葛の葉は、楠の葉!? 〜三輪山と鹿と日田の女神 | かんながら

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旅の記録です

7月31日。

 

わたしにとっては、大きな縁日である。

この日が誕生日の人がたくさん配置されていることもあるけど、

 

 

この日は、わたしが母になった日、でもある。

 

 

翌日は大きな花火大会があるから、クルマを出せないからと、

前日に出産したことを嫁ぎ先からはとても喜ばれた。

 

 

自分の誕生日に母に感謝のメールをするのは恒例になってるけど、

自分が母になった日のことは忘れてた。

 

 

置いてきた子とは交流がないから。

 

 

自分が頼んだ社会派の女性弁護士に、まさか「(子どものしあわせのために)面会を求めない約束」をさせられるとは思っていなかった。

「お母さんは死んだ、ってことになってるやろうから」って仲間にも言われたし。

あれは、阪神淡路大震災のあと。

 

 

最後に元旦那と子どもにあったのは、はじめての伊江島から帰ったあとだった(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に)。

 

 

 
 
悲しみは癒えなかった。
だから、「運命」って受け入れることにした。
 
 
同じ目に遭いたくないから、次は入籍せずに出産した。
事実婚を10年。
経済的な理由で子どもを手放すように説得されたからパートナーを主夫にしてがむしゃらに働いた。
 
 
なのに何の因果か、また同じ目に遭った。

ほんの半年だけ入籍したせいで。まるで離婚して親権を渡すために入籍したようなものだった。

 

電話相談の仕事で独立して、スペインの巡礼路カミーノ 1000キロを歩いて帰国してほどなく、東日本大震災が起きた。

 

 

今年は明治天皇百十年祭で、7月31日も祭である。

鎮座100年を記念して作られた鳥居は、吉野杉。

 

この間なぜか運ばれた吉野(龍神さんがつなぐ旅 その4 〜 龍の住む川上村へ)。

南朝。後醍醐天皇。

そして、鏡。

鏡からつながるものは、「あかねさす」の額田王(ぬかたのおおきみ)。

天智天皇・天武天皇ふたりの妻になった人。

 

 

その建て替え工事がはじまったのはちょうど立春前で、旧正月に大神島で不思議なことがあって(大神(おおみわ)から大神(おおがみ)へ その2 〜三輪そうめんがつなぐ縁)、三輪そうめんがたぐりよせたのか、大神島の神様を明治神宮に招くことになった。

 

しかもその早朝、記録によるとわたしはなぜか陛下の車が明治神宮に入っていく夢をみたようだ。

「鳥居がはずされたから、大神島の神様が入る」って言われた。大神島の神様には。

 

 

そして、鳥居ができて、大神島の神様は再び明治神宮に遊びにきた(天神祭は亀戸へ 〜真っ赤なウソが出すものは)。

しかも、「利島で、イルカと会ってきた帰り」って言ってたけど、

それもすごく意味あるのかも。

 

 

イルカ。

そして、今、明治神宮は、吉野の杉が結界をはっている。

そういえば、吉野とつながる熊野には、太地があり、鯨やイルカとの縁が深いんだった。

 

その日のシメは「蝶花楼桃花」さん。

桃と蝶。

 

 

旧正月の大神島の神様のご訪問からまた時間が経って、見える景色が変わってきたよ。

 

 

天神祭の日に明治神宮に大神島つながりの人をご案内した翌日、

大神島で旧正月に会った大分のひめ神さまと電話で話した。

いつもなかなか連絡つかないのに、この日はめずらしく一回で繋がって、

しかも彼女も「話したいと思ってた」って言ってくれた。

 

 

彼女は変化のときが訪れて、次に向かう場所を探っていた。

ちょうどその日の朝伊勢平氏おじさんにまたしても「フラれた」あとだったから、

何となく自分の近未来を重ねて彼女の話を聞いた。

 

 

彼女とはいつも、はりみず御嶽をご一緒している。

 

わたしが三輪山のそれと全く同じの、人蛇婚伝説を知ったのもそこである。

そして最後にあったときも、はりみず御嶽で待ち合わせして、カフェでお茶して

「エーゲ海で会いましょう」って別れた(私の帰る場所 〜みやこを結ぶ旅 ふたたび)。

 

 

ギリシャ。

 

このあいだ行った、トルコ(籠から出て向かう先 〜飛んでイスタンブール)のその先。

あの旅では、エーゲ海の街に行った。

イズミル。そこには、聖母マリアが晩年を過ごしたって家と、古くからいたと言われる月の女神の神殿、そしてクレオパトラも歩いたという大きな道のある遺跡があった。

 

 

彼女と出会った頃の彼女の投稿をもう一度見直してみて驚いた。

彼女は、「しっぽワーク」なるものをやっている。

ようはグラウンディングするのがいい、ってことみたい。

 

 

 

相良姉妹の岳滅女鬼伝説。

 

鹿の角だ!

鹿は志賀海神社の「しか」で、「滋賀」でもあるってきいた。

香取神宮も、もともとは「鹿取」だっていう噂。

三島大社にも、奈良の春日にも鹿がいる。

わたしはまだなにもわかってないが、鹿はまちがいなく、なにかのサインであろう。

 

 

最後の鬼は女。

 

金銀錯嵌朱龍紋鉄鏡 鉄の鏡!!しかも、聖徳太子の匂いがする。

なぜなら、松原湖畔でみたあの剣(三寅剣=さんいんけん)とどこか似てるから(島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その2)。

 
最後の女の鬼?
九州のあのあたりにいたのは卑弥呼では?
しろくまさんがいた頃、英彦山に行ったとき、狼煙をあげて都まで数分で伝達したって話も聞いた(ミホのススミに誘われて 〜美保神社の諸手船(もろたぶね)神事)し。
 
 

調べたらいた、

所神社(大分県日田市)の久津媛(ひさつひめ)。

 

久津媛。わたしには「くずひめ」にしか読めない。

としたら、国栖でしょ。

 

橿原考古学研究所所長だった菅谷文則先生(故人)に、

「私の出身は国栖で、しっぽが生えている」って聞いたことがある(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 番外編 ”ホッキョクオオカミ”

 

「しっぽ」きたよ。

 

国栖。くす。

 

奈良の国栖と、日田の久津媛。

裏と表?

 

「うらみ葛の葉!!」

 

恋しくば訪ねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

 

安倍晴明の母が、家を出されるときによんだといわれる歌(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その2 和泉の森編)。

 

きたよ。

わたしの母親記念日に。

 

 

東北の瀬織津姫を訪ねた旅(夏越の大祓はくくりの旅へ 〜盛岡 三ツ石神社と 遠野(メモ的に))から帰って、早池峰山の水をかけたら輝いたマヤラン(くくり姫から摩耶さんへ)。

 

だんだん妄想が暴走してきたよ。

 

 

久津媛 瀬織津姫 菊理媛神。

そういえば、このあいだ丹後の神人のところにいったとき(龍神さんがつなぐ旅 その3 〜 なにわの阿波に棲む神と丹後へ

新暦の七夕から旧七夕まで神人の神棚に祀ることにしているという福島の弁財天のお軸を見せてもらった。

 

 

八臂弁財天(はっぴのべんざいてん)っていう、って教わったけど、

8本の手に煩悩を破壊する道具を意味する武器を持つインドの女神カーリー神だった(天竺の女神があらわれた!? 〜シヴァ神とカーリー神と乙女座新月)。

 

 

だいたい、あの日の朝、瀬織津姫の神社、大阪の御霊神社に行っている。

「阿波座」の。

今もう強烈に眠いけど、とにかく記録しないと。

 

 

 

なぜか青山善光寺に連れられていった。なにものかに。

以前に、サマリーさんにも歩いてもらったことがある(靖国神社から青山へ 〜陸軍と青山)。

 

入っていまさらながらに、あの赤く塗られた門をみて、はじめて

 

 

 

「牛にひかれて善光寺まいり」の牛って、

「もしかして牛頭天王?」って思った。

 

 

八坂神社に何となく似てる。

 

 

牛=牛頭天王だったら、なんか腑に落ちる。いろいろが。

 

 

となりは秋葉神社。

表参道の入り口は、秋葉神社と善光寺が配置されている。

 

秋葉神社といえば、縄文家族さんに案内してもらった、天竜の旅の最後(赤と青の龍が出会う場所 〜ようやく天竜へ)。

あの日はたまたま秋葉山本宮秋葉神社の火祭りの日で、祭りの時間に伊勢に火球が飛んでいったというニュースがあった日であった。

 

秋葉の神は、わたしにとっては、三ツ石で、ヒヌカン(日の神・火の神)、三宝荒神だからね。

 

 

 

こんなときには、愛が集まる。

ほとんど何も食べられない。

水も飲めない。

 

だからご飯に行こうと誘われる。

「生きてる?」って。

 

お友達との話題は、自閉症気味の子どもとの関わりの話。

彼女もサイキックなので子どもの感情が手に取るようにわかる。

自閉症の子どもは、赤ちゃんとはうまくやっていけるのに、自我が芽生えるころくらいの子たちとうまくやっていけないと聞いた。

 

 

そしてそんな子たちが、そのままでいられる社会の受け皿がないことを、若い友人はとてもつらいと悩んでいた。

 

 

わたし自身が居場所がない、と感じているのと同じように、

社会に居場所がない子どもたちがいる。

 

 

若い友人はそのことに気づいて胸を痛めていて、

わたしの危機も察してきてくれたようである。

 

 

今の社会は、自閉症と呼ばれる子たちやわたしみたいな存在を必要としていない。

 

人間を「使える」「使えない」で振り分けていらないものは切り捨てる。

 

 

相模原で障がいを持つ人たちがたくさん殺されたとき(相模原障害者施設殺傷事件)、

社会は震撼してたけど、わたしは、彼は深い意識にあるみんなの思いが憑依しただけって思った。

 

 

前にも書いたけど(働かざるもの、食うべからず 〜自分への無意識の暴力)、

働かざるもの、食うべからずって思ってるじゃん。みんな。

 

 

伊勢平氏おじさんがわたしにしつこく「自立して」って言ってたけど、

それはあなたの社会の人質の居場所を奪うことになるのに、ってずっと思ってた。

 

 

現実的なことができない人は、現実的なことが得意な人が気づけないことを気づいて整えることもできる。

芸術家が金勘定に邁進して売れるものしか作らなくなったら、文化や芸術は途絶えてしまう。

 

 

そんなアーティストを支える旦那衆がいて、持ちつ持たれつやっていけたから、うまくいっていた。

 

本当に豊かな社会は、多様性を認めていくことでしかつくられない。

 

 

ヨギの治療師は熱田神宮に行ったらしくて、こちらも久しぶりに飲み会。

このあいだ通り掛かりにふらっといった店。

 

「お友達つれてきてね」っていわれて、

「またきます」って言っちゃったけど、考えてみればワイン飲む友達はビーガンで、行く相手がいなかった。

 

 

夕方にひつまぶしを食べてきたからあんまり食べれないってヨギの治療師は言っていたけど、

結局わたしと同じだけ食べたような。

 

2本あけたはずのワインがどこに消えたのかわからない私であるが、

彼はきっと食べたものがどこかに消えてしまうと思われる。

 

会った友達がもれなく「生きてる?大丈夫?」って聞くから、

「もうすぐ死ぬ人のにおい(いのちをありがとう)してない?」って聞いてみた。

 

 

ヨギの治療師はイヌのように鼻をくんくんして「ちょっとする」って答えた。

どうも神がかってくると食事できなくなって、そのにおいがするっぽい。

「山から降りてきなよ」って言ってたころ(山から降りて帰る場所 〜幻想の世界をリアルに生きれるか)もまさにそんな感じだった。

 

ヨギの治療師が前に指摘したように(なぜか、こんな流れに)わたしには見える世界に強弱がない。

これはわたしの推測だが、生まれたばかりのころは皆そうなのだと思う。

 

そのうち「自我」ができて、「(自分にとって)大事なこと」と「そうでないこと」ができる。

そうして、自分の世界を形成していく。

でもそれは、人との関わりの中で必ずしも一致していないから、苦しみの種にもなる。

 

わたしはいつも変わっていて、人との関わりのなかで「大事なもの」が一致しなかったから、それにこだわることをやめた。

平(たいら)かにみる訓練をした。

それは、奇跡のコース(A course in Miracles)のレッスンとも同じだった。

 

わたしは、わたしを消していくことで、苦しみからは自由になれた。

でも、「わたし」をなくしたことで、社会での居場所もなくなった(天竺の女神があらわれた!? 〜シヴァ神とカーリー神と乙女座新月)。

 

わたしにカーリー神のことを教えてくれたババ友も同じことを言っていた。

 

 

「山から降りておいでよ」とヨギの治療師は何度も言ってくれたが、

山から降りていく先がない。

 
 

今の社会は、自我を消した透明なわたしのことは気づいてくれない。

きっと、木々も動物たちも、海も川も。

 

 

だから、自然は枯渇しつづけている。

 

 

 

熊野の神が、自然であれば、

神は侵されていなくなった、と思う。

拝んだって自然は力を取り戻さない。

 

 

木々や動物のスペースをつくってほしいだけ。

過剰な手入れも必要ない。

自然のあるがまま、を大事にしてもらえたら、

木々も動物も水も復活する。

 

 

そして行き過ぎたバランスが元に戻るまで手当をしてほしいだけなのである。

 

 

空蝉(うつせみ)。もうわたし土の中から出られたかな。

 

 

美保の雲津諏訪神社(ヨミガエリの旅 その1 〜美保関から出たものは・雲津諏訪神社編)からメッセージがきたので、

ちょうど今日(7月31日)は、あかるひめの神社の関係で住吉大社に造花の桔梗を届ける習慣があるんですよ、って言ったら住吉大社に寄ろうと思うと言っていた。

 

もしかしたら、桔梗は帰郷かな。

今変換したら「帰郷」って出たよ。

 

 

もうすぐ、旧七夕。

 

 

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