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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【福井市側】より続く。

 

 

 

鯖江市側に回る際に、当然のごとく新トンネルを通ることになったが

こーんな快走路(笑)。

 

遠くに見える新トンネル、旧トンネルはあの直上奥あたりに開口していた。

 

 

 

 

 

で、これが

新トンネル。さすがに立派ですな。

 

 

 

 

 

銘板によると、

2013年10月完成となっている。

 

通常、完成して即供用ってわけではないことを考えれば、旧道はまだ一線を退いて一年も経ってなかったと思う。

 

ところで、「戸口」かあ。戸「の」口じゃないのね。

 

 

 

 

 

で、回ってきました、

鯖江市側に。場所コチラ

 

こっちにはいいものがあった。左側にあるやつ。

 

 

 

 

 

それは、竣工記念碑。

見るからに、古そう「じゃない」ですな。

 

 

 

 

 

恐れ入りますが…

各自、お読みいただいて…(笑)。

 

これを見ると、「昭和二十四年に幅員四米の道路に改良された」旧々道があったみたいですな。

 

 

 

 

 

で、記念碑の背面には、工事銘板があった。

昭和四十一年四月の竣工とのこと。その割にこの工事銘板だけは古色蒼然としてるなあ…。

 

 

 

 

 

さて、隧道鯖江側は、

スノーシェッドの奥に。

 

 

 

 

 

こんな感じですな。

ローアングルには特に意味ないけど。

 

 

 

 

 

シェッド左側からポータルを見に行こうとして、

めんどくさそうで、やめ(笑)。

 

 

 

 

 

ならば右側から…

…って、結局ポータルは撮ってなかった。代わりに撮ってたのはこんなベッコリ(笑)。

 

 

 

 

 

結局行かなかったんかな、ポータルまでは。

もうよく覚えてない(笑)。

 

 

 

 

 

なんであんな遠くに停めたんだっけ…と考えて、思い出した。

確か、ハンターカブに乗った先客が竣工記念碑らへんおられたので、あそこに停めたんだった。

 

なんか追っ払ったみたいで申し訳なかったな~。

 

 

 

 

…という変な追憶で終わるっていう(笑)。

 

 

2015年5月1日、能登遠征最終日…とはいえこの日はすでに能登は脱出済み。つうわけでこの日のネタで記事にしているのは、高見隧道あやとり橋鳴鹿大堰魚道見学橋愛宕トンネル

 

今宵ご紹介するのは愛宕トンネルから45分後、帰りがけの通りすがりにさくっと通ろう、っていう軽いノリでやってきた物件なのだが…

 

 

 

あら?あららら?

「この先トンネル通行止」?

 

わたくし全然知らなかったのだが、いつの間にやら新トンネルができていて、現役を退いてしまっていたらしい。塞がれてしまったのか?

 

 

 

 

 

果たして、300mほど進んだところで

通行止めの柵が…現れたが、なぜか左端のが外してある。これは…罠か?(笑)

 

もちろんお誘いに乗っかった。特に進入をとがめるものもないし、行けるとこまではツッコミたい。

 

 

 

 

 

およよ…案外進めてる。

この感じならば、隧道まで行けそう?

 

 

 

 

 

あーなるほど、

このパターンね(笑)。

 

もうすぐそこに隧道が見えているが、この場所でガッツリと通行止め。いや、ここまで来れたら十分だ。ありがたや。

 

 

 

 

 

車を停め、徒歩で接近・正対。現在地コチラ

古びて殺風景なコンクリート隧道。それ以上でも以下でもない。ただ、狭いなやっぱり。このスペックだと、それなりの通行量がある県道のトンネルとしては厳しかったのだろう。

 

真新しい金属フェンスが設置されていたが、一応扉になっていて、出入りできるようにはなっていた。もしかして再利用の計画があったのかもしれない。なにぶん5年半も前のことなので現状は不明だが。福井県にありがちなひどい封鎖方法(コンクリ充填完封)とか、今どきはしないと思うんだけども…。

 

 

 

 

 

スパンドレルには高さ制限3.8mの標識。

大型車には確かにイヤな隧道だったと思うな~。

 

 

 

 

 

こちら扁額。

右書きで「戸の口隧道」。左端には揮毫者として「福井県知事 北栄造」とあった。

 

北知事は、ウィキ先生によると1959(昭和34)年4月から二期八年その職を務めていたようだ。ちなみにこの隧道の完成は…まあそれは次回にしよう。

 

 

 

 

 

もうひとつ、こんな表示も。

なかなか気の抜けない隧道だったでしょうな~。

 

 

 

 

 

このとおり、

けっこうな長さだし。

 

 

 

 

 

しかも、

中央付近にサミットがあるみたいで、見通し的にもシビアだしで。

 

しかしまあこれ、閉じられてまだすぐだったんじゃないだろうか。洞内にもまだ廃感は皆無で、ノーメンテでいつでも使えそうな状態だった。自分史上もっとも「ホヤホヤ」だったかも。

 

 

 

 

 

金属フェンスは簡単に越えられそうだったけど、

そんな無粋なことはいたしませんでした(笑)。

 

 

 

 

 

こうなるともちろん反対側も見に行きたい。

 

が…その前に。

思い立ちまして、久しぶりのお遊びを。

 

 

 

 

 

誰も来ないのをいいことに、

ギリギリ遊びをですね~(笑)。

 

 

 

 

 

戸の口隧道福井市側に別れを告げ、

反対側に参りましょう~。

 

 

 

 

【鯖江市側】に続く。

 

 

2016年4月8日、当時龍頭さんにメールにて教えていただいた情報に、いてもたってもいられず見に行った。仕事を半休して(笑)。

 

ちなみに当時いただいた情報にあったもう一つの物件もこの9日後に見に行き、そっちは早々に記事にした。花脊大布施の石アーチ橋がそれで、自分的に慣れ親しんだ場所にあったのに全然気づいてなかったという衝撃が大きくて思わず速攻で記事にしたが、今回の物件はずっと記事にしそびれていたもの。

 

 

 

京阪の淀駅から徒歩にて。古道の雰囲気を醸すいい感じのこの道、鳥羽街道という。

 

これを進んでいくと…

見えてきた。アレだ~。

 

 

 

 

 

ハイ、到着いたしました!

おお、これもまた醸してる!事前情報なしだったとしても、間違いなく立ち止まってるだろう。場所はコチラ

 

 

 

 

 

お名前は、

「五番ノ橋」。

 

 

 

 

 

左側の親柱には

お誕生日だが…えー、読みにくいですな。読みやすいのは後ほど御覧に入れますんで。

 

 

 

 

 

サイドから。

おおお、イイですな~!

 

 

 

 

 

引きでのサイドアングルで、全貌を。

そう、石アーチ橋!

 

龍頭さんからいただいたメールそのものは残念ながら見つけられないのだが、確か「石アーチ橋がある」と教えていただいたんだっけ?

 

京都市内にいくつかの石アーチがあることは承知していたが、すでにそれらは軒並み押さえたと思ってただけに、この時教えていただいた二橋は衝撃だったな~。

 

 

 

 

 

ズームで。

遠望だが、壁石・輪石ともにしっかりしているようだ。仕事帰りだったので、下に降りられるような服装でなかったのが残念。

 

 

 

 

 

高欄はこんな感じ。

石材の形を見るにつけ、これはどうも補修が入っているような?

 

視覚情報的には、もとは開口部があったっぽいが、束柱が破損したためかコンクリで充填されたものと思われる。

 

 

 

 

 

北側より。

手前の袖高欄的な石材も気になる。これオリジナルなのだろうか?

 

 

 

 

 

たぶんオリジナルなのだろう。なぜなら、

下に袖高欄の石材が配置されることを踏まえてか、橋名が上に詰めて刻まれているから。

 

そういう理由でしょ、これは。知らんけど。

 

 

 

 

 

そして改めて、お誕生日。

「明治四十五年六月」。

 

先述の京都市内の石アーチ橋、全然記事にできていないのだが、伏水街道第三橋・第四橋、堀川第一橋(明治6年)、堀川第二橋(明治7年)、万世橋(明治27年改造)、京都市内を少し外れて亀岡市にはなるが王子橋(明治17年)などいずれも現役で、土木学会選近代土木遺産に認定されている。翻って、この五番ノ橋は…。

 

同時に教えていただいた花脊大布施の石アーチ橋(旧・京路橋)の完成年は不明なものの、明治以前である可能性はかなり高いと思う。なのにいずれも上記の橋たちとはうらはらに、土木学会からはスルーされている。わたくしみたいな素人には、その理由はわからない。

 

まあ…個人的には、そういうお墨付きから漏れている物件のほうに、より思い入れを感じる。ヘンコなもので…(笑)。

 

 

 

 

 

下流側の高欄。

何かの掲示が貼られているが、写真を撮ってないってことは興味を惹く内容ではなかったんだろう…と思いたい(現在見られるストビューは2021年3月で、掲示はすでにない)

 

で、向こうにも「穴」が見えますな。

 

 

 

 

 

こんな穴。お名前は「五番樋門」という。

この近辺にはかつて「一番町」から「九番町」までの町名があったそうで、それに由来する「五番」なのだそう。

 

この土手の向こうは桂川。宇治川、木津川と合流して淀川と名前を変えるのは、もう3kmほど下流のことだ。

 

 

 

 

 

最後は、その桂川土手より望む五番ノ橋。

生活感あふれる光景の中の明治石アーチ橋、イイね!

 

 

 

 

 

ズームで〆。

期せずして菜の花が写り込み、文字通り花を添えてくれた。

 

 

 

以上。

 

 

2012年2月18日、神奈川県中部~北部徘徊。この日のネタで記事にしてるのは、最初に訪れた天神森隧道山神隧道清川村の未成村道若柳トンネル三井大橋&三井そよかぜ橋。今宵のネタは、清川村の未成道の40分ほど後に訪ねた物件。小ネタであります。

 

 

 

この時は厳しい寒波がやってきていて、

神奈川県でさえもこの状態。

 

そういえば本日から全国的に非常な寒波が居座るそうですな。皆様重々ご注意を…。

 

 

 

 

 

つうわけで今宵のネタ、奥野隧道。現在地はコチラ

ここまでの二枚の写真でわかるように、土被りは撮っても薄い。地形的には、ほぼ洞門(シェッド)と呼んでもおかしくないレベル。

 

 

 

 

 

銘板と…

 

 

 

扁額。

 

 

 

 

 

抜けて、南側より。

こっちからだと少々土被りが確認できるが、ここってもしかしてもともとはもっと短い隧道だったんだろうか?銘板にあった昭和58年に改築されたとか?

 

切り通しであったなら、こういう隧道にはならないように思う。ボックスカルバートを置いて土を被せりゃいいだけなのだから。まあ…知らんけど。無責任って、いいよねー(笑)。

 

 

 

 

聖なる夜にこんなネタとか。まあ、ホワイトクリスマスになりそうなので、それにちなんでってことで。

 

 

 

 

以上~。

 

 

 

今宵は一発ネタ。クリスマスイブにふさわしいものを(ウソ

 

 

ミリンダ。

 

 

オレンジとか飲んだことはあったはずやけど、もはや味は覚えていない。ウィキ先生によると日本発売は1964年だそうだが、いつごろまで売ってたっけなあ。

 

 

 

 

2011年12月25日、掛川市某所探索にて。