社長の休日
  • 16Apr
    • たこパーを終えた日曜日

       日曜日の昼、たこパー(たこやきパーティ 注;ドレスアップの必要はない)の準備を任せて机に向かう。視力1.2だが、老眼鏡が活躍する。コピーを取りに行こうと立ち上がると、いすに座った姿勢のまま歩いているような感じだ。5,6メートルほど歩くとやっと背中と腰と膝が伸びてきて「人類」となる。たこパーの手伝いをしてくれた相生の住民さんを横目につまみ食いをする。ハヒハヒ熱い。お手伝いと観客6人組に配膳をすると徐々に皆さんが食堂に下りてくる。んー何しにこっちに来たんだっけ?そうそうデリケートなコピーを取りに来たんだっけ。 金さん銀さんの娘さんが100歳と94歳になるそうで、新聞の一面を使った広告が出ているのを見て、「私も載るかしらぁ」と、Hさん。「115歳まで生きたら載るかも。しわ取っとかなねぇ。」「そしたら、毎晩クリーム塗っとこかぁ。」Mさん、「クリームは全部布団についてしまうわぁ」あっはっはっはっは。日常のたわいもない話。その後も続く。 「頃合いのええとこであの世に行かな、若いもんに迷惑かかるなぁ」 「頃合いのええとこ、はよ来てくれへんかなぁ」 「まだみたいやなぁ」 自分でできにくいことが一つ一つ増えていく。自分でできないことが一つ一つ増えていく。みじめで孤独。迷惑をかけて申し訳ない、と何度も言う。ええねんよ、気にしなくても、次第送りやから。 二度目のマチュピチュに行ってきた。クスコはリベンジどころか撃沈だった。瑞風の旅にも行けた。下関の温泉の湯はとろっとろで、コラーゲンにつかっているようだった。 バレンタインデーは忘れていたが、ホワイトデーのプレゼントをしてくれるとつれあいが言う。そのデートの途中で共通の知り合いの訃報が来た。亡くなられてすでに1週間。元気なうちにいろいろな所へ行こう、とつれあいが言う。 日曜日の昼下がり、たこパーの片づけを任せて机に向かう。米田さんも仕事をすることがあるんや、とばかりにいろんな人が入れ替わり立ち代わり何かしら言いに来てくれる。3時には終わろう、と目標を立て、3時半に終える。今日はここまで。でも、しなくてはいけないことが山盛りてんこ盛り残っている。明日は8時から床の張替だそうなので、荷物を移動させる。 そうだ、神戸に行こう。元町に着いたのが夕方5時頃。バーカウンターを探している。マルシェでいいのを見つけたが300万越え。フ~っ。途中ミカンジュースを一気飲みし、また歩く。次は相生の雑貨を探す。壊れるが陶器が好きだ。雑貨との出会いは自己満足だが、その良さを見つけてくれて共感してくれる人との出会いはうれしい。 木曜日に届くという。箱を開けるのが楽しみだ。どこに飾ろうか。もちろん、イメージしながら買っている。イメージできるから買うのだ。 帰りぎわ、たこ焼きとおにぎりのエネルギーが切れ、クロワッサン生地の鯛焼きをほおばる。内臓に染み渡る。幸せだ。2018年3月18日

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  • 26Oct
    • 2017/10/23 旅の疲れ

      2017/10/23 旅の疲れ 10月に三朝温泉に行ってきた。有馬温泉のお湯より好きかも。 あいにくの雨で目的の投げ入れ堂には行けなかった。 そもそも、私は過酷な山道を人生で一番若く、足もまだ動く今、登って、下からお堂を見上げたかったのだが、つれあいは山のふもとから小さく見えるお堂を眺めるものだと思っており、「いつでも行けるやん。」と、えらい気軽に思っていたようだ。 昼ご飯はあらかじめ、つれあいがネットランキングで調べた上位の「鯛喜(たいき)」をめざした。「牛に引かれて善光寺参り」のごとく鳥取砂丘を見ることができた。白いワンピースに麦わら帽子、手には花かごにあふれんばかりの花。そういう妄想はできるが、どうも砂浜で駆けるのはまっぴらごめんだ。映画のようなワンシーンより、砂をはらったり、砂がまとわりついて、いつまでも靴の中がじゃりじゃりするのが容易に想像できてしまうのだ。学生時代、よく須磨海岸に行ったので。 「鯛喜」は予約でいっぱいで入れなかった。が、ここでつれあいを攻めてはいけない。せっかくの旅が台無しになる。20世紀梨を4個500円で売る、その隣の店で2袋購入し、おいしい魚が食べられる処はないかと聞き、またカーナビで来た道を20分ほど帰る。昼食の後は、すなば珈琲にも寄り、おいしいコーヒーをいただく。雨は冷たい。 翌日は、ここまで来たら出雲大社やろ、というつれあいに従い、何の予備知識もなく、タブレットのカーナビに任せる。私は石見銀山にある「群言堂」というお店に行きたかったのだ。阪急梅田にもある、その店は新婚の頃、地図を見ながら、した道をえんえんと走り、行きついたブラハウスという店がバージョンアップした店なのだ。その店で買ったお気に入りのコーヒーカップは10年以上大切に使っていたが、阪神淡路大震災で5客のうち4客が粉々に割れてしまった。残りの1客は取っ手が取れたのを金継ぎしてもらい大切に使っていたが1年後に使えなくなってしまった。 古民家再生で胸ときめく建物だった。石見銀山に移っても素敵なので前から行ってみたかったのだ。出雲神社から2.5時間。さびしいところだろうとタカをくくっていたが、なんの、なんの観光客であふれていた。狭く、さびれたその集落は昭和のおもむき濃く、幼いおかっぱ頭の私がそこに居り、遊んでいるような、そんな気になった。  「車での旅はもう、いやや。」とつれあいに言った。「行っても1.5時間くらいまでや」1.5時間は、一気に行ける距離なのだ。お互いに年を重ね、隣でおちおち眠っていられないのだ。互いに好きな音楽を事前に用意するようなわけでもなく、ラジオ任せの旅は山間部では聞き取れないし、はずむ会話はほぼ皆無。運転を任せてつれあいが眠ってしまったらどうしよう、という気遣いは今回が初めて。当の本人は長距離を走り、「リッターなんぼや」と感動していたが、私はあの時、ぐっと寝たかった。 今後は旅の話を共有するにも、その道中は車窓から見える景色に堪能したら、目をつむり、体と頭を休められるような旅をしたい。すくなくとも、現役で働いている間は。

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    • 夏の思い出

      8月に3週続けてブルーベリー摘みに行った。「はまる」とはこういうことだ。あぁ、みんなにあのドロドロ、いや。もとい、あのトロットロのブルーベリージュースを飲ませてあげたい。あんな濃厚なジュースは初めてだ。濃い瓶ジュースはあるが比ではない。とんぼ、バッタ、こおろぎ、ポニー、おりこうな飼い犬。あぁ、チャッピーも吠えなければ連れて行ってやれるのになぁ。また、来年も行きたい。

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  • 28Aug
    • 平成29年8月13日 日曜日

       母の爪は私の左腕と右手の甲にめり込んでいる。夜叉の面をした母は、それでも足らず、渾身の力で私の腕を口に持っていこうとしている。かむためではない。私の腕の肉を引きちぎろうとしているのだ。その強い意志を感じる。 幸い81歳の母の力を何とか抑える。傷つけないように。足も動いているがテーブルの脚が邪魔をして母の思うようには動かない。 母は、目の前の「こいつ」を傷つけ、支配しようと必死なのだ。そこに理屈はなく、なぜそうなったかのいきさつは不要で、周囲の人の恐れおののく表情やざわめき、悲鳴は耳に入らない。自分は悪くないのだ。 こんな時は理性のかけらもなく、ただ目の前の悪い「こいつ」を、やっつけたいだけなのだ。「ひっこみがつかない」というのではなく、感情のコントロールができず、自らヒートアップしていくのだ。 10年ほど前、母と連絡を絶つ前、「おとうさんがなぁ、枕元に立って悲しそうな顔して見とったわ。おんどれのせいじゃぁ」と罵声を放った。父の気持ちも通じぬほど母はいかれてしまったのだ。 「引き出しに入れていた5万円を盗った。」「洗剤を盗った。」母の脳のシナプスは、母の理性をどんどん手放していった。「盗られた。」という思い込みから「あいつが盗った。」となり「あいつが悪い」となる、そのあたりまえの発想には何の根拠もない。 私の手は血を流し、あかく腫れている。ジンジン痛む腕を見て、不覚にも涙が出た。「私でよかった。」「なんでこうなるんや」「かわいそうに」複雑ではない。私の思いはこの3点だ。冷静に『コト』を客観視する自分がいた。 私でよかったのだ。他人に同じことをしていたら、大変なことになっていた。人の爪はよく切るのに、母の爪まで気にしていなかった。重度の認知症ではあるが、足は達者だし、字も危なげだがまだ書ける。国語は得意でレクリェーションの四字熟語など率先して答えている。もちろん、爪切りも自分でできる。が、感情のコントロールができず、すぐ怒るのだ。この怒り方が尋常ではない。 事の起こりは、いつもクレージーな母に気を遣ってくれる人に歌の音頭をとってもらったのだ。 日曜日の昼下がりは来客も電話も少なく、14時くらいから相生喫茶でティタイムにする。お茶の後で、しりとりをし、5周ほどまわったところで、歌詞を見ながらみんなで歌おうとした。その「いち、にぃのさん。」という号令を他の人に頼んだのが琴線に触れたのだ。 ぐつぐつと沸騰する「怒り」は、歌を歌わず、なにやかにやと悪口を言っているのだろうか、その話し相手となっている人は迷惑な被害者だ。歌によっては「あれはお経かぁ。」と何度か聞こえる。本当に嫌な『ヤツ』だ。 「怒り」は何かにぶつけないと収まらない。今までも私がドイツから買ってきたクリスマスツリーの羽根や写真、絵等が犠牲になっている。認知症のため「申し訳ない」という感情は「0」だ。クリスマスツリーも私の腕の傷も「わたし(母)がそんなことするはずがない。」からである。「これは母さんがしてんで」などと言おうものなら、怒りのスイッチを「ON」にするだけだ。「おまえは私をおとしめようとするぅぅぅ。」となる。 私自身の気持ちのコントロールはせいぜい家族や話の分かる職員に「これ、母にやられてん」と、愚痴るだけだ。が、これも説明するのが面倒で、長そでのブラウスを着て目立たないようにしている。暑い。 母の実家は商売が忙しく、6人兄弟で勉強嫌いな次兄と母だけが高校へ行っていない。母は、祖父からも長兄からも担任の先生からも祖母に進言してもらったが、祖母は頑として自分の意見を曲げなかった。自分は女学校に行かせてもらったが、女学校で学んだことは人生で何の役にも立たなかった、と。それより、商売や子守り(12歳下の妹の)や家事を手伝え、と。 母はこのころから嫌な女の一面を持つようになっていったのかもしれない。嫌な女… 手を相手の耳元に持っていき、ひそひそ悪口を言う。またAさんの前ではBさんの悪口を言い、Bさんの前ではAさんのことをうわさする。認知症により『構え』が外れ、ひそひそではなく、聞えよがしのときもある、というタイプだ。そして、母は平成13年ころから認知症を発症する。 翌日、相生の住民から「昨日はかける言葉が見つからなかったの。ごめんなさいね。」と、声をかけられた。ありがたい。皆さんが歌を続け、見て見ぬふりをしてくれたのが、なによりの救いだった。 手の痛みは続き、盆休みの次男にアルバイト料を払い、母を連れ出してもらった。怪訝な顔をして出て行ったが、孫との2時間のデートは楽しかったらしく「おいしかったで、また、あんたも行こう。」と言う。幸い手の傷には気付かず、気温35℃での長そでのブラウスも不審がらずにいる。こんな痛い勉強はごめんだが、こんな激しい認知症の事例を身近に見ることができる、と思うことにする。 私の体の中で一番美しいと思っていた自慢の肘から手首が傷だらけになってしまった。母は自分が生きた証を娘の私の体に刻もうとしたのだろうか。私の存在そのものが生きた証なのに。孫とのデート代と夏用の長そでブラウスは母の口座から引くことにする。明細を自分で書いてもらっているので、その時はまた「なんで私がそんなことするんやぁ。お前はわたしをおとしめようとするんかぁ。」と、言われるだろうが、それは、その時のこと。 その日から10日ほど経ち、まだ癒えぬ傷跡を見るたびに思う。こんな老い方をする母が哀れである、と。そして、この哀れな母を看てやれるのは私しかいないのだ、と。 「怒り」とその怒りからくる様々な問題に対応できる環境が常に整っているわけではなく、周囲に不穏と不信と恐怖を与えていることに変わりはない。私は自らの判断を誤ってはならない。どうか母に穏やかな時間を少しでも長く与えてください。亡き父に願う。

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  • 19May
    • 平成29年4月26日(水)人間ドックを終えて

       私は内視鏡の検査が苦手です。  人間ドックは年に1回受けると決めていますが憂鬱です。内視鏡検査に対する嫌悪感がそう、思わせるからです。去年は受付の人以外全て男性のスタッフでした。医者も看護師も。 一瞬、ひるみました。この中で私は数分間醜態をさらすのだ。              早く時間が過ぎればいいのに。今年は珍しく受付をしてからトイレに行きました。私より後に入った人間ドックの人が先に検査を受けることになっていました。私が受付横のパイプ椅子に座ってすぐ、その人間ドックの人より前に検査を受けた人が静かに出てきました。私は名前を呼ばれ、カーテンに仕切られた別のパイプ椅子に座り、「胃をきれいにする薬」なるものを飲み、憂鬱な気分にどっぷりつかっていました。救われたのは、女性の看護師がいたこと。そして、きっといつも観ている胃カメラの画像、完全に自由を奪われ、拒否さえもできない体勢から唯一気をそらすことのできる画像。ベッドに許可もなく押さえつけられ、トドのごとく転がる自分に対し唯一権利が認められている画像鑑賞。私の体のどこにあるのかわからないけれど、小さな突起があり、失せることなく年々大きくなっていくその姿とまた出会える、というわずかばかりの期待感。なんだか今年はおかしい。先生の私語がやたらと聞こえる。今までなかったことだ。いろんなところに講師で呼ばれている。関東の方は有名な先生がいるので、僕なんかまだまだ。衛生管理はもう、病院によって全然違う。○○病院や△△病院なんかは~だ。 ん・・・・・・。胃が汚れていて見えないなぁ。水を入れ   よう。あ、顔にかかった。あれ?また顔にかかる。あ、横   から漏れてる。それにしても胃が汚れているなぁ。 シェー!死体や全身麻酔がかかっている人を相手にしているわけではないでしょ。あーやだなぁ。ありえへん。 働き盛りの先生とインターンか2年から4年目くらいの先生との会話なんだろうか。あかん、あかん、若い先生やと肩に力が入りすぎる。私なんて格好の餌食や。半年前に受けなあかんいわくつきの箇所があるのに・・・あかん。先生頼むし、力まんといて。先生の対象物ではあるけれども生きてるし、耳もよう聞こえてんねんで。 環境を変えるか違う先生にしてもらえる権利が私にあるのだろうか。確認すればよかった。いやだな。1時間も、30分もかかる検査ではないけれども今回は引き返せるなら引き返したい。 モニターは? 看護師が言うには壊れて来年には入ると思う、ということだ。絶望という水があるなら私は頭まで漬かってしまった。自分の物でないなら粗末に扱うのか。高価な物だろうに大切に扱ってくれればいいのに。あぁ、無情。私の去年のデータを見、急きょ拡大鏡付の検査器に代わった。あー、若い先生、心なしかはずんで見える。やめて、やめて、先生、頼むし平常心でして。機材変更の説明はない。「どーせ、聞こえてるやろ」と思っているのか。「はい始めますよ」という声掛けもない。私はベッド上のトドで物(ぶつ)なのだ。ぐいぐい入れられるカメラはいつもよりさらに苦しく、背中に不快な違和感を感じる。初めてだ。げぼげぼ、げぼげぼ、苦しい。看護師が口だけでなく鼻でも息をしてくださいと、声をかけてくれる。目、鼻、口からそれぞれ涙、鼻水、よだれを流している場面でなぜ鼻で息ができる?もちろんトライしました。鼻は詰まってうんともすんとも動きませんでした。私が無事、検査が終わるまで生きながらえるのは口呼吸という選択肢が残されているだけでした。   ん!拡大してみましょう。さすがっすねぇ・・・・。  こういうのはねぇ、絶食したらええんやけどなぁ。 言葉尻は覚えていませんが、拡大鏡の付いた検査器を褒め、トドのぐうたらくな食生活とストレスでできたなにぞやに対し、見識を誰に言うともなくつぶやいているのだ。私にはわからないし、聞かされていない。説明も受けていない。胃カメラの先生は胃カメラを撮ることのみが仕事なのか。それをいろいろ検査して内科の先生がコメントをするということが流れなのか。 ベッドの上のトドに画面を見せながら「○○さん(人として扱ってもらえる根拠)、こういう状況の場合は2、3日絶食したら快方にむかいますよ」と言ってはいけないのでしょうか。先生や病院にとっての当たり前はトドには理解できておりません。内視鏡検査という言葉のキャッチボールができない状況なので「どーせしゃべれないし、質問もできないから、ええか。」ということなのだろうか。何も説明を受けていないのでわからない。おそらく誰も知らないし、知らされていないのではないでしょうか。その病院の中での常識で、その病院に関わらない人には未知の世界です。 げぼげぼは続き、ますます胃カメラが苦手になるのを確信している。と、同時に「当たりはずれ」という言葉の意味も体験している。この屈辱的な時間と場面に対しても、嫌悪感はほぼ、絶望に変わっていました。 ぐちゅぐちゅの顔で起き上がったトドに看護師が「大丈夫ですか」と声をかけた。その後、いろんなところを回り、人間ドックの受付に帰った時にも「大丈夫ですか」と、声をかけられた。「大丈夫です。」私は生きています。すっかり、萎縮し、落ち込み、意気消沈し、左下脇腹に痛みを感じますが痛々しい恰好はできません。吐き気と腹部の膨満感はありますが、それは第三者にはわかり得ないことです。私だけが抱えている不快感です。そんなことをひとつひとつ説明する体力も気力もありません。が、私は立っていますし、歩けます。ガスとげっぷを出してくださいね、と言われても人前でそんなことができるわけもなく苦しいです。これも私だけの不快です。私は会計を済ませ、車を運転することができました。不快と痛みが取れることはないように思われましたが。 ガスがたまり、産婦人科の子宮内の映像に影が入り見えにくい。これではせっかく恥ずかしい恰好をし、高額な出費をしているのにもったいない。影で見えず、ここでも膣の中で機械を長く動かす。産婦人科の先生は丁寧に画像を見せながら説明してくれましたが、素人の私にも画面がガスで不鮮明なのがわかります。『先生、痛いんですけれども。』この痛みは夜まで続きました。女性は内視鏡の前に産婦人科を回る方が適切だと思いました。また、その選択肢があってもいいのではないかと思います。どうか、ご一考を。 先生は私に声をかけることは一度もありませんでした。そんなマニュアルでもあるのでしょうか。私の前の人間ドックの人に対しても「胃はきれいでしたよ」と、声をかけたのは看護師だと思います。「始めますよ」「終わりましたよ」という発声すら、きっとマニュアルにはしてはいけないとでも明記されているのでしょう。そして、その当日の先生はそのマニュアルを遵守されたのでしょう。「今回は、新しい機械を使いましたので、より精密に検査ができましたよ。後日、内科医より説明があると思います。苦しい思いをされましたね。今日はゆっくり休んでください。」などというねぎらいや尊厳の言葉かけは医学の世界では存在せず、こんな優しい人間味あふれる声掛けはトドの甘い妄想なのでしょう。 食事時や控室で話すようなことを人間ドックの受診者の前で話すのは時間節約になり先生にとっては適切なのかもしれません。私は体の不快感とは別に不信感が残りました。それでも、もしかしたら声をかけてくださっていたのかもしれません。私の意識が混濁して山盛りの不信感のなか、疲労困憊してやっとの思いで起き上がりましたので、聞こえていなければお許しください。ただ、私の前の人間ドックの人への声掛けがなかったことは確信しています。 胃カメラを受ける前に途中で止めてほしい場合の説明があってもよいと思いました。体の自由は危険ということで全くありません。担当医の判断が全てというのは、人間ドックを有料で受ける人の権利が不在だと思います。一考をお願いしたいと思います。 私はその日、夕方まで何もできませんでした。神戸に行くつもりでしたが、キャンセルの架電は16時ごろになってしましました。17時ごろに寝室に行けましたが、そのころには14時頃に食べた食事が効いてきたのか元気が出てきました。そして、不信感と静かな怒りと膣の痛みがこのまま何もせず来年の受診を迎えるのではなく、確認と発信をしなくてはならないと警告を鳴らします。そして、人間ドックの受付に連絡し、先生から直接所見を聞くこととし(毎年、その「病院まで話を聞きに行く」という時間がもったいなくて郵送してもらっていました)、アポイントを取るとともに、当日の担当医に直接苦情を言いたいと伝えました。けっして感情的になることはなく、冷静に申し上げます、と伝えました。  先生にとってはめんどくさいことでしょうが、来年の私のためにも改善してほしいことや要望はつたえたいと思いました。先生にお会いできない場合に備え、記憶が鮮明なうちに書面にして保存しておきます。先生のご都合もおありでしょうが、私の都合もありますので。平成29年5月2日 米田 真澄 

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  • 29Mar
    • 平成29年3月12日(日)

       7時51分目覚める。8時8分起床。次男以外、みんな朝食を摂っていた。あー気持ちいい。久しぶりの朝寝坊だ。キッチンのテーブルの半分は、前日の買い物と着ていた衣類でごちゃごちゃしているが、落ち着く。 そうそう、この日曜日に出したかったが「7,8社出しているので次週にした方がいいでのではないですか」と言われた求人広告を見よう。私はこの週に出す方がいい、出したいと言ったのだが、低い声で「うーん」と言われ、プロの判断とあれば次週にしよう、と決めたのだ。(仕事を探している人がいたら、先に決めてしまうやん)(※求人引き続き募集しております。ご興味ある方はこちらまで。) まずは、朝食の準備。いつもは、豆入り玄米と麹をみそ汁に入れて、おじやにするのだが、久しぶりの朝寝坊ができる休日なのだ。用意周到である。 ハヤシベーカリーのパンにマーガリンをぬり、3分焼いている間に、目玉焼きを焼き、ローストビーフの切り落としを用意する。二日前に買っていたのだが誰にも手を付けられずに私を待っていたのだ。これを皿に乗せる。夫が用意してくれていたアボガドも乗せ(もうちょっと大きい皿にしたら良かった)、これまた私のために作っておいてくれた豆乳甘酒をぐびっといただく。パンが焼け、目玉焼きもでき、コーヒーを入れて、広告を広げる。 やっぱり載せたらよかったな、と思うと同時に、スペースないやん。と一人で突っ込む。どことも苦労してんねんなぁ、と思いながら、やたら唾液を吸うパンをかじっていた。 今日は部屋を片付けるのだ。天気よし。体調良し。時間あり。モチベーションアップ。8時45分、スタート! 昼食までに2階を終えるぞ。この間、洗濯機を5回まわし、布団も干した。 押入れの整理、ソファーの上にたまった衣類の整理。畳は目に沿って掃除機をかけ、陽の光でほこりが舞うのをしばし眺める。 昼食後は1階。客間のソファーを茶の間に移動。じゅうたん、ホットカーペットは掃除機をあて、押し入れに入れる。5月頃に干そう。覚えているかどうかわからないが。 庭の草引きをざっくりと済ませ、玄関先を掃く。台所の天窓を外から水拭きしたら、雨だれの跡が消えた。(あーすっきり。)出窓の油交じりのほこりを洗剤でふき取り、お気に入りの雑貨を気ままに並べる。午後の部、5時27分終了。 夕食はすき焼きをしてくれるらしい。せっかく磨き上げたシンクがまた汚れる。それでいい。平凡な日々の暮らし。 昼食も夕食もつくってくれてありがとう。テーブルの上がまた荷物で盛り上がりかけている。お風呂に入ってから片付けよう。そうそう、先週買った本を読みながら入ろう。 ここまで、本日6,410歩。休日にしては上出来。よく歩いた。 7時55分、録画していた「人生の楽園」を観、テーブルの上を片付ける。 8時58分、美しくなった台所の出窓をタブレットで撮って、本日の掃除は終了。私の休日も終了。この間、仕事の電話、2本。外に出かけたのは庭掃除と窓ふきの時だけ。1日ノーメイクで過ごした。 新聞の切り抜きもファイルに綴じた。洗濯物もたたんだ。洗い物も済んだ。あとは、食器を食器棚に戻し、明日のご飯をしかけ、レモン酢をペットボトルに入れよう。そして、もう一度お風呂に入ろう。 なんとすばらしい1日だったんだろう。 チャッピーが想像出産をしている。ニトリのクッションを慈しむように舐めている。近寄れば唸り、牙をむく。食べる時と寝る時だけついてくる。2階の寝室へ連れて行っても、子を離された親のごとく悲しそうに鳴く。(やっと横になったのに)仕方なくクッションを取りに行く。クッションを取りに行く日が3日続いた。乳は張り、つまめば母乳が出る。こんな時期が3年目だ。子を産ませてやればよかったのだろうか。 インターネットで結婚相手を選定する人。結婚せずに子だけを得、育てる人。不妊治療の名医と言われるところではたくさんの患者が待つ一方で、望まない出産をする人。里親制度を利用して、子を得たものの自己犠牲にも似た健康不良になる人。子育て、介護、親族との軋轢。生きていればさまざまな課題に出くわす。 佐藤愛子が物申す、読売新聞「人生案内」の回答。なんで、こんなことで悩んでいるのだろうと、思われることも当の本人は人生を閉じてしまいたいくらい悩んでいるのだ。 チャッピーが想像妊娠、想像出産をしたっておかしくない世の中。母の認知症はさらにバージョンアップし、本日(3月21日)ベテランの新人さん二人が振り回され、皆が笑いをこらえて見守っていた。私も隣の部屋で久しぶりに涙が出るくらい笑った。 私の1.5kg減った体重も、「もったいない」が災いし、元の木阿弥。なんてことはない。単に意志が弱いだけ。本当のライバルは自分の中にあるのだ。今日はもう、なにも食べない。 幸せだ。

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  • 14Mar
    • 平成29年2月9,10日の休み

      世界中の美味しいチョコレートが集まるこの時期は、本当にウキウキする。2月の10日頃までなら朝一番に行けば、ゆっくり見られるし、試食もできる。お気に入りのメーカーのチョコレートはこの時期にデパートに集結する。わざわざ店に行かなくていい。「マツコの知らない世界」に出ていた楠田恵理子のファッションにも感動した。本当にチョコレートが好きなんだな、と思わせるチョイスだ。よくあんな素敵な洋服との出会いがあるもんだと感心した。 神戸の北野ホテルに行ってきた。イグレッグベガの夕食付のプランが届いたのだ。北野ホテルの朝食はすばらしい。濃厚なジャムを堪能できる。パンはできるだけ少量で、ジャムを楽しむのがコツだ。この朝食をまじめに食べると、午後の4時まで何も食べられなくなる。なんだか混雑しているホテル内はデザートが3択で、1080円プラスで、デザートバイキングがあった。山口浩シェフもテレビの撮影に応じていたようだ(私は見ていない)。ジャムの量も朝食の出し方も去年より合理的になっていた。いや、進化していた。ジャムの量は小皿でちょうど二人分。ここで遠慮をして少しだけ大きくちぎったパンに乗せてはいけない。小皿の半分をしっかりスプーンですくい、小指の先ほどにちぎったパンに乗っけるのだ。そして、指にしたたり落ちるジャムのその流れをテーブルに落とす前に口に入れる。もちろん、指まで。そして、指も一緒にしゃぶる。舌の上でその珍しい組み合わせをじっくり堪能する。いつもはクスクスだが、その日はタピオカだった。そのプチプチ感が口の中でおいしさを全開する。いやいや、書いていて口の中が潤う。 朝は六甲山に行った。寒さで右ひざの痛みが出、タクシーで六甲ケーブルまで行き、ケーブル、バスと乗り継いで「六甲オルゴールミュージアム」に行った。「神戸 べっぴんオルゴール」というイベントをしているのだ。10:05の演奏に間に合うように。10センチほどの新雪を普段履きの靴で踏みしめながら美しい雪景色の中を歩く。あぁ右ひざの痛みがなければ……。さすがに、雪降る六甲で10:05の開演は私たちだけで、オルゴールを覗き込むようにしてみることができた。台湾からの20人の団体さんもこの雪のおかげで、遅れているようだ。 「べっぴんさん」は時間があれば観ている。主人公の実家はジェームス邸での撮影だった。ここは長女が結婚式を挙げたところだ。10万円安いからといって夏の仏滅に挙げたのだ。播磨灘を見下ろすチャペルで母は「叔母でございます。」とシャーシャーと言ってのけた(いや、違うやん。祖母でしょ)。主人公のすみれの長女がしばらく通った幼稚園は岩屋にある石油会社の所有する(今はどこの所有かわからないが)異人館である。私は小さいころから御影に住む叔母のところへ母とよく行き、夏休み、年末年始、春休みと長期滞在をした。その小さい私は、靴をそろえ、窓から見えるこの景色と風景を楽しみにしていた。広く、キラキラ輝く海の景色より、一瞬しか見えない、その異人館を見たかった。そこに大きな妄想を抱いていた。どんな人が住んでいるのだろう。ここに住む人はきっと裾がふんわりしたドレスを着ているに違いない……。その後、私は山陽電車で大学に通い、この異人館に一度行きたいと思っていた。だから卒業時のポートレートの撮影場所は無理を言ってここにしてもらった。所有者を調べ、アポイントを取り、事情を説明して写真館の人にも来てもらった。館内にも入れてもらい、長年の憧れの場所に行くことができた。その異国情緒ただよう屋敷の庭で憧れの異人館をバックに22歳の私は今も微笑んでいる(はずだ。ながいことアルバムは開けていない)。 男性の誘いはよっぽどのことがない限り断らない。特に美味しいものを食べに行くことに関しては。「蕎麦ならはいる。あそこに行こか。」三宮の「水野」のことだ。ここで一食抜くと、スマートになれ、食べるとビヤ樽のまんまだ。意志の弱い私は、水野で温かい蕎麦を楽しんでしまった。昨日から食べ通しである。夕べもフレンチなのに、次に出てくる料理はどんな工夫を凝らしてくれているのかな、などと乙女チックに思う間もなく、デザートバイキングを3皿平らげてしまった。「ダーイエットは明日から」なんてことは微塵もなく、今もお腹がすく瞬間さえない。こりゃあだめだ。 1時にデートは終了、解散した。私は、元町のなじみの店に久しぶりに行った。オーナーは私と同い年である。(ん、痩せている。)「どうしたん?病気?心労?やつれ?ダイエット?」矢継ぎ早に聞く私。どうやら、1年で炭水化物を抜いて10キロ減らしたそうな。体調はすこぶるいいという。うーん。この年で痩せると、顔、胸の貴重な肉も落ちるのだ。セルライトだらけの腹や腿やお尻はどうなるのだろうか。象さんか。などと思い描く。年を重ねるといずれ痩せる。このままでいいかも。いやいや、何を思うてんねん。違うやん、膝が痛いから体重減らすんやん。そうやった。そうやった。帰りの阪急電車でそんなことを考えていた。平和である。平成29年2月9,10日の休み 米田 真澄

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  • 12Feb
    • 有馬温泉

       有馬温泉に行ってきた。時々行く宿は土間で食事をするので、冬は寒い。初めての宿だったが、宿や食事より細く急な坂道を抜けていくスリリングな20秒のほうが印象的だった。 高台にある、その宿の3階の温泉から見下ろす雪景色は何だか変。湯けむりが1本しか見えない。時間をおいても1本。ここから見る景色に温泉宿が少ないのか、どうなのか。 金泉はしょっぱく懐かしいが、体を拭いても赤銅色がまとわりつかない。バスタオルもタオルも白だ。赤銅色は体の隙間からは出てきたが、赤銅色に染まったバスタオルが重ねられていたのはいつの頃だったのだろうか。 温泉に行く前に長女から電話があった。マンションを借りるから父親に保証人になってほしいという内容だったようだ。車中から電話を入れると「もう、決めた。」のだそうだ。「ところで、今(妊娠)何か月やった?」「ん、6ヶ月」「えぇっ、腹帯いるやん」「ん、もう、もらってきたで」「えっ?」「ほら、山本さんも行ったって言うてたから。二人で行ってきた。」「えぇぇぇぇ!。山本さんはお母さんいいひんけど、あんたはいるやん(差別用語でしょうか。お許しあれ。母と娘のたわいもない会話の再現です。山本さんはその後お父さんが再婚され、お義母さんと仲良くされています。産後もお義母さんが面倒見る気満々だそうです)」と、私。 娘の妊娠状況の把握もできていないことに後で気づくが娘も娘だ。私の「キャピキャピ」をまた体験させてくれなかった。結婚も。 本人たちが決めてから報告があり、彼を家に招いてどうのこうのと娘とやり取りをするテレビドラマのようなシーンを私は体験していない。私の落胆ぶりにさすがに悪いと思ったのかウェディングドレスを選ぶときは誘ってくれたが、それこそ、わが想いにどっぷりつかっているので、夢見る乙女には付き合いきれず、彼に任せて2時間で解散した。新婚生活で使う道具もいずれ家を建てたら、と今まで下宿で使っていたものを使っている。合理的で無駄がなくええやん、私は自分に言い聞かせる。 私が嫁ぐとき、母は和ダンスを着物と小物でいっぱいにした。「整理ダンスにタオルを入れるもんやない」と洋服を詰めた。近所の人が来て、嫁入り道具を見、個々に箪笥の引き出しを開けていた。もう、そんな時代でもないし、そんな近所づきあいもない。昼間はほとんど家にいない、夜だけ家にいるパート住民である。 世の多くの女性が母親との関係に悩んだであろう。娘も私との関係から「こう言われるだろう。」と予測し距離をおいていたのだ。それでいいと思う。それができる環境にあるのだから。母(私のこと)は自分の好きなことをし、家事と仕事を適当にこなしあまり干渉をしない。たまに家にいるとその発言に娘は傷つけられていたのだろう。 私の家には胡椒がなかった。大学生になり、はじめて先輩の下宿に泊めてもらい、朝ごはんの目玉焼きに乗っていたグレイの粉を見て「これは何ですか?」と聞き、ドン引きされた。母は、胡椒を食べたら馬鹿になると心底信じ私を育てたのだ。母と娘の関係は微妙である。 今日もその母(私の実母)は「今日はここ(相生)に泊まるわな。母親(私の実母の実母、私の祖母)に言うといとくれ。」と、私に言う。6人兄弟で自分だけ高校に行かせてもらえず、担任の先生や父親、長男からも言ってもらったがどうしても自分(祖母)の手伝いが必要だ。「私(祖母)も女学校出たけれどなんの意味もなかった。」と言い、祖母は泣いてごてる母(私の実母)に対し、聞く耳を持たなかった。母のその悔しさは認知症という脳の病気に侵された今も強く、強く残りいまだに言う。商売が忙しく、お手伝いさんもいたのだが……。 (おばあちゃん、お母さんを高校に行かせてやってくれていたら……。こんなになってへんかったかもしれへん)。母と喫茶店に入ると必ずこの悔しい思いを繰り返し私に言う。でも、かあさん、これが母さんの人生や。たった一人やけれども、ええ子生んだやん。飛び切りの孝行娘やで。母さん、母さんは今幸せなんやで。娘は少々うるさいけれども、そばにいるし、3人も孫がいる。周りのみんなが気ぃつこうてくれている。認知症という病気をスタッフも入居者の人も理解してくれているから、みんなが優しくしてくれる。すぐに爆発する感情も上手に対応してくれ、穏やかに過ごせる時間の方が長いでしょ。悔しい思いはわかるけれど、母さんはよう頑張った。相生でもよう、手伝ってくれている(職員だと思っている時もあるが)。ありがとう、おかあさん。大事に思っているよ。 有馬の湯けむりをあとに、東山市場で明石の昼網で捕れたカワハギを買う。丹後から子供たちのいる長岡京市に来られたYさんの「魚が食べられない」に挑戦するのだ。カワハギは絞められていたがこれはおそらくおいしい肝を、おいしくいただくため。隣のカレイもガシラも飛び跳ねていた。 翌日、「夕食の時間は静かやったわ。みなさん、魚を黙々と食べ、きれーいに食べはったわ。」という報告を受け、小さくガッツポーズ。やったね!

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  • 14Dec
    • 11月28日~22日

       平成28年11月の19日から22日の夕方まで、ベトナム、カンボジアにいた。23日の早朝に帰国し入浴してから、「逃げ恥」の録画を観、11時半頃職場に行った。 ベトナムもカンボジアも活気にあふれていた。十人十色で、ちょっとでもさぼりたい人、少しの時間でもおしゃべりしたい人、そんな中でもビジネスチャンスを狙っている人、金持ちになるべく働いている人、しがみついている人などが見え面白かった。「THE昭和」という感じがし、杉の子が大きくなるような、そんなイメージを受けた。 夫の大学時代の仲間の同窓会に夫婦同伴で集まろうという話になったようで2年越しの計画が実現した。主役は男性陣で、わたしは奥さん連中とおしとやかに話をしたり、別行動でマッサージにでも行くのだろう(夫がそう言っていたので)と思っていたが、そうでもなくベトナムを案内してくれた人が何から何まで手配し、ごちそうしてくれた。非常に楽しく充実した時間を過ごすことができた。そして、心から感謝している。今も。 「行く」という発想すらなかった世界遺産アンコールワット、アンコールトム、タ・プロームに行けた。遺産に感動するというよりはカンボジアにいる自分に感動した。高校の教科書に太文字で出てきた遺産のなかに溶け込み写真に納まっていた。目の前にはカンボジア人のガイドのチュンさん。サル、ブタ、牛、水牛、野生のインコ、ゾウ、ニシキヘビ。まじかにみた動物たち。 アクセサリーとして行くのかと思い込んでいたので、特に下調べもせず食べたいものも行きたい所も、歴史も調べずに行った。カメラさえ持たずに。これは最後まで後悔した。 1日目の夕食は日本人が一人もいなかった。地元の人が気軽に行く、水槽に入っている魚介類をその場で選び、見せられ、調理してくれる、RAN BIÊN5 (ラン ビエン)という所に連れて行ってもらった。4kgのシャコガイのサラダ、SO MAI(ソ マイ)という筍のような2枚貝のサラダ仕立て。 ドレッシングがとても美味しく6人で完食。隣や後ろの人たちは貝の鍋やたこを食べていた。ロブスターを含む高級食材を食べつくした私たちのグループはビールも含め一人当たり5,000円支払ってもらった。二日目の夕食はCUC GACHという隠れ家レストランに連れて行ってもらった。ここはNHKが映してから日本人が増えたそうだ。私たちは一番奥の個室で全員そろい11人で(夫婦4組、単身3人。3人とも奥さん不参加)美味しいベトナム家庭料理をいただいた。絶品はハマグリのスープでスターフルーツの酸味が絶妙だった。もう一度何が食べたい?と聞かれたら迷わずこのクラムウイズディムを食べたい。アルコールを含めて一人当たり1,000円。 ホテルの料理もおいしくホテルの部屋もとても広く素敵だった。おかゆ、フォーは毎日食べた。パクチーよりパクチーの味がするという香草もたくさん食べた。果物もたくさん食べた。 そして、2キロ太った。みなさん、ありがとうございました。目を閉じると一つ一つの印象的なシーンが蘇る。楽しい時間だった。 会えるうちに会ってください。行けるうちに行ってください。食べられるうちに食べてください。もう5年、10年すると「えぇ!あいつが・・・・・・」という言葉が出てきます。今までは「ふーん」と聞いていた夫の思い出話も今回、旅をご一緒したことで名前と顔が一致し、ともに語りともに笑いあった仲なので、わたしもその思いを共有することとなります。

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  • 16Oct
    • ある日の休日

      志摩観光ホテルの予約が取れたのはいいが、夕食が20時半ということでキャンセルをする。結局、墓参りに行こうということになり、オープン時のブームは去っただろうと、ケーニヒスクローネのホテルを予約する。四条で用事を済ませ、お稽古の前にがつがつ食べる「ITADORI」でステーキ丼(980円)を食べる。墓参りを済ませ、元町から三ノ宮へと散策する。散策といっても、元町マルシェ、アルベロベロ、アッシュベーブチックとおなじみのコースをマイペースで歩くのだ。プラダで誕生日のプレゼントを買ってもらい、水野で東京そばを堪能する。プラダを除いて、ほぼほぼいつものコースだ。翌日は東山市場で相生(サービス付き高齢者向け住宅)の買い物(松茸、牛肉、しじみ、人参)をし、めばる(生きていた)、小エビ、アナゴを買い、チャッピーが待ってるから早々に引き上げる。★写真は、10時過ぎに東山市場についた時にはてんこ盛りだった魚たち。 1往復、30分後くらいして帰ってきたときには相当売れていた。観光もいいが、旅行は非日常を楽しめるいい機会だ。気持ちが解放され、肩の力が抜け、気をゆるめるいい時間だ。道路に面したショップのウインドウに映る自分の姿に、(背中曲がってるやん、首垂れてるやん)と思いながら、一瞬シャキッとするのもいい。数年前に思い立ってから1ヶ月でマチュピチュに行ったとき、イグアスの滝とナスカの地上絵が組み込まれていた。30分かけてセスナで行った地上絵鑑賞は見つけるのが楽しかったが、とうとう分からなかった絵もある。パイロットが「イヌ」「サル」と言ってくれるのはいいが、(えっどこどこ?)という具合に、右を向いたり腰を上げたりすると、セスナが傾くのではないか、とヒヤヒヤした。写真や映像で見る分かりやすいものでは決してなく、広大な敷地に車のタイヤの跡とそれを識別する目も必要だった。ただ、この不確かな手ごたえを何人もの人に身振り手振りで伝えられたのは意義がある。てなわけで、私の旅の楽しみ方はおいしいものと現地を楽しむことだ。とことんかわいいケーニヒスクローネのホテルの朝食は美味しく、コーヒーも私好みだった。カレーヤケーキも山盛りありもっと食べたかったが、胃袋が「黄信号」を出す。毎日来るという猫にも会え、満足。でも、2回目はないかな。プラダのプレゼントはネックアクセサリー。モデルがすると、首はすっきりしているが私がつけると、ご馳走をごっくんするたびに、ウグウグするかもしれない。店員さんが「葉っぱ(バラの葉)に気を付けてくださいね」と言ってくれたが、下を向くと危険だから警告をしてくれたのだろうか。お店では姿勢よく鏡に映していたが、実際には、肉を切ったり、こぼさないようにスープを飲んだり、デリケートなデザートに顔を持って行ったりするだろう。「イタッ」と思いながら、すまして食事を楽しむことにしよう。女優でも歌手でもないが、8人掛けの円テーブルのせめて3人くらいの目線には「観られている」を意識しながら食事やおしゃべりを楽しもう。エレガントにふるまおう。立ち振る舞いにも気を付けよう。もし、ドレスの裾を踏んづけて、つんのめっても、関西人のボケも活かしながら「うっ」といった後には優雅にほほ笑もう。それより、歩くときはドレスをちょいとかわいくつまみ、踏まないように気をつけよう。リスクマネジメントだ。まぁ、転ばぬ先の杖のほうが妥当な表現だ。年末のパーティはワクワクしながら1年間楽しめる。このネックアクセサリーで、パーティのアイテムはすべてそろった。(ドレスはまだ出来上がってないが。)あとは善行を積み、自分自身に磨きをかけるのみ。

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  • 29Sep
    • 9月28日休日

      雑談の中で、「パンケーキと言えば、星乃珈琲じゃないの」と言われ、9月28日に行ってみた。NICOLE西京極、gram京都河原町店、fleur祇園店などのフワフワと少し違い、外はしっかり焼き目がついて、中がフワフワだった。コーヒーカップは、にしむら珈琲店とよく似ていた。今年の5月の同窓会で行ったきりだ。学生時代は三ノ宮のモロゾフによく通った。10時40分に入り、11時からです、と言われ、コーヒーを飲みながら待つ。11時18分テーブルに。先週の休みは「マツコの知らない世界」に出ていた、いなり寿司を買った。稽古前だったので、バスの中で口の中にほうりこんだ。土井の志ば漬のいなり寿司もさることながら、もはやいなり寿司ではない、とマツコが言っていたこんにゃくのいなり寿司が案外美味しかった。土産に買うなら「これやな。」と思った。どしゃぶりの雨の中、藤井大丸に寄り道し、お稽古に行く。100%近い湿度の中、ダラダラ流れる汗を拭く。(フェイスタオル3枚が化粧でドロドロになる。最後の3枚目には化粧はつかない。)少なくとも先ほど飲んだ珈琲分は流れている。外国人の見学者が1人おり、「こんにちは。」と日本語で挨拶し合う。お稽古帰りは、大丸により、買い物をして帰る。阪急を降りて、駐車場まで行く道のりは水たまりを歩いているような状況で、バケツをひっくり返したような雨だった。「ハラダ」の京都限定。「ティグレスマッチャ」なるものを1つ買い、長男と半分こして食べる。空腹の足しにならず、すぐに夕食の用意をする。たぶん、おいしかったのだろう。そうそう、NHKの朝ドラ「べっぴんさん」の主人公の自宅が、神戸の舞子のジェームス邸ではないかと思う、と長女に電話しようとするも不通。あ~、誰かわかってくれないかなぁ、「私も、そう思っててん。」と。ブランデーをコーラで割って、10時前に寝た。

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