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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

先日の記事でせっかく思い出したので…続きを書こうかな(笑)。

 

 

 

【1】は2015年1月26日公開、【2】は2018年9月8日公開と不定期にもほどがあるこの連載、【2】の最後で半分ネタとして、「次回【3】は…TOKYO2020より後かもね」とか書いたわけだが…

後も後、一年延期されたやつも終わってから半年経っとるし(爆)。

 

まあ、誰も待ってないだろうからいいんだ(笑)。

 

 

 

つうわけで2013年4月26日のお話。

【2】の橋から望むこちらの石橋が、今宵のお題。四径間なのか五径間なのか、やたらと多い橋脚が印象的。

 

 

 

 

 

つうわけで、正対。

小ぶりな鳥居があり、渡った先には祠が見えていた。あまりに久々なので、場所はこちら

 

 

 

 

 

祠もコミで、

素敵ですなあ~。

 

 

 

 

 

左手の石柱にはなにか刻まれていたのだが、

「石橋」という文字ははっきりわかるものの、全体の意味は不明。最初の二文字は「奉再」に見えるけど。

 

 

 

 

 

で、橋ですよ。

桁と高欄、すべてが石造。

 

 

 

 

 

そしてもちろん

橋脚も。

 

このやたらたくさんある橋脚たち、考えてみれば謎だらけだ。石積み橋脚でこんな薄いフェンス状のものって、強度的にどうなのか、(この写真ではわかりにくいが)なんで祠側のひとつだけが石柱による橋脚なのか。

そもそも、なんでこんなにたくさん必要だったのか。やっぱ、桁に用いる石材が短いものしか用立てられなかったからなんだろうか?

 

 

現場では降りて観察することもなかった(そんな服装でもなかった)が、改めて気になってしまった。

 

 

 

 

 

正面の祠には、「稲荷神社」と掲げられていた。

書き忘れたが、親柱には特に情報が読み取れなかったので、「稲荷神社前の橋」ということで。

 

 

 

 

 

祠の前からの振り返り。


関係ないけど、晴れた日の日陰というか、木漏れ日の中にあるようなロケーションって、撮影難しいっすよね~。

 

 

 

 

 

向こうに見えているのは、【2】の洗心橋。

冒頭の写真の逆アングルということになる。

 

 

 

 

 

祠の裏から回り込んで一枚。

祠もこんな建て方になってたんですな。

 

 

 

 

 

なかなか見づらいけど、

下流側からのサイドアングル。一番右の橋脚だけが石柱なのが…これも伝わりにくいな。

 

 

 

 

 

対してこちら、

上流側のサイドアングル。これでも伝わらん…(笑)。

 

 

 

 

 

ズーーム!

写真右側が石積みフェンス状橋脚、左側が一番祠側の石柱型橋脚…なんだが、これで伝わるかな?

 

 

 

いつものように、なんら解決することなく終わる(笑)。

 

 

 

 

次の【4】で一応最後なのだが…これをやるのはいつになるかな?2024年パリオリンピックまでにはやってると思うけど、果たして(笑)。

 

 

 

 

2021年10月30日、家族で東京に行った際の自由行動(笑)で最後に訪ねた物件をご紹介。

 

 

 

飛鳥山下跨線人道橋などいくつか訪問後、ズズズーイと移動しまして、東急東横線多摩川駅で下車。

現在地はこちら。2.3mの高さ制限標識に反応した。まずは前菜登場~。

 

 

 

 

 

そのまま線路沿いを進むと…

あったー。

 

 

 

 

 

こちらが今宵のお題、

沼部隧道。

 

実際は東京都道・神奈川県道2号東京丸子横浜線の下を抜ける暗渠または架道橋的な構造物なのだが、「隧道」と呼ばれている。ままある話。

 

 

 

 

 

タテの線模様にデザインされた独創的なコンクリートポータルが何とも言えない。

アーチ環は本物の切石っぽい。

 

ちなみに本隧道は1934(昭和9)年製であり、土木学会選近代土木遺産B物件である。

 

 

 

 

 

洞内の巻き立ても総コンクリートだが、

もう一点見逃してはいけないものがあると予習してきていた。

 

 

 

 

 

洞内にあるこちらのマンホール、

これがなんと、東京「府」時代のマンホールなのだということだ。調べてみると、中央の紋章、確かに東京府章だった。

 

東京府は東京市を府庁所在地とし、この両者を統合して東京都となった1943(昭和18)まで存在した府だということだが、そんな昔のマンホールが現役でいるなんで凄いなと。素人目ではそこまでの古さは感じられないのだが、つるつるに摩耗した感じは確かにある。

 

 

 

 

 

抜けて振り返り。

同じ意匠のよう。なんとなく街燈もマッチしている感。

 

 

 

 

 

ちょっと引いて。

うむ、いい感じだ。

 

 

 

 

 

あとは、

旧六郷用水散策路をのんびり歩いて、東急多摩川線の沼部駅まで歩いた。

 

そういえば、昔は東急目蒲線って名称だったよな。いつ変わったんだろう。だいぶ前か。

 

 

 

 

最後におまけ。

 

旧六郷用水散策路で見かけた、

疑わしい石アーチ(笑)。

 

 

 

 

 

本当に石アーチなのか、あるいは貼りつけなのか。

残念ながら確かめるすべがなかった。撮ってたらガン見もされたし(笑)。

 

 

 

 

以上。

 

 

2018年12月31日、歳末すべりこみ三重県散策。この日のネタで記事にしているのは、寺下橋とひみつの裏参道寺渕橋と先代橋遺構落瀬橋。今宵ご紹介するのは、落瀬橋に続いてやってきた、超久々の再訪物件…の入り口近くにあった物件。

 

 

 

なんだかんだ、この「鉄道橋梁・架道橋・暗渠」テーマでいろいろな物件を記事にしてきたが、

こういうある意味“正統派な”鉄道橋梁って案外やってないよね~と。場所はこちら

 

 

 

 

 

お名前は?…と探してると、ガーダー側面に見つけた塗装履歴で判明。

濁川橋梁、ですか。地図でわかるように、多気町と大台町の境界となっている。

 

 

 

 

 

好きなのよね、

こういう細長い橋脚のノッポ橋梁。

 

こういう煉瓦橋脚ももちろん素晴らしいが、石積み橋脚もまたいいものですな~。

 

 

 

 

 

地味ながら大きな違いに気づいてしまったが、

四本の橋脚のうち、両端の二本は角柱タイプ、真ん中の二本は楕円柱タイプとなっていた(最初の写真を参照のこと)

 

理由はおそらく中央の二本は河中に立っているため、水流を受け流すため…ではないかと。知らんけど。きっとそう(笑)。

 

 

 

ずっと記事にしそびれてる「超久々の再訪物件」は…またそのうち(笑)。

 

 

 

以上。

 

 

今宵はどマイナーなバンドのどマイナーなアルバムをご紹介。YouTubeに上がってることにびっくりしたレベルでマイナーかと(笑)。

 

 

 

バンドの名はWALTONS、アルバム名は「TRUCK ME HARDER」。

89年?のアルバムかな?ドイツのバンド?たぶん。

 

何枚かアルバムを出してたと思うんだが、これが何枚目に当たるのかはわからない。また、他のアルバムを聴いたこともない。なんなら、なぜこのアルバムを買ったのかさえも記憶にない(笑)。

 

唯一覚えてるのは、某メタル専門誌でのアルバムレビューで70点くらいのビミョーな評価だったことで、これまた購入の動機にはならんよなあ普通(笑)。まあ結局は、行きつけの輸入盤屋でたまたま目にし、何かを感じたんだと思うんだが。

 

 

とにかく、わたくしこのアルバムを買った。そして大いにハマった。その事実が大事。出会いって大事(笑)。

 

 

 

 

 

さて本作、ジャケットの雰囲気から感じ取れる通り、決してメタルではない。カラッとした、かつパンキッシュな勢いもあるロックンロール。さりとて威圧感は少なめ、埃っぽさも控えめと、ライトな方(笑)でも聴ける敷居の低さが魅力だ。

 

決して「全曲素晴らしい!」とは言わないが、実に聞いていて気持ちがいい、スカッとする(弊社基準による)ロックンロール・アルバム。やっぱり、雑誌のレビューとか鵜呑みにしてちゃ~駄目よ(笑)。

 

 

 

 

 

本作の特徴は「トラック」を統一テーマとしているところ。いや、コンセプト・アルバムというにはチープすぎるけど。

 

このように

曲名はすべてトラック、トラックドライバーなどにちなんだもの。アルバム冒頭と最後のみならず、すべての曲間にもトラックの走行音のSEが挿入されているというユニークな造りだ。

 

 

 

余談だが、大御所AC/DCを引き合いに出すまでもなく、ロックンロールとトラックは親和性が高く、欧米の長距離トラックドライバーとか、ガンガンロックをかけて、みたいなイメージがある。日本だと八代亜紀とかだけど(イメージ古い?)。

 

 

 

 

 

ちなみにインナースリーヴは

カッコイイ廃トラック。こういうのに出会ってみたいな~。

 

 

 

 

そんなアルバムから、3曲ほどピックアップ(トラックだけに)してご紹介。いずれも軽快かつ疾走感のある、非常にゴキゲンな(死語)ナンバー。そしてリフが超かっこいい!

 

3曲目、“MY MOTOR”

 

 

5曲目、“TAKE YOUR STAND, TRUCKER!”

 

 

7曲目、“IT'S UP TO YOU”

 

 

どんなもんでしょうか?YouTubeにはアルバム全曲アップされていそうなので、よろしければぜひ。なかなか見つからんかもしれんが(笑)。

 

 

 

 

以上~。

 

 

 

2012年7月15日、近場の橋シバキ倒しにて出会ったブツをご紹介。この日のネタで記事にしているのは、家棟隧道跡菩提寺の廃橋

 

 

 

 

まずはこれ。

ある橋のドンツキに、目を引くものをはっけーん。

 

 

 

 

 

これが、

今宵のお題である、国旗掲揚臺。場所はこちら

 

 

 

 

 

見たところ完全に現役…

つうか、いつでも使えそうに見えた。

 

ちなみに、2020年12月のストリートビュー時点ではまだ現存している。たぶん今も変わりなくあると思うな。

 

 

 

 

 

正面?には

「国威宣揚」の文字。

 

国旗掲揚臺については、以前こんなのを記事にしていて、「国威宣揚」についてもそちらを参照のこと。これはとても国旗掲揚臺には見えなかったのでその正体に驚いたものだが、ここのやつは一見してそうとわかった。ちゃんとポールもついてるしね。

 

 

 

 

 

が、よく見ると、基壇部にもなにか書かれている。

 

じっくり見てみると…にわかにワケがわからなくなった。

「明治百年記念 ことぶき会」。

 

待て待て待てーい。明治百年というと、1968(昭和43)年。わたくしのひとつ下になっちゃうぞ。

 

ちなみにこの年、実際に政府主導で「明治百年祭」なる催し(キャンペーン的な?)が行われたようで、いわば「日本近代化100年の節目を祝い、総括する」ような趣旨のものだったらしい。さすがにわたくしの記憶にはないが(笑)。

つうことはこの国旗掲揚臺、昭和43年モノだってことか?いやいや、さすがにこの時代になると、「国威宣揚」なんて戦時色の強いワードはもはや不適だったはず。

 

この国旗掲揚臺も昭和15年に皇紀二千六百年を記念して日本全国に建てられたものの一つだとしたら、補強を兼ねて台座のみ昭和43年に付加された?それとも、マジで昭和43年に至って「国威宣揚」なんてワードチョイスが許されたのか?

 

 

 

 

 

なあ、

ホントのところ、どうなんだねキミぃ~。

近所のお年寄りにでも聞けばわかるんだろうが。

 

 

 

 

 

こっからはおまけ。上の写真にも写ってるけど、

これ。わかりますですかね~?

 

 

 

 

 

すぐ近くに鎮座する八幡神社入口に掲げられたこれは、

勧請縄(かんじょうなわ)

 

注連縄に呪物を吊り下げた、いわば結界を示すもので、わたくしの理解ではここのように神社入口に掛けられたものを勧請縄、集落入り口の道路上に掛けられたものを道切り(みちきり)と呼ぶのだと思う。

 

勧請縄は神社ごとにいろいろな意匠のものがあり、非常に興味深い。限られた地域での風習のようなので、初めて目にする方もおられるかも?

 

 

 

 

 

以上。