平成30年 五山の送り火

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 久しぶりの「おまねき」に呼ばれる。

 

 五山の送り火の左大文字が3階の窓から見えるという仲間の家に18時集合。20時の点火まで食事をし、送り火を観ることとなった。「なぎなた」というキーワードでつながる仲間3人が集まり「からふね屋」で人生初の「静かにしてください。」と、注意されたオバタリアンメンバーだ。一人が話すと、別の人がその話を奪い、語りだし、話が終結しない。しゃべり、食べ、しゃべり、飲み、しゃべり、大笑いし、しゃべり、感嘆する。なんと忙しく、騒がしく、楽しい。そこには「遠慮」「装い」という概念はなく本音でばかばかしくどうでもいい話で中途半端に盛り上がる。オバタリアンなので、ニュースや記事でかいつまんだ情報はあいまいで、覚えられず「あのほら、あれ」でまかり通り「あぁ、あれな。」と他者に通じる。

 

 私たちが(私は右ひざの故障で平成30年6月に退会したが)「先輩」と呼んでいる人は70代、80代の人たちで、お稽古ではないとき---新年会や祇園祭にご一緒したとき---に、若かりし頃のいろいろな話を聞かせてくれる。「先輩」たちは決して自ら語ることはなく、私たち「後輩」(といっても50代、60代、70代だが)がそれこそ根掘り葉掘り聞きだすのだ。そして「からふね屋」のつまみにし、「静かにしてください」と、注意されるのだ。

 

 大阪の呉服屋から京都の呉服屋に嫁いだT先輩は、京都の姑さんにから「何もできない」としかられ、いびられた。姑さんは大阪の実家に電話をかけた(当時電話があったことにも驚く)。電話に出たのはお母さんではなく、おばあさんだった。おばあさんは姑の愚痴を最後まで聞き「うちはあの子をまっさらでお宅にやりました。どーぞ、まっさらでっさかい、お宅の色に染めてやっておくれやす。」と言われたそうだ。「姑にしたらアランドロンのように見目麗しいわが子の嫁に、チンクシャなこの子をもらってやったんやさかいという気もあったろうしなぁ」と遠くを見る先輩はアランドロンに似たご主人を思い出したのだろうか、姑を思い出したのだろうか。でも、オバタリアンの視点はそこではない。実のお母さんやったら平謝りやろなぁ。おばあさんやからあんな対応ができたんやろうなぁ、と。老舗百貨店の近くに広い土地を持つこの先輩のお宅訪問を願うオバタリアンだが、「つぶす前の家やったら、ええもんもぎょうさんあったけれども、みな骨董屋さんが持って帰らはった。今の家は今風やさかいみるとこおへんで」と言われ「いつでもどうぞ」という言葉とパラレル(平行)して「京のお茶漬け」を連想する。行っては迷惑なんだろう。きっと。

 

 「家を探している」と言えば「どんなとこ?」と聞かれ「駅チカか、今から運転免許証を返納するまでの間、畑ができるようなところがいいかなぁ」と言うと、「畑もしていたけれどさぁ、キュウリもいっぺんにできて半分捨ててしまわんなんし、草引きが大変よ」と言われる。確かに。でも「ブルーベリーを育てたいんよ。」と言えば「ブルーベリーは目に何の効用もないらしいよ」から「私の友人の娘さんが離婚して山買って、ブルーベリー育ててるわ」と、話はあらぬ方向へ進んでいく。

 

 3人とも終活を意識している。好きなものに囲まれて過ごす日常生活を望み、死後は野となれ山となれ、だ。

 

 私は涼しくなったら、娘に嫁入りの時に母にこしらえてもらった着物を引き継ぎ、和ダンスを処分する予定だ。その次は洋ダンスを処分する。母には申し訳ないがタンスはクローゼットに。観音開きの建具は引き出しに。2度の地震から私が学んだこと。陶器はちょっとしたことで壊れ、もののあわれは日常にあるのだ。

 

 左大文字の美しさに見とれ、ご主人が用意してくれた望遠鏡を通し、その周りで作業する多くの人に感謝した。

 

 平成30年8月17日

 

 この日から、風も日差しも「秋」になった。公園の虫は涼し気に羽音をたて、セミは静かだ。