五番ノ橋 (京都市伏見区納所町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2016年4月8日、当時龍頭さんにメールにて教えていただいた情報に、いてもたってもいられず見に行った。仕事を半休して(笑)。

 

ちなみに当時いただいた情報にあったもう一つの物件もこの9日後に見に行き、そっちは早々に記事にした。花脊大布施の石アーチ橋がそれで、自分的に慣れ親しんだ場所にあったのに全然気づいてなかったという衝撃が大きくて思わず速攻で記事にしたが、今回の物件はずっと記事にしそびれていたもの。

 

 

 

京阪の淀駅から徒歩にて。古道の雰囲気を醸すいい感じのこの道、鳥羽街道という。

 

これを進んでいくと…

見えてきた。アレだ~。

 

 

 

 

 

ハイ、到着いたしました!

おお、これもまた醸してる!事前情報なしだったとしても、間違いなく立ち止まってるだろう。場所はコチラ

 

 

 

 

 

お名前は、

「五番ノ橋」。

 

 

 

 

 

左側の親柱には

お誕生日だが…えー、読みにくいですな。読みやすいのは後ほど御覧に入れますんで。

 

 

 

 

 

サイドから。

おおお、イイですな~!

 

 

 

 

 

引きでのサイドアングルで、全貌を。

そう、石アーチ橋!

 

龍頭さんからいただいたメールそのものは残念ながら見つけられないのだが、確か「石アーチ橋がある」と教えていただいたんだっけ?

 

京都市内にいくつかの石アーチがあることは承知していたが、すでにそれらは軒並み押さえたと思ってただけに、この時教えていただいた二橋は衝撃だったな~。

 

 

 

 

 

ズームで。

遠望だが、壁石・輪石ともにしっかりしているようだ。仕事帰りだったので、下に降りられるような服装でなかったのが残念。

 

 

 

 

 

高欄はこんな感じ。

石材の形を見るにつけ、これはどうも補修が入っているような?

 

視覚情報的には、もとは開口部があったっぽいが、束柱が破損したためかコンクリで充填されたものと思われる。

 

 

 

 

 

北側より。

手前の袖高欄的な石材も気になる。これオリジナルなのだろうか?

 

 

 

 

 

たぶんオリジナルなのだろう。なぜなら、

下に袖高欄の石材が配置されることを踏まえてか、橋名が上に詰めて刻まれているから。

 

そういう理由でしょ、これは。知らんけど。

 

 

 

 

 

そして改めて、お誕生日。

「明治四十五年六月」。

 

先述の京都市内の石アーチ橋、全然記事にできていないのだが、伏水街道第三橋・第四橋、堀川第一橋(明治6年)、堀川第二橋(明治7年)、万世橋(明治27年改造)、京都市内を少し外れて亀岡市にはなるが王子橋(明治17年)などいずれも現役で、土木学会選近代土木遺産に認定されている。翻って、この五番ノ橋は…。

 

同時に教えていただいた花脊大布施の石アーチ橋(旧・京路橋)の完成年は不明なものの、明治以前である可能性はかなり高いと思う。なのにいずれも上記の橋たちとはうらはらに、土木学会からはスルーされている。わたくしみたいな素人には、その理由はわからない。

 

まあ…個人的には、そういうお墨付きから漏れている物件のほうに、より思い入れを感じる。ヘンコなもので…(笑)。

 

 

 

 

 

下流側の高欄。

何かの掲示が貼られているが、写真を撮ってないってことは興味を惹く内容ではなかったんだろう…と思いたい(現在見られるストビューは2021年3月で、掲示はすでにない)

 

で、向こうにも「穴」が見えますな。

 

 

 

 

 

こんな穴。お名前は「五番樋門」という。

この近辺にはかつて「一番町」から「九番町」までの町名があったそうで、それに由来する「五番」なのだそう。

 

この土手の向こうは桂川。宇治川、木津川と合流して淀川と名前を変えるのは、もう3kmほど下流のことだ。

 

 

 

 

 

最後は、その桂川土手より望む五番ノ橋。

生活感あふれる光景の中の明治石アーチ橋、イイね!

 

 

 

 

 

ズームで〆。

期せずして菜の花が写り込み、文字通り花を添えてくれた。

 

 

 

以上。