穴と橋とあれやらこれやら -202ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2016年11月26日の三重県伊賀市徘徊で遭遇した物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、三重県道693号蔵持霧生線・伊賀市原池旧道のみ…かな。

 

 

 

それは、目星をつけていた場所(結果そこはハズレだった)に向けて歩いていた時のこと。

 

なにやら…感じるものが。

あの、慣れ親しんだ感じ(笑)の物体は?

 

 

 

 

 

間違いなし。

橋の親柱だ!なんでこんなところに!?

 

 

 

 

 

まず手前のほう。

親柱と束柱(的な石柱)が並べてあって、

 

 

 

 

 

親柱には

「ゑんとくゐんはし」。

 

どっかで聞いた名前だと思ったら、ここから東にある国道25号の橋の名前が確か円徳院橋。するとこれは、先代円徳院橋の親柱ってことか?円徳院橋の位置はコチラ

 

 

 

 

 

その横にあるのは、

もう一基、親柱。現役時代のものであろう反射板が付いたままだ。

 

 

 

 

 

今度は漢字で

「圓徳院橋」。現橋は「円」だが、こちらは旧字だ。

 

 

 

 

 

側面には、

「昭和七年七月架換」。

 

架換ということは、少なくとも現橋は三代目以上ということになる。ちなみに現橋の完成は平成六年二月となっていた。

 

 

 

 

 

ここの地図は控えておくが、現・円徳院橋からすぐの場所ってわけでもない。

モニュメント的に保存されてる感じでもなく、単に放置してある状態。いったいどういう経緯で、この民家の前に運ばれてきて寝っ転がることになったのか、気になった。まあ聞き込みをするほどでもなく立ち去ってしまったのだけど。

 

 

 

 

これが今も現存するのかどうかはわからない。ここは(本記事執筆時点で)ストリートビューが2012年11月とわたくしの発見よりも古いものしかカバーしておらず、現況が不明なためだ。興味ある方は、円徳院橋から西の旧大和街道を探してきてくだされ。

 

 

 

こういう、ちょっと離れたところに親柱が残してあるパターン(ここは群を抜いて遠かったが)ってたまにあるが、トクした気分になってしまうのはわたくしだけ…なのかな、もしか。

 

 

 

以上。

 

 

なんでか知らんけど、昨日までの連載めっちゃしんどかった…(笑)。

 

 

 

さて、毎月やってる住所看板ネタ。今宵ご紹介するのはコチラ…

といっても二枚あるけど、右のほう。

 

 

 

 

 

この提供会社は初めて見た…つうか、今に至るまでこれ一枚しか見たことない。

アクセサリー製造卸 

オリエンタルダマシン㈱

 

ググってみたけど、この会社名はヒットせず。廃業されたのか、どこかと合併されたのか。とりあえず現存しない会社であることは間違いなさそう。

 

ちなみに「ダマシン」とは象嵌細工のこと。「アクセサリー製造卸」っていう業種の広告看板ってのも、考えてみれば極めてレアな気がするなあ~。

 

 

ちなみに左側の「フジイダイマル」(藤井大丸/FUJII DAIMARU)は、京都に一店だけ構える地場の百貨店で、ちょっと業態を変えつつも現在も営業している。決して大丸のバッタモンではなく、1870(明治3)年創業の老舗である。ただフジイダイマル看板はかなりあちこちで見かけるので、ある時期からは撮るのをやめちゃっているのだが…(笑)。

 

 

 

 

 

あとはおまけだが、このオリエンタルダマシン看板を見つけた建物には、他にも魅力的な看板がくっついていた。ついでなので、それらも紹介してしまおうと。

 

 

まずはこれ。

「廣告貼ルナ」 これはなかなか古そうね…。

 

 

 

そしてこれ。

「クリーニング」。…の下にあるかすれきった文字…拡大して頑張って睨んでいたら解読できた。「アサヒヤ」。その文字のバックに左向きの矢印が書かれているようだ。

 

クリーニング店っていつごろから世の中に現れたのかわからないけど、これもだいぶ古そうな看板。木製だし。

 

 

 

 

 

この奥に「クリーニング アサヒヤ」があったんだろう…と思うだろうが、

驚いたことに(失礼…か?)実は今もあるんだな、100mほど先に。

 

少なくとも、2020年12月のストビューでは、営業されているお店が確認できる。息長くされてるんですな~、素晴らしい。

 

 

 

…という、意外な展開で〆(笑)。

 

 

 

【5】より続く。当日は真剣だったけど、記事的には消化試合…(笑)。

 

 

 

 

おさらい的に、まずはこの写真で。

前回記事でお伝えしたのが、A方向に堤山1号橋を探したその顛末。その結果として、橋はなかった。

 

で、前回の動画に収めていたのは、Aの方向の様子と、そこからここに戻ってきてC方向に降りたところまで。この最終回では、Cの平場とその先の様子、そして戻りに撮った動画二本をご紹介する。

 

あ、ちなみにB方向は、地形的にどう考えても行き止まりだったので辿っていない。

 

 

 

 

 

つうわけで、この写真。

写真中央ちょい左上が三叉路で、そこから手前に下ってくるスロープがC方向という位置関係。伝わる?

 

 

 

 

 

そのC方向には、このように、

計三段に及ぶ、整然たる平場が存在した。ここは確か中段…だったかな?

 

 

 

 

 

そしてこれは確か…

下段の下流側端から上流方向を望んだ景。

 

石垣できちんと画された、手入れの行き届いた平場。ここら辺は、何かの用途で現役なのだと思う。思うのだが、アプローチ路があのテイタラクでは…。

 

 

 

 

 

上の写真からまっすぐに進んでいくと、

これまた意味不明な石積みの段差があって…

 

 

 

 

 

さらにその先は…

なんか、道に見えるような細長い平場が続いていた。

 

左手には川が流れていて、この先(上流方向)でグッと大きく右へと曲がり、180度廻って前回のA方向続いている。伝わりにくいだろうな~(笑)。

 

 

 

 

 

当日の現場では、これがもしかして畝畑1号線なのか?と半信半疑で辿ってみたが

数十mであえなく平場は消滅。やっぱ違うよな~。

 

その代わりに気づかせてもらったのが、向こうに見える木。幹に何かのマーク的なものが描かれているが、あれってきっと、山主さんが書くやつ?だと理解してるが違うのかな?

だとすれば、やはりここの一帯には所有者がいて、時折手入れをされてるのだろうか。

 

 

そしてもちろん、ここでも川の方とか、橋がないかどうかじっくり見てみたのだが、やっぱりない。現場ではさっきのA方向で正しかったとはわからなかったので、なんだこの状態?ってな感じ。

 

 

 

 

 

元の場所(四枚目の写真)まで戻ってきて、ここでも川を見下ろしたが、

やっぱり橋らしきものは一切ナッシン。

 

まあもはや、堤山1号橋とその先をトレースすることには興味を失っていた。見つからないならもう結構。戻るとしよう。もとより我が目的は隧道踏査時点で達成されているしな。

それよりも、あの見下ろす一帯も、やはり同じように石積み護岸と整備された平場が存在しているようで、そっちが気になる。かなり広い範囲に、人の痕跡があるなあ…。

 

 

以前書いたように、堤山隧道は昭和25年の、栗須吊橋は昭和30年の完成というデータが残っている(この5年差も気になるんだが、とりあえずそれはおいとく)。これを信用するとして、これはやはり林業目的で拓かれた道、ということになるのだろう。

 

和歌山県の林業の歴史を調べたところ、「戦後の復興に伴い、製材工場数が急速に増加しました。和歌山県では、主に東京向けの戦争復興用小角材を販売していました。製材すれば儲かる時代でした。」(和歌山県HP内、森林・林業局の頁より抜粋)

 

…ということで、新たな伐採地を求めてのことだったのかもしれない。そして、今いるここら一帯が、畝畑1号線が拓かれた目的地だったのではないかと思われる。

というのは、見つけられなかった堤山1号橋、そして奥地に存在する2号橋、3号橋のいずれもが、昭和50年完成というデータ。栗須吊橋完成から20年も経過している。

 

この間に(昭和30年代後半から)、好景気に伴う木材需要増を補うため日本では北洋材、米材等の輸入外材が台頭し始め、和歌山県の製材用木材需要量に占める国産材の割合は、昭和50年には昭和36年のわずか四分の一にまで減少していた。

そんな状況で新たに道を延伸したのは、なんらか「林業以外の目的」があったのだろうと想像するが、それがなんなのかは神の味噌汁 神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

戻る途中で、

行きには気づいてなかった「マーキング木」(勝手に命名)に気づいたり、

 

 

 

 

 

こんな「死と再生のサイクル」にも気づいたり。

わかりますかね?

 

 

 

 

 

すくすくと成長してる。

いつかは立派な木になれるのかな?

 

 

 

 

 

そしてー。

 

 

 

 

 

この木製桟橋手前から隧道を抜けるまでの動画を撮ったので、

ぜひ雰囲気を味わってみてほしい。圧殺感のエグさとか。

 

 

 

 

 

そして、やっぱり撮ってしまいました…の

栗須吊橋渡橋動画も。渡橋後の振り向きで揺れ具合が伝わるかと。

 

 

 

 

まあ憶測でいろいろ書いたが、確かなことは何もわからない。ただ、栗須吊橋と堤山隧道が確かに存在する、ということを除いては。

でもなあ…「こんな吊り橋」と「あんな隧道」では、材木搬出には全く役に立たないのは明白。モータリゼーション前ではあるので、材木搬出方法はやはり川流しか、あるいは索道か。

 

なんにせよ「こんな吊橋」と「あんな隧道」擁する畝畑1号線は、あくまで「現場への通勤ルート」として拓かれたのだと思われる。これもまた想像にすぎないが。

 

 

 

 

 

 

無事、現世へと帰還した。

そういえば前回ご紹介したgoo地図を見れば、やはりこのルートがまさに畝畑1号線で正しかったようだ。

 

 

 

 

三年半ぶりにこの場所を訪ねたのは、堤山隧道の存在を知ったからこそ。そしてそれを知り得たのは、ひとえに全国Q地図のおかげだ。もろもろの恩恵は計り知れず、その感謝を込めてこれからもずっと「」づけさせてもらおう(笑)。これからもよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

以上、完結。

 

 

【4】より続く。

 

 

 

堤山隧道を後に、畝畑1号線のトレースを開始。まずは「堤山1号橋」を目標に。

 

目視では隧道を抜けてきた時から気づいていたが、

のっけから香ばしいものが出迎えてくれた。

 

 

 

 

 

それは、

絶妙に腐れた木製桟橋。

 

こりゃちょっと体重を預ける気にはなれない。最初の写真でわかる通り、切り立った場所なのだが、幸い桟橋の山側にわずかな足場があるので、そこを踏んで突破できた。久しく修繕されてなさそうなこの感じを見ても、道としての利用実態は(今では)かなり乏しいようだ。

 

 

 

 

 

このくらいなら極上コンディション。

ずっと送水管もついてきている。だからなんなのだキミは?

 

 

 

 

 

極上区間を過ぎると、

凶悪区間がお出迎え。地味にめんどくさかったなあ、ここからしばらく。

 

 

 

 

 

やがて平穏を取り戻した道、

だしぬけに、これまで川を見下ろしていた左側に平場が現れ、それに呼応するように道は右へとカーブ。

 

 

 

 

 

そしてその先で…

あらびっくり!なんと三叉路が現れた。

 

この一帯、かつて人の手が入っていた(そしてわずかに今でも?)ことが色濃く感じられた。突然の変化に戸惑いつつも、Q地図様の位置データを信用するとすれば、「堤山1号橋」はAの方向だと思われたので、まずはそちらへと辿ってみた。

 

 

 

 

 

A方向は、こんな感じのスロープになっていた。

これは降りてからの振り返りで、中央右上の鞍部みたいな場所が先ほどの三叉路。

 

 

 

 

 

で、降りてきた場所は、


名称不明な谷に面した平場だった。ここは、三叉路手前まで道の左側にあった川の上流に当たる。要は谷の屈曲をショートカットしたわけだ。

 

 

 

ここの護岸にもまた、人の手を物語る石積みが見られた。

が…「堤山1号橋」がない。

 

 

 

 

Q地図だと、

【「全国Q地図」様より】※画像生成がなぜかうまくいかないので、スクショにて。

まさにここらのはずなんだが?

 

ちなみに、左上には(ごちゃっと重なっていてわかりにくいが)「堤山2号橋」「堤山3号橋」という表記も見える。これらについては後ほど。

 

 

 

 

 

一応、平場の下流側端まで来てみたが、

やはり橋はない。

 

 

 

 

 

もしかして、

この渡されている倒木がそうなのか?(んなわけあるか)

 

ここまでの数枚の写真で、「人の手入っていたことが色濃く感じられる」のニュアンスを共有していただけただろうか。石積みで画された意味ありげな平場や護岸、間伐の痕跡などなど。それが完全に放棄されて…はいないように感じられるのも妙に気になる。

 

 

 

さて、以前も書いたが、Q地図唯一の難点は位置情報データがずれがちであること。よって地図通りの場所に橋がないからと言って「本当にない」わけではないはず。

これまたQ地図様によれば、「堤山1号橋」は1980(昭和55)年完成、長寿命化点検による判定結果は堂々の「1」(健全)。延長7.1m、幅員0.5mというささやかな橋であっても、そんな健全な橋なら見つけられるだろう。三叉路に戻って調査を続行しよう。

 

 

 

 

…というのが現場で考えたことだったが、結論から申すとマジでなかった。

 

 

 

 

 

これは、いつも有益な情報をくださるnotodonさんからご教示いただいたものだが、

【goo地図】より切り出し。

驚いたことに、goo地図ではこの「畝畑1号線」がちゃんと記載されていて、それによると「堤山1号橋」はやはりあの場所で間違いなかったようなのだ。

これはどういうことだ?護岸の荒れた様子を見るにつけ、近年に流されてしまったのか?正直、そんな感じはあまりしなかったのだが、そう考えるしかないような状況だ…。

 

ちなみに、左上で二ヶ所、流れを跨ぐところがあるが、ここがそれぞれ「堤山2号橋「3号橋」のはずだ。

 

 

一応、goo地図のリンクも貼っておく。畝畑1号線の端点までしっかりと記載されていて、そこには建物表記があり興味を惹かれる。

 

 

 

 

 

 

やはり、実際にはあそこらへんに架かっていたはずの「堤山1号橋」。

汝は、何処へ?

 

 

 

 

 

今回最後に、1号橋があったはずのあたり~三叉路までの観察動画を。

一帯の謎めいた雰囲気を感じていただけるかどうか…。

 

 

 

 

【6】に続く。

 

 

【3】より続く。

 

 

 

堤山隧道を抜ける。

そそるなあ~、この景ときたら。

 

 

 

 

 

抜けて振り返り。

なんか…モッコモコのムッキムキ(笑)。マッスル隧道って感じ。

 

技術的なことはわからないが、いやマジでよく掘ったなあ、というのが素直な印象。

 

 

 

 

 

こちらにもAバリが置かれていて、

同じく「落石注意」。でも寝てらっしゃるけど(笑)。改めて、こういう隧道がちゃんと管理されてる(されてた)のに驚いた。

 

そもそも、この隧道と市道畝畑1号線という道について、何もわかっていないに等しい。ただひとつわかっているのは、この隧道と栗須吊橋の完成年が、それぞれ昭和25年と30年だということだけ。

 

 

 

 

 

例えば、この素朴な石積みとか、

これの時代考証…隧道と同時、昭和25年のものと言われればまあそう見えるけど、もっと古いことだってあり得るわけで。隧道も戦後に掘られたにしては、なんか粗削りすぎるというか…要は、いろいろ疑ってかかってしまってる、ということで(笑)。

 

ちなみに、洞内では発破痕もしくは削岩機のロッド痕など工法を示す物証を探したはずだが、写真を見返した限りでは発見できなかったようだ。

 

 

 

 

 

この熊野川町による看板、味わいありますな~。

これはさすがに昭和20年代まで遡るものではないだろうが。ちなみに熊野川町が平成の大合併で新宮市の一部となったのは、2005年10月のこと。

 

 

 

 

 

改めましての、

堤山隧道・奥地側坑口。

 

 

…んで、わたくしここで発見してしまった。

 

 

 

 

 

坑口の直上に…

なんかあるぞ?

 

パッと見てあるものをイメージしたが、あんな場所に?これは確かめねばならなーい。

 

 

 

 

 

つうわけで、

隧道右脇からガシガシと直登。下に見えてるのはAバリである。

 

 

 

 

 

さて、接近してみれば、やっぱり。

これは、コンクリート製の枡に見えるが…?

 

 

 

 

 

ビンゴ。

やっぱりそうだ。コンクリート製の枡。内部は…久しく使われていない感。

 

当たったのはいいが、その使途・設置目的については皆目見当がつかない。ここは隧道直上で、水が集まるような位置ではないから、集水桝ではないと思うのだが、じゃあ何?

 

 

 

 

 

上に登って、和田川の谷方向を見下ろしてみた景。

さすがに栗須吊橋も、県道も見えない。

 

気づかれると思うが、この枡が設置されている場所は窪んでいて、峠の鞍部のような掘割状になっている。もともと実際に掘割(つまり隧道ができる前の旧道)だったのか、枡設置のための土工なのか。

 

いや、不明点が多すぎですやんか~。

 

 

 

 

とりあえず、現場ではブツを確認できたので、満足して降りた。

 

 

 

 

 

さて、最大の目的である堤山隧道には早々に到達、記録を果たした。いつもならばここで引き返すのだけど、今回はもう少しこの「畝畑1号線」を追いかけてみようと思う。そう、とりあえず「堤山1号橋」までは行ってみたいかな、と。

 

 

 

 

 

つうわけで、進軍再開…だが、

のっけから、香ばしいものが出迎えてくれてるじゃないの~。

 

 

 

 

【5】に続く。