いのちをありがとう | かんながら

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旅の記録です

映画「天気の子」を観たヨギの治療師が、

 

美志摩ちゃんとイメージ重なりすぎ。

いちばんのセリフは僕の気持ちと重なるけれど、「自分のために祈って!」です。

 

と言ってきた。

 
 
2週連続安須森に行って、東京に帰った日(2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その2 ふたたび安須森へ)。
 
 
「11月の中頃まで、もうすぐ死ぬ人の匂いがして心配してたんだけど。」
「!?」
「ずいぶん、それ、弱まったね」

 

 

ヨギの治療師は、「死のにおい」がなくなったことをすごく喜んでくれる。

 
 
主人公の女の子は、天から帰って呼び戻した彼とまた出会う。
彼と恋をして、家族を持ったら、天気の巫女にはもうなりたくないだろう。
 
 
家族って、そういうものなのだ。
 
 
リブログ先の以前の記事(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その2 和泉の森編)にも書いたが、
わたしが、自分が家族を持っても、「家族が何より大事」と思わなかったのは、わたしが生まれた環境があまりにも特殊すぎたからなんだろう。
家族という枠組みからはずれたものの行き場のなさ。
 
 
わたしの存在がないことによって、母が、父が、父の再婚相手の家族が、しあわせであれば、それでいい、って思った。
そうでも思わなければ、50年前、離婚や母子家庭に対する偏見やいじめは壮絶で生きていることができなかったから。
 
 
 
で、今の自分。
 
 
 
「天気の子」をきっかけに「家族」と「わたし」を振り返って「葛の葉」にいきついたのだが、
ざっと辿っただけでも、「調わなかった宿題」のオンパレードである。

 

 

「崇神天皇は、ミムロ神とアマテル神を放遂した」と書かれた本を見て、

 

ミムロ神は、三諸神。みーさん。

わたしの中ではみーさんは、沖縄の三ツ石信仰の台所の火の神ヒヌカンと同じ神だと思っている。

三宝にのっかっているのは、龍蛇神として祀られたセグロウミヘビ、イラブーである。

そしてそれはわたしの中では「荒神さん」と呼ばれる神様と同じだと睨んでいる。

 
 
って書いている。ちょうど、この正月に熊野神社から、荒神札が部屋に来たばかりだ(荒神とアフリ 〜熊野・沖縄・大山・大三島・そして、白山?)。赤い龍・青い龍、そして白い龍。沖縄の熊野信仰とどうも重なるらしい、ということも(安曇の庭から琉球へ 〜瓢箪から駒は出るか?!その1 天上界の神様)。
 
そして、

桜井市鹿路鎮座 天一神社。

御祭神は天目一箇命(あめのまひとのかみ)。

天御中主神につながる神、ってなにわの審神者(さにわ)はいう。

 

それもまだピンとこない。

 
三方五湖、東大寺の修二会、東大寺の先(元)にあるオリエントな狛犬(シーサー?)。
宿題山積みである。
 
ちょうどその頃は、この夏の伊勢平氏おじさんと八ヶ岳合宿のクライマックスの頃(島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その1その2その3)だ。
 
 
ヨギの治療師がいうにはいちばん最初に、「死のにおい」の変化を感じたのは「お台場に行った頃」と言っていたから、まさに25年前の振り返りの時期である。
いろいろ不思議すぎて笑えるが、まさに亀好きの元ダンナのもとに居候させてもらっていたとき、ほんの十数メートルの距離の場所に、ヨギの治療師もいたらしい。
 
何より、彼がわたしの前に現れたのは、この旅で、伊勢平氏おじさんのオナリ神になる(そして、七夕 〜旧暦七夕の1週間(旧盆)に起きたこと)と決めたタイミングだったのだ。
 
 
彼は(彼自身のことを)「バーラサイババが連れてきた」と言っていたが、今世終えるときめてきたはずの課題を終えられてないわたしの寿命を延ばしにきてくれたのか。
そういえば、丹後の神人の御神前に最初に上がったときに下された御神示にも「間に合わないかと思った」とあったんだった。
 
 
秋からはちょっと回り道した。
でも、準備もできた(と思う)。
いのちをありがとう。
 
 
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