2月と3月はあっという間に過ぎていった。2月に2連休を取り、H交通社がすすめる「イチオシ!」「人気ナンバー1!」というツアーに参加した。カニを楽しみに行ったのだが、一匹出たのがゴムのような食感だった。されど、「カニ、カニ」と思い途中での買い食いを少々我慢し、空腹だったのでゴムカニを食べる羽目になってしまった。
料理長かツアーコンダクターに「これ、食べてみて。」と残しておけばよかった。
 中居頭が給仕に来てくれた時に、「苦情は出ていませんか?これはいつ湯がいたのですか?」と、聞いた。「苦情は出ていない。昨日の朝ゆがいた。」という回答を持ってきた。今朝、ゆがいたのではないのだ。いちいちつっこむのもなぁと思い、関西人の誇りを捨て、ため息をついたのだ。このツアーを選んだ私たちが悪いのだ。焼きガニもゆがいたカニが出てきた(普通、ナマカニとちゃうん)。それも捨てるような身が申し訳なさそうに乗っかっていた。たいそうな思い出ができた(ポジティブに考えよう)。

ツアーはやめよう。私たちには合わない。

4月に東北に行ってきた。星野リゾートに泊まった。「青森屋」と「界 津軽」の2泊だ。やたらフキノトウが咲いていたのが印象的だった。「摘みたい」と言ったが「やめて」と、言われた。「やはり野に置け蓮華草」なのだ。

最近、つれあいが「もぅ、知らんやん。」と、私の質問に答える。きっと疲れてるんやわ。私に対するスマートな対応ができないほど。なので、『「もぅ、知らんやん。」言うたらわたし、プチ家出するわ』と伝えておいた。
ようできた旦那やと思うけれど、もうひと踏ん張りや。お互い。(墓場までの道のりのことです)

5月の連休にかねてから行ってみたかった舞子の移情閣(孫文記念館)に行ってきた。学生時代からなので40年近くも「行ってみたい」で終わっていたところに、行けた。その時代に生きた人の思いや生活、確固たる意志。そんな思いに包まれ、大きな時代のうねに翻弄された人々の、その人生がすでに終わっており、今に自分が生き、そして子や孫の時代になり、私を覚えてくれていた人もいつかは亡くなる。建物は残り、明石大橋も修繕を加えながら次の世代に引き継がれ、播磨灘ではあなごが獲れ、明石焼きもおつゆに三つ葉がアクセントに入っていることだろう。舞子や塩屋に残る異人館も大切に後世に引き継がれ、「赤い靴はいていた女の子」の歌も口ずさんでくれるだろう。


年々、自分の終活のことを思うが、捨てられないものは捨てられないのだ。バザーに出そうと思っている薄手のジャケットを80歳の私が来ていることが容易に想像できる。物は減るが増えもする。いつか女の子の孫ができたら来てくれるのではないか。いつか嫁ができたら「おかあさん、これ貸してください。」「いいよ、あげるわ。10万してん。大事に着てな。」と言ってみたい。そんな日が来ることをいつも夢みてる。いや懇願している。うーん、妄想している。妄想は自由でタダで、誰にも迷惑をかけない。

なので、捨てられない。収納できているんだからいいだろう。スカスカの家もなんだかねぇと、自分で肯定している。

5月もあと10日。6月になったらあと半月でまた正月。ものすごいスピードで年を重ねている。

さて、どう、生きる。