いきなり、タイトルでばれてしまっているが(笑)。
まず場所はコチラ。
落ち着いた佇まいだが、玉垣はやたらと新しい。それは、近年手が入ったからに他ならない。ここから右にすこ~し移動しますと、
何の変哲もない、郊外の生活道路然とした光景。実は2006年の夏ごろまでは、こんな感じだった。
ひと目、お逢いしたかった(TΔT)
ピラスターを備えた、重厚な石積みポータル!もう逢えないなんて、辛いわ辛すぎるわ!
しかしまあ、この変わりようは凄い!
なんということでしょう。かつては天井川だったこの家棟川、切り下げられて流路も変えられた結果、現在のような特徴のない橋で渡る単なる川になってしまったのである。そしてかつて川の下を抜けていたのが、この家棟(やのむね)隧道だった。
解説はコチラ(笑)。
ほんと、笑っちゃうほどに現地には隧道の痕跡など一切なし。
それを偲ぶよすがは、神社敷地はずれに立てられた、この案内看板のみ。いや、想像もつかんでしょ。
再度、案内板全体を大きめの画像で載せるので、ぜひご覧ください。
最後に、反対側から隧道のあった場所を。
現在の橋の上から撮影している。天井川時代はここと神社の間に川堤がそびえていたんですなあ…。
天井川は、滋賀県のお家芸とも言える地理的特徴。今も県内には(自分の知る限り)10か所の天井川トンネル(道路7、鉄道3・うち1は廃)と1か所の河川水路橋が現存している。
しかしこれも世の流れか、防災上・都市計画上の観点から、天井川は徐々にその数を減らしつつある。それにともなって開削され姿を消した隧道・トンネルは、自分の知る限りここを含め4か所。その中で自分が現役時代を知っているのは1か所のみ。ココを含めて残る3か所は、いずれもひと目逢いたかった物件ばかりだ。ただ、この家棟隧道はほんと最近お亡くなりになったので、間にあわなかった悔しさもひとしおで。
そんな中、またひとつ姿を消すことが確定してしまった天井川隧道がある。それも全国的知名度が最も高いであろう天井川の代名詞にして我がホーム・草津市の象徴、草津川をくぐるアレ。
はっきりした撤去日はまだわからないが、地元に住まうものとして、残された時間の中で改めて記録していきたいと思う。
この記事は、またいつか。
以上、完結。