2015年5月1日、能登遠征最終日…とはいえこの日はすでに能登は脱出済み。つうわけでこの日のネタで記事にしているのは、高見隧道、あやとり橋、鳴鹿大堰魚道見学橋、愛宕トンネル。
今宵ご紹介するのは愛宕トンネルから45分後、帰りがけの通りすがりにさくっと通ろう、っていう軽いノリでやってきた物件なのだが…
あら?あららら?
「この先トンネル通行止」?
わたくし全然知らなかったのだが、いつの間にやら新トンネルができていて、現役を退いてしまっていたらしい。塞がれてしまったのか?
果たして、300mほど進んだところで
通行止めの柵が…現れたが、なぜか左端のが外してある。これは…罠か?(笑)
もちろんお誘いに乗っかった。特に進入をとがめるものもないし、行けるとこまではツッコミたい。
およよ…案外進めてる。
この感じならば、隧道まで行けそう?
あーなるほど、
このパターンね(笑)。
もうすぐそこに隧道が見えているが、この場所でガッツリと通行止め。いや、ここまで来れたら十分だ。ありがたや。
車を停め、徒歩で接近・正対。現在地コチラ。
古びて殺風景なコンクリート隧道。それ以上でも以下でもない。ただ、狭いなやっぱり。このスペックだと、それなりの通行量がある県道のトンネルとしては厳しかったのだろう。
真新しい金属フェンスが設置されていたが、一応扉になっていて、出入りできるようにはなっていた。もしかして再利用の計画があったのかもしれない。なにぶん5年半も前のことなので現状は不明だが。福井県にありがちなひどい封鎖方法(コンクリ充填完封)とか、今どきはしないと思うんだけども…。
スパンドレルには高さ制限3.8mの標識。
大型車には確かにイヤな隧道だったと思うな~。
こちら扁額。
右書きで「戸の口隧道」。左端には揮毫者として「福井県知事 北栄造」とあった。
北知事は、ウィキ先生によると1959(昭和34)年4月から二期八年その職を務めていたようだ。ちなみにこの隧道の完成は…まあそれは次回にしよう。
もうひとつ、こんな表示も。
なかなか気の抜けない隧道だったでしょうな~。
このとおり、
けっこうな長さだし。
しかも、
中央付近にサミットがあるみたいで、見通し的にもシビアだしで。
しかしまあこれ、閉じられてまだすぐだったんじゃないだろうか。洞内にもまだ廃感は皆無で、ノーメンテでいつでも使えそうな状態だった。自分史上もっとも「ホヤホヤ」だったかも。
金属フェンスは簡単に越えられそうだったけど、
そんな無粋なことはいたしませんでした(笑)。
こうなるともちろん反対側も見に行きたい。
が…その前に。
思い立ちまして、久しぶりのお遊びを。
誰も来ないのをいいことに、
ギリギリ遊びをですね~(笑)。
戸の口隧道福井市側に別れを告げ、
反対側に参りましょう~。
【鯖江市側】に続く。