【5】より続く。当日は真剣だったけど、記事的には消化試合…(笑)。
おさらい的に、まずはこの写真で。
前回記事でお伝えしたのが、A方向に堤山1号橋を探したその顛末。その結果として、橋はなかった。
で、前回の動画に収めていたのは、Aの方向の様子と、そこからここに戻ってきてC方向に降りたところまで。この最終回では、Cの平場とその先の様子、そして戻りに撮った動画二本をご紹介する。
あ、ちなみにB方向は、地形的にどう考えても行き止まりだったので辿っていない。
つうわけで、この写真。
写真中央ちょい左上が三叉路で、そこから手前に下ってくるスロープがC方向という位置関係。伝わる?
そのC方向には、このように、
計三段に及ぶ、整然たる平場が存在した。ここは確か中段…だったかな?
そしてこれは確か…
下段の下流側端から上流方向を望んだ景。
石垣できちんと画された、手入れの行き届いた平場。ここら辺は、何かの用途で現役なのだと思う。思うのだが、アプローチ路があのテイタラクでは…。
上の写真からまっすぐに進んでいくと、
これまた意味不明な石積みの段差があって…
さらにその先は…
なんか、道に見えるような細長い平場が続いていた。
左手には川が流れていて、この先(上流方向)でグッと大きく右へと曲がり、180度廻って前回のA方向続いている。伝わりにくいだろうな~(笑)。
当日の現場では、これがもしかして畝畑1号線なのか?と半信半疑で辿ってみたが
数十mであえなく平場は消滅。やっぱ違うよな~。
その代わりに気づかせてもらったのが、向こうに見える木。幹に何かのマーク的なものが描かれているが、あれってきっと、山主さんが書くやつ?だと理解してるが違うのかな?
だとすれば、やはりここの一帯には所有者がいて、時折手入れをされてるのだろうか。
そしてもちろん、ここでも川の方とか、橋がないかどうかじっくり見てみたのだが、やっぱりない。現場ではさっきのA方向で正しかったとはわからなかったので、なんだこの状態?ってな感じ。
元の場所(四枚目の写真)まで戻ってきて、ここでも川を見下ろしたが、
やっぱり橋らしきものは一切ナッシン。
まあもはや、堤山1号橋とその先をトレースすることには興味を失っていた。見つからないならもう結構。戻るとしよう。もとより我が目的は隧道踏査時点で達成されているしな。
それよりも、あの見下ろす一帯も、やはり同じように石積み護岸と整備された平場が存在しているようで、そっちが気になる。かなり広い範囲に、人の痕跡があるなあ…。
以前書いたように、堤山隧道は昭和25年の、栗須吊橋は昭和30年の完成というデータが残っている(この5年差も気になるんだが、とりあえずそれはおいとく)。これを信用するとして、これはやはり林業目的で拓かれた道、ということになるのだろう。
和歌山県の林業の歴史を調べたところ、「戦後の復興に伴い、製材工場数が急速に増加しました。和歌山県では、主に東京向けの戦争復興用小角材を販売していました。製材すれば儲かる時代でした。」(和歌山県HP内、森林・林業局の頁より抜粋)
…ということで、新たな伐採地を求めてのことだったのかもしれない。そして、今いるここら一帯が、畝畑1号線が拓かれた目的地だったのではないかと思われる。
というのは、見つけられなかった堤山1号橋、そして奥地に存在する2号橋、3号橋のいずれもが、昭和50年完成というデータ。栗須吊橋完成から20年も経過している。
この間に(昭和30年代後半から)、好景気に伴う木材需要増を補うため日本では北洋材、米材等の輸入外材が台頭し始め、和歌山県の製材用木材需要量に占める国産材の割合は、昭和50年には昭和36年のわずか四分の一にまで減少していた。
そんな状況で新たに道を延伸したのは、なんらか「林業以外の目的」があったのだろうと想像するが、それがなんなのかは神の味噌汁 神のみぞ知る。
戻る途中で、
行きには気づいてなかった「マーキング木」(勝手に命名)に気づいたり、
こんな「死と再生のサイクル」にも気づいたり。
わかりますかね?
すくすくと成長してる。
いつかは立派な木になれるのかな?
そしてー。
この木製桟橋手前から隧道を抜けるまでの動画を撮ったので、
ぜひ雰囲気を味わってみてほしい。圧殺感のエグさとか。
そして、やっぱり撮ってしまいました…の
栗須吊橋渡橋動画も。渡橋後の振り向きで揺れ具合が伝わるかと。
まあ憶測でいろいろ書いたが、確かなことは何もわからない。ただ、栗須吊橋と堤山隧道が確かに存在する、ということを除いては。
でもなあ…「こんな吊り橋」と「あんな隧道」では、材木搬出には全く役に立たないのは明白。モータリゼーション前ではあるので、材木搬出方法はやはり川流しか、あるいは索道か。
なんにせよ「こんな吊橋」と「あんな隧道」擁する畝畑1号線は、あくまで「現場への通勤ルート」として拓かれたのだと思われる。これもまた想像にすぎないが。
無事、現世へと帰還した。
そういえば前回ご紹介したgoo地図を見れば、やはりこのルートがまさに畝畑1号線で正しかったようだ。
三年半ぶりにこの場所を訪ねたのは、堤山隧道の存在を知ったからこそ。そしてそれを知り得たのは、ひとえに全国Q地図様のおかげだ。もろもろの恩恵は計り知れず、その感謝を込めてこれからもずっと「様」づけさせてもらおう(笑)。これからもよろしくお願いします!
以上、完結。