2018年1月3日に敢行した、年頭奈良遊撃。この日のネタで記事にしているのは、メインターゲットだった奈良県道28号日の森峠不通区間探索のみ。
今宵ご紹介するのは、帰り道で見つけた「違和感」だらけの橋。
奇しくも…ってこともないか、帰りにも使った県道28号吉野室生寺針線を北上中に
「違和感」を感じて急停車。
県道の右カーブを直進するスペースがあった。まあこんなのはよくある光景だが、その先に見えるものが「違和感」満載。
これはスルーできない。早速チェックだ。
「違和感」の正体が
この橋。場所はコチラ。
名状しがたい「違和感」、端的に表すのは難しい。でも最大の違和感は、この橋そのものだ。
道路ではなく、いかにも川向こうの土地に渡るためだけの「土地と土地の間に渡された」橋。通常こういうケースでは、小さな地覆を備えたコンクリ桁を渡しただけの…せいぜいそれにガードレール欄干を付加した程度のシンプルなもので十分なはず。
なのにこの橋は、立派な親柱と欄干という完全に「ちゃんとした道路橋梁」の体裁を備えているのだ。なんなら県道の橋であってもおかしくないくらいに。しかも、まあまあ古そうなんだなこれが…。
あとはこのフェンス。開放されたフェンスゲートに見えるが、サイズから考えると閉鎖時は扉二枚重ねになるのか?しかも脇はめっちゃ甘いので、バイクでも進入できそう。扉はフルオープンで、県道に面した場所も含めて進入抑止の表示や、ココがどういう場所なのかを示す表示は一切なかった。
とにかく、すべてが謎めいてる…。
結論から言うと、わたくしの拙い調査では全く何もわからなかった。ちゃんと東吉野村の行政資料にあたれば何かわかるのかもだが。
では、順にチェックしていこう。まずは右の親柱。
早速にお名前判明…なのだが、読めない(泣)。
現地では「依田橋」と読んだのだが、よく見ると「伐」な気がするので、一応記事タイトルもそれにした。
続いて左の親柱は
「平野川」。河川名だった。
で、これが下流側からのサイドアングルなのだが、
先述のとおり、フェンスの位置が中途半端なんだな~。設置者もわからんし、なんだこれ。
で、川向こうの様子も…
まさに、なんだこれ状態。一応、渡って右へと進むようにはなってるようだが…。
橋上から望む、
上流側。向こうに見えるのは県道。
こちら下流側。
この一帯で平野川は大きく蛇行していて、上流下流がつかみにくい。
で、これが渡っての振り返りなんだが…
大変残念なことに、こちら側の親柱も内容が同じ。つまり読み方やお誕生日がわからなかったのだった。読み方がわかれば漢字も見当がついただろうに、痛いな~。
現場での印象として、もしかしてこの橋は未成に終わった県道の別ルート(新道)として架けられたものではないか、と感じた。そうでもなきゃ、こういう立地の橋でこんなに立派な親柱があってちゃんとした名称もついてるとか、考えづらい。
ここで改めて航空写真を。
まあ線形改良という観点からは、ルート付け替えってのもあながちなくはない、と思える。
でも客観的に考えれば、やっぱそれは考えづらいかな。大した交通量でもないし、県道の橋としては明らかに狭いし。
これは、橋を渡ってから道なりに進んだ先の光景。
上の航空写真を見ると、ダブルトラックが数百m先の森の奥まで続いている。やはり、この奥のなんらかの作業場までの道にすぎないのか。
でもでも、だとしてもこんなに狭い橋じゃトラックも入れないが。いいのかそれで?そして結局同じ疑問に戻ってきてしまうのだが、そんな作業道の橋に立派な名前を付けて親柱を建てるか?
ならば、もしかしてかつてここに古道が?なんてことも考えたが、古地図(明治25年側図、昭和3年要部修正側図、昭和6年部分修正側図)(うまくリンク張れないので断念)を見てみると、現県道の道は、当時も同じルートで平野川左岸を通っている。このセンもないか…。
うーーーん。
わかんないっ(笑)。
わたくしお手上げだ。もしなにか情報をお持ちの方がおられたら、ぜひご一報を。
以上。