旧・圓徳院橋親柱 (三重県伊賀市) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2016年11月26日の三重県伊賀市徘徊で遭遇した物件をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、三重県道693号蔵持霧生線・伊賀市原池旧道のみ…かな。

 

 

 

それは、目星をつけていた場所(結果そこはハズレだった)に向けて歩いていた時のこと。

 

なにやら…感じるものが。

あの、慣れ親しんだ感じ(笑)の物体は?

 

 

 

 

 

間違いなし。

橋の親柱だ!なんでこんなところに!?

 

 

 

 

 

まず手前のほう。

親柱と束柱(的な石柱)が並べてあって、

 

 

 

 

 

親柱には

「ゑんとくゐんはし」。

 

どっかで聞いた名前だと思ったら、ここから東にある国道25号の橋の名前が確か円徳院橋。するとこれは、先代円徳院橋の親柱ってことか?円徳院橋の位置はコチラ

 

 

 

 

 

その横にあるのは、

もう一基、親柱。現役時代のものであろう反射板が付いたままだ。

 

 

 

 

 

今度は漢字で

「圓徳院橋」。現橋は「円」だが、こちらは旧字だ。

 

 

 

 

 

側面には、

「昭和七年七月架換」。

 

架換ということは、少なくとも現橋は三代目以上ということになる。ちなみに現橋の完成は平成六年二月となっていた。

 

 

 

 

 

ここの地図は控えておくが、現・円徳院橋からすぐの場所ってわけでもない。

モニュメント的に保存されてる感じでもなく、単に放置してある状態。いったいどういう経緯で、この民家の前に運ばれてきて寝っ転がることになったのか、気になった。まあ聞き込みをするほどでもなく立ち去ってしまったのだけど。

 

 

 

 

これが今も現存するのかどうかはわからない。ここは(本記事執筆時点で)ストリートビューが2012年11月とわたくしの発見よりも古いものしかカバーしておらず、現況が不明なためだ。興味ある方は、円徳院橋から西の旧大和街道を探してきてくだされ。

 

 

 

こういう、ちょっと離れたところに親柱が残してあるパターン(ここは群を抜いて遠かったが)ってたまにあるが、トクした気分になってしまうのはわたくしだけ…なのかな、もしか。

 

 

 

以上。