2018年12月31日、歳末すべりこみ三重県散策。この日のネタで記事にしているのは…落瀬橋のみか。
今宵から何回かに分けてご紹介するのは、実はいの一番に記事にしようと思ってたネタ…だったんだが、写真を整理するのがめんどくさくて先送りにし…そして忘れてたもの(笑)。
このネタ、思いのほか「知る人ぞ知る」系で。ある場所からは結構目立つと思うんだが、同業者が記事にしてるのは見つけられていない。見落としてる可能性も大やけど。
では、始める。
まずはこの写真から。
向こうに見えるのが今回のお題…
ではない。
ノートさんが停まってるあの道。あれを下っていく。
とんでもなく迷惑なところにノートさんを停めてるように見えるだろうが、
下り始めてすぐにこんな感じになる。明らかに車道としてはほぼ使われていない感。
一枚目写真の立派な橋のたもとから分岐する、川に向かって下りていく道。これに匂いを嗅ぎつけたわたくし、こうして辿ってみてるわけだが…
やはりビンゴ。これは旧橋へと至る旧道に相違ない。しかも、
肉眼ではもう見えていた。ちゃんと架かってるぞ。
思わせぶりな右カーブの先には…
赤い塗装も剥げかけた、草臥れ気味ワーレントラス橋が。改めて現在地コチラ。
この曲がりながらの進入が目を引く。当然ながら車道規格だが、一枚目写真の立派な橋ができたためだろう、ご覧のような車止めで通せんぼされている。こんなとこで止められても転回もできないから、バックで戻るしかない。なんとも鬼な仕打ちだが、間違って入り込む人はいないんだろうか。
ちなみに、橋上での離合は不可能だったと思われるが、さりとて橋の取り付きにも明確な離合スペースは設けられていない。普通車同士なら何とかなりそうだが、大型車が来たらアウトだったでしょこれ。スパルタな…。
左の親柱にお名前があった。
「寺渕橋」と。
その側面には
「みやがわ」。河川名(宮川)だ。
対して右の親柱には
「てらふちばし」。
そして、側面に見つけたお誕生日は、
昭和41年10月架設。素晴らしい。ここまでで欲しい情報が全て揃った(笑)。
これで心おきなく、
思いがけず見つけたこの半死半生橋を堪能できる。
えー、けしからんものがあからさまに写りこんでますが、ちょ待って(笑)。
つうかアレを見つけた時点で、この不自然な曲がり方と考え合わせて悟らねばならなかったのだが、、気付いたのはもっと後になった。だいたいそんなもんですわ、わたくし(笑)。
さよう、
コレですな。
旧橋…いや、旧々橋遺構だと思われるが、植生がエライことになっててホントにそうなのか確信が持てない。当然ながら後ほど要調査だ。
しかし目を引くのは、この美しいコバルトブルーの水。
この記事後半に登場する玄倉ダム上流の美しいブルーの水は「ユーシンブルー」と呼ばれて名高いのだが、ここはそれにも引けを取らないほどの美しさだと思う。タイミングにもよるのかもしれないが、これはこれで一見の価値ありかも。
橋上から望む、上流側。
そして下流側には、
一枚目写真にチラ見えしていた橋。
この寺渕橋の現橋にあたるが、実はお名前は違い、宮川大橋という。この見え方、当然ながら宮川大橋からもこの橋はまる見えのはずだが…これに引っかかった同業者はいなかったのだろうか?この後見に行った(最後に写真をお見せする)が、なかなかそそる眺めだと思ったけどなあ。
なぜ誰もレポートしてない?
この堂々たる半死半生橋(言いたいだけ)を。
ましてや、
こんなけしからんオプション付きだと言うのにだ。
しかしヤバいなあそこ。真冬だというのになんだあの植生。行けんのか…?
まずは渡りきって、
どうなるか見てみよう。
【2】に続く。