{作詞:北山修、作曲:杉田二郎、編曲:馬飼野俊一)
1970年に北山修が詞を書き、当時ジローズとして活動していた杉田二郎が曲を書いた「戦争を知らない子供たち」は、最初は大阪万博で歌われたアマチュアフォークグループのライブがレコードになったそうですが、翌年デュオになったジローズ(第二次)が録音して発売しました。
ジローズは、ジロー名の3人(杉田、塩見大二郎、細原徹次郎)で結成されて「あなただけに」が地元大阪のMBS深夜放送でヒットした実績もあったものの、第二次では杉田と森下次郎の二人編成として発売した2枚目が「戦争を知らない子供たち」です。なお森下次郎の本名は悦伸だそうで、無理やり次郎を芸名としてつけられたそうです。
まずはジローズのレコード音源で「戦争を知らない子供たち」です。
ボクもこのシングル盤(17センチ45回転)を買って持っているのですが、ある時ちゃんとしたオーディオ装置で聴いたときに驚いたのは、1番の歌は左スピーカーからのみ杉田二郎の歌唱が聴こえ、2番は右スピーカーから森下次郎の歌が聴こえ、3番はその左右のバランスのまま二人がセパレートのまま歌うという、聴きなれないステレオの定位だったことです。
ステレオ機器が高級家具調だった1960年頃に、購入者へのおまけレコードとしてプレゼントされ、ステレオ効果が分かり易いように「ピンポン玉の音がが左右に動く」臨場感や、アナウンサーが右スピーカーから左スピーカーへ歩きながら移動する様を録音したトラックが入っていました。それから10年は経っていたはずの1971年になってボクは、シングル盤の「戦争を知らない子供たち」の左右バランスを聴いて、ビックリしたことを覚えています。
余談ながら、ビートルズが1969年に発表した(実質的な)ラストアルバム『Abby Road』のB面最後の曲「Her Majesty」で、ポールがギターを弾きながら右から左へ歩いて移動している位置が分かることで知られていますが、ジローズの録音もそれに倣ったのでしょうか(笑)。共に同じ東芝レコードからの発売でしたからね。 その後もこの歌は半世紀にわたって歌われ続けたフォークソングとして、現在も愛されている曲です。
先日、朝日新聞のコラム「リレーおぴにおん」に、北山修さんがこの曲について「臆病さ歌おう 戦争知らなくても」という見出しで書いておられました。少し引用します。
「若者が平和を語ると親世代から『戦争の恐ろしさも知らない子供のくせに』と批判が来る時代でした。」「敗戦翌年に生まれた僕にも、戦争を知らないのに平和を語れるのかという逡巡がありました。」「でも僕は『戦争はイヤだ、戦いたくない』という気持ちを素直に表現できることが大事なのだ・・」と綴り、最後に「あの曲は、反戦歌ではなく厭戦歌です。」
不思議に思うのは、この同じ時期に京都では北山修が世代の共感を生むメッセージ性の強い歌詞を書き、東京では松本隆が都市の心象風景をはっぴいえんど「風街ろまん」に描いたことです。これは「共時性」と訳される「シンクロニシティ」なのでしょうか。精神科医の北山修さんにこそ、訊いてみたいものです。 次の「戦争を知らない子供たち」は、2010年頃でしょうか。放送番組の公開録画ライブで、杉田、森下の二人が歌っています。
次はNHK-BSで放送された北山修のソロ歌唱です。バックは、吉川忠英(g)、安田裕美(g)、浜口茂外也(per)とベースの4人です。
この曲は誰もが歌う曲であることからか、カバー録音が意外に見つかりませんでした。フォークといえば研究家でアルフィーの坂崎幸之助が、ギタリストとして人気の高い押尾コータローと二人で歌っていますが、この動画を取り上げたのは、押尾コータローが珍しく歌っているからです。
北山修は実に多才な人で、作詞家、音楽家、神経科医、作家以外にも、自切俳人(ジキルハイド)名義でニッポン放送のオールナイトニッポンの人気パーソナリティでもありました。1967年に発売した「帰って来たヨッパライ」で空前の大ヒットを飛ばしたザ・フォーク・クルセダーズの中心人物だったことはいうまでもありません。 還暦となる2006年には、大阪・フェスティバルホールで『きたやまおさむ ザ・還暦コンサート』を開催するなど、78歳の現在も活躍しておられます。
【番外編】 若い世代の人気ロックバンド、My Hair is Badのレパートリーに「 戦争を知らない大人たち」という曲があります。もちろん歌詞もメロディもサウンドや曲想も違います。 しかもデビューシングル「時代をあつめて」(2016年)にカプリングされた曲。いずれも「風をあつめて」と「戦争を知らない子供たち」へのオマージュだとすると、これは世代を超えたメッセージではないかと、popfreakは少し頼もしく思ったりしています。