「“CHICAGO”は好きですか?」という質問に、あなたはどのように答えますか?
1.好きですよ、シナトラの♪シッカァーゴ、♪シッカァーゴ、とってもスウィンギーでね・・というヴォーカル・ファン
シナトラ
2.キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、かっこよかったですね。映画だけなくミュージカル公演「シカゴ」も観ましたよ・・というミュージカル・ファン
映画「シカゴ」DVD
3.ロック・バンドのシカゴでしょ。ブラス・ロックの「25 or 6 to 4」に燃えました。若い日の思い出です・・という古典ロック・ファン
シカゴ伝説のカーネギー・ホール・ライブ2枚組みLPのレーベル
4.シカゴといえば、「素直になれなくて」のピーター・セテラは泣けましたね・・というAORファン。
シカゴのピーター・セテラ
さてここでは、4.「素直になれなくて(原題:Hard To Say I'm Sorry)」を取り上げますが、シカゴというブラス・ロックのグループが、世界中で世代が共闘した1969年にCBSレコードからデビューし、70年代のさきがけをなしたことは重要な意味を持っています。
とくに1969年といえば、ウッドストック・ロック・フェスティヴァルがNY郊外で行われ、ジャズ界では時代のさきどりをしてきたマイルス・デヴィスが「ビッチェス・ブリュー」を発表。これがその後の「クロスオーヴァー」~「フュージョン」時代への流れを生み出します。
シカゴも、同じCBSレコードのBST(ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ)と共に、時代を切り開くブラス・ロックの熱いサウンドとスピリットで世界の若い世代に共感を呼びました。
やはり80年代を語るには、70年代のシカゴの代表作を聴いておく必要がありそうです。
(YouTubeで見つけた「長い夜」です。映像はジャケットや静止画ですが音楽はオリジナル・ヴァージョンです。)
「長い夜」とはよく付けたタイトルだと思います。原題「25 or 6 to 4」とは、午前3時34分~5分ごろの時間を指しています。夜明けを待つには早すぎるのに、決して眠らずマンジリともしない状態の心理描写です。
しかし、なにごとも盛者必衰。シカゴも1978年に悲劇に見舞われます。創設からのメンバーの一人でギタリストのテリー・キャスが銃の暴発で死亡します。
その後の低迷からシカゴはCBSレコードを離れ、メンバーもサウンド・ポリシーも大幅に変えて1982年、ワーナーに移籍。満を持してのスロウ・ナンバーがデヴィッド・フォスターとピーター・セテラが曲を書き、デヴィッド・フォスターがプロデュースした「素直になれなくて」でした。
ブラス・ロック時代のシカゴからは、想像もできないAORナンバーでしたが、同年ビルボードの1位に輝きます。シカゴの第二期黄金時代の到来です。
Hard To Say I'm Sorry CHICAGO(D.Foster, Peter Cetera)
これはデヴィッド・フォスターの自分のアルバムジャケット
やはりデヴィッド・フォスターの時代を捉える感覚は、見事でした。この成功を機にプロデューサーとして次々と名作を世に送り、新しい歌手を見つけ出します。前回ブログで紹介したマイケル・ブーブレもそのうちの一人です。
*次回は、デヴィット・フォスターが見出した歌手、ジョシュ・グローバン最大のヒットとなった名曲「ユー・レイズ・ミー・アップ」についてです。
【エピローグ】シカゴのその後。1995年にジャス・レーベル“GIANT”からアルバム「ナイト・アンド・デイ」をリリースしています。一曲目はモチロン「シカゴ」で、「ムーンライト・セレナーデ」「A列車で行こう」「ナイト・アンド・デイ」などスタンダード曲ばかりの名曲・名演です。異色なのはベニー・グッドマンでお馴染み「シング、シング、シング」をジプシー・キングスと共演するなど、ゴキゲンなアルバムでした。こんなジャケットです↓。
シカゴのアルバム「ナイト・アンド・デイ」
メンバーの写真も中に掲載されています。元気でなによりです。
アルバムの見開き写真
1.好きですよ、シナトラの♪シッカァーゴ、♪シッカァーゴ、とってもスウィンギーでね・・というヴォーカル・ファン
シナトラ
2.キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、かっこよかったですね。映画だけなくミュージカル公演「シカゴ」も観ましたよ・・というミュージカル・ファン
映画「シカゴ」DVD
3.ロック・バンドのシカゴでしょ。ブラス・ロックの「25 or 6 to 4」に燃えました。若い日の思い出です・・という古典ロック・ファン
シカゴ伝説のカーネギー・ホール・ライブ2枚組みLPのレーベル
4.シカゴといえば、「素直になれなくて」のピーター・セテラは泣けましたね・・というAORファン。
シカゴのピーター・セテラ
さてここでは、4.「素直になれなくて(原題:Hard To Say I'm Sorry)」を取り上げますが、シカゴというブラス・ロックのグループが、世界中で世代が共闘した1969年にCBSレコードからデビューし、70年代のさきがけをなしたことは重要な意味を持っています。
とくに1969年といえば、ウッドストック・ロック・フェスティヴァルがNY郊外で行われ、ジャズ界では時代のさきどりをしてきたマイルス・デヴィスが「ビッチェス・ブリュー」を発表。これがその後の「クロスオーヴァー」~「フュージョン」時代への流れを生み出します。
シカゴも、同じCBSレコードのBST(ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ)と共に、時代を切り開くブラス・ロックの熱いサウンドとスピリットで世界の若い世代に共感を呼びました。
やはり80年代を語るには、70年代のシカゴの代表作を聴いておく必要がありそうです。
(YouTubeで見つけた「長い夜」です。映像はジャケットや静止画ですが音楽はオリジナル・ヴァージョンです。)
「長い夜」とはよく付けたタイトルだと思います。原題「25 or 6 to 4」とは、午前3時34分~5分ごろの時間を指しています。夜明けを待つには早すぎるのに、決して眠らずマンジリともしない状態の心理描写です。
しかし、なにごとも盛者必衰。シカゴも1978年に悲劇に見舞われます。創設からのメンバーの一人でギタリストのテリー・キャスが銃の暴発で死亡します。
その後の低迷からシカゴはCBSレコードを離れ、メンバーもサウンド・ポリシーも大幅に変えて1982年、ワーナーに移籍。満を持してのスロウ・ナンバーがデヴィッド・フォスターとピーター・セテラが曲を書き、デヴィッド・フォスターがプロデュースした「素直になれなくて」でした。
ブラス・ロック時代のシカゴからは、想像もできないAORナンバーでしたが、同年ビルボードの1位に輝きます。シカゴの第二期黄金時代の到来です。
Hard To Say I'm Sorry CHICAGO(D.Foster, Peter Cetera)
これはデヴィッド・フォスターの自分のアルバムジャケット
やはりデヴィッド・フォスターの時代を捉える感覚は、見事でした。この成功を機にプロデューサーとして次々と名作を世に送り、新しい歌手を見つけ出します。前回ブログで紹介したマイケル・ブーブレもそのうちの一人です。
*次回は、デヴィット・フォスターが見出した歌手、ジョシュ・グローバン最大のヒットとなった名曲「ユー・レイズ・ミー・アップ」についてです。
【エピローグ】シカゴのその後。1995年にジャス・レーベル“GIANT”からアルバム「ナイト・アンド・デイ」をリリースしています。一曲目はモチロン「シカゴ」で、「ムーンライト・セレナーデ」「A列車で行こう」「ナイト・アンド・デイ」などスタンダード曲ばかりの名曲・名演です。異色なのはベニー・グッドマンでお馴染み「シング、シング、シング」をジプシー・キングスと共演するなど、ゴキゲンなアルバムでした。こんなジャケットです↓。
シカゴのアルバム「ナイト・アンド・デイ」
メンバーの写真も中に掲載されています。元気でなによりです。
アルバムの見開き写真