2012年7月15日、近場の橋シバキ倒しにて出会ったブツをご紹介。この日のネタで記事にしているのは、家棟隧道跡、菩提寺の廃橋。
まずはこれ。
ある橋のドンツキに、目を引くものをはっけーん。
これが、
今宵のお題である、国旗掲揚臺。場所はこちら。
見たところ完全に現役…
つうか、いつでも使えそうに見えた。
ちなみに、2020年12月のストリートビュー時点ではまだ現存している。たぶん今も変わりなくあると思うな。
正面?には
「国威宣揚」の文字。
国旗掲揚臺については、以前こんなのを記事にしていて、「国威宣揚」についてもそちらを参照のこと。これはとても国旗掲揚臺には見えなかったのでその正体に驚いたものだが、ここのやつは一見してそうとわかった。ちゃんとポールもついてるしね。
が、よく見ると、基壇部にもなにか書かれている。
じっくり見てみると…にわかにワケがわからなくなった。
「明治百年記念 ことぶき会」。
待て待て待てーい。明治百年というと、1968(昭和43)年。わたくしのひとつ下になっちゃうぞ。
ちなみにこの年、実際に政府主導で「明治百年祭」なる催し(キャンペーン的な?)が行われたようで、いわば「日本近代化100年の節目を祝い、総括する」ような趣旨のものだったらしい。さすがにわたくしの記憶にはないが(笑)。
つうことはこの国旗掲揚臺、昭和43年モノだってことか?いやいや、さすがにこの時代になると、「国威宣揚」なんて戦時色の強いワードはもはや不適だったはず。
この国旗掲揚臺も昭和15年に皇紀二千六百年を記念して日本全国に建てられたものの一つだとしたら、補強を兼ねて台座のみ昭和43年に付加された?それとも、マジで昭和43年に至って「国威宣揚」なんてワードチョイスが許されたのか?
なあ、
ホントのところ、どうなんだねキミぃ~。
近所のお年寄りにでも聞けばわかるんだろうが。
こっからはおまけ。上の写真にも写ってるけど、
これ。わかりますですかね~?
すぐ近くに鎮座する八幡神社入口に掲げられたこれは、
勧請縄(かんじょうなわ)。
注連縄に呪物を吊り下げた、いわば結界を示すもので、わたくしの理解ではここのように神社入口に掛けられたものを勧請縄、集落入り口の道路上に掛けられたものを道切り(みちきり)と呼ぶのだと思う。
勧請縄は神社ごとにいろいろな意匠のものがあり、非常に興味深い。限られた地域での風習のようなので、初めて目にする方もおられるかも?
以上。