社長の休日
  • 27Dec
    • 2019年12月27日

      明後日はフォーマルパーティだ。毎年この日のためにドレスを作ったり購入する。今年は夏にミッソーニの緑のニットのロングドレスを買った。ムニムニ、クニクニと体を動かしボンレスハムに押し込んだ。入るものだと、ニットに感謝する。キラキラ光る美しい糸が体にフィットする。そしてダイエットがスタートした。無理はしない。あせらない。苦しい思いやひもじい思いはさせない、スローなダイエットだ。ご飯の量を減らした。パンを今までの半分の量にした。やたらブロッコリーを購入した。週に6回は食べる。軸が余るので、人参と一緒に刻んで卵焼きに入れる。顔が痛いマッサージも行った。毎晩している。顔の痛みは消えた。首はまだコリコリのところが痛い。再度試着する。ドレスは美しい。風呂上がりのすっぴんの顔には少々もったいないが、見るのはドレス。素敵だ。12時にヘアメイクの予約。14時にメイクの予約。15時には会場に入って着替え、時間があればお茶しよう。どなたかをお誘いして。今年もいろいろありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

    • 2019年12月15日

        電車に揺られて、一人神戸に行く。この1時間ほどの時間は私にとって重宝な時間だ。ゆっくり頭の中を整理出来たり、文章を考えたり。途中で中断することなく自分のペースで無責任に過ごせる時間だ。思うことに興奮し、おもわず声をあげてしまうようなこともあるけれども、これも隣人は無視してくれる。そんな空間なのだ。 いろんなことがあり、気持ちの波が、心情が大きく揺れた半年だった。結論は出、容赦なく時間が私の気持ちをバサバサ切っていく。すでに心臓のバクバクは治まってはいるが、私の心は切なさと寂しさと不信感という湯船につかり、みじめさというシャワーを今も頭から浴び続けている。 「再出発の会」も人生の中の数秒の出来事として終わり、気持ちを切り替え、楽しかったことやしんどかった思い出のどちらも大切に心の引き出しにしまい、次の楽しみにとりかかろう。したいことのアイディアはいっぱいある。鈴なりの柿の木のように。熟して地に落ち、人の口に入らずとも土にかえり、またその柿の木を元気にしてくれる。行ってみたいところもたくさんある。目を閉じればそこにいる私がいる。きっと、行くのだろうなと思う。チャレンジしたいこともある。だから、今私は電車に乗っている。私の人生の終盤の生き方。「おせっかいおばさん」になること。お金や不動産は持って死ねないし、10万円のフレンチを食べても(食べたことないよ)、100万円のワインを飲んでも(飲んだことないよ)次の日には排泄される。高価な洋服やアクセサリーを買っても、お金を支払ったとたん、その物はその価格以下の価値になってしまう。こんなことを思っていると、何をはりに生きているのだろうかと思うが、幸せなことに朝ごはんはおいしいし、昼が来るとお腹はすき、自宅でこしらえた弁当が何よりおいしく、韓流ドラマにはまり、たいてい12時からそれを見ながら弁当を食べている。夕食は不規則だったがこれからはおそくとも19時には食べられるだろう。夜は眠気がくると寝室に行き、気が付けば朝だ。たまに21時に寝て夜中の3時、4時に目が覚めてしまうことがあるが起きてごそごそしている。平凡だがいい生活だ。小坂明子の「あなた」のごとく、家の中には子犬(成犬だが小型犬のチャッピーがいる)がおり、私の横には空気のような夫がいる。互いに支えあい、心から尊敬できる人だ。  相談する相手を間違えたことを今も後悔し、こうすればああなっていたかもしれない、などと過ぎたことをまだあれこれ思う無責任な私がいる。年上のヘルパーさんがポンと肩をたたき、「大丈夫や」と言ってくれる。古いヘルパーさんや長く付き合っている家族さんは「あの人のことやからまたなんかするやろ。」と言ってくれる。わたしは幸せなことにしたいようにしてきた。だからもう一度、温めてきたアイディアを形にしたい。今度は仲間と一緒に、相談しながら。 夫に「平凡だったけれどいい人生やったね。」と話すと「どこが?」と鼻先で笑われ、二人で爆笑した。チャッピーが二人の顔を見た。2019年12月15日

    • 2019年12月3日の休日

      12月3日、久しぶりに休みを取り、朝7時から自宅に持ち帰った荷物の整理をした。仕分けは進み、10時半には眉毛だけラインを引き、すっぴんで梅田行きの電車に乗った。顔が痛いリフトアップのマッサージを受けるためだ。フェイスマッサージは受けたことはあるけれどもどれも心地よく、眠くなるばかりだ。「しみひとつない」とたまに褒めてもらう肌だが、いやいや10年以上前に次男とシミ取り体験に行った時のスタッフが、それこそしみ一つない蝋人形のような肌で違和感を覚えたことがある。シミも顔のいろどり。人間らしいと思う。私にもシミは楽し気に私の肌にのっかている。 午後はストレッチに行く。そして、夕方また片付けの続きをするのだ。朝は片づけをしながら大根をコトコト炊いた。昨日は夕食を作りながら子芋を煮た。それにゆずの皮をすりおろし、今日の弁当に入れた。日々の暮らしの中でこういう時間は必要だ。子供のころは茶色い見た目に地味な炊いた野菜が好きではなかった。母が「おいしい、おいしい。」と、食べていたのが不思議だったが、今ではわかる。人が丹精込めて育て、太陽や雨や風に気をもみながら、助けてもらいながらおいしく育つ旬の野菜や果物のありがたみとその旨みを。 大根は昆布と豚の旨みを吸い取り、トロトロに炊きあがった。2019年12月3日

  • 23Oct
    • ある日の休日

      ブルーベリーの季節も終わり、「夏」が終わった。藤樹安曇川(とうじゅあどがわ)の里で野菜をたくさん買う。相生の皆さんに美味しい野菜をたべてもらうためだ。プリンやゼリーを一つ買い、そこからブルーベリーファームまでの道のりでそれを食べるのを楽しみにしていた。一つ目の信号でほぼ食べ終わるが、それはそれはおいしいプリンだった。また、スイカもおいしく、大人になってひと夏でこんなにたくさんのスイカを食べたのは初めてだと思う。小さいころは祖父が畑で私たち孫のためにスイカを作ってくれていたような記憶がある。 チャッピーが何度目かの想像妊娠をしている。クッションを子供だと思い、いとおしく、かいがいしく扱っている。寝る時もチャッピーとともに寝室に運ぶ。今年は新たな行動に出ている。脱衣所の奥をふさいでいた「タオル置き」をのけて、一番奥の窓際にくっつけた。するとちょっとした通路ができ、その横に足ふきマットを重ねて置いた。毎日洗濯する足ふきマットなので、枚数がけっこうあり積みあがっている状態だ。どうも、その足ふきマットたちも子供だと思っているようで、気になるようだ。クッションをもって上がっても、せつなそうにクンクンと言い、長い鼻を私の首の下に入れ、ぐいぐい起こそうとする。勘弁してくれと、毎晩言っている状態だ。おっぱいは温かく、乳が出る。乳腺炎にならないか心配だ。                                                      

  • 21Jun
    • 令和1年6月20日

       瑞風のサンクスパーティに行ってきた。料理はやはり抜きんでておいしい。高級な器が次から次へと出てくるしつらえではなく、松花堂弁当に一流シェフ4人の料理が4種類入っている。弁当箱にないものは、エンドウ豆のスープ(デミカップ)と薄いパン、デザート、コーヒー、飲み物、カニみそのたれ。若い人は少なく70代とおぼしき人が一番多いように感じる。400人来ているという。2回に分けてのパーティ。ここですぐに計算してしまう。一人税込み1万円の会費で400人なら400万。しかし、2人の欠席でほぼ全ての瑞風クルーが出勤。料理クルーも出勤だ。JR西日本の社長があいさつ。ゲストあり。サンクスドリンクは4か所にある。飲み物はお替り自由。おそらく利益は出ていない。アンケートには料理がおいしく「また来たい。」に〇をつけた。相変わらず、写真は撮っていない。カジュアルなパーティだったのが感じよかった。お土産もいただいた。シェ・小山監修の焼き菓子などだ。今日は令和1年6月20日。昔懐かしい友人のところへちょいとした用事で行ってきた。大阪はG20でワサワサしているだろうが、友人の家は外気温が31度とは思えないくらい涼しかった。今のこと、家族のこと、これからのことなどを話した。思い出話は出てこなかった。友人はスマートだったが、「これは服のふくらみ?やぁ、ここまでお腹?」そう、あのころより6㎏増えたわよ。腰回りにバスタオルを巻いたような、そんな肉付き。あぁ、無常。これも自分の不摂生の証。運動不足の結果。「わたしジムに行ってんねん。」「すご~い。」・・・わたし、ラバ(ホットヨガ)も続かへん。ご主人が作っている野菜をいただいた。「加茂なすは田楽にして。」「まぁ、うれしい。ゆず味噌を付けていただくわ。」ありがとう。平和な時間だ。さぁ、仕事にもどろう。

    • 2019年5月20日の画像

      2019年5月20日

      2月と3月はあっという間に過ぎていった。2月に2連休を取り、H交通社がすすめる「イチオシ!」「人気ナンバー1!」というツアーに参加した。カニを楽しみに行ったのだが、一匹出たのがゴムのような食感だった。されど、「カニ、カニ」と思い途中での買い食いを少々我慢し、空腹だったのでゴムカニを食べる羽目になってしまった。料理長かツアーコンダクターに「これ、食べてみて。」と残しておけばよかった。 中居頭が給仕に来てくれた時に、「苦情は出ていませんか?これはいつ湯がいたのですか?」と、聞いた。「苦情は出ていない。昨日の朝ゆがいた。」という回答を持ってきた。今朝、ゆがいたのではないのだ。いちいちつっこむのもなぁと思い、関西人の誇りを捨て、ため息をついたのだ。このツアーを選んだ私たちが悪いのだ。焼きガニもゆがいたカニが出てきた(普通、ナマカニとちゃうん)。それも捨てるような身が申し訳なさそうに乗っかっていた。たいそうな思い出ができた(ポジティブに考えよう)。ツアーはやめよう。私たちには合わない。4月に東北に行ってきた。星野リゾートに泊まった。「青森屋」と「界 津軽」の2泊だ。やたらフキノトウが咲いていたのが印象的だった。「摘みたい」と言ったが「やめて」と、言われた。「やはり野に置け蓮華草」なのだ。最近、つれあいが「もぅ、知らんやん。」と、私の質問に答える。きっと疲れてるんやわ。私に対するスマートな対応ができないほど。なので、『「もぅ、知らんやん。」言うたらわたし、プチ家出するわ』と伝えておいた。ようできた旦那やと思うけれど、もうひと踏ん張りや。お互い。(墓場までの道のりのことです)5月の連休にかねてから行ってみたかった舞子の移情閣(孫文記念館)に行ってきた。学生時代からなので40年近くも「行ってみたい」で終わっていたところに、行けた。その時代に生きた人の思いや生活、確固たる意志。そんな思いに包まれ、大きな時代のうねに翻弄された人々の、その人生がすでに終わっており、今に自分が生き、そして子や孫の時代になり、私を覚えてくれていた人もいつかは亡くなる。建物は残り、明石大橋も修繕を加えながら次の世代に引き継がれ、播磨灘ではあなごが獲れ、明石焼きもおつゆに三つ葉がアクセントに入っていることだろう。舞子や塩屋に残る異人館も大切に後世に引き継がれ、「赤い靴はいていた女の子」の歌も口ずさんでくれるだろう。年々、自分の終活のことを思うが、捨てられないものは捨てられないのだ。バザーに出そうと思っている薄手のジャケットを80歳の私が来ていることが容易に想像できる。物は減るが増えもする。いつか女の子の孫ができたら来てくれるのではないか。いつか嫁ができたら「おかあさん、これ貸してください。」「いいよ、あげるわ。10万してん。大事に着てな。」と言ってみたい。そんな日が来ることをいつも夢みてる。いや懇願している。うーん、妄想している。妄想は自由でタダで、誰にも迷惑をかけない。なので、捨てられない。収納できているんだからいいだろう。スカスカの家もなんだかねぇと、自分で肯定している。5月もあと10日。6月になったらあと半月でまた正月。ものすごいスピードで年を重ねている。さて、どう、生きる。

  • 17Jan
    • 2019,1,6の画像

      2019,1,6

       あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 友人の年賀状には「お元気ですか」と、自筆で書いている。「元気ですよ」と言っている。もう、何年も会っていない友人ばかりだ。普段会っている人からは年賀状は来ない。出さないからだと思う。明日も会うし、と思ってしまう。ただ、日本人なので暮れと正月初回の挨拶は、慇懃に45度から90度に腰を曲げ、冒頭のあいさつをする。 私は正月も仕事だが毎年2日はバーゲンに参加するため休みをもらっている。今年は久しぶりにちょいと働いてから、8時半に事業所を出て、娘と阪急百貨店に行った。ホームページでは9時半開店となっていたが9時25分に着いたら、すでに列はなく、すっとはいれてしまった。残念。初売りのすごさを体験しに来ているのに・・・。 お目当ての物は3階のアッシューベーブチック。年末から「2日は、走ってくるわ」と店員さんに言っていた。年末に売れたらしいが取り寄せてくれていたらしい。今日は1月6日。4日に届き、さっそく昨日から使っている。大丸の5階の同系列の店にも気に入った手袋があったのだが、都合で買いに行けなかった。娘のほしいものは、イメージがありどうもピンとこないようで、私に付き合いバーゲン会場を楽しんでいた。寝具売り場でダブルの羽毛の掛けカバーを買うのも恒例だ。パジャマも買う。年を重ねて、厄介になるときに気に入った物を着せてほしいからだ。最近は着脱介助が楽なように、伸びる綿素材を買っている。介護のいらない今のうちに伸縮しない生地のパジャマを着よう。 朝、7時からの勤務だったが、おにぎりとバナナ、ミカン、チョコレートを用意していた。9階の階段に座りおしゃべりしながら食べた。飲食店に入れるとは、はなから思っておらず、去年も午前はラウンジには入れたが、午後は列ができており入れなかった。おにぎり万歳。いい仕事をしてくれている。私のリュックも軽くなり(薄手のコートはリュックの中)、身軽に二人で二巡目を楽しむ。さすがに人は多くなってきた。 娘は去年買った服が半額?になっている。どうしようかと迷っている。買いなさい、買いなさい。若いんだから。楽しみなさい。私の10歳上の先輩が言っていた。「服なんて欲しいとおもわへん。それより、子供に『こづかい』って渡してやったり、『孫に何か買ってやりって、お金を渡したりする方がええ。』と。うーん。私はその域にはまだ達しないが年末に服を整理していて服はいらんなぁ。やせても着る服はあるなぁ、とは思った。 1月4日。午前に仕事を終え、ふたたび梅田に向かう。娘と一緒では悪いなぁと思い、ある新年会の景品を3,000円の予算で6個用意するのだ。年末に1個購入していたのであと、5個だ。4個まで購入した。せっかく梅田に来たので、もちろん大丸にも寄り、手袋をゲットした。私が買ったバッグもあった。このバッグは誰が買うのだろうか。 2日は手ぶらで帰ったので、今日は何か買って帰ろう。きれいなお姉さんが並んでいたので、チョンチョンし、「これはおいしいですか?」と聞く。きれいなお姉さんとお話しするのにスイーツは最も有効な手段だ。お姉さんお薦めの「Fuwa-Trois」を購入する。 1月5日。朝。なぜか家族が全員いる。長男は10時前に起きてきて朝食を食べているがランチに行こう!と予約を入れる。「食べられへんわぁ。」と言いながら着替えて一緒に行く。会話はいつもどおりほとんどないが、一緒に出掛けたのは何年ぶりだろうか。同じ車に乗ったのはたしか1年半ぶりだ。温泉につかり寡黙に帰ってきた。4人で外出するなんて、めったにないことだ。 1月6日。夕方仕事から帰ってきて、マンションを見に行った。平成30年6月の地震で家が罹災証明をもらうほど傷んだ。マンションも悪くない。来週、申し込もう。7件すでに申し込んでいるという。決定するまで、また夢想できる。楽しみだ。どちらにころんでも、どうってことないのだ。と、言いつつすでに壁紙の検索をしている。

    • 12月のある日

       あまりにも働きすぎて(と、書くとどんな働き方をしているのだ、と思われるかもしれないが、単に職場に下りウロウロしているだけなのだ)、休みが取れず、気持ちがしんどくなり、スタッフがシフトをいじってくれ、連休を作ってくれた。私はうっとりと夢想する。あぁ、行きたいところがある。山口県の油谷湾温泉、楊貴館。青森県の十和田現代美術館の「大きいおばさん。」島根県のお堂、滋賀県の・・・この時期は雪が・・・あるかも。急に現実味を帯びてきた。 和ダンスの整理、着物を娘にやる。和ダンスの下の整理ダンスにもぎっしり詰め込んでいる。どうしようか。洋ダンスの整理。窮屈で入らなくなった洋服はいったん、タッパーウエアに入れる。そして、タンスを処分する。脱衣所の棚も整理する。使わないものは捨てる。タンスに敷いている「寿」の布を漂白する。きれいになるのかなぁ。迷っているのはセミダブルの敷布団。私は使わないが、ひょんなことでいるような気もする。嫁入り道具のどんすの布団(この布でドレスを作ったらどうだろうかと考えている。何でもありなのだ。むかし「新婚さんいらっしゃい」で、シェパードさんが布団でドレスを作っていた。三枝(当時)さんが、「着やすそうやなぁ」と言ったらシェパードさんが「安くないよ。」と言っていた。なんでこんなこと覚えているんだろう。シェパードさんは今お幸せなんだろうか)。 今年のフォーマルパーティは、ドルチェ&ガッパーナの生地を作っている所の生地で作ってもらった。ここんところ和のロングドレスをこしらえていたので、洋風になる。終わればウエストを詰めてもらってワンピースにもできる(しないと思うが)。ハットはアンティークのアイボリー系の別珍の葉っぱや薄いグリーンのリボンが付いたものを選んだ。買ってから初めての出番だ。非日常を楽しむ。たった数時間のために、私は1年かけてドレスを選ぶ楽しみを持つのだ。 体重を減らすのは至難の業だが増やすのはいとも簡単だ。懸命に折れ線グラフに記入していた頃は体重の増減に一喜一憂していたが、忘れて油断していると腹の肉が邪魔で久しぶりに屈伸ができない。体重計に乗ると案の定1.5kgも増えている。人のことはよく見えるのに、自分に対してはなんて甘いのだ。少し早く帰れた日に、スーパーに寄りご褒美に(なんの褒美かはわからないが)甘いモンを買っていた。確かだ。早めに夕食を終えれば、「別腹」だと言ってポテトチップスを食べていた。確かだ。つもりつもってそこかしこに肉が付いたのだ。膝の調子も悪かった。警告してくれていたのに・・・。なんてこった。パーティドレスも9月に作ったのだ。今晩当たり着てみよう。

  • 15Jan
    • 2018,12,8 土曜日

       久しぶりにポッカリ半日空いた。「さぁ、起きるぞ。」気合を入れるが空振り。その都度、私の布団で寝ているチャッピー(ミニチュアダックスフンド、9歳、メス、短毛)が、起きろ、起きろと首の下に鼻先を入れ、ぐいぐい押すもあきらめて、また布団に潜り込む。 3回目に起きた。7:40。久しぶりにゆっくり休んだ。布団の中で思ったこと。久しぶりにホットケーキを焼こう(昨日、相生のダブルソフトを16斤も買ったのに、我が家の朝食のパンがない。よくあることだ。目覚めてからご飯を炊くのだ)。じゅうたんを洗おう。床も水拭きしよう。いろいろ思いながら半日でできることを詰めいていく。 昨日、帰り際に、どうやって調べたのか、遠方にある土地の自治体から電話がかかってきた。目的とは別に連絡を取りたがっている人がいるから、電話番号を教えていいか、という内容だった。 私名義の土地に自治体が梅の木を植え、維持管理してくれていたらしい。すっかり忘れていた。その梅の木が老木となり、今後どうするか、という内容だった。また、隣に何か建っていたが、いつの間にかなくなっていた。電話番号を自治体から聞いた人が教えてくれた。火事にあい、消滅したようだ。そこを借りてレストランをするのだそうだ。勝算はあるのかと、思わず聞いてしまった。大きなお世話だ。母が若いころに買いたがっていた隣の畑も今は耕す人がいなくなり、自治会の持ち物になったようだ。また、集落からポツンと離れて家の土地の海側に建っていた家も今はだれも住んでおらず、草引きをする代わりにその人たちが駐車場として自治会から借りるらしい。電話の向こうから「ほな、僕はいま京都に電話しているんですね。」と言っている。私の土地も、母の実家もわたしたちが住んでいた家も距離とともに、うんと遠いところのものとなってしまった。 友人の家の白板に(家に白板があるのだ)、「1日1つ物を捨てる!」と書いてあった。娘さんが書いたと言っていた。先日も、相生の住人の家族が家を壊すので、要るものを持って行って、と言われ軽自動車で3往復した。我が家も物であふれている。 「終活」。元気なうちにと、思っている。が、思いきれない。過去のバサバサ捨てたものにプレミアが付いている物もあった。「買わない」ことも難しい。 このノートの記載も30分の割り当て時間。コーヒーをもう1杯入れて、替えのじゅうたんを下してこよう。

  • 29Oct
    • 館山の画像

      館山

      そうだ、館山に行こう。 館山に表敬訪問をするFAXが流れてきた。長年、会の会長を務め、会を引っ張ってくださった方が脳梗塞を発症し、施設に入所されている。2年前にも行かれたようだが、今回仕事のことで教えてもらいたいことがあり、参加することにした。 1日前から東京に行き、元相生(サービス付き高齢者向け住宅)の住民で今は息子さんの近くに引っ越しされたAさんご夫婦を訪問。夜は元職員のBさんと会うことにした。ぎりぎりまでどうしようかと迷ったので二人に連絡をしたのは行く、1週間前になってしまった。電話を切った直後から「楽しみにしている」とショートメールが入ってきた。 新幹線に乗り、今回話を聞きたかった人にラインを送ると「私は昨日東京から帰り、今日は1日仕事。明日4時には東京に行きます。」と返信があった。旬の女優並みの仕事ぶりに驚く。それにしても私は京都でノウリアクションの毎日である。 久しぶりのAさん夫妻はお元気そうだった。「ゆりのき台」というところに住んでいながら6月に咲くゆりの木の花の前に剪定されるので、いまだにゆりの木の花を見たことはないという。夫婦二人でいる間はここに住み、一人になるともう少し小さいところに越すだろうと、言われていた。「同居」は考えられないのだろう。私も親との同居、子との同居は考えられない。Aさんの靴。小規模多機能の職員が作ったブローチを付けて。 夜はBさんと待ち合わせ。ベルギー料理を堪能した。ビールもおいしかった。Bさんは会社で使っていたソフト会社から来てくれた男の子と「食事に行っておいで」と、すすめたのがきっかけで結婚し、今は東京に住んでいる。主任ケアマネとして頑張っているが、どうも私の影響らしく(本人が言っているので)納得がいかないことは「納得いかない」とはっきり包括や区に伝え、らちがあかないと嘆き、博士課程に進もうかともくろんでいる。「介護」が好きなわけではない、大学院生の時にウチに聞き取りに来、男性ヘルパーの修士論文を書き上げた。 ○○先生の考え方は~で、△△先生の考え方は~なので、私はこの先生の考え方の方が日本の制度にあっていると思う、と。学術的な論点で熱く語ってくれる。□□先生はご存知ですか?◇◇先生はご存知ですか?講義はどうでしたか?・・・・・・うぅ~ん。昨日食べた食事も思い出せへんねんけれども・・・。ずいぶんの昔の引き出しをこじ開けて話をする。知らない先生は、「知らない」のだ。 身近な話になると、主任ケアマネや特定事業所加算をとっている事業所の悲惨な実態を語ってくれる。一人ケアマネで包括からの仕事をし、過労で倒れた人。特定事業所加算をとっているがゆえに包括や区からの依頼を受け、その仕事に多くの時間を割き、利用者のことがおろそかになり300万円を返還した事業所。包括や区からの依頼の仕事で残業をし、休日出勤を余儀なくされていること。そのお金は誰が支払うのか。事業所である。一人が35件のケース(利用者)持っており、一人につき、9万円の加算が事業所に入る。ケアマネが3人とすると27万円が事業所に入る。給料、残業代、コピー代を含め利益が出るのだろうか。8ケースほどしかもっていない私がつべこべ言うべきではないが、わたしなら「やりがい」より「疑問」「バーンアウト」という文字が先に浮かぶ。包括の人は後輩(Bさんたち)に「私たちがこれだけ実績を積んできたんだから、あなたたちもがんばって続いてきてね。」というような状況なんだそうだ。本来区がするべき仕事を・・・・・・。彼女は常に疑問を持ち、反発している。「特定事業所加算」を盾に取った、区の陰謀としか思えない、と。そう、思っている人は少なくない、と。そんな、ケアマネという仕事ならいらないし、興味もない、と。限度額の中で包括や区がコーディネイトすればいいんだ。ケアマネージャーという職業をなくし、その人たちが「介護」の世界に入れば質の向上につながるだろうなぁと二人でつぶやく。ただ、更新研修や主任ケアマネの講習を受けて思ったことは自分のことをたなにあげて、年配の人が多いのだ。70代、80代かと思われる人もいた。そんな人こそ、ボランティアで包括の仕事を助けてあげればいいのだ。ボランティアなら実施指導でびくびくしなくともよい。 書きながらこの国の介護はどうなっていくのだろうかと思う。介護報酬が下がり、介護を必要とする人が増え、お金を支払えない人も増え、子世帯は夫婦で働く。それを国や自治体は誰か気のいい隣人が無料でやってくれないかと期待するのか。 互いに夜はぐっすり眠り、朝もなお論議が続く。ホテルお勧めのフレンチトーストをプラス1000円でチョイスする(支払いはすべてBさんだ。ホテル以外の支払いはすべて私だ)。ビュッフェにはない静かな空間で食事を楽しむ。私たち以外には個室でビジネス会議をしている数人の出入りがあるだけだ(8時から、ようがんばらはる)。いつも二人で行く店が11時開店なので10時45分までいろんな話をする。深刻で面白い話だが載せられない。 夕方4時に集合場所までBさんに案内してもらい、表敬訪問メンバーの一部と合流する。あとのメンバーは直接館山だ。総勢20名くらいのメンバーが集まるようだ。19時夕食、21時希望者だけカラオケ。翌日は館山観光。午後2時に表敬訪問だ。18:30頃東京駅に行き、そこで解散だ。一晩漬け込んだフレンチトースト。家で、ヤマザキパンで早速してみた。 館山に行くバスの中で隣に座った先輩に最近買った高いものはなんですかぁと、聞いた。大先輩は私の耳元で小声で言う「140万の帯」聞けば国宝の方の帯だ。名前は覚えていない。「あっ、そうや。その前に180万の帯を買うたわ。」見たことありませんけれども、その帯。いつ着けてらっしゃるのでしょうか。「えぇ、お嫁さん、帯に興味ないでしょ。どうぞ、どうぞ、たとう紙の中に『ラポールの米田に上げて』と、書いてよーぉ」と、2回言ってしまった。うっとり眺めるわー。今回いろいろ話を聞きたかった先輩にも聞いた「株やな、500万。」しぇー!前に人にも聞いた。聞いた時は知らなかったが、今回表敬訪問する人の娘さんだった。「4万のバッグ。」「えっ?40万のバッグ」と聞き返す酔っ払い。「はな、あんたは何買ってん。」と聞かれ、「伊勢丹でネックレス。2本、値切った。」と、答える。金額を言ったかどうかは忘れたが「伊勢丹でねぎってん。」に食いつかれた。一般の販売ではなく、ラウンジ横での販売だった。消費税込みでなんぼにしたらよかったと、いまだに後悔している。などと、へらへら言ったような気がする。カラオケはパスして酔っ払いを部屋まで送り届けてもらった。入浴するとしゃきっとし、31年2月の研修のテキストに目を通す。朝食を部屋で摂り、テキストの最後まで目を通せた。 「まさか」という坂が本当にあったのだ。まさかロープウェイで上がり、山を登るなんて、聞いていないが。Aさんに「山に登るの?」と聞かれ、「まさか」と言っていたのに。アップダウンの道のりをすすむと、やがて50m先が霧で見えなくなった。ロープウェイのところまで戻る体力がほとんどの人になく、バスに迎えに来てもらう。バスに乗ったとたんに雨。のち、晴れ。 表敬訪問は施設の食堂を借り切り、参加した一人一人が挨拶した。私のような下っ端にも挨拶の時間が与えられた。会を引っ張るということは自分の仕事をしながらの余力でするので大変なことだ。昔話でいろいろ話が弾んでいた。その老健は道を挟んで目の前が海。しゃれた洋館だ。夕日がきれいだろうなぁ、と思いながら帰路についた。

  • 16Oct
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      べトナムの旅 平成30年 NO.2

      10:52a.m ホテルに帰ってくる。いったんは出たものの、つれあいが財布を忘れたと言い、ホテルに帰る。財布は腰ベルトに付けたポシェットに入っており、私はサングラスをスーツケースから取り出す。「よかったやん、サングラス付けられて。」と、つれあい。そう、物事はいいように取ればいい。しばらく歩いてシャツも脱いで来ればよかったと後悔する。朝の5時にコーヒーを1杯。6時半の朝食にカフェラテを2杯とフォーのスープを飲みほした。汗が出て当然だ。暑い。ベンタイン市場では小さい干しエビと中くらいの干しエビ、小さい干し貝柱を500g。小さいシイタケを一袋。全部で約8,000円の買い物。ベトナムでは考え事をして道を歩けない。高校時代、模擬試験の帰りに、あーでもない。こーでもないと振り返りをしていたら赤信号の大きな交差点を一人で自転車をこいでいた。3か所からドライバーのほほえんでいる顔が見え、思わず「スミマセン」とスピードアップして渡り切った。申し訳ないことをしたなぁと思いながら、世間の温かいまなざしに感謝したものだ(う、うぃうぃしぃ)。そんなほほえましいエピソードはここベトナムでは全く通用しない。上からこそオートバイは降ってこないが、どこからオートバイが来るかわからない。歩道にも堂々と。赤信号も何のその。生きる力を強く感じる。日本のように「赤信号、そんなにいそいでどこに行く」なんて、悠長なことは言っていられない。これもまたベトナムの当たり前なのだ。つれあいは私の手を握り一生懸命だ。先ほどの思い荷物を私が持っていることも気づかない(まっ、いいか)。ベトナムの女性がよく髪にかざして写真を撮っている花を見つけタブレットに収める。大きな木だ。葉が妙に立派で花が少し残念なのも撮った。蓮の花も美しい。何やら立派な銅像があるが、相変わらず興味がないのでスルーしてしまった。道で焼いている薄いワッフルを買った。バナナ入りも10枚買う。途中、現地の人がワッフルを買っている間に炭で焼いている2枚を焦がしてしまった。スーパーに寄り、インスタントフォーや土産を買う。ザ レヴェリーサイゴン ホテルに帰る。「お昼はいらんわ。」「そうやな」スパは良かった。顔もピカピカになった。左の頬にシミができて居るのが判明した。英語力のなさで、ちょっとした勘違いをしたが、どうってことはない。スパの終わりはしょうが湯が急須で出てきた。それをデミカップで4杯分ほどと、乾燥あんず、乾燥いちじく、プルーン、緑の干しブドウが出、たいらげた。終わったら4時半頃だった。お茶をいただきながら目の前のマンションにくぎ付けになった。あらゆるところから木が出ているのだ。人影があるので廃屋ではない。もうちょっとやそっとのことでは驚かないぞ。つれあいは1時間ほど散歩をして、部屋についているジュースを1本飲み、映画を観ていた。二人で15分ほど散歩をし、昨日のクックガッフォグワンにタクシーを走らせる。今日は15分ほどで着いた。待っている間も二人ともゲップが出たが、食べ干す。・海鮮入り上げ春巻き・ハスの葉のサラダ・海老のココナッツ蒸し(ハーフサイズ)・はまぐりとディルのスープ (ネットからプリントアウトできる)一番下の写真は私がはまった「海老の甘酸っぱいスープ」このレストランはアンジェリーナジョリーとブラットピットが夫婦だった時に訪れ、有名になり店舗も増やした。前回来た2年という時間で店も家族も変わるのだ。我が家も地震で家が傷み、この2年で家族が二人増えた。トムハンクス主演のフォレストガンプを観て以来、私の中でベトナム=海老なのだ。今日1日で、3か月は海老を食べなくてもいいくらいたらふく食べた。幸せだが体重は増えているだろう。占いによると、10月は運動を始めるのが『吉』だそうだ。帰国したらボクシングの体験を申し込もう。帰りはベトナムからの直帰便が取れず、中国経由で帰国した。ハーゲンダッツなら食べられる。と言うとつれあいが買ってくれた。帰国して値段を見るとあの小さなバニラのカップのハーゲンダッツがなんと、1つ1200円だった。びっくり飛行場料金だ。往復の飛行機はマイレージで行き、ホテル代は二人で2泊、約7万円。「一番高くついたのは行きの関空で買ったママのアクセサリーや。」と、つれあい。「あなた、いつもありがとう。」店の前にある姉妹店ホテルの部屋。このホテルに泊まりたくて、ベトナムに来た。レストランに行く途中でガイドブックに載っている建物を撮る。行きの電車から撮った、関空行きの道路の切断部分「道がない!」

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      ベトナムの旅 平成30年 NO.1

      残念だ。また、失敗した。今、ベトナムにいる。ホテルの部屋が寒い。バスタブの湯を張りながら、つれあいに部屋の温度を上げるように頼んだ。「23度にしたでぇー。」と言う。「何度やったん?」「20度。」(なんでやねん、どうりで寒いはずや)風呂から上がり、26.5度にする。これ以上は上がらない。さ、寒い。暑いであろうベトナムに行くので、夏服しか持って来ていない。念のため持って来た薄手のはおり物が離せない。靴下もくるぶしの上までの物を1足しか持って来ていない。外は雨期でムッとしているが、室内は寒い。飛行機から見える川、池は全て濁っている。スコールのせいか。タクシーの窓に雨粒が付くと、右横を走っていたバイクが一斉に止まる。100台くらいだろうか。皆、おもむろにカッパを出し、着だす。そして、何事もなかったように走りだす。これがベトナムの日常なのだろう。ホテルで朝食を摂る。日本人は皿の上のおかずを残さず食べる。そう、親にしつけられてきた。隣の中国人親子は目玉焼きを頼んでいた。ビュッフェの皿には、まだベーコン、野菜、手も付けていない煮卵があったが、父親は子供二人のその皿を下げさせた。これは中国人のエチケットなのか。客が食べきれないご馳走を皿に乗せてもてなし、食べ残すのがあたりまえ?ここはベトナム。ベトナムの文化はわからないが、日本人の私にはどうしてももったいないと申し訳ないとしか思えない。いくら、満腹でも。昨日の夜行ったお店に今晩も食べに行きたいが、一品の量が多く、4,5人でシェア出来たらちょうどいいと思い、朝食を食べていた日本人に、今晩食べに行く所は決まっているかと声をかけた。ツァーで来ているので今晩は「マンドリン」に行くのだそうだ。どうも、このホテルに泊まっている日本人はそのツァーの人たちのようだ。あぁ、私はあのあまっずぱいスープが飲みたい。インスタントフォーを食べ慣れているせいかホテルのフォーは高級感がある。表面が少しざらざらしている。スープとフォー、スダチ。それだけで十分おいしい。卵3つを使ったスクランブルエッグはどうやら忘れられているらしい。一つをキャンセルし、つれあいのを一口もらう。バターがしっかり効いていておいしい。でも、一口でいい。シンプルなフォーで十分満足だ。スイカのジュースもシュウマイもアナゴの燻製もおいしかった。むせるくらい香辛料が効いた野菜もなかなか日本で食べる機会はない。テーブルの脚も斬新で素敵だ。水着を持って来たが、プールは6階の外にあった。29階の部屋から見下ろすと見えるのだ。いやいや、もう焼きたくない。今年(平成30年)の2月に行ったマチュピチュの首の日焼けが取れないのだ。とんでもない。今日の予定は、ベンタイン市場で干しエビを買って14時からホテルのスパ。13:15に行き、どうも風呂に入るらしい。スーパーでエースコックのインスタントフォーを買い込み18時にまた昨日の店に行くのだ。道路がすいていたら15分ほどらしいが、昨日は35分もかかった。すさまじい。車とバイクのクラクションとせめぎあいの中、ぐったりとレストランに着いた。2年前に来た時に次回はクラムウイズティムが食べたいと書いていたのにすっかり下調べをするのを忘れ、・海老の甘酸っぱいスープ・ロット(コショウ科の植物)の葉の牛肉ミンチ巻き・カニのタマドリン炒め・海鮮チャーハンを頼んだ。「甘酸っぱいスープ」とだけ覚えていたのだ。どれも美味しかった。給仕の女の子に「あなたは何が好き?」と聞くと「鳥の生姜煮」と答えたので想像はできたが、せっかく聞いたので(ここが日本人、いや私の弱いところ)注文した。想像通りの味で(性格に言うと、想像以上にショウガが多く、さらに千切りが上に乗っていた)特におすすめはしない。「カニのタマドリン炒め」は、よくテレビで観ていた、脱皮したばかりのカニの殻ごといただく、ソフトシェルだ。美味しかった。せっかく脱皮し、これからという時に捕まり、日本人の私の胃袋におさまった。生きるって残酷だ。カニさんありがとう。カニといえば小さいころに食べた、ワタリガニが懐かしい。ズワイガニや毛ガニ、タラバガニも美味しいが、あの懐かしいカニが恋しい。恋しくなるとは私も年を重ねたのだ。きっと。「だいぶ日差しが強くなってきたな。はよ、市場に行った方がええな。」と、つれあい。「ちょっと待ってな。今、便がゆっくり動いてる。」「ええよ。」こんな会話ができるのは彼くらいだ。口の周りにケチャップが付いていようと、腕からシャツがにゅっと出ていようと、ひざ下ストッキングが足首まで落ちていようが、ゲップやおならをしようが全く平気だ。ときめきはないが、なくてはならない存在だ。ただ今、朝の9:10。さぁ、トイレにも行ったし、「行こか!」ホテルの部屋についていたドラゴンフルーツ

  • 03Sep
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      2018,9,2 夏の終わり

      夏の楽しみだったブルーベリー摘みが終わった。毎週のように行っていたが、2日間は研修が入っており行けなかった。毎朝、つれあいがヨーグルトとコーヒーを入れてくれる。「あなたの入れてくれるコーヒーは、ほんとにおいしわ。」ブルーマウンテンブレンドだ。酸味が少なくまろやかだ。語るほど詳しくはないが口に合っている。外であまりコーヒーを飲まないのはがっかりすることが多いからだ。ヨーグルトにはくるみとブルーベリーとバナナを半分こ。そしてはちみつを入れてくれる。私は弁当を作りながら朝のおかずを作る。何も作らないときは、何もしない。新聞を読んでいる。このブルーベリーがこの時期は生なのだ。弾力のある実がプチプチッと口の中ではじけ、ジューシーな酸味と甘みと幸せが口からしみいる。たいてい、せかせかと新聞を読み、広告のチェックをしながら食べているが、期間限定の生ブルーベリーヨーグルトには感謝をしている。相生のお年寄りも喜んでくれていると思う。安曇川の野菜とともに。ブルーベリーが終わるといちじくだ。やす子さんが教えてくれたええかげんな作り方で今も奇跡的においしく作れている。①  いちじくを洗い、先をチョンとカットし鍋に並べる。②  グラニュー糖を袋1/2から1/3入れる。テキトーなのだ。③  赤ワインをひたひた入れる。④  中火で30分。1回くらい転がす。あとは火を止め半日ほどおく。置い          ているときも1回くらい転がす。均等に赤色が付くように。たったこれだけで、目からうろこ、ほっぺが落ちるくらいおいしいコンポートができる。レモンは入れない。おしるも美味しい。高いワインを使ったこともあるが紙パックの800円くらいので十分おいしい。わたしはたいていいちじくを3パック入れる。「ソラノネ」のブルーベリー 2018年8月18日(土)の写真「ソラノネ」のクリームチーズケーキのタルト生きている喜びを舌の上から全身で感じる瞬間。安曇川の野菜。「ソラノネ」に行く前に必ず寄る。相生のお年寄りが、「お野菜がおいしい!」と、喜んでくれる顔がみたいから。煮込み始めて10分くらい。明日はおいしい、いちじくのコンポートができる。冷凍しても大丈夫。やすこさんありがとう。素敵なレシピを教えてくれて。

  • 28Aug
    • 平成30年 五山の送り火

       久しぶりの「おまねき」に呼ばれる。 五山の送り火の左大文字が3階の窓から見えるという仲間の家に18時集合。20時の点火まで食事をし、送り火を観ることとなった。「なぎなた」というキーワードでつながる仲間3人が集まり「からふね屋」で人生初の「静かにしてください。」と、注意されたオバタリアンメンバーだ。一人が話すと、別の人がその話を奪い、語りだし、話が終結しない。しゃべり、食べ、しゃべり、飲み、しゃべり、大笑いし、しゃべり、感嘆する。なんと忙しく、騒がしく、楽しい。そこには「遠慮」「装い」という概念はなく本音でばかばかしくどうでもいい話で中途半端に盛り上がる。オバタリアンなので、ニュースや記事でかいつまんだ情報はあいまいで、覚えられず「あのほら、あれ」でまかり通り「あぁ、あれな。」と他者に通じる。 私たちが(私は右ひざの故障で平成30年6月に退会したが)「先輩」と呼んでいる人は70代、80代の人たちで、お稽古ではないとき---新年会や祇園祭にご一緒したとき---に、若かりし頃のいろいろな話を聞かせてくれる。「先輩」たちは決して自ら語ることはなく、私たち「後輩」(といっても50代、60代、70代だが)がそれこそ根掘り葉掘り聞きだすのだ。そして「からふね屋」のつまみにし、「静かにしてください」と、注意されるのだ。 大阪の呉服屋から京都の呉服屋に嫁いだT先輩は、京都の姑さんにから「何もできない」としかられ、いびられた。姑さんは大阪の実家に電話をかけた(当時電話があったことにも驚く)。電話に出たのはお母さんではなく、おばあさんだった。おばあさんは姑の愚痴を最後まで聞き「うちはあの子をまっさらでお宅にやりました。どーぞ、まっさらでっさかい、お宅の色に染めてやっておくれやす。」と言われたそうだ。「姑にしたらアランドロンのように見目麗しいわが子の嫁に、チンクシャなこの子をもらってやったんやさかいという気もあったろうしなぁ」と遠くを見る先輩はアランドロンに似たご主人を思い出したのだろうか、姑を思い出したのだろうか。でも、オバタリアンの視点はそこではない。実のお母さんやったら平謝りやろなぁ。おばあさんやからあんな対応ができたんやろうなぁ、と。老舗百貨店の近くに広い土地を持つこの先輩のお宅訪問を願うオバタリアンだが、「つぶす前の家やったら、ええもんもぎょうさんあったけれども、みな骨董屋さんが持って帰らはった。今の家は今風やさかいみるとこおへんで」と言われ「いつでもどうぞ」という言葉とパラレル(平行)して「京のお茶漬け」を連想する。行っては迷惑なんだろう。きっと。 「家を探している」と言えば「どんなとこ?」と聞かれ「駅チカか、今から運転免許証を返納するまでの間、畑ができるようなところがいいかなぁ」と言うと、「畑もしていたけれどさぁ、キュウリもいっぺんにできて半分捨ててしまわんなんし、草引きが大変よ」と言われる。確かに。でも「ブルーベリーを育てたいんよ。」と言えば「ブルーベリーは目に何の効用もないらしいよ」から「私の友人の娘さんが離婚して山買って、ブルーベリー育ててるわ」と、話はあらぬ方向へ進んでいく。 3人とも終活を意識している。好きなものに囲まれて過ごす日常生活を望み、死後は野となれ山となれ、だ。 私は涼しくなったら、娘に嫁入りの時に母にこしらえてもらった着物を引き継ぎ、和ダンスを処分する予定だ。その次は洋ダンスを処分する。母には申し訳ないがタンスはクローゼットに。観音開きの建具は引き出しに。2度の地震から私が学んだこと。陶器はちょっとしたことで壊れ、もののあわれは日常にあるのだ。 左大文字の美しさに見とれ、ご主人が用意してくれた望遠鏡を通し、その周りで作業する多くの人に感謝した。 平成30年8月17日 この日から、風も日差しも「秋」になった。公園の虫は涼し気に羽音をたて、セミは静かだ。

  • 24Aug
    • お誕生日おめでとう。

       次男の誕生月に早めの祝いをした。「男のエステを体験する?」と、聞けばにやりと頷く。11時の予約で心斎橋まで行き施術を受ける。どうやった?と聞くと「気持ちよかった」と。(そんだけかい)と、心の中でつぶやく。母親だからそのショートコメントで許される。それが、恋人や妻なら根掘り葉掘り聞かれる前に「どーやった、こーやった、ここが効いた、あそこが痛かった。」と、最低10分は語った方が夫婦仲はうまくいくよ。ユースケさん。感謝の気持ち。かーさんやからええんやで。まぁ、そんなこと百も承知だろうけれど。 その後、大阪のリッツカールトンで予約していた期間限定のピーチフェアに行った。つれあいと行くのと同じくらい会話はない。「何が美味しい?」「パスタかな」(ピーチフェアに来てパスタかよ)「たしかに。甘いねぇ。」「あっ、これおいしかったで」こんくらいの会話。周りからどう映ろうが、二人とも腹ペコ青虫。朝から14時半まで水しか飲んでいない。とりあえず、炭水化物をもりもりぱくぱく。いそいそ、次の皿。 途中、リッツカールトンからお祝いのジュースがくる。ろうそくと金平糖が添えられている。「ゆーちゃん、おめでとうー!」と、一人はしゃぐ。マダムと若い燕か。 久しぶりにスカートをはき、ローヒールを履いた。なんせ、次男との「でえと」は7年ぶりだ。我が家の唯一のスイーツ男子。お付き合い、おつかれっ!

  • 06Aug
    • 2018,7,23

      老いていく母、哀しい。背中が丸くなっていくから?(あんなに「背筋を伸ばして!」と注意していたのに。)認知症がすすんできたから?(平成30年7月15日には、コーヒーの中に醤油を入れようとした。職員が気を効かせてミルクを入れましょうかと声をかけてくれたが、「いいや。私はコーヒー、飲めんねん。いつも醤油を入れて飲んでいる。」と言い放ったそうだ。もちろん、周りはどん引き。夕方になると、私を探す。「おかあちゃんに、今日はここで泊まる、言うといてくれへんか。」【受容】だ。「はい。」と返事をすると安心してお友達の所へ行く。だが、いけずな私が言う。「ひでさん、いくつや?83やで。ほな、おきくさんは(ひでの母親)、いくつえ?」「・・・・・・いやぁ、わたし、葬式行ったかいなぁ。」 「私はひでの何や?」「妹や。」「違うな。ひでの娘や。」「へっ!」いつもの会話。ハトが鉄砲玉食らったような表情でしばらく考えている。「そうかいなぁ。」や「なに言うとん。あんた、妹やんか。」とか「うっそぅ!」返しはたいていこの3パターン。病気の母には受け入れられないのだ。ホンマ、私はいけずや。)時折、良き相談相手の母に戻る。きっぱりと力強く、はげましてくれる。「がんばろな、ようぉ考えて。うまいこといくようにな。」哀しい。私はこの母と話がしたいのだと思う。(一人っ子で、母の愛を一身に受けて育った。今は、空気を読めない母を諭すと「こいつはわたしの顔を見たら、目くじら立てて怒る。」と、般若の形相で言われる。苦情処理台帳には載せないが、子だからこそ言えること。子なればこそ言うのだが、母は不快に思っている。そして、たいてい「もうこんなとこにはおらへん。」「辞めた。」「帰る。」と言い放ち荷物をまとめる。母がまだ自分の足で立ち、時折失敗はするがトイレに行っているので私もいけずになるのだろう。その元気さえもなくなればはじめて「受容」という過程を受け入れられるのだと思う。妹でいい。おばあちゃんは(おきくさん)家で夕飯の支度をしてひでの帰りを待っている。母の一番幸せな時代だったのだろうか。

  • 25Jul
    • パリ2日目の画像

      パリ2日目

       「ヨシノリ」という日本人レストランを予約しておいてくれた。私達はパリの路線図と観光本の付属品のマップを片手に持ち、目的地を探すがほとんどの人はスマホに情報を取り込み、目的地と自分の進んでいる方向をスマホで確認し、スマホの画面を見ながら街を歩く。観光本の情報をスマホに取り込むと、迷うことなくスムーズに行けて便利だ。だが、そこに載っていない店は一度入った時にきちんと目印をつけるか写真に撮るかしないと行けない時がある。おいしそうなお総菜屋さんを見つけたが、先を急いで戻った(と思った時には)わからなくなってしまった。相当探してウロウロ長い散歩をしたが見つけられなかった。小さな店だが、外国のグルメツアーらしい7,8名のガイド付き団体や近所のホテルに泊まっているであろう中国人二人組がサンダル姿で駆け込んできた。残念。 日本のテレビ番組でも2度程見たシャポー(帽子)の店に行った。11時開店だが10:50にはすでに客が一人入っていた。頭のサイズを測ってもらいデザインを決め、リボンと小さな飾りリボンの色を決める。午後の3時には出来上がるという。紺色の帽子。リボンは水色。飾りリボンはピンクを選んだ。「相生マルシェ」に出店してくれるTさんの帽子の方が素敵かも、と思いつつ、雰囲気に流されて購入する。断る勇気に欠けている。旅は人の心を大きくする。そういや、ラファイエットで隣国の人が小学校高学年らしい娘にバーバリーのリュックを背負わせ、「ええやん、ええやん、それにしとき(雰囲気で日本語訳してみた)」と母親が言っている。いやいやあかんやろ。バーバリーのリュックは素敵だが、お嬢さんにはまだまだはやいですよ、おかあさん。ネット検索すると23万越え。違うことにお金を使ってあげて。いらんお世話やね。 スマホで「ヨシノリ」に迷うことなくたどり着いたのが12時10分前。案の定入れてもらえず、近くをウロウロ。「星の王子さま」の店があり、かわいいボーリングセットを買う。お土産だ。  「ヨシノリ」はとてもおいしく、特に野菜が美味しかった。イタリアもフランスも本当に野菜がおいしい。牛肉に付いてきたねぎに根っこが付いており、意外な発見をする。根がおいしい。日本に帰って試してみよう。昨日食べたパスタもズッキーニを薄くスライスしたものがたっぷり入っていた。いつも、5㎜くらいの厚みに切り、オリーブオイルで焼くかピカタか天ぷらにしていたので試してみよう。 日本人の客が私たちを入れて3組。フランス人のビジネスミーティングをしている人たちが6人。隣の人と話をした。男性はフランスに来て30年。どうやら画家か大学の先生。先月はモロッコに行っていたという。女性の方はフランスで結婚をして暮らしている。二人は日本の大学の同級生か。自分たちと友人の近況報告をしている。二人とも料理を褒め、フランス人と日本人はどちらが豊かな食生活を送っているかと話していた。聞くともなしに聞こえてくるのだ。私達には弾む会話がない。「道路をはさんだ前の店は混んでいる。」「地下にも席があった。」という会話くらいだろうか。私達は旅行客なので普段のフランス人の食生活はわからないけれど、農業国であるフランス。農業が盛んであれば当然牛や豚や羊、鳥もいる。日本も農業、農家はいびつな形で大切にされているが「豊かな食生活」といえるのかどうかわからない。もう、10年も前になるのだろうかOJTで認知症研修の際に一人暮らし、老老介護の人たちを中心に利用者の食生活についてのアンケートをとった。4,5人の人が朝食はインスタントコーヒーとパン。昼食は水とパンと言う人がいた。昼は別の物でも朝はコーヒーとパンだけと言う人は7,8人いた。主婦の昼ごはんはどうだろうか。インスタントラーメンやカップ麺だけ。お茶漬け、お湯漬けに佃煮という人もいるだろう。自分だけのために昼からきちんと食事を用意する人はいったい日本人の何割いるのだろうか。 美味しいランチを堪能し、あの美味しそうなお総菜屋さんを探すも見つからずホテルに帰る。 朝コーヒーカップが欠けていたのでポストイットでメモをつけていたのだが、替わっていなかった。書いたメモはなかったが、英語で書いたのでだめだったのかなと思っていたら、掃除のチェックに男性スタッフが来てくれたので、シャワー室に掃除用洗剤を忘れていることとコップを替えてほしいこと、サービスのコーヒーがないのでほしいことを伝える。これで明日の朝は美味しいコーヒーが部屋でいただける。トイレは座るたびに温かい便座が恋しい。 さぁ、モンマルトルに行こう。つれあいは妻の行きたい最後の場所に行くというノルマを達成できるのでほっとするのだ。おっと、帽子を取りに行ってお総菜屋さんを探さねば。 モンマルトルは少し治安に不安ありとガイドブックに載っている。以前モンマルトルの丘に行った時にはそう感じなかった。そういや、メトロに乗る女性のバッグはチャックがしまっているか口がわからないように垂れている。口が開いているバッグを持っている人には出くわさない。私がリュックを選ぶポイントは背中側にもポケットがあるかどうかだ。目的の生地屋の1階には無地やレースや美しいシルクがたくさん並ぶ。去年カンボジアで買った8mのシルクも手付かずなので、美しい柄に見とれ、気持ちのいいシルクを手に取りため息をつきつつ、2階に上がる。ネットでみたような独特なボタンを探す。ここでどうやら30分。つれあいは辛抱強く待つ。時々見えにくいボタンの値段を何ユーロか尋ねたら答えてくれる。ここでもつれあいは決して言わない。「そんなんこうてどうするん?」どうするわけでもない。陶器の食器はもう買わない。2度の地震で決めたのだ。美しいボタンを時々並べて他の人はどんな服にこのボタンを合わせたんだろうとか、これだったらこう使えるんじゃないかな、とボタン以外の使い方に思いをめぐらし、想像を膨らませるのが楽しいのだ。カトリーヌのボタンの使い方もとてもおしゃれだ。 いったんホテルに戻りトイレ休憩。10分ほど休みシャポーをもらいにメトロに乗る。まるで、小学校からずっと刷り込まれているような時間割だ。一つの目的が終わるとホテルに戻り10分ほど休憩し、次の行動に移る。 オーダーした帽子は素敵だが120€。「相生マルシェ」に出店してくれるTさんの帽子の方が日本人に合い4500円と安い。あの4500円の帽子がジャストフィットしていたらこんな無駄遣いをせずにすんだのにと、つれあいには言えず心の中で思う。3度目あのお総菜屋さんを探すが見つからなかった。二人の土地勘もたいしたことはない。出会いは別れで、逃した魚は大きく、隣の芝は美しい緑なのだ。5時頃ホテルに帰るためにメトロに乗った。いつになく混んでいる。そうだ。今日はサッカーのフランス対ベルギー戦なのだ。メトロも道路も浮足立っている。途中、スーパーで干したあんずを土産に買いホテルに帰り、ラファイエットに買い出しに出かける。ケーキのレジの店員が日本人で「今日は大変やね」と言うと「10時過ぎまでは大丈夫ですけれど、試合が終わってからは外に出ない方がいいですよ。」とアドバイス。メトロで2駅。混雑の息苦しさを我慢してホテルにたどり着く。シャワーを浴び、軽い夕食とケーキを食べ、私たちもサッカー観戦をした。ホテルの近所のバーやカフェも道路にまで人があふれ、クラクションが鳴る。ナイスプレーの度にウオーという音が響く。1点を死守した後は道路に人があふれ車はクラクションを鳴らし、バスには人がぐるりと取り囲み窓を皆が両手でどんどんたたく。ホテルの3階から見ているとアマガエルの手が並んでいるように見えた。まるで優勝したかのようだ。この騒ぎを子守歌代わりに眠りについた。毎朝時差ボケで3時ごろ目覚めていたが翌朝は4時半まで眠れた。塩味の効いたパンやバナナ、トマトとエスプレッソで朝食を摂る。8時ごろから1時間ほど散歩する。オペラまで歩きぐるっと回る。昨日の名残かいつもゴミいっぱいのパリの街がさらにゴミだらけになっていた。そう、パリがゴミだらけ。たばこの吸い殻やメトロのチケット(日本のように出るときはチケットが要らないので、その辺に捨てられているのだ)ガムの吐き出した黒い丸い跡。シンガポールはきれかったなぁ。ただ、歩きガムも禁止の徹底さと、常に掃除されている印象が強かった。フランスも掃除はされているのだが、掃除の仕方が日本やシンガポールとは違うのだ。そして、ごみを出す人のマナー。掃除の人の労働のためにごみを出しているのだろうか?初めてシャンゼリゼ通りを歩いた時に驚いた。「おーシャンゼリゼ~」などと舞ってはいられない。たばこの吸い殻が側溝に幾重にも重なり、まるでゴミ箱の中のたばこの吸い殻をまき散らしたかと思うほどの状態なのだ。あれからシャンゼリゼ通りは行っていない。今もあのフレーズが頭の中で鳴っている。パリっ子にとってはたばこの吸い殻の山も含めてのシャンゼリゼ通りだろうが、片道11時間半もかけて行く一日本人観光客にとってあの楽し気なフレーズの足元のたばこの吸い殻なんて蛇足そのものだ。

  • 19Jul
    • 平成30年7月6日 金曜日の画像

      平成30年7月6日 金曜日

       仕事から帰り、19時ごろにひつまぶしを食べていた。うなぎをさらえながら、のんびりと「あした、電車がとまるかもしれへんなぁ。」と、つれあいが言う。「ほな、今日から関空のホテルに泊まっとこか。」サラダもひつまぶしも食べ終わったころ「8時31分の電車に乗れたらええなぁ。」と、ちゃっちゃとホテルの予約と電車の時間を調べてくれていた。そこから、ドタバタ劇。おおかたの準備はできていたが、結局洗顔ソープと、クリアファイルとB5サイズのノートと街ブラ用のバッグ、帽子を忘れた。レインコートは二つ。靴も一足余分、服も選定できずに4セット余分に入っていた。まっ、いいか。 案の定、JRも京阪も朝から止まっており、バスと車のみが関空へ来る手段だったようだ。が、大雨もなんのその、関空は大勢の人でにぎわっていた。 自宅の瓦のずれや壁のひびやら、その他もろもろ・・・えいやっ!と来てしまったがやや後ろ髪をひかれる。さぁ、気持ちをリセットして旅を楽しもう。 フィレンツェ行きを待つシャルルドゴール空港はフランスがウルグアイに勝った喜びが地鳴りように響いていた。 飛行機で4本の映画を観てしまいフィレンツェに着いた頃には疲れきっていた。ホテルまでタクシーで25€。ホテルの着くと湯船につかり、洗濯をしてバタンキュー。 今回から旅のアイテムに果物ナイフと紙コップが加わった。B5サイズの半分くらいのまな板があれば便利だ。イタリアのパンは硬くておいしい。カットしていると木を切っているような気になるが、歯でかみ切れる。ナイフはマチュピチュで添乗員さんが果物を切るのに貸してくれた。プラスチックの物は持って行っていたが、やはりナイフの方が何かと便利だ。今回のパンもプラスチックでは切れていないだろう。 フィレンツェのホテルは駅から地下道を通って3分。地上を歩くと5,6分の所にある。古いホテル、旧市街地の古い建物は壊すことができない。石畳もローマ同様、ガタゴトで観光客はスムーズにスーツケースを動かせない。地下道は階段もあるが、スーツケースもひける緩い道もあり、そこを出ると目の前が宿泊ホテルというありがたい選択をつれあいはしてくれていた。ただ、地下道を通ったのは2日目の午後からで、朝の長い散歩からホテルへは危険な地上からホテルへと行き来していた。 空港からホテルに着きトイレに入るとすぐ、日本のトイレが恋しくなった。美しく白い陶器のトイレは冷たくて温水シャワーも出ない。便器の目の前にはヨーロッパならではの女性用の便器?があり、お湯と水の調整もでき、何やらその便器の上には液体の石鹸のような物も置いている。初日はわからず、洗濯のあと床を拭きながら捨ててしまった。おおよその想像はできるが、1回で使い切るものなのか、使い切れない場合はどうやって保管するのだろうかと考えあぐねる。あぁ、TOTOTさん、きっと何やら分厚い壁に阻まれ進出できないのね。こんなに便利なのに。 初日の朝食。眺めが最高。ハムも果物もチーズも卵もトマトもヨーグルトも豆も、もちろんコーヒーもぜーんぶ美味しい。ここの朝食が3回食べられる。幸せだ。パンも美味しいが、パンは一つ。おなかがいっぱいになるから。ペンネも4本。おなかがいっぱいになるから。初日は日本の新幹線のようなTRENITALLAでミラノへ。ウインドウショッピングを楽しみながらお目当てのショップへ行く。ヴィトンの前には20人ほどの人がショップに入るために待っていた。お目当てのショップで試着をしていると、3人の日本人親子が入ってきた。流暢な英語で女優のように華やかに入ってきた長女は北海道から。お母さんは東京。妹は高槻市から。たわいもない話をしていると、辛抱強く待つ、つれあいに話しかけてくれていた男性スタッフが「今日はジャパニーズデイだ。」と言っていた。チャイニーズデイの方が圧倒的に多いだろう。また、私が日本から持って来ていたうちわをくれ、とそのスタッフに言われていたようだ。センスを持っている人は時々見かけるがうちわを持っている人には会わなかった。帽子をかぶっている人は多いが、東洋人は折り畳み傘を日よけに使っている人をよく見かけた。サングラスは必須アイテムだ。昼食はドーモを横から見られる美術館のレストランに入る。スパゲッティを頼んだが、あとはパンと水。二人で7000円。場所代と割り切れば美味しく、良いロケーションだった。オープンの15分前からドアの前の椅子の腰掛けて待ち、一番乗りだったが、すでに予約済みらしく、室内で座れるところは2か所のみ。テラス席は空いているがたばこは嫌だし、日焼けもいや。料理が来る前に写真を撮り特別な角度からのドーモを堪能する。食事しながらドーモを横から眺める。非日常だ。チケットを求める長く盛り上がった列。ドーモに入るために炎天下に並ぶ列。をクーラーの効いたレストランから眺める。ドーモに入館することはやめる。街ブラに出かける。 日本にはない街並みを楽しみ、カフェで楽しそうに会話する人を見、いろんな国の人とすれ違い平和に感謝する。 17時20分発の電車でフィレンツェに帰るのだが、16時頃にお茶を飲もうということになり、ピザを食べることにした。マルガリータとチーズケーキを注文する。シェアしてくれて、大皿に1/2のピザに食らいつく。うまい!チーズケーキもシェア。ブラックベリー、ラズベリー、ブルーベリーがたっぷり添えられ、チーズケーキが隠れるくらいの真っ赤なソースがかけられている。このチーズケーキのドスンと腹にくる満腹満足感でこれがディナーになったことは間違いない。 トイレに入っている間につれあいが勘定を済ませてくれていた。わたしの席の前にお菓子が盛られていた。ボーイが「これ(レシート)はあなたに。これ(お菓子)はマダムに」と用意してくれたそうだ。先ほど買った1冊1500円のノートのセロハンにお菓子を入れ、持ち帰った。これも美味しく、のちにラファイエットで少し硬いが似たようなお菓子を見つけ、パリの二日間のごはん代わりとなりお土産にも3袋購入した。いつもならお礼に日本のお菓子を持ってくるのだが今回はエースコックのワンタンメン5食入りを二袋持って来ただけでこの親切にお返しをすることはできなかった。これはのちにピサの斜塔観光で使う。   メルシー。1500円のノート。プレゼントショップに入り、ノートを見つけたのだ。いつもB5サイズのノートをバッグに入れており、メモ代わりに使っているのだが、残り4ページほどでこの旅行で新しいノートを下したはずだがスーツケースにも手荷物バッグにも入っていなかった。関空ではメモ帳しか販売しておらず、絵柄がかわいかったので300円くらいかな、と思い買ってもらった。つれあいが「これでええんやな。」と念押しするので、「いい」と答える。店を出てからあのノートは11€(約1500円)やでと、言われる。「返しに行こうか。」「いい。」と言う会話3回。遺言でも書いておくためのノートにしよう。 こんなばかばかしいハプニングが後々の思い出になるのだ。「あんなことがあった。」「こんなことがあった。」とたわいもないおしゃべりが大事だ。もはや、いつ、どこに行ったかも思い出せないが、こんなことはすぐに思い出せる。でも高い。いつも使っているノートなら12冊は買える。帰りの列車はぎりぎり間に合い、私の後ろには私たちより10歳くらい上の日本人夫婦が乗っていた。夫と妻の会話はかみ合わないが妻はボーイと達者な英語で会話し、スーツケースも腰痛の夫の代わりに運んでいた。この列車はサービスのリンゴジュースがおすすめ。指定席を日本で取ってくれていたのでゆったりと乗れ、片道1.5時間の快適な時間を過ごせた。2回目の朝食時、昨日知り合った日本人にピサの斜塔はどうだったかと聞いた。「とてもよかったけれど、バスの空調が壊れていて暑かった。」と。ピサもフィレンツェからバスで1.5時間。駅で集合して14人の日本人ツアー。新婚旅行らしいカップル3組。女友達2組。私達と同じような年配のご夫婦は二人の旅に添乗員が一人付いていて、このピサだけがオプショナルツアー。贅沢な旅だ。ご主人が足の具合が悪いらしくピサには途中までしか上がらなかったそうだが、レモンのかき氷を一緒に食べ、木陰で流れる汗を落ち着かせた。バスガイドさんはよく通る声で、トスカーナの歴史や「ピノキオ」の発祥の地がここフィレンツェであること、「松」のことを「ピーノ」といい「ピノキオ」が松からできていることなどを説明してくれる。また、ガリレオガリレイの出身地であること。ガリレイがこの地で洗礼を受け、牧師になりたかったことなどを話してくれた。教科書に載っているガリレオの肖像画から若き日の彼を想像できるはずもなく、目の前に平がる、ひまわりの黄色い絨毯、オリーブ、パルプの木などを車窓から楽しむ。午前中は長い散歩を楽しんだ。「ぶらぶら」のはずが、だらだら散歩になり日曜日だというのに結構な観光客だ。たいていの観光客は日曜日を移動日に充てるのだが、どうしても仕事の都合で1日ずらしてもらった。1日前の出発なら飛行機が約9万円安かったそうだが。 前に二人でフィレンツェに来た時は橋の上は人でごった返し、両サイドにある貴金属を売る店のウィンドゥショッピングさえもままならなかったが、今回は道がこんなに広かったのか、とどちらからともなく声が出た。アンティークショップが並ぶ通りも歩き、絵葉書になりそうな景色を楽しみ、いったんホテルに帰る。10時からの行動の作戦会議兼トイレ休憩。そういや娘がフィレンツェを一望できる丘に行ってみたいと言っていたらしく、じゃぁ、そこに行こうということになり、検索する。「ミケランジェロの丘」だ。行きはタクシー、帰りは下りだから歩こうとつれあいが言う。(まさか!いやや)駅でタクシーを拾い丘に行く。素晴らしい眺めだ。テレビでよく見る「絵」だ。だが、丘の途中の高級住宅街も素晴らしかった。大きい門構え、アプローチ、邸宅。かなりの裕福層が住んでいるのだろう。テレビに映らない方の景色もよかった。緑の丘にまるで統一されたかのような色合いの家々は絵葉書にうってつけだ。日本人のカップルがウエディングフォトを撮っていた。挙式は来年の1月だそうだ。お幸せに。 私たちのようにタクシーで丘に上がってきた人が下りるタクシーに乗り、駅に戻る。途中、ホテルを通過するも悲しいかな言葉の壁があり説明できず。観光客の多くは1日いくらという乗り放題チケットを持ち、バスを待っていた。京都と同じだ。若けりゃ私たちも美しいフィレンツェを眺めながら皮膚を焦がし、たわいもない話を楽しめただろうがもう、いいんです。会話がないのです。これを熟年夫婦と呼ぶのか倦怠期というのか普通というのかわたしにはわかりません。弾む会話はちょっとした事件や事故だけ。カーテンが変わろうが髪を切ろうがメガネが変わっても気づきません。「何か変わってない?」と、聞かれた時にゃ「家」だというのに全神経を集中させ、髪型、メガネ、ネクタイ、ワイシャツに目をやるのです。そして、質問の答えが合っておればほっと胸をなでおろすのです。お互いに。フィレンツェの街はドーモが大きく映り、街並みと一体化して美しくその威厳を静かに強調している。 トイレ休憩後にホテルのフロントで、観光本に載っていたお肉の店を予約してもらおうとした。日曜日に営業マークがついていたのだが、2回電話を入れてもらったが不通。とにかく行ってみたが、閉店していた。しゃあない。こんなこともある。今風のこじゃれた店に入る。1kgのTボーンを頼む。前と同じ失敗を繰り返さないように、他には何も頼まない。初めにパンが出てきたが、夫は食べず、私は塩味のパンを1枚食べた。Tボーンにはフライドポテトとサラダが付いてきたが、ひたすら肉を食べる。余力でポテトを食べるのだ。美味しいのだが腹9分目にしておかないと、旅は続くのだ。フィレンツェのサラダにはドレッシングはかかっていない。オリーブオイル、塩、コショウ、酢(この店はバルサミコ酢ではなく黒酢のようなものだった)のセットが出てくる。午後の観光のピサのガイドさんが言うにはマヨネーズなんてとんでもない。フィレンツェの人たちは添加物を嫌いこの4点のみが出てくるのだと。たらこスパゲッティも日本の物だ、と。本場の物がその国でアレンジされてその国の人の口に合うように進化するが、本場の国の人はそれを邪道とし、首を横に振る。寿司も同じだ。いくらそれを日本人がおかしいと言ってもどうにもならない。私達は幸せなことに何を食べても美味しくいただける。万歳!健康。 肉を待つ間、つれあいがハエを払って水の瓶を割ってしまった。ハエはたいていのレストランで1匹はいる。我が家に蚊がいるように。 午後は、オプショナルツアーのピサの斜塔。斜塔への持ち込みは水、傘、カメラ等写真を撮るものの3点のみが認められているそうだ。財布やパスポートは手に持ち、セキュリティチェックを受ける。袋物や首から袋を下げてパスポートを入れているのは日本人くらいだそうだ。袋物やジュースは認められておらず、つれあいがベルトに付けているパスポート入れもパスしないかもしれないと、添乗員さんが預かるために待機してくれた。 いろんな色の大理石はローマの古代遺跡から拝借したようだ。らせん階段を一気に登った。斜塔の傾きに、傾く体を、片手を壁に当てながらバランスをとった。上にはドレミファソラシドの7色の音色の鐘がかかっている。風が心地よい。そこには、皮パンツを着こなした美しい女性が長い間足を休めていた。私達が1階のベンチで休んでいたら先ほどの美しい女性が靴を履きだした。なんと、驚くことなかれレディガガもおったまびっくりするようなヒールの靴だ。彼女はそれで斜塔を上がったのだろうか。8㎝くらいの厚底に20㎝くらいのヒールだ。パートナーより背が高くなっている。そんなにおめかしして斜塔に来なくてもいいのに。 斜塔の入場は15分ごとに45~50人。斜塔に来ても中に入れる人はごくわずかなのだそうだ。そんなラッキーな日に摩滅した大理石、しかも傾いているのにヒールとはがんばるね。 翌日はパリに移動。日本時間は夜中。まだ、体が慣れていない。ホテルで昼食を摂り、お目当てのパッサージュを目指す。パリではカトリーヌアンドレのお店に行くことと、モンマルトルの生地街を散策するのだ。前回は日曜日でカトリーヌのお店は閉まっていた。素敵なパッサージュの一角にそれはあり、フランスのニット会の理事も務めるという(三ノ宮のセレクトショップ、チェックローズのお兄さん談)。派手さはないが、色遣いがすばらしく、さし色で別の作品を作り、あれを買った人なら、これが合うと、日本の客の服のセレクトまでしてくれる。私は彼女の1ファンなのだ。なので、パリに着いて昼食後(泊まったホテルの昼食が有名だったので)一番に出向いたのだ。 あーでもない、こーでもないと、着せ替え人間は、店内で辛抱強く待つつれあいのことを忘れ、ひたすらカトリーヌの色の魔法を楽しんだのだ。セール品と秋冬物を購入した。ホテルに着いたらまた一人ファッションショーをしよう。うふふ。つれあいも30年も一緒に暮らすと妻にどう言えば噛みつかれないか、不機嫌にしないか、微笑んでもらえるか、コツをつかむのだ。「どっちの色が似合う?」「どっちも素敵や。」「どっちの色がいい?」「どっちも素敵や。あとは君が好きな方を選び。こしらえた料理は、「おいしい?」「うん。おいしい。」とりあえず「おいしい」と答えるのだ。本当においしい料理は「ホンマにおいしい。」と言ってくれる。「塩味が濃い」とか「もうちょっと醤油が入っていたら」などとコメントをつけようものなら「おやすみ」まで会話はない。彼も学習をしたのだ。そして、「ごちそうさま、おいしかった。ありがとう。」は「おはよう。」と同義語なのだ。もちろん、夫の作ってくれた料理も同じ言葉で返す。 買い物をホテルに置き、トイレ休憩をし、ラファイエット(デパートの名前)に出かける。2駅ほどなので歩いていく。お目当てはパテ。生ハム、パテ、トマト、バナナ、水を夜食と朝食のために買う。ホテルにはカプチーノ(マシン)と水が付いていたがミルクがないのでコーヒーフレッシュも買う。ラファイエットもセールでフランス人より圧倒的に中国人が多いのではないかと思われた。すれ違う8割の人がギャラリーラファイエットかH&Mの紙袋を持っている。カプチーノは明日の朝食にとっておく。温かいコーヒーを買うためにマクドナルドに寄るがタッチパネルが使いこなせない。あきらめて、隣のスターバックスでカフェラテを買う。歩いていると結構小さなスーパーがあり、明日は寄ってみようと話す。途中ホテルの帰り道がわからなくなり4駅分くらい歩く。長い散歩だ。スマホもタブレットも観光本も持たずに出てきたがホテルの名刺をポケットに入れており、聞く人ごとに親切に教えてくれた。お腹はすかない。 シャワーを浴びて夜食を食べ、この旅初めてのテレビを点ける。英語のチャンネルに合わせると倉敷と呉の画像が流れる。ボーとしていると同じ画像が3回繰り返されていた。ハイチの暴動、列車事故等。夜の8時49分。外は日中のように明るく、カンカン照り。この明るさでフランスのお母さんはどうやって子供を寝かしつけるんだろう。

  • 16Apr
    • たこパーを終えた日曜日

       日曜日の昼、たこパー(たこやきパーティ 注;ドレスアップの必要はない)の準備を任せて机に向かう。視力1.2だが、老眼鏡が活躍する。コピーを取りに行こうと立ち上がると、いすに座った姿勢のまま歩いているような感じだ。5,6メートルほど歩くとやっと背中と腰と膝が伸びてきて「人類」となる。たこパーの手伝いをしてくれた相生の住民さんを横目につまみ食いをする。ハヒハヒ熱い。お手伝いと観客6人組に配膳をすると徐々に皆さんが食堂に下りてくる。んー何しにこっちに来たんだっけ?そうそうデリケートなコピーを取りに来たんだっけ。 金さん銀さんの娘さんが100歳と94歳になるそうで、新聞の一面を使った広告が出ているのを見て、「私も載るかしらぁ」と、Hさん。「115歳まで生きたら載るかも。しわ取っとかなねぇ。」「そしたら、毎晩クリーム塗っとこかぁ。」Mさん、「クリームは全部布団についてしまうわぁ」あっはっはっはっは。日常のたわいもない話。その後も続く。 「頃合いのええとこであの世に行かな、若いもんに迷惑かかるなぁ」 「頃合いのええとこ、はよ来てくれへんかなぁ」 「まだみたいやなぁ」 自分でできにくいことが一つ一つ増えていく。自分でできないことが一つ一つ増えていく。みじめで孤独。迷惑をかけて申し訳ない、と何度も言う。ええねんよ、気にしなくても、次第送りやから。 二度目のマチュピチュに行ってきた。クスコはリベンジどころか撃沈だった。瑞風の旅にも行けた。下関の温泉の湯はとろっとろで、コラーゲンにつかっているようだった。 バレンタインデーは忘れていたが、ホワイトデーのプレゼントをしてくれるとつれあいが言う。そのデートの途中で共通の知り合いの訃報が来た。亡くなられてすでに1週間。元気なうちにいろいろな所へ行こう、とつれあいが言う。 日曜日の昼下がり、たこパーの片づけを任せて机に向かう。米田さんも仕事をすることがあるんや、とばかりにいろんな人が入れ替わり立ち代わり何かしら言いに来てくれる。3時には終わろう、と目標を立て、3時半に終える。今日はここまで。でも、しなくてはいけないことが山盛りてんこ盛り残っている。明日は8時から床の張替だそうなので、荷物を移動させる。 そうだ、神戸に行こう。元町に着いたのが夕方5時頃。バーカウンターを探している。マルシェでいいのを見つけたが300万越え。フ~っ。途中ミカンジュースを一気飲みし、また歩く。次は相生の雑貨を探す。壊れるが陶器が好きだ。雑貨との出会いは自己満足だが、その良さを見つけてくれて共感してくれる人との出会いはうれしい。 木曜日に届くという。箱を開けるのが楽しみだ。どこに飾ろうか。もちろん、イメージしながら買っている。イメージできるから買うのだ。 帰りぎわ、たこ焼きとおにぎりのエネルギーが切れ、クロワッサン生地の鯛焼きをほおばる。内臓に染み渡る。幸せだ。2018年3月18日

  • 26Oct
    • 2017/10/23 旅の疲れの画像

      2017/10/23 旅の疲れ

      2017/10/23 旅の疲れ 10月に三朝温泉に行ってきた。有馬温泉のお湯より好きかも。 あいにくの雨で目的の投げ入れ堂には行けなかった。 そもそも、私は過酷な山道を人生で一番若く、足もまだ動く今、登って、下からお堂を見上げたかったのだが、つれあいは山のふもとから小さく見えるお堂を眺めるものだと思っており、「いつでも行けるやん。」と、えらい気軽に思っていたようだ。 昼ご飯はあらかじめ、つれあいがネットランキングで調べた上位の「鯛喜(たいき)」をめざした。「牛に引かれて善光寺参り」のごとく鳥取砂丘を見ることができた。白いワンピースに麦わら帽子、手には花かごにあふれんばかりの花。そういう妄想はできるが、どうも砂浜で駆けるのはまっぴらごめんだ。映画のようなワンシーンより、砂をはらったり、砂がまとわりついて、いつまでも靴の中がじゃりじゃりするのが容易に想像できてしまうのだ。学生時代、よく須磨海岸に行ったので。 「鯛喜」は予約でいっぱいで入れなかった。が、ここでつれあいを攻めてはいけない。せっかくの旅が台無しになる。20世紀梨を4個500円で売る、その隣の店で2袋購入し、おいしい魚が食べられる処はないかと聞き、またカーナビで来た道を20分ほど帰る。昼食の後は、すなば珈琲にも寄り、おいしいコーヒーをいただく。雨は冷たい。 翌日は、ここまで来たら出雲大社やろ、というつれあいに従い、何の予備知識もなく、タブレットのカーナビに任せる。私は石見銀山にある「群言堂」というお店に行きたかったのだ。阪急梅田にもある、その店は新婚の頃、地図を見ながら、した道をえんえんと走り、行きついたブラハウスという店がバージョンアップした店なのだ。その店で買ったお気に入りのコーヒーカップは10年以上大切に使っていたが、阪神淡路大震災で5客のうち4客が粉々に割れてしまった。残りの1客は取っ手が取れたのを金継ぎしてもらい大切に使っていたが1年後に使えなくなってしまった。 古民家再生で胸ときめく建物だった。石見銀山に移っても素敵なので前から行ってみたかったのだ。出雲神社から2.5時間。さびしいところだろうとタカをくくっていたが、なんの、なんの観光客であふれていた。狭く、さびれたその集落は昭和のおもむき濃く、幼いおかっぱ頭の私がそこに居り、遊んでいるような、そんな気になった。  「車での旅はもう、いやや。」とつれあいに言った。「行っても1.5時間くらいまでや」1.5時間は、一気に行ける距離なのだ。お互いに年を重ね、隣でおちおち眠っていられないのだ。互いに好きな音楽を事前に用意するようなわけでもなく、ラジオ任せの旅は山間部では聞き取れないし、はずむ会話はほぼ皆無。運転を任せてつれあいが眠ってしまったらどうしよう、という気遣いは今回が初めて。当の本人は長距離を走り、「リッターなんぼや」と感動していたが、私はあの時、ぐっと寝たかった。 今後は旅の話を共有するにも、その道中は車窓から見える景色に堪能したら、目をつむり、体と頭を休められるような旅をしたい。すくなくとも、現役で働いている間は。