{作詞作曲:J.フックスバルガー、ウド・ユルゲンス、訳詞:なかにし礼}
これはオーストリア出身の歌手で作詞作曲家のウド・ユルゲンスが、1967年に自ら歌唱してドイツ語圏で大ヒットさせた「夕映えのふたり」(原題:Was ich dir sagen will)が原曲です。ウド・ユルゲンスのオリジナル歌唱映像がYouTubeに上がっています。
ボクの記憶では、オリジナルがドイツ語歌詞の世界的なヒット曲は余り多くなく、戦前にマレーネ・ディートリッヒが映画『会議は踊る』(1931年)で歌った「Das gibt's nur einmal(邦題:ただ一度だけ)」と、戦時中にヨーロッパで歌われた「リリー・マルレーン」(ララ・アンデルセン・歌)くらいでしょうか。この曲は日本では、鈴木明氏が1970年開催の大阪万博に出演していたディートリッヒの歌唱を聴いたことがきっかけで著した『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』がベストセラーになったことで、広く知られるようになりました。
ドイツ語オリジナル曲の余談ですが、70年代後半に突然沸き起こった一連のジャーマンディスコの代表曲「ジンギスカン」は、ドイツでしたね。ズンチャカ、ズンチャカといかにもゲルマンな二拍子が印象的でした。ジャーマン・ディスコの双璧は「怪僧ラスプーチン/ボニーM」でしたが、こちらは英語詞でしたね。もちろんドナ・サマーも英語の歌唱で活躍しました。ちょと脱線。
ウド・ユルゲンスは、1934年生まれで地元の音楽学院でピアノや作曲法を学び、16歳から作曲コンクールで自作曲が入賞したり、1964年のユーロヴィジョンソングコンテストでも上位入賞するなど活躍していて、そのジェントルなルックスから日本でも女性ファンが多くいました。
そのウドがこの曲(最初の邦題は「夕映えのふたり」)を発売したのは、1967年のようです。それが4年後に日本でなかにし礼の訳詞により、ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカル前野曜子の歌唱で大ヒット。1972年2月14日から4週間連続でオリコンの1位を飾りました。 ペドロ&カプリシャス(前野曜子/歌)
さてカヴァーも多く残されていますが、まずは日本人女性シンガー、宇多田の母こと藤圭子です。
次はボクが一時愛聴していたイタリアの歌手、イヴァ・ザニッキの「別れの朝」。1969年の古いライブ映像です。ボクはこの人のLPを持っていて、歌いながら泣いていることが伝わる感動作でした。この曲ではありませんが・・・。
今度はチェコの歌手、カレル・ブラシュの「別れの朝」。そういえばチェコには、カレル・ゴットという国民的歌手がいましたが、その後どうしたのでしょうか。
最後は台湾から、テレサ・テンこと鄧麗君〈デン・リージュン〉です。もちろん日本語での歌唱です。
他にもこのドイツ語原曲「Was ich dir sagen will」は、イタリア語、ギリシャ語、クロアチア語、チェコ語、トルコ語、フィンランド語、フランス語、ベトナム語、ポルトガル語、中国語、韓国語、そして英語に翻訳されて世界中で歌われ聴かれ続けました。まさに世界の愛唱歌ですね。
なおウド・ユルゲンスは1934年9月3日にオーストリアに生まれ、2014年12月21日にスイスにて80歳で亡くなっています。