2012年8月17日、福井県遠征2日目。この日のネタで記事にしているのは、山中隧道、左右一号隧道、国道305号・玉川トンネル旧廃道、鯖波トンネル、湯尾の総レール製水管橋、大門の洞門など。
今日明日と2回に分けてご紹介するネタはこれらよりも先、この日朝方に訪ねた、それなりに有名な廃隧道。
まずはこれ。
あちらに見えるは、今回のターゲットとは関係ない武宮トンネル。まるであれの旧隧道に向かうかのような写真だが、そうではないのであーる。ちょっと珍しいな、こういうロケーション。
つうわけで、ノートさんのいる場所はコチラ。
この道は、福井県道190号小曽原武生線の旧道。ここで簡易な通行止め措置アリのため、徒歩進軍に切り替え。
いきなり、ぐいぐい登っていく。
なかなかの勾配、旧峠道はまた別にあるんだろうな。
こういう立派な二車線の廃道も
いいものですな~。
振り返りの景を確認しておく。
眼下に見えるのが現・県道。もちろん左手前に現トンネルがある。
そして旧道は、
急速に廃オーラを纏いはじめ…
そこからはすぐに
見えた。雰囲気あるぞ~。
で、いやでも残念ポイントが見えるのだが、とりあえずおいといて、
安養寺隧道、西側坑口。オレンジ色の苔が独特なテイストを醸し出している。
扁額。
隧道名の下に刻まれた文字は、「福井県知事 北栄造 書」。
1968年編纂の「道路トンネル大鑑」によるこの隧道のスペックは、昭和39年建造、延長306.0m、車道幅員5.5m、限界高4.5m。なるほど、確かに北知事の在任期間とも合致する。
しかしこの隧道、実は1917(大正6)年建造の古洞だという。昭和39年というのは、大きく改修された年なのだということで、扁額がこの時点のものだということは、それまではもしかしてポータルを持たない素掘り隧道だったのだろうか。
しかもここには、未完に終わった幻の初代隧道の痕跡も残っているのだとか。この時にはそんなん知らなかったので、宿題となっている。
ちなみに、現トンネルの供用開始は2003(平成15)年8月である。
とりあえず現在、この隧道は
コンクリ充填によって完封されている。
この封鎖の仕方って、わたくしの経験値においては非常に独特なもので、福井県の他の物件でも見たかもしれないが、いずれにせよ福井でしか見たことない気がする。
なんか無残なような、ポータルの外観を直接的には損なわないという意味ではありがたいような、なんとも複雑な気持ちになるんだな~。とりあえず、密封された漆黒の洞内空間を創造する時、なんかゾクゾクする。
この封鎖の仕方だと、これ以上やれることは何もない。よって撤収。
ポータル前からの景。
あ~、イイですな~。
わずか4分で、
ノートさんまで帰還。
続いて、隧道武生側(東側)探索へと移行する。
【南側篇】に続く。