「国威宣揚」国旗掲揚薹 (京都市上京区森之木町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

2020年1月18日、仁丹看板ハントの際に興味深いものを見つけたのだが…。

 

 

 

 

さーて、

どーこだ?王将とちゃうで(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

はい、答えは

コレでございます。わかりますかね?門柱っぽいやつ。

 

場所はコチラ

 

 

 

 

 

 

 

そこには四つの漢字が一文字ずつのタイル?に書かれていて、その文字とは

「国威宣揚」。

 

国威宣楊(こくいせんよう)とは、国家の威光を示すこと。この内容からして、どう考えても昭和二十年以前のものだと思われる。

 

実はこの「国威宣楊」って言葉、知らなかった。パッと見「国威発揚」だと思ったのだが、どう見ても三文字めが違うしなあ…と調べてみたら、正解に辿りついたというわけで。

ちなみに「国威発揚」は 、国家が対外的に国の威力を強くアピールすること。似てはいるがちょっとニュアンスが違う?外向きと内向きの違いなのかな?

 

でもまあ、いずれナショナリズムの香りがする、時代を感じる四文字ではある。

 

 

 

 

 

 

 

背面についている金属の輪っかから判断して、

かつての門柱が片方残されたものかと思われる。足元のコンクリ塊もちょっと気になるな。

 

門柱ということは、かつて(戦時中から)この奥になにかの施設があったのだと思われるので、もちろんそちらへ進んでみた。

 

 

 

 

 

 

 

突き当たりからの振り返り。

残念ながら何もなかったのだが、突き当たり手前の民家の角にこんなコンクリ柱があった。

 

明らかに家屋とは釣り合わない古さ。まあお家は建て替えられたのかもしれないが、もしかしたら表の門柱と同時期からの遺構かもしれないと思った。古い地図を調べてみようと思いながらほったらかしでスマン(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…っとここまで書いてから改めて調べてみたら(書く前に調べろって)、なんと正体が判明してしまった。

 

 

門柱ではなかったこのお方、その正体とは…

 

国旗掲揚薹。

 

 

「薹」は「台」の旧字。つまり、国旗掲揚台。昭和15年に皇紀二千六百年を記念して日本全国に建てられたものの一つなんだとか。

改めていろんな掲揚薹の画像を見てみたら「あ、あそこで見たアレ、掲揚薹やったんか!」っていう。まぁ不勉強ですなあ。なので、当初『「国威宣楊」門柱』という記事タイトルも修正。

 

しかし、こういう細長い石柱タイプ、しかも「国威宣楊」なんて書かれているものは、どうもレアっぽい。これはわからなくっても無理ないわ。ねえ?ねえ?(必死)

 

 

なお、これもいまさらながら古い地図を調べてみたら、どうやらこの細道は、ここの西にある妙覚寺の東入口的な道だった…ように見える。いや、解像度が低くて…(笑)。

妙覚寺、かつては相当に大きな寺域を誇っていたようで、このあたりにも塔頭がいくつかあったような感じだ。

 

 

 

 

 

 

ハイッ!

というわけで、「見当外れな見立てでほぼ書き終えてから全然違う正解が判明」っていう実験的手法(笑)でお送りした。小ネタではあるけど、こういうの好きなのだ。