靖国神社から青山へ 〜陸軍と青山 | かんながら

かんながら

旅の記録です

 
 
明治天皇御製
 
天地のなしのままなる世のをしへ
まもる心ぞ身のまもりなる
 

 

 
 

菊が目についた日

 
菊理(くくり)媛神
陽が極まる重陽は、9月9日だが、夏至もまた同じサインか。
 
菊理とは、わたしには、「きく、理(ことわり)」。
 
 
 
 
しろくまさんとの最初のイベントは
御蔵島のドルフィンスイム。もう12年前になる。
 
スピリチュアル系のセラピスト仲間で行ったときのメンバーのひとりが、しろくまさんが亡くなった直後にわたしが弱ってるのをみて温泉に行こうっていってくれてた。
 
2年越しにようやく実現。
わたしが、行けなかった。
コロナだからじゃなくて。
 
実はそのツアー以来初めて会う。
 
彼女はいるかみたいな人。
泳ぎが得意で、ドーバー海峡を泳いだらしい。
水のイメージしかない。
 
本人も「冬はスキー、夏は海にいたい」って言ってて、
「意外だね」って言ったら
「雪も水だから」
 
なるほど。
 
12年のうちに、ご主人と出会って、結婚して、出産して、もうそのお子さんも年長さん。
 
しろくまさんが連れてきてくれたんだろうって思う。
純粋な彼の周りには純粋な人たちが集まったから。
 
 
わたしの方は・・・「あなたの周りは全員ダボハゼ(わたしたちが、願う通りに。)です!」との月読釣人さんのコメントから推して知るべし。
 

 
彼女の食べる量に圧倒された。
わたしもうこれだけでお腹いっぱい。
 
彼女はさらにあんみつを食べていた。
もうコーヒーいっぱい入んないって思った。
 
 
いいなぁ、いっぱい食べられるって。
あんなときあったよな、わたしも。
 
 
家に帰って荷物を下ろしたら、このあいだの多摩湖から八坂神社で連れてきた方々の存在をふと思い出した。
あの旅(牛頭天王と、馬頭観音 〜夏至直前・祇園祭に出るものは 鶴と亀?)で歩いたのはせいぜい5キロくらいだと思うのだが、帰ったら昼過ぎで、そこから翌朝4時まで昏睡したみたいに眠った。
 
なんだったんだろう?
って思ったが、あ、あれは東京陸軍少年飛行兵学校(陸軍少飛)関係だ、って思い至った。
 
なにわの審神者(さにわ)の提案で、「靖国神社にお連れして神上がりしていただく」ってしくみにしてる。
償うのではなく、あがなう。
 
A Course in Miracles(奇跡のコース)にでてくる難解ワード「atonement」。
あるとき、贖(あがな)いっていう言葉が、腑に落ちた。
 
 
罪や後悔をひとつずつ癒すのではなくて全部、良きことに変えてしまう。
それは「今この瞬間、しあわせでいる」こと。
 
 
仏教は過去をみて、神道は未来をみる、と教えてくださった方がいるが、
「今この瞬間」をしあわせにできたら、過去も未来もすべてが「よかった」と書き換わる。
 
 
ぎょ!!この日2匹目の蛇だ!!
しかもこんな、参道のど真ん中に。
こちらはアオダイショウ(たぶん)。
 
今朝、代々木公園のそばの土手で遭遇した蛇はこんなもんじゃなかった。
直径4センチはあるぶっとい黒い、しかもすごく長いやつ。
全長はわからない。頭は隠れていたから。でも少なくとも見えたところまでで80センチほどは余裕であった。
 
いつものように「クワの実残ってないかな」って思って土手のきわきわを歩いていたら黒いホースが垂れ下がってて、
 
「なんだろ?」って近づいてみたら、先っぽが細くなっていた。
 
蛇だとわかった瞬間のわたしのショックを文字になんか到底できない。
たぶん2メートルぐらいは飛んだと思う。自分が。
 
しかし、なんのメッセージなの。
東京にきて街中ではっきりと蛇をみるのは初めてだよ。
しかも、ひとりのときに。
 
「いたよ」って話をきいたことはあったし、森の中のしげみのちょっと遠く離れたとこでみかけたことはあったけれども。
 
 
大村益次郎。
今ようやく頭にはいったけど、日本陸軍の創始者ってことになっているのか。
「適塾(大阪)」の塾頭だったとは。つまり医者?!
 
靖国神社の前身の東京招魂社の設立に動いた人。
 
上野の西郷隆盛像と向き合うように立っているっていう噂。
なぜかは不明。
 
 
 
 
菊の御紋。
 
 
空いている。
靖国神社はもう何度も来てるけど、こんなに空いているのははじめてかも。
 
正式参拝。
本日も貸し切り参拝。
 
わたしの祖父も軍人だった。
戦地で亡くなったが、ここには父の強い意思で祀られていない。
そういう人たちもいっぱいいる。
 
彼らの純粋な思いの力を借りて、わたしたちが、彼らの犠牲に恥じない「今」をつくるのだ。
 
 
過去(カコ)は、籠(カゴ)だ。
わたしたちは、ついに、カコというカゴから出たのである。
 
 
 
 
一夜明けて。
仙台の島巫女仲間の勧めで会津藩の松平容保の本を読んだ。

 

 

どうも会津藩に対して長州藩はえらい仕打ちをしたらしい、ということはなんとなく聞いていた。
それにより、なんとなく「長州苦手」と思うわたしがいる。
 
しかも「長州=陸軍」って聞いてて、
陸軍といえば、幼いころテレビで何度かみてその恐ろしさが忘れられない映画「八甲田山」と「731部隊」しか思い浮かばないわたしなのである。
 
 
でも、サマリーさんは長州藩の吉田松陰先生の崇敬者である。
それはおかしい。おそらくわたしが長州藩を誤解していると思われる。
いったいどうなってるんだろう?
やはりこれは本人に聞くべきである。
 
昨日赤穂浪士の泉岳寺にお参りに行っていたというサマリーさんに直接お訊ね。
 
待ち合わせの駅に向かってる最中にある石碑がちらついて、どうしても連れてけっていわれるから、無理やり歩いてもらうことに。
さすが陸軍関係者。青山もまた、陸軍練兵場。
 
 
 
駅に向かう途中、「青山」って文字が浮かんで、しかも「せいざん」って出てきた。
 
「人間(じんかん)いたるところ青山(せいざん)あり!!」
 
全文はこれ。
 
将東遊題壁
釈 月性
 
男児立志出郷関
学若無成死不還
埋骨豈惟墳墓地
人間到処有青山
 
男たるもの、一旦志をたてて故郷を出たなら、
学業の成就をみなければ、いかなることがあっても、故郷に帰るものではない。
自分の骨を埋める場所は、必ずしも先祖代々の墓だけではない。
この世にはどこに行っても、骨を埋める青山はあるのだから。
 
 
 
「青山墓地」って、馬から落ちて落馬するみたいな名前だった。
 
 
 
 
それにしても、なんか昨日読んだ「元少年飛行兵の手記」の内容とかぶる。
少年兵たちが持っていた共通の思い。
 
釈月性という僧が作ったと言われるこの詩は、江戸時代の末期に作られた。
ということは、つまり幕末?
 
 
善光寺の境内になぜか目立っていたソテツの木。
蘇鉄については以前の記事(蘇鉄がもたらす福音の予感 〜龍田神社と聖徳太子)にあるが、わたしには、イエスのエルサレム入城のサインである。
あれは、「過越のころ」
復活祭の前(というか、イエスが処刑されるころ)。
 
 
「過越」はWikiによると
十番目の災いは、人間から家畜に至るまで、エジプトの「すべての初子を撃つ」というものであった。神は、二本の門柱と、かもいに、子羊の血がついていない家にその災いを臨ませることをモーセに伝える。(出エジプト記12:1~14)つまり、この名称は、二本の門柱と、かもいに、子羊の血のついている家にはその災厄が臨まなかった(過ぎ越された)ことに由来する。
 
これの物語が、鳥居を赤く塗ったり、茅の輪をくぐったり、っていう起源になっている。
蘇民将来=牛頭(ごず)天王(素戔嗚尊すさのおのみこと)
 
 
「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」(ヨハネによる福音書 12:25)
 
 
特攻で亡くなった英霊は、「志」を持っていた。
自分のいのちより、「志」を大事にした。
 
自分の命より、大切なものを選んだのだ。
 
 
 
以前の記事(靖国神社の桜にコロナを思う)にも書いたけど、わたしも含めて、今の世の中では残念ながら理解されないであろう。
だって、コロナ問題見てても思うもん。
 
みんな自分の命の心配しかしていない。
 
 
でも、それが「ザ・人間」。
 
 
 
このあいだ「国破れて山河あり」が浮かんだけど(夏が来た!地球をまわそう 〜因果因果の展覧会)、
人間が動物だとしたら、「自然」なのだ。
 
だから、「自然」なことをとる。
 
 
国が破れても、人は、生き続ける。
 
 
そういえば、聖徳太子って厩戸(うまやど)皇子って言われるんだったっけ。
そして、山梨とか、長野とか「御牧(みまき)」って御料牧場に関係するあたりには聖徳太子伝説があったりする。
 
馬のサイン。「馬」。
 
つい最近書いたけど、加波山(自由民権運動)も、秩父(秩父事件)も、「馬」の場所(牛頭天王と、馬頭観音 〜夏至直前・祇園祭に出るものは 鶴と亀?)。
 
でも、「牛」にひかれて善光寺まいり(謎)。
 
 
このエリアの氏神様は、「青山熊野神社」。
善光寺(牛に引かれて善光寺詣り)のある青山エリアに、熊野神社(牛頭天王)。
 
牛つながり。
 
青山(せいざん)は、(そもそも)墓地。
 
 
しかし、月性の「人間いたるところ青山あり」。
あまりにもこの地にハマりすぎる。
 
 
 
「自然」でない選択。
それは、意思なのか。
意思だとしたら、誰の?
 
 
わたしが、わたし、だと思っている意識は、一体誰のものなのか。
 
わたしはまだ、眠らされているような気がする。
 

(関連記事)