【4】より続く。
あっ。
隧道の先にも橋が見えた。
この隧道こそが最終目的地だったわたくし、その先のことは全然考えてなかったのだが、こうして橋が見えたからには当然行く。
その橋、
隧道手前まで五本連続した名称不明橋たちとやはり同じ意匠だったのだが…
おおっ!
銘板がある!
情報皆無の橋が続いただけに、同じ意匠のこの橋に銘板があったのは嬉しい驚きだった。しかもめっちゃ判読しやすい、ありがたいヤツ(笑)。
お名前は、
魚留谷橋。
渡って正対。
ありがたい、こっちにも銘板がある。
右の銘板にはかな表記。
うおどめたにはし。
そして、最も知りたかった情報ゲット。
「昭和三十八年十月竣功」。
隧道すぐ奥にあるこの橋の竣功時期が確定した意義は大きい。逆算して北股トンネルもほぼ同時期の完成である可能性が大だし、意匠の共通性からして五本の名称不明橋たちもさほど遡らないだろう。車を置いてきた最初の素掘り隧道は、三十年代半ばくらいなのかな。
ありがたい情報をもたらしてくれた魚留谷橋。
なぜにこの橋にだけ銘板が完備されていたのかは謎だ。もしかしたら、この橋が最奥の橋だから、なのかも?
そうなんよねえ。
林道端点まで進まなかったことを、記事にした今になって後悔してたりする(笑)。
隧道が最終目的地だったとはいえ、端点までさほど遠くもない位置。もしかしたら(いや、まあまあの確率で)この奥にもまだ橋があったんじゃないかと思うと悔しい。体力的にも全然余裕やったのに。バカバカ、僕のバカ(爆)。
魚留谷橋から数十m、
この日の最奥地点より。
ここで時刻は12時26分。徒歩進軍開始からは40分、林道起点からは2時間50分(ミチクサ込み)。これより帰投作戦へと移行。
魚留谷橋~北股トンネルの動画を撮ったのでよろしければ。
相変わらず、撮り方ヘタクソでございます。
そうそう、【3】で貼り忘れた写真があるので、遅ればせながら。
ゲバゲバさんからコメントいただいた、写真左側のこの空地。
これは向こうに見える橋のたもとにあった何らかの施設へのアプローチと思われ。
で、貼り忘れた写真というのがその建物基礎の写真でして、
これ。上の写真の空き地の最奥部から見下ろしている。
もしかして、林道からとこの空地からと、両側から入れたんだろうか。一体どういう施設があったのか気になるわ~。
半廃墟群付近で見つけた、
行きには気づかなかったスカルとか(笑)。
12時56分、
無事にノートさんまで戻ってきた。帰路は30分にて帰投。
この日この時の路面状況で言えば、おそらくノートさんでも北股トンネルまで到達できたと思われる。しかし現況は不明につき、もし興味のある方は自力でお調べくだされ。
ちなみに、ここはまだまだリアルガチな奥地。油断はできない。帰路も慎重~に運転したっけ。
おまけとして、この一枚。見たことあります?
林道途中にある小さな祠。
実はこの祠の脇からパノラマ撮影したのが、拙ブログのトップ画像なのでありました。だいぶ感じは違うかもしれんけど。
以上、ついに(笑)完結。