデウス』の「サリエリ」と「同じ」、「彼は- 私の憧れだった」と言ってしまった。

[「鶏」が考えた『トップガン2』「脚本」]




自分が「何様」か解かってない「鶏」は「20代」の頃、映画監督になる「思い上がった」「クそして寝ろ」な「勘違い」「妄想」「幻覚」「白昼夢」を、「さらに」日本じゃなく「ハリウッド」で実現させる気だった。本当に「超バカバカしい」が、「自分が監督する気」で『トップガン2』の「脚本」を考えた。

『ハスラー2』を「意識」してた。『ロッキー・ザ・ファイナル』の「シルベスター・スタローン」や『スパイ・ゲーム』の「ロバート・レッドフォード」のように「年老いた大スターが若者をやっつける話」「年老いた大スターが若者より超カッコよく光り輝く話」。「トム・クルーズ」が「1作目」「バイパー」のような「教官」となるが「最期」「実戦」で、その時代の「ジャニーズ」のような若いアイドルの「命」を「トム・クルーズ」が救う話を考えてた。

「100回以上見る」とはそういうことだと思う。「2作目」『トップガン マーヴェリック』が「どんな話」で攻めてくるか、「36年間」「予測」「想像」をしてた。

[「鶏」の想像を「100乗」で超えてた]




「やっぱり」「所詮」「鶏」。『トップガン マーヴェリック』は「鶏」の「猿知恵」なんか「クそして寝ろ」な恐るべき「やりすぎ限界映画」。

「年老いた大スターが若者をやっつける話」「年老いた大スターが若者より超カッコよく光り輝く話」は、何とか外さなかったが、「教官」は「2ヶ月」で辞めて「現役パイロット」を貫いてる創作は「鶏」の想像を「100乗」で超えてた。

「2018年」撮影時「トム・クルーズ」「56歳」。「56歳」で「若者をやっつける」「現役パイロット」って極限のくそリアリズムじゃ「絶対ありえない」「絶対成立しない」。

…………「あんたに殺されたくねえ」

「恐るべき極限のくそリアリズム」=「極限屁理屈」で、「現役パイロット」を「成立」させた「超天才」 “本物” 「トム・クルーズ」の「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」、「震撼」…… 「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。

[「トニー・スコット監督」「リドリー・スコット監督」]




「1作目」『トップガン』は、「リドリー・スコット監督」の「弟」「トニー・スコット監督」の映画。「恐るべき極限のくそリアリズム派」の「兄」に対し「超娯楽派」の「弟」の作風は「個性」が全く違う。「トニー・スコット監督」の映画には「部分的」なリアリズムはあるが、「非現実」「絶対ありえない」「ご都合主義」な部分も入れる作風。だがその「絶妙なバランス」「さじ加減」で『トップガン』は「1986年全米大ヒットNo.1」だったのだと思う。

「1作目」の「F-14」の「空中撮影」「戦闘シーン」は「完全」恐るべき極限のくそリアリズム。だが酒場でナンパした恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ケリー・マクギリス」が「教官」とか、マーヴェリック(トム・クルーズ)が訓練中「下限高度」を守らなかったり「勝手な」「急回避」とか、「非現実」「絶対ありえない」「ご都合主義」「超娯楽派」の「絶妙なバランス」「さじ加減」を魅せた。

脚本を勉強するようになって「見えた」「思い知った」、「兄」「リドリー・スコット監督」と「弟」「トニー・スコット監督」の「差」。この「差」を解かりやすく「比較」できる映画が『G.I.ジェーン』と『トップガン』。話が「軍隊の訓練生の話で最期実戦」と「全く同じ」なのにテーマが「全く違う」。同じ「約2時間」という時間の中で映画が「何を表現できるか?」 「恐るべき極限のくそリアリズム派」と「超娯楽派」の「脚本」の「違い」は「鶏」も「かなり」思い知らされた。

「故トニー・スコット監督」となった今、「2作目」『トップガン マーヴェリック』が「超娯楽派」の「絶妙なバランス」「さじ加減」でくるか「ガン見」だった。

[「恐るべき極限のくそリアリズム」=「極限屁理屈」]



「故トニー・スコット監督」から『オブリビオン』の「ジョセフ・コシンスキー監督」に代わる。何で「『トップガン』続編、トム・クルーズは乗り気じゃなかった」か「理由」はどこにも公表されず気になるが、「説得」したのは「ジョセフ・コシンスキー監督」らしい。

完成した『トップガン マーヴェリック』を見れば「一目瞭然」だが、「恐るべき極限のくそリアリズム」=「極限屁理屈」が心を撃ったのかもしれない。「2作目」は「大マジ」。「超娯楽派」の「絶妙なバランス」「さじ加減」じゃなかった。

「もしもマーヴェリックが実在の人物だったら?」を、「徹底的」 “棲息速度域” 「これでもか」まで追究した。

[「カッコいい大人」]



この世の「カッコいい大人」とは、一体「どんな人間」を言うのだろう? 『トップガン マーヴェリック』の「トム・クルーズ」こそ「答え」「そのもの」。

「カッコいい大人」とは、「若者にバカにされない大人」「若者から尊敬される大人」だと思う。『トップガン マーヴェリック』のテーマだと解釈した。『マイ・インターン』の「ロバート・デ・ニーロ」。「高齢化社会」で「これからの70歳はどう生きるべきか?」と「同じ」テーマに見えた。

「若者にバカにされる大人」「若者から軽蔑される大人」の「理由」「原因」って、「嘘つき」だからだと思う。「自分ができもしないことを要求したりやらせたりする」。あらゆる職業で、ノルマを上げなきゃいけないからって、数字見て「誰にもできない」の一目瞭然でも「上に叱られる」「保身」のため、「間違ってる」と解かり切ってるのに「自分に嘘ついて」人に平気でやらせ、できないことを「人のせいにする」。「不正を受け入れることができてしまう大人」を、若者はバカにするようになるのだと僕は感じる。



「若者にバカにされない大人」「若者から尊敬される大人」とは、「自分ができもしないことを要求したりやらせたりしない大人」。人に「要求する」「やらせる」には「まず」、「誰にも文句を言わせない」「全員を完全納得させる」ことができるかを問われる。「文句を言わせない」「納得させる」ためには「本当に実行できる」「見本」を見せなければならない。「人を動かす」「一番簡単な方法」は「見本」を見せることだろう。

[「2分30秒」]




アイスマン(ヴァル・キルマー)が亡くなって「教官」を解雇される。「辞める」と、「超依怙贔屓」「自称」「永遠の下僕」「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ジェニファー・コネリー」「ペニー・ベンジャミン」に話した後、「トム・クルーズ」の「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」、「震撼」…… 「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。「これでも泣かないか」な恐るべき「泣かし」に追い込まれ「涙腺決壊」。

この「1シーン」こそ『トップガン マーヴェリック』の「全て」。「カッコいい大人」とは「見本を見せる大人」。

「56歳」で「現役パイロット」を「成立」させるとは、「誰にも文句を言わせない」「全員を完全納得させる」こと。「56歳」が「引退」どころか「若者全員やっつけて」「編隊長」になる「恐るべき極限のくそリアリズム」=「極限屁理屈」とは何か? 「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」、「震撼」…… 「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。『トップガン マーヴェリック』が、「もうこれ以上美しくトム・クルーズを撮れない」「俳優生命限界点」に見える。『M:i-2』を「超えた」かもしれない。

「2分30秒」。

「間違ってる」と解かり切ってるのに「自分に嘘ついて」人に平気でやらせる「大人」を見る卒業生達の「目」、「恐るべき極限のくそリアリズム」。「2分30秒」でも死ぬかもしれないのに、他の方法じゃ「絶対助からない」。

そもそも「ウラン濃縮プラント」など「大嘘」。本当に爆破したら「第3次世界大戦」かもしれない。

だが「ビーチ」「アメフト」で見せた「56歳」の「身体」。「怖さ」にビビって震え上がり「泣きながら」「震撼」…… 「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。「人間トム・クルーズ」「俳優トム・クルーズ」「56歳」の「身体」が、「今」も若者に「見本を見せる大人」であり続ける象徴に見える。

「2分30秒」の「見本を見せる大人」の「創作」が、「1986年」「1作目」からの「36年間」、「人間トム・クルーズ」「俳優トム・クルーズ」の「絶対外さない」「超大ヒット」「超話題作」を、「10000%」「確実」「実行」で成し遂げてきた「人生」「全部」の「見本を見せる大人」の姿と重なって見える。「36年間」、「人間トム・クルーズ」「俳優トム・クルーズ」が「やってきたこと全部」が、「普段からしてること」「本当に成し遂げてきたこと」として、「2分30秒」の「見本を見せる大人」と重なって「全面に溢れ出た」



これが「やりすぎ限界映画」だ。






画像 2022年 6月