(日越協同組合)

 

志位議長の講演の5月20日分でこんなやり取りがありました。

 

 

中山 今日寄せられたたくさんの質問が、私の手元にとどいています。そのうち3問について、読み上げて紹介し、志位さんに答えてもらいます。

 まず第1問は、「『生産手段の社会化』と協同組合との関係について知りたい」というものです。

 

 志位 「生産手段の社会化」の形態として、協同組合は大いにありうるものだと考えています。とくに農業とか小規模事業者を、みんなでトコトン時間をかけて合意することが絶対条件ですが、協同組合的なものに移行していくことは、形態として大いにありうると考えています。

 ベトナムは、ドイモイ(刷新)の事業で、「市場経済を通じて社会主義に」ということを大方針にしているわけですが、少し前の時期に、どういう形態で「社会化」をやっているかをいろいろと視察して歩いたことがあるんです。その一つに、協同組合がありました。プラスチック工場だったのですが、組合員の全員の投票で工場長を選ぶ。工場長が適任でないとなったら罷免することもできる。そういう民主的な決定システムがあって、実践されていました。少し前の時期のことで、直近のことはわからないのですが、そういう取り組みをやっていたことは印象深かったです。

 協同組合という点では、科学的社会主義の源流に空想的社会主義という流れがあります。イギリスのロバート・オウエン(1771~1858)は、その代表者の一人で、自分で共産主義的な経営を行い、最初に幼稚園をつくった人でもありました。彼は、協同組合のまさに元祖ともいうべき人物です。ですからいま、農協に行きますと、ロバート・オウエンの写真が飾ってあります。「ロバート・オウエンは科学的社会主義の源流でもあるんです」というと、「同じ先祖を持っているのですね」という話にもなる。協同組合は今の日本の社会にもいろいろな形で生きています。これは「社会化」の一つの形態になりうると考えています。

 

 

志位議長は、生産手段の社会化にはいろんな形があるということを言っているのですね。

 

今、ベトナムには協同組合のような形態の事業体もあります。

東欧が社会主義だったころ、ハンガリーやポーランドでも様々な労働者参加型の企業が運営されていました。

ユーゴスラヴィアでは、自主管理型企業が有名で日本のマルクス主義研究者がそれを研究した本や翻訳書もかなり出版されていました。

 

志位議長は協同組合の工場では全員で工場長を選んでいるのがよいことのように言っています。

でも、それはどうなのでしょうか?

給与支払者を受け取る側が選ぶというのは、よほど構成員が競争環境や工場の財政状態を理解していないと難しい話です。

労働者参加型の企業では、生産手段の所有と経営を分離する方法を取っていました。

つまり、生産手段は国家所有なんだけど、労働者が参加する形でマネジメントを行うという形態です。

そのマネジメント形態は評議会から選ばれた委員が経営幹部を形成するという形になると思います。

 

ユーゴスラヴィアはもともと国際的にもソ連の支配下にあったわけではなく、非同盟中立の対外政策を行っていました。

しかし、チトーという有名なリーダーの死亡後、集団指導体制を取っていましたが、ソ連崩壊のときに不幸にも多様な民族で統一していた国家がひび割れ、悲惨な民族紛争が始まりました。エスニック・クレンジング(民族浄化)と呼ばれる虐殺もあり、ボスニア・ヘルツェゴビナへのNATOによる空爆も行われました。その後、国連による調停がありました。

 

ソ連やハンガリー国家が消滅しても、自主管理型の組織を運営していたユーゴスラヴィアは社会主義国として残るのではないかと思われていましたが、民族紛争もあり、国家は消滅しました。

ユーゴスラヴィアの人たちも政治的自由のある資本主義を望んだのしょう。

多様な民族の構成体の不満を共産主義という理念によって、チトーの指導力で圧力鍋のようにフタをしていたと言われていました。

 

協同組合に限らず、労働者参加の企業、自主管理企業など、株式会社型以外の生産手段の所有方法はあります。

 

しかし、マルクスの言う「生産手段の社会化」とはそういう意味ではありません。

志位議長自身がロバート・オーエンの例に触れていますが、そういう形ははマルクスがロバート・オーエンたちを「空想的社会主義」と批判した形態です。

マルクスは生産手段の私的所有により、資本家階級と労働者階級に分かれている形を「生産手段の社会化」つまり、プロレタリア社会の所有にすることをプロレタリア革命だと考えたのです。

生産手段は唯一の階級であるプロレタリアが所有し、搾取を失くすのだと。

それでこそ、「搾取」から解放されて、人間の自由の開花が始まると思ったのです。

 

ベトナムは、中国と同じように資本主義市場を取り入れています。

つまり、資本主義経済市場のなかでその協同組合も運営されているのだと思われます。

そこに搾取はないのか?

ベトナムは株式会社も認め、自由競争を認めていますので、当然、その工場がプラスチック製品を製造しているとすると、株式会社などとの競争に晒されています。

その市場でいかに利益を得るかを各プレイヤーがしのぎを削っています。

そして、その利益の分配で、協同組合の幹部と労働者の給与に大幅な差があれば、それは組織的には搾取と類似です。

 

『資本論』について述べているなら、このことに触れて、日本共産党は市場経済と生産手段の私的所有についてどのように考えているのかを語らないと意味はないですね。

 

 

 

さて、志位議長の講演も最後になりました。

おやおや、今回はケインズ批判ですか?

 

1.ケインズ主義が通用しない今の世界資本主義には指導理論がない?

中山 第2問は、「恐慌を起こさないようにする資本主義がつくられる動きがあるとききました。それでもやはり資本主義はだめなのでしょうか」というものです。

志位 1929年に世界大恐慌が起こりました。この大恐慌を境に、40年以上にわたって資本主義経済の指導理論となったのが「ケインズ主義」と言われる理論です。イギリスの経済学者でジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946)が唱えた理論で、彼は、資本主義は矛盾の多い「好ましくない」経済制度だが、「懸命に管理」されるなら効率の高いものになるだろうと主張しました。国家が資本主義体制の全体を代表して、経済の管理にあたる、国の財政をつぎこんで景気を立て直すことをはじめ、国がいろいろな形で経済に「介入」することで、経済を管理し、恐慌をおこさないようにすることができると唱えました。この理論は、第2次世界大戦以後、多くの資本主義国で経済運営の指導理論とされました。

 しかし、戦後の時期に、恐慌がなくなったかというとそうはなりませんでした。1974年、オイルショックから始まった世界恐慌が起こりました。日本でもトイレットペーパーがひどい値上がりをしたり、悪徳商社が買い占めしたり、まさにパニックが起こったんです。そういう事実を前にして、「ケインズ主義」では資本主義は管理できないとなっていく。それに代わって、1980年ごろから、「新自由主義」が世界資本主義を席巻します。大企業に対する規制をすべて取り外し、弱肉強食を徹底するという経済理論ですが、その結果が、今私たちが目にしている貧困と格差の途方もない拡大です。「新自由主義」が席巻したのちの資本主義世界でも、2008年のリーマン・ショックに続く世界恐慌というように、恐慌はなくなりませんでした。

 恐慌を起こさないための最後の切り札が、実は「ケインズ主義」でした。それが失敗し、もう今の世界資本主義というのは指導理論がないのです。その意味でも、資本主義の矛盾の深まりはたいへんに深刻です。資本主義に代わる新しい社会への構想が、大いに求められる時代になっているのです。

 

 

ケインズ主義が失敗したので、「今の世界資本主義というのは指導理論がない」のだそうです。

ケインズ主義が世界資本主義の指導理論だったことがあるのかどうかは微妙でしょうね。

ただ、第二次世界大戦のときに恐慌が起こり、「有効需要」を創出し、政府が公共事業などに財政支出したことなどはケインズの考えを採用したものと言えます。

そういう意味ではケインズが提唱した

 

・有効需要の創出
・乗数理論(公共投資の必要性)
・限界効率理論
・流動性選好

 

というような理論はある時期まで有効だったといえるでしょう。

ケインズの理論によれば、赤字国債を発行して政府に借金でできても返せばいいわけで、このあたりから資本主義社会が社会主義社会みたいに公共投資の支出が増えてきた時期でした。そのうち、年金などの社会保障も充実してきました。

 

このようになることを『高校生からわかる「資本論」』を書いた池上彰氏はこう書いています。

 

 ところが、そうやって社会福祉にお金を使うと、どうしても国の借金が増えてしまいます。あるいは景気対策のためにも借金をします。景気がよくなると、税収が増えるから、その税金で借金を返せばいいんだけど、政策を決めるのは政治家たち。
 国会議員の先生たちは景気が悪いときには景気対策をやれ、もっと借金してでも道路をつくれ、公共事業をやれって言い出します。
 ところが、景気がよくなってきたから借金を返しましょうっていうと、国会議員の先生たち、やっぱり抵抗するわけです。公共事業をして仕事があるんだから、やめてしまったら、工事の人たちの仕事がなくなるじゃないか、これからも続けろってことになる。
 こうして借金は減らないまま。国が口を出す事業が増え、公務員の数は増えていく。いわゆる「大きな政府」ができてしまい、国の仕事は効率が悪くなってしまいました。
 ヨーロッパでは、社会福祉が充実した結果、「働かないで国からの援助で生活していたほうが楽だ」という人が増えてきてしまったのです。

 

『高校生からわかる「資本論」』p.300

 

 

そして、それはヨーロッパで大きな政府と呼ばれる社会主義国家のような形になりました。

そうなると、国の経済力が衰退するのは、これまでのこの連載の社会主義国の例で示したことです。

 

 とりわけイギリスでは、福祉が充実する一方で、国の経済力が衰退してしまった。
 そこで、仕事を失うと大変だという危機感を持たせたほうが人間は働くんだっていって、保守党の「鉄の女」と呼ばれたサッチャー首相が、労働者を守る規制を次々に撤廃した。これが「新自由主義」の考え方だ。
 このときアメリカはレーガン大統領だったけれど、やっぱり同じ方針をとった。これによって、イギリスもアメリカも、経済が活性化した。
 日本は当時中曽根首相で、同じようなことを考え、国鉄や電電公社、専売公社を民営化した。中曽根さんの考え方は、その後小泉首相が受け継いで、規制を減らし、社会保障への支出も減らしていった。
 こうして新自由主義が広がり、日本では派遣労働が解禁された。
 ふと気がつくと、「むき出しの資本主義は格差を拡大し、貧富の差を広げ、恐慌を引き起こすから改良しよう」とやってきたことがみんな失われ、マルクスが分析した一九世紀の資本主義に、かなり戻ってしまっていたのです。
 結果的にマルクスが言ってたことと同じことに経済が戻っちゃったっていうことです。

 

『高校生からわかる「資本論」』p.301

 

つまり、揺り戻しが起きて、大きな政府より小さい政府だという風潮になり、昔のような神の手に任せる自由競争の資本主義が広がったのです。

その、結果、経済格差が広がりました。

新自由主義は、ハイエクやフリードマンの理論が背景にあるし、その後、また新ケインズ主義という流れが大きくなっています。新ケインズ主義では「価格の硬直性」のため完全雇用は短期では自動的に達成出来ず、政府と中央銀行の政策や指導は非常に長期にわたらねばならないと主張しています。

資本主義社会の政策は、景気の波によって、自由競争と公共投資のバランスがどちらかに大きくなります。そのたびにケインズか、ハイエク、フリードマンの理論が注目されたりします。

 

 

2.日本のエリート層はマルクス主義を勉強している

 

 ところで、池上彰氏は『高校生からわかる「資本論」』で興味深いことを書いています。

 

日本には日本独特の特徴がありました。世界の資本主義の国の中では非常に珍しいんだけれど、マルクス経済学の学者が非常に多かったんです。
 戦前、第二次世界大戦前に日本でも社会主義を主張したり、戦争に反対したりした人たちもいたわけだよね。でも、日本は日中戦争や太平洋戦争など戦争の道へ進んでいってしまった。アジア諸国を侵略して、結局戦争で負けました。
 そのときに多くの日本人がいろいろ反省したわけだよね。「何でこんな戦争をしちやっつたんだろうか。戦争なんかすべきでなかった」ということになったら、実は戦争中、あるいは戦争の前から戦争に反対した人たちがいたことに気づいた。その人たちは、たとえば日本共産党や、日本共産党以外でもマルクス主義という考え方を持っている人たちだった。
 『資本論』などのマルクス経済学を勉強していた学者の人たちがいて、この人たちがみんな弾圧されて刑務所に入れられていたんだよね、戦争中は。戦争が終わってその人たちが出てきました。みんなが「戦争、万歳」と言っている時代にも、「戦争はいけない」と言っていた人たちがいたんだって、戦後多くの人がこの人たちを見直したのね。そして、マルクス経済学を研究している人たちが全国の大学の経済学部の主流になった。マルクス経済学を教えるようになったんですね。
 たとえば東京大学の経済学部でも多くの教授がマルクス経済学を教えていたのね。そこで日本の官僚たち、あるいは日本の大企業のトップたちは学生時代、みんなマルクス経済学を学んだものです。資本主義というのは、自由勝手にやっておくと労働者の権利が失われて、労働者が貧しい状態になる。革命が起きるんだよ、ということをみんな学んだわけ。だから戦後日本の霞が関の中央省庁の役人たち、あるいは政治家たち、それから大企業に就職してやがて社長になった人たちの頭の中に、マルクス経済学的な発想が入り込んでいたのです。
 そこで、「労働者をあまりにこき使ってはいけないよ」とか、「労働者の権利はなるべく守ってあげよう」とか、あるいは「企業に勝手放題させちゃいけないから、国がコントロールしよう」とか、そういう考え方の人たちが多かったんです。
 よく日本のことを、世界で唯一成功した社会主義、なんていう言い方をすることがあります。日本はみんな一生懸命働く。終身雇用制という言い方があったでしょう? 一度就職すると生涯、定年退職するまでずっとその会社にいられる。辞めることはできるけれど、クビにされることはないから安心してその会社で働くことができる。そうなると、その会社に対する愛社精神というのも出てくるよね。「その会社のためにがんばろう」という気になる。
 企業活動は国によってコントロールされ、規制がたくさんあった。企業同士の競争はもちろんあったけれど、弱肉強食のようなどぎつい競争は少なく、「みんな仲良く」という、談合的な体質の経済になっていた。
 こんな形の社会になったのは、日本のいわゆる指導層たちが学生時代にマルクス経済学を学んでいたからだったと、こういうふうにもいわれているんですね。

 

『高校生からわかる「資本論」』p.27~29

 

第二次世界大戦前、日本では『資本論』や共産党の存在はあまり知られていなかった。

それで、戦争が終わったら、戦争に反対していた人がいたんだと共産党の存在やマルクス主義のことを国民が知るようになった。

東京大学でも経済学と言えば、マルクス経済学の時代もあったのです。

 

そこで教育を受けた人たちが、中央省庁の官僚になったり、政治家になったり、社長になったりして、彼らの頭の中にはマルクス経済学的な発想が入り込んでいるという見立てです。

 

なるほど。

そういう見方もあるんですね。

 

 

3.『資本論』から何を学ぶか?

 

池上彰氏はこの本のなかで、『資本論』を学ぶ意義についてこんなふうに書いています。

 

 ロシアのレーニンや中国の毛沢東、北朝鮮の金日成は、社会主義をめざしたけれど、大失敗に終わってしまった。その一方でそんなことにならないようにといって、ケインズのやり方を使ったヨーロッパの国々は、それなりに豊かな国になった。しかし、やりすぎてしまって、みんなが働かなくなったので、戻そうとしたら、戻しすぎちゃったっていうことなんだ。
 人間というのは、試行錯誤を繰り返します。これからもそれは続くでしょう。
・・・・
 マルクスは一九世紀、当時のイギリスの資本主義を分析し、世の中に警鐘を鳴らしました。むき出しの自由放任の資本主義が、労働者をいかに悲惨な状態に落とし込むかを示しました。
 これに学び、マルクスが指し示した資本主義の未来にならないように、第二次世界大戦後、多くの国でさまざまな取り組みが行われてきました。
 しかし、歴史に十分学ばないことによって、再び失敗を繰り返したのが、近年の金融不安(実際は恐慌)だと思います。
 恐らく二〇年前や三〇年前に『資本論』を読んだら、「いまの世の中こうじゃないし、マルクスが言ってることは古臭いな」と思ったことでしょう。
 ところがいま、急にまた『資本論』が読み直されるようになっています。
 いまあらためて『資本論』を読み直すと、ここから学べることは、多いと思います。もちろん一五〇年前のことですから、歴史的な制約もあります。読んでみるとおかしなところももちろんある。この本は、聖書のような絶対不可侵の書物としてではなく、現代の視点で読むことで、学び直すことができるのだと思います。


『高校生からわかる「資本論」』p.305~306

 

資本主義の経済学の親玉がケインズで、みんなこの理論に基づいているのだという志位氏の理解には驚きます。

マルクス主義者の近代経済学の理解はその程度のものなのでしょう。

軽い恐慌が起きたら、ケインズ経済学が失敗したことになってしまうのでしょうか?

志位氏は「資本主義の矛盾の深まりはたいへんに深刻です。資本主義に代わる新しい社会への構想が、大いに求められる時代になっているのです」と民青同盟員に語ります。

では、マルクス経済学を実現したら、ソ連や東欧のように国家が消えてしまった社会主義体制のことをどう説明するのでしょうか?

 

資本主義社会はマルクスの『資本論』の批判に学んだことが多かったと思います。

しかし、その理論を実現しようとして、社会主義革命を行い、計画経済をやってみたら経済成長が止まり、政治的には国民を苦しめることがわかった。

ケインズを批判するなら、共産党はマルクスを批判するところから始めないといけないんじゃないでしょうか?

(カール・マルクス)

 

前回、コルナイ・ヤーノシュというハンガリーの経済学者が、社会主義経済の経験から資本主義の本質のひとつは「イノベーション」とだったと結論づけたことを書きました。

 

では、マルクスは資本主義の本質をどのように考えていたのでしょうか?

 

これには、『資本論』が参考になります。

といっても、共産主義者を名乗る人でも『資本論』を通読している人はそんなに多くないようです。

なんといっても長い。

岩波文庫版で第三巻まで全9冊あります。

それに表現が難解。

『資本論』を読んでみて、途中で挫折する人が多いように思います。

それに通読したとしても、それが現代の社会を考える上で役立つのかどうかが問題です。

経済学ということを考えたいなら、マルクスだけでなく、ケインズやシュンペーターやハイエクなどの考え方にも触れるべきでしょう。

それに今、大学の教科書としてスタンダードになっているマンキューやクルーグマン、スティグリッツのマクロ経済学、ミクロ経済学の教科書などでマルクスが批判した経済学とは何なのかを理解し、今も通用するのかを考える必要があるでしょう。

 

難解なのでわかりにくいという人のためにパトラとソクラが『資本論』理解のために行った方法を先にお示ししておきます。

 

一応、翻訳版として『資本論』第一巻の筑摩書房(今村 仁司、三島 憲一、 鈴木 直翻訳)を元にしています。岩波文庫ではありません。上巻は『マルクス・コレクション』版、下巻は最近出版されたちくま学芸文庫版です。

第二巻と第三巻は、的場昭弘の超訳『資本論』で間に合わせています。

これを全翻訳で読むくらいなら、ほかの経済学者で批判の眼を養った方がよいと思います。マルクスの経済学はそれなりに体系としてまとまっていると思いますが、問題になるのは第一巻のとくに商品論なのです。

 

マルクスなんて読んだことないし、経済学だってあんまり知らないと言う人にもってこいのなのは、池上彰『高校生からわかる「資本論」』です。

驚くほど分かりやすく書いているので、逆にマルクス研究者たちから批判があるようです。でも、まったくもってこれで十分だと思います。

そして、翻訳文を適切に引用している的場昭弘『超訳「資本論」』は重宝しました。

 

それらをもとに、今回、パトラとソクラが『資本論』を具体的な事例で解説します。

 

 

1.使用価値と贈与

ここは日本のある場所で、パトラとソクラがものを作っているとしましょう。
例えば、それは日除けのための「帽子」だったとします。

 


 

自分でそれを使う分には何の問題もありませんが、このコメント欄にたびたび登場するchocolateさんがそれを見て、その帽子をほしいと言うとします。


パトラとソクラは、じゃあ、「私が作ってあげよう」と言います。

じつはパトラとソクラはchocolateさんのことを嫌いではないのです。
この帽子には日除けにするという「使用価値」があるので、パトラとソクラはきっとchocolateさんにも役立つし、作ってあげたいと思ったのです。

 

※使用価値

「使用価値」とは物の持つさまざまなニーズを満たすことができる有用性のことです。

 


パトラとソクラは帽子を気に入ってもらえて嬉しかったので、タダでchocolateさんにあげました。
これを「贈与」と呼びます。
古代原始共産制社会では当たり前のことでした。
今でもチャリティ(慈善活動)と名付けて、宗教のコミュニティーでは行われていることでもあります。


2.交換と交換価値

パトラとソクラのつくった帽子をchocolateさんが被って歩いていると、他の人々も次から次にその帽子がほしいと言われます。
ある人はchocolateさんにそれを自分のつくった靴下一足と交換したいと言います。
またある人はそれを自分の作った茶葉1kgと交換したいと言います。
ほかのある人は500円玉と交換したいと言います。
つまり、それぞれの人は帽子にそのような「交換価値」があると思っているのです。

 

 

 

※交換価値

交換価値とは、交換の過程でその商品に与えられる価値のことです。あらゆる生産物は使用価値を持っていますが、それは交換されるときに初めて商品としての価値を持ちます。市場ではその交換価値は価格として表されます。

 

 

3.具体的労働と抽象的労働

パトラとソクラはその帽子をつくるのに、布を裁断して、つばのところにボール紙を入れて、ミシンで縫っただけです。
まあ、それなりに視力や筋力を使い、疲れる労働だったことには違いありません。

マルクスはこれを具体的有用労働と言いました。

 

では、どうして帽子と靴下が交換されるのでしょうか?

マルクスはその商品に交換される価値があり、それはそこに人間に共通する抽象的労働の同等の量が投入されているからだと考えたのです。

※具体的有用労働と抽象的人間労働

商品には使用価値と価値(交換価値)という二つの側面があります。この商品の二側面に対応して、その商品を生産する労働も具体的有用的労働と抽象的人間的労働という二つの属性をもっています。これが労働の二重性です。具体的有用的労働とは、たとえば裁縫労働と織物労働というように、質的に相互に異なった生産的活動でも、いずれも人間の脳髄、筋肉、神経、手などの生産的支出であり、人間的労働力の支出であることに変わりはありません。このような労働の具体的支出の形態にはかかわりなく、量だけが問題となる生理学的意味での人間的労働力の支出が抽象的人間的労働です。

 


人々はこの帽子という商品(W=Ware)を、ほかの靴下とか茶葉という商品(W)と交換してもよいと思っているのです。

それは帽子を一つ作る時間と靴下一足を作る時間、茶葉1kgを作る時間が同じくらいだからだとマルクスは考えました。

商品のなかには見えない人々の労働が形を変えているのだという考えです。

それはお金にすると500円くらいだと考える人もいるということです。

ここでは、パトラとソクラのミシン代とかそのほかの諸々のことを入れるとややこしいので省略します。


W-Wは等価交換と見なされています。
このときに500円玉という貨幣と等価交換したいという人もいます。
貨幣もひとつの商品なのです。
貨幣のことをマルクスは(G:Geld))と呼んでいます。
つまり、帽子という商品は、W(帽子)-G(貨幣)-W(靴下一足)という等価交換の関係が成り立ちます。

4.資本家と労働者

じゃあ、パトラとソクラはいっそのこと、帽子を作って売ろうと考えます。

パトラとソクラは帽子工場をつくるために、自室にミシンを買い、布を購入し、3~4人を労働者として雇います。
時給1000円でパトラとソクラは労働者を募集し、chocolateさんもそれに応募し、雇用されることになりました。

パトラとソクラは資本家、chocolateさんは労働者になったのです。

 




5.労働力という商品

帽子を作るという仕事で、chocolateさんは自分の生活費や家族の生活費を賄おうとしたのです。つまり、布を裁断し、ミシンで縫うという労働をすることで、chocolateさんは自らの「労働力」を商品(W)として、ソクラとパトラさんに売ったのです。

これをマルクスは必要労働と呼んでいます。
 

パトラとソクラはchocolateさんが1日8時間、週5日働くという契約で「労働力」を買ったのです。これはあくまで商品としての労働力です。
生活するための必要労働をchocolateさんはパトラとソクラに労働力として提供するのです。
それ以上の労働は剰余労働だとマルクスは考えました。

 



さて、資本家のパトラとソクラが実際に一ヶ月で帽子を作ってみると、100個作って、部屋代や布代、ミシンのローン代、それにchocolateさんたちへの賃金を支払うと、一つ500円で売ると収支がトントンだということがわかりました。パトラとソクラはこれでは慈善事業にしかならないと思いました。
でも、これがchocolateさんたちの労働を「労働力」として買った結果なのです。

この人間の労働が「労働力」として売り買いできる仕組み、それこそがこの資本制社会と呼ばれるものの不思議です。
誰かが商品としての帽子を買って、それを消費するのが普通の商品の売買です。帽子を買った消費者はそれを被ることによって消費します。たぶん何年かで消費しつくでしょう。その後、おそらく帽子は廃棄されます。
 

今回、労働者であるchocolateさんは労働を「労働力」として、1時間1000円で売ります。その1時間1000円の「労働力」はどこで稼いでも構わないのです。しかし、今回、chocolateさんは、資本家であるパトラとソクラに売り、パトラとソクラがそれを買います。
労働力を買ったパトラとソクラがそれを消費するのです。


6.利益という剰余価値

パトラとソクラは、帽子ひとつ500円でトントンの慈善事業にしかならない事業を続けようとは思いません。これではパトラとソクラ自身の労働の報酬すらありませんし、お金が残らない事業では、継続的に仕事を続けられない、何が起きるかわからない。帽子が突然売れなくなることもあるし、ミシンが壊れることもある。それに上手くいけば、もうひとつ工場を作ることもあるだろう。だから「儲け」を出さないといけないと考えました。
この社会でパトラとソクラの役割は資本家なのです。だから「儲け」=「利益」を出すことが仕事なのです。
 

そうだ、50円の利益を乗せよう、ひとつ550円で売ろうと思いつきました。この帽子にはパトラとソクラのブランドマークが刺繍で付いているのでそれくらいでは売れるかもしれないと思いました。つまり、その50円はパトラとソクラの利益になります。
その値段でこれらの帽子を取り次ぎ業者に売りました。
これらの帽子はどこかの市場で飛ぶように売れました。

 

この利益50円というのは、それを作った時間に費やされた労働が資本家にとって受けとる剰余価値になります。パトラとソクラにとっては、利益(利潤)です。

 

 

では、chocolateさんにとって、その剰余労働はどういうことになるのでしょうか。

 

自分の労働で作ったものは自分のもの、あるいは自分の自由になるもの、という観点にたてば、労働者に支払われたのは必要労働の部分だけで、剰余労働の部分は不払労働ということになり、その部分は、労働者は資本家から搾取されているということになります。



資本家側からみると「利益=利潤」に見えるものが、労働者側がもともと自分の労働が価値を生んだのだから自分のものだと思えば、それは「搾取」に見えてしまうのです。

マルクスの『資本論』は資本家側の視点、労働者側の視点を押さえながら読む必要があります。

それは、『共産主義者宣言(共産党宣言)』を1848年に書いたあとで、マルクスはイギリスに渡り、1867年に『資本論 第1巻』を書いていますので、資本制社会を廃棄することをよいこととして書いているからです。

どうしても労働者寄りの経済学になります。

決して、中立な経済学書ではないのです。

そんなこといえば、ケインズの本だって、資本主義社会を前提として書いており資本家よりだと言われそうですが。



7.貨幣の資本への転化

ここで、流通過程に入ることで、マルクスは、W-G-Wという等価交換の式は、G-W-Gという流通の式になると考えます。

しかし、この流通過程で50円を足し、550円で流通させることによって、W-G-Wという等価交換の式は、W-G-△Wという価値が増加(増殖)を行う式に変わったと言います。そして、これは、W-G-△W-G‘-△W’と限りなく価値増殖をできるようになるのです。
ダッシュが付く分、価値が増えています。

そしてマルクスはこれを貨幣から資本への転化と呼んでいます。
もともと商品が交換されるのは、使用価値をお互いに認めるからであり、これが交換されるのはその商品のなかに誰にも共通な労働=抽象的労働があるからだとマルクスは言います。
しかし、それが貨幣と交換されることにより見えなくなる。
貨幣で商品が交換されるようになると、労働より貨幣のほうが重要だと思う「物神崇拝」が起きるとマルクスは考えました。

貨幣が資本に転化するのはこのためだと思ったのです。

 

 



8.利益が「搾取」に見えてくる不思議

このときマルクスは、パトラとソクラが準備する部屋、ミシン、布などを「不変資本」と呼び、chocolateさんたち労働者が提供する労働力を「可変資本」と呼びました。
ミシンとかの機械は不変ですよね。

でも、労働者の労働力は人数や時間によって変わるので可変です。

不変資本と可変資本を合わせて資本と呼びます。
さきほどの使用価値と交換価値は労働者の視点からわかりやすかったのですが、この資本の視点は資本家から見ればわかりやすいといえるかもしれません。

資本家による価値増殖は、例えば不変資本のミシンの性能をアップさせることでもできます。手動のミシンを電動のミシンにすることによって何倍かの数の帽子を作ることもできます。1日8時間の労働はそのままで生産物の数を増やせるのです。
また、chocolateさんたちに残業をお願いすることもできます。

 

 

このとき、残業代は通常の二倍支払うなら価値は増えませんが、今の労働基準法のように1.25倍とかなら通常働く以上の帽子を作り、お金を残すこともできます。

 

 



マルクスは前者を相対的剰余価値の増加、後者を絶対的剰余価値の増加と読んでいます。



9.労働力の消費によって生まれた価値は誰のものか?

さて、ここからが資本主義経済システム(資本制社会)の本質的な問いです。

一つ目は労働力を消費して生まれた価値は誰のものか?という問題です。

パトラとソクラはchocolateさんから買った労働力(時給1000円)を消費して(chocolateさんに働いてもらって)、利益のある商品を作ります。利益なしだと500円の商品を利益を乗せて550円で売ります。
するとその50円のなかにはchocolateさんが働いた労働、つまりパトラとソクラが消費した労働力も含まれているはずです。
でも、それは資本制社会(資本主義経済システム)のなかでは当たり前なのですが、chocolateさんとしてはおかしいと思うかもしれません。
パトラとソクラが資本家として、不変資本であるミシンの性能を上げて、多く作っても給与は上がらない。また、chocolateさんが残業をしてもそれは1.25倍の時給にしかならない。それをchocolateさんは「搾取」だとして抗議します。

パトラとソクラの利益のなかからchocolateさんの取り分を増やせ!というだけなら、社会民主主義者なのですが、共産主義者は、そもそもこの資本制社会の仕組み自体を否定します。
「搾取」はゼロにせよ!と。
労働者が働いて生まれた価値は、労働者のものなのだと言うのです。
つまり、資本家階級は不要なのだと言います。

 

社会主義の社会では、生産手段を資本家なしに国有または公有するのだというのです。
生産手段の私的所有があるから、労働力が市場で売り買いされるのだ。
生産手段の私的所有を全廃すべきだと言うのです。
資本家階級の廃止は、労働市場の廃止でもあります。

 

そして、ロシア革命などソ連などの国では実際に資本家階級をなくし、生産手段を国有や公有にしました。

市場がある間は、利益はその管理者と労働者で分け合うという名目でした。


(ロシア革命)


10.マルクスの目指した世界とは?

マルクスは古代の原始共産制の社会の後から階級ができ、国家ができたと考えています。

歴史的には原始共同体、奴隷制、封建制、資本主義の各生産様式があり、社会主義に至ると考えます。

史的唯物論、または唯物史観と呼ばれます。

 

※史的唯物論

人間社会の発展は、社会の生産力と生産関係によるものと考える歴史の見方です。生産力の発展に対応して、原始共同体、奴隷制、封建制、資本主義の各生産様式があり、社会主義へ発展すると展望します。また、生産関係を土台(下部構造)として、これに照応するイデオロギー、法制的・政治的制度などの上部構造が成立し、上部構造は下部構造に反作用を及ぼします。生産力の発展に伴い、生産力と生産関係の間に矛盾が生じると、階級闘争を通じて古い生産関係は変革され、新しい生産関係に発展すると同時に古い上部構造も崩壊するという考え方です。

 

 

マルクスは資本制社会という最後の階級社会で、資本家階級がなくなれば国家も消滅すると考えていました。
商品交換が貨幣を生み、貨幣が資本制階級のもとで資本に転化したと考えましたので、それを逆戻りさせれば、交換もなくなり、贈与型の社会になると考えたのです。

『ゴータ綱領批判』で、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」あるいは「各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて」とマルクスは書きましたが、共産主義社会とはそういうものだというイメージが示されているといえます。

このスローガン自体は社会主義運動の中において一般的なものでした。また、「必要に従っておのおのに分け与えられた」という新約聖書が起源ではないかという研究者もいます。

 

いずれにしても、これは、この話の最初で、パトラとソクラがchocolateさんに帽子をあげたようなことが当たり前の社会です。
古代の原始共産制または宗教的なチャリティーの世界です。

 

プロレタリアだけで生産物が豊富にあれば、そんな社会になるのでしょうか?

 

マルクスは生産力が今より高い社会でも原始共産制のような贈与を中心にした世界、能力に応じて働いて、その人が必要なだけもていけばいいというような社会が実現すると考えているフシがあります。

これをノーテンキと呼ぶか夢想家と呼ぶかはわかりません。

しかし、少なくとも科学的根拠は何もありません。


11.「利益」と「搾取」の本質

 

次の本質的な問いは、「利益」を生む社会を是認すべきか、それとも廃棄すべきなのかという問題です。

 

パトラとソクラが流通過程で乗せようと思った「利益」をマルクスは「剰余価値」と呼んでいます。
そして生産手段をもった資本家としてのパトラとソクラは、その利益=剰余価値を自由に増やすことが出来る。
ミシンを電動に変えたり、chocolateさんに生活費以上の残業をさせたりと。

しかし、マルクスはこの経済の仕組みを労働価値説から捉え、剰余価値とは「搾取」することなのだと捉えました。
つまり、労働者の労働を「労働力」として売り買いする社会の仕組み、つまり「労働力」が商品となる社会こそ間違っていると考えたのです。

交換価値などの考え方は、アダムスミスやリカードなどそれまでの経済学者も述べていましたが、この「搾取」という考え方を提唱したのはマルクスが初めてです。

 



「利益」というのは資本家側からの経済学の捉え方と言えます。
しかし、「剰余価値」から導く「搾取」は労働者側からの経済学の捉え方です。いやむしろこれは経済学ではなく、哲学的な経済の捉え方とも言えます。


これはマルクスによる貨幣から資本への転化、貨幣信仰による経済学への批判であり、市場という流通過程で価値増殖する経済学への批判なのです。

 

イノベーションは資本主義社会でなぜ起きるのか?ということをケインズは、『雇用・利子および貨幣の一般理論』で次のように書いています。

 

投機による不安定性のほかにも、人間性の特質にもとづく不安定性・・・おのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定がある。・・・その決意のおそらく大部分は、「アニマル・スピリッツ」と呼ばれる不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われる行動であって、数量化された利益に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるものではない。・・・企業活動が将来利益の正確な計算にもとづくものでないのは、南極探検の場合と大差ない。こうして、もし血気が衰え、人間本来の楽観が萎えしぼんで、数学的期待に頼るほか、われわれに途がないとしたら、企業活動は色あせ、やがて死滅してしまうだろう。

『雇用・利子および貨幣の一般理論』(岩波文庫)

 

つまり、利益を出そうと思うアニマル・スピリッツがこの社会の原動力なのだと。

そこで、商品やサービスのイノベーション(革新)、機械の性能アップなどが起きるのだと。

 

しかし、マルクスは『資本論』のなかでこう書いています。

 

資本は、自分のただ一つの生命の衝動ー自己を増殖し、剰余価値を創る衝動をもつ。すなわち不変部分である生産手段を使って、できるかぎり多くの剰余労働を搾り取ろうとする衝動をもつのである。

資本がまるで吸血鬼のように元気になるのは、生きた労働を搾り取るときだけであり、多くを吸収すればするほどますます元気になる、そういった死せる労働なのである。

労働者が労働する時間は、資本家から見れば、買った労働力を消費する時間である。労働者が資本家の自由になるはずの時間を自分自身のために使うならば、それは資本家のものを盗むことになるのである。

 

『資本論』第1巻第1編「商品と貨幣」第8章「労働日」第1節「労働日の限界」(ちくま学芸文庫)

 

つまり、資本主義の本質は資本家が吸血鬼のように労働者の剰余価値を搾り取るときだけだと。

「利益」を資本主義の原動力と捉えるのか、「搾取」で廃止すべき対象と捉え、「プロレタリア革命」を目指すのか?

 

実際には階級社会をひっくり返すことによって、社会主義社会では極めてイノベーションが生まれにくい世界になってしまいました。

 

でも、マルクスの『資本論』の世界では、そこに中間点はないのかもしれません。

(映画『ドクトル・ジバコ』

 

1.社会主義の失敗は何が要因か?

 

志位議長の講演の4回目です。

 

中山 未来社会のイメージが膨らむ、とても豊かな内容を話してくださったんですけれども、それでもまだ不安という声があると思います。旧ソ連とか、中国というワードが結構出てきます。そういう社会にならないという保障はどこにあるのでしょうか?

志位 そういうご心配はあると思います。ただ、いままでお話ししてきたなかに、回答はすでにあると思います。

 ソ連がなぜ崩壊し、中国でなぜさまざまな問題点が噴き出しているのか。直接の原因は、指導勢力の誤りにありますが、両者に共通する根本の問題があります。それは、「革命の出発点の遅れ」という問題なのです。言葉を換えて言いますと、いまお話ししてきた「五つの要素」――社会主義を建設するためには必要な前提が、革命の当初にないか、あってもたいへんに未成熟だった。

 たとえば生産力という問題を考えても、たいへんに遅れた状態からの出発になりました。1917年のロシア革命の場合、革命を指導したレーニンは、「共産主義とはソビエト権力プラス全国の電化だ」と言う言葉を残しています。つまりまだ電気が通っていないところから経済建設を始めなければならなかった。そうした遅れた状態からの出発が、いろいろな困難をつくりだしました。そのなかで社会主義への道から決定的に逸脱した強制的な農業集団化という誤りに陥り、大量弾圧という深刻な誤りを引き起こし、社会主義とは無縁の体制に落ち込んでいきました。

 

ソ連と中国の社会主義が同じか違うのか、共通するところはなんなのか?

とても興味深い疑問です。

でも、志位議長の答えって、民青同盟の皆さんは納得しているんでしょうか?

 

ソ連の実態はこうでした。

『国家はなぜ衰退するのか』という本ではこう書かれています。

ちょっと長いですが、適当に小見出しを入れて引用します。

 

1.ロシア革命後、1924年からの農業の集団化と工業化によるソ連の経済成長

 

 一九二四年に一九二四年にレーニンが世を去ると、一九二七年までにヨシフ・スターリンが国家の支配権を握った。スターリンは政敵を追放し、国を急速に工業化すべく手を打ちはじめた。その遂行に当たったのが、一九二一年に創設された国家計画委員会(ゴスプラン)だった。ゴスプランが作成した第一次五ヵ年計画は、一九二八年から一九三三年にかけて実施された。
 スターリン式の経済成長は至ってシンプルだった。政府の命令によって工業を育成し、そのために必要な資源を、農業に高率の税を課すことによって調達するのだ。この共産主義国家の税制は効率か悪かったため、スターリンは代わりに農業を「集産化」した。このプロセスを通じて、土地の私的所有権は廃止され、地方に住むすべての人々が、共産党の運営する巨大な集団農場へ徴集された。おかげで、スターリンか農産物を奪い取り、それを使って、新しい工場を建設して操業するすべての人々を養うことかずっと容易になった。地方の住民にとって、こうした事態は悲惨な帰結をもたらした。集団農場には人々か懸命に働くインセンティブか完全に欠けていたため、生産量は急激に減少した。生産物の多くか搾取されたため、食べる物にも事欠く有り様たった。人々は飢えで命を落とすようになった。結局、強制的に集産化か進められるあいだに。おそらく六〇〇万人か餓死するとともに、それ以外の数十万人が殺されたりシベリアへ流刑にされたりした。

 

『国家はなぜ衰退するのか 上』p.215~216

 

 

 

つまり、ソ連の経済は、工業化が最大の使命でした。志位議長が言っているように「電化」が重要でした。

しかし、農業の集団化は農村から工場のある都市へ農産物を移すためだったのです。それで多くの人が餓死したということです。計画経済の実態はそのようなありさまだったのです。

 

2.急速な経済成長は、労働力の再配分および、新しい工作機械や工場の新設による資本蓄積


 新たに生み出された工業も、集産化された農場も、ソ連の保有する資源を最も有効に活用するという意味では、経済効率か悪かった。だとすれば、経済の完全な崩壊には至らないにしても、破綻や停滞は免れないように思える。ところか、ソ連は急速に成長した。その理由を理解するのは難しくない。市場を通じてみずから決断を下すことを人々に認めるのか、社会が資源を有効に活用する最善の方法だ。そうする代わりに、国家や一部のエリートかあらゆる資源を支配すれば、適切なインセンティヴは生まれないし、人々の技能や才能か効率的に配分されることもない。だが、場合によっては、ある部門や活動―たとえばソ連の重工業-における労働と資本の生産性がきわめて高いため、収奪的制度のもとでその部門に資源を配分する卜ップダウンのプロセスですら、成長を生み出すことかある。

 ソ連において工業の成長が容易になったのは、この国の技術か欧米で利用できるものと比べてかなり遅れていたため、工業部門に資源を再配分することによって大きな利益か得られたからだ-たとえそのすべてか非効率かつ強制的に行なわれたとしても。

 一九二八年以前、ほとんどのロシア人は地方で暮らしていた。農民が利用していた技術は原始的なもので、生産性を高めるインセンティヴはほとんどなかった。実のところ、ロシアの封建制の残滓か消え去ったのは、第一次世界大戦の直前になってようやくのことだったのだ。したがって、こうした労働力を農業から工業へと再配分すれば、多大な経済的潜在能力が発揮されるはずだった。スターリンによる工業化は、この潜在能力を解き放つ一つの暴力的な方法だった。スターリンはほとんど使われていないこの資源を、より生産的に活用できる工業へと命令によって移動させたのだ。もっとも、工業そのものがかなり非効率な体制になっており、本来であればもっと多くのことを達成できたはずなのだが。実際のところ、一九二八年から一九六〇年にかけて、国民所得は年に六パーセント成長した。これは、それまでの歴史においておそらく最もめざましい経済成長だったはずだ。この急速な経済成長を実現したのは、技術的変化ではなかった。そうではなく、労働力の再配分および、新しい工作機械や工場の新設による資本蓄積だったのだ。

 

『国家はなぜ衰退するのか 上』p.216~217

 

この工業化、農場の集産化は経済効率が悪かったのですが、市場ではなく国家が社会資源を支配したために、重工業がの成長を生み出すことができたのです。

レーニンが言っていた電化による重工業の成長を中央集権的な社会主義国家によって達成したのです。

農村からの農産物の収奪と、農村から都市部の工場への労働力の再配、新たな設備投資による資本蓄積によるものでした。

そして、社会主義経済がつまづいたのは、経済的インセンティブの欠如とエリート官僚の抵抗だった。

 

3.1970年代で止まった経済成長の原因は、経済的インセンティヴの欠如とエリートによる抵抗


 スターリンと彼に続く指導者たちの政策は、急速な経済成長をもたらした。だが、その成長は持続するものではなかった。一九七〇年代には、成長はほぼ止まってしまったのだ。この事例の最も重要な教訓は、収奪的な経済制度のもとで技術的変化が続かない理由は二つあるということだ。

 すなわち、経済的インセンティヴの欠如とエリートによる抵抗である。加えて、きわめて非効率に使われていた資源がいったん工業に再配分されてしまうと、命令によって得られる経済的利益はほとんど残らなかった。その後、ソ連の体制か壁にぶつかったのは、イノヴェーションの欠如と経済的インセンティヴの不足によってそれ以上の進歩か妨げられたせいだ。ソ連がなんらかのイノヴェーションを維持した唯一の分野は、軍事・航空技術に関する大変な努力によるものだった。結果として、彼らはライカという犬を動物として初めて、ユーリー・ガガーリンを人類として初めて、宇宙へ送り出した。また、突撃銃のAK47を遺産の一つとして世界に残したのである。
 ゴスプランは全権を有するとされる計画機関で、ソ連経済の中央計画を任されていた。ゴスプランが作成・実施する五ヵ年計画には継続性があることから、そのメリッ卜の一つは、合理的な投資とイノヴェーションに必要な長期的展望だと考えられていた。ところが、ソ連の工業部門で実際に行なわれたことは、五ヵ年計画とはほとんど関係がなかった。五ヵ年計画は往々にして、変更や改訂が施されたり、まったく無視されたりしたのだ。工業の発展の土台となったのは、スターリンと共産党中央委員会政治局の命令だったが、彼らは頻繁に考えを変えたし、以前の決定をすっかり覆すことも多かった。計画はすべて「草案」あるいは 「準備」に分類されていた。「最終版」とされたものはこれまで一つ-一九三九年につくられた軽工業の計画-しか見つかっていない。スターリン自身、一九三七年にこう語っている。「計画の完成によって立案作業が終わると考えているのは官僚だけだ。完成は始まりにすぎない。計画の本当の方向性は、計画がまとまったあとでようやく固まっていくのだ」。

 スターリンは、政治的に自分に忠実な者やグループに褒美を与え、そうではない者に罰を与えるため、みすがらの裁量権を極力大きくしようとした。ゴスプランに関して言えば、その主要な役割はスターリンに情報を提供し、彼の友人や政敵を監視しやすくすることだった。実のところ、ゴスプランは決定を下すのを避けようとしていた。決定か悪い結果を招けば、銃殺されるかもしれなかったからだ。あらゆる責任を避けるのが身のためだったのだ。

 

『国家はなぜ衰退するのか 上』p.218~219

 

 

計画経済という社会主義経済システム、共産党の支配的地位が社会主義にイノベーションが生まれない要因であることは、この本の著者も語っている。

 


4.計画経済におけるインセンティヴの逆効果

 スターリンは、ソ連の経済には人々か懸命に働くインセンティヴがほとんどないことを理解していた。当然の対応は、そうしたインセンティヴを取り入れることだったはずだし、スターリンはときにそうして、事態の改善に報いようとしている-たとえば、生産性か落ちた地域に食糧を供給することによって。そのうえ、早くも一九三一年に、スターリンは金銭的インセンティヴがなくても働く「社会主義者の男女」をつくるというアイデアを放棄している。ある有名な演説で「平等を売り物にすること」を批判したのだ。その後、異なる職業には異なる賃金が支払われただけでなく、ボーナス制度も導入されたのだった。

 こうした施策がどう機能したかを理解すれば、得るところは大きい。例によって、中央計画のもとにある企業は、設定された産出目標を達成しなければならなかった。もっとも、その種の計画はしばしば再調整され、改訂されたのだが。一九三〇年代以降は、産出水準を達成すると労働者はボーナスをもらえた。このボーナスはかなり高いこともあった-たとえば、経営陣や上級エンジニアには賃金の三七パーセントか支払われた。だが、そうしたボーナスを支払うことが、技術的変化に対するあらゆる種類の意欲阻害要因を生み出してしまった。

 第一に、イノヴェーションによって現在の生産物から資源か奪われれば、産出目標か達成できず、ボーナスがもらえない危険があった。

 第二に、産出目標は以前の生産水準をもとに決めるのかふつうだったため、産出を決して拡大しないことへのきわめて大きなインセンティヴが生じた。産出を拡大すれば、将来の目標か「吊り上げ」られ、さらに多くを生産する必要か出てくるにすぎないからだ。目標を達成してボーナスを手にするには、業績不振がつねに最善の方法だったわけだ。また、月に一度ボーナスがもらえるという現実のせいで、誰もか現在の側の人々は別として。ソ連の指導者たちは、そうしたインセンティヴか生じる原因は技術的問題であり、解決可能であるかのように行動した。たとえば、彼らは産出目標に基づいてボーナスを支給するのをやめ、企業がボーナスの支払いのために利益の一部を取っておくことを認めた。だが、産出目標と同じく、「利潤動機」がイノヴェーションを促すことはなかった。利益の計算に使われる価格システムは、新たなイノヴェーションやテクノロジーの価値とはほぼ完全に切り離されていたからだ。市場経済とは違い、ソ連における価格は政府によって設定されていたため、価値とはほとんど無関係だった。イノヴェーションのためのインセンティヴをもっと明確に生み出すべく、ソ連は一九四六年にそのものずばりイノヴェーション・ボーナスを導入した。早くも一九一八年には、イノヴェーターは自分の起こしたイノヴェーションに対して金銭的報酬を受け取るべきだという原則か認められていた。しかし、報酬は少額に設定されており、新たなテクノロジーの価値とは関連していなかった。

 これが変わったのは一九五六年になってようやくのことだった。ボーナスはイノヴェーションの生産性に比例すべきだと規定されたのである。ところが、既存の価格システムによって測られた経済的利益に応じて生産性か計算されたため、これはまたしてもイノヴェーションヘの大きなインセンティヴとはならなかった。これらの構想から生じた無意味なインセンティヴの例を挙げれば、いくらページがあっても足りないくらいだ。たとえば、イノヴェーション・ボーナスの資金額は企業の賃金総額によって制限されていたため、労働を節約するイノヴェーションを創出したり採用したりするインセンティヴはてきめんに低下してしまったのである。

 

5.共産党による権威と権力掌握が行うアメとムチだけが動かす経済


 さまざまな規則やボーナスの仕組みに焦点を合わせると、この体制に固有の問題を見逃してしまいやすい。政治的な権威と権力を共産党か握っているかぎり、人々が直面する基本的インセンティヴ・ボーナスが出るか出ないか-を完全に変えることは不可能だった。結党以来、共産党はアメだけではなくムチを、それも巨大なムチを使ってやりたいことをやってきたが、経済の生産性はまったく変わらなかった。ありとあらゆる法律によって、仕事を怠げていると見なされる労働者に対する犯罪がつくりだされた。たとえば一九四〇年六月、ある法律によって計画的欠勤、許可のない二〇分間の不在あるいは怠業と定義される-が犯罪とされ、六ヵ月の重労働と二五パーセントの賃金カットという罰則が設けられた。あらんかぎりの似たような刑罰か導入され、驚くべき頻度で執行された。一九四〇年から一九五五年にかけて、成人人口の約三分の一に当たる三六〇〇万人の人々か、その種の犯罪で有罪になった。そのうちの一五〇〇万人か投獄され、二五万人が銃殺された。どの年にも、一〇〇万人の成人か労働法違反で服役していた。スターリンがシベリアの強制労働収容所に送り込んだ二五〇万人も、もちろんここに含まれている。それでも、こうした方法は機能しなかった。撃ち殺すと脅すことによって、ある人を工場へ行かせることはできても、良いアイデアを考え、思いつくよう強制することはできない。

6.イノヴェーションを生めない政府と共産党による収奪的な経済制度


 真に有効なインセンティヴを中央計画経済に組み込めなかったという事実は、ボーナスの枠組みにおける技術的ミスが原因ではなかった。そうではなく、収奪的な制度のもとで成長を達成した手法の全体に内在していたのだ。この成長は政府の指揮によるものであり、おかげで一部の基本的な経済問題は解決された。しかし、持続的な経済成長を促すには、個々人が才能やアイデアを活用する必要かあったのに、ソ連式の経済システムによってそれを実現することは決してできなかったのだ。ソ連の支配者は収奪的な経済制度を捨てなければならなかったはずだが、そんなことをすれば自分たちの政治権力を危険にさらすことになっただろう。実際、一九八七年以降にミハイル・ゴルバチョフが収奪的な経済制度からの脱却をはじめると、共産党は力を失い、それと同時にソ連は崩壊したのである。
 ソ連が収奪的な経済制度のもとでも急速な経済成長を達成できたのは、ボリシェヴィキが強力な中央集権国家を築き、それを利用して資源を工業に配分したからだった。だが、収奪的な制度のもとでの成長がすべてそうであるように、この出来事は技術的変化を特徴としていなかったため、長続きしなかった。成長はまず速度か落ち、その後完全に止まってしまったのだ。このタイプの成長は短命ながら、収奪的な制度がいかにして経済活動を刺激するかを明らかにしてくれる。
 歴史を通じて、ほとんどの社会は収奪的な制度によって支配されてきた。これらの制度はある程度の秩序を国に課し、一定の成長を生み出すことができた-こうした収奪的社会のどれ一つとして持続的な成長を実現しなかったとしても。実際、歴史上のいくつかの大きな転機を特徴づける制度上のイノヴェーションは、収奪的制度を強固にし、一つのグループが法と秩序を課して収奪的利益を得るための権力を増すものだったのだ。

 

『国家はなぜ衰退するのか 上』p.220~225
 

 

 

 

ソ連は重工業や宇宙・航空産業も国家プロジェクトで成長し、国全体もそれなりに経済成長を達成しました。

しかし、志位議長が言う「社会主義とは無縁の体制に落ち込んでいった」のは、実は社会主義の経済と政治のシステムに内在していたものが原因だったのです。

それは計画経済というシステムと、共産党と国家の組織原則が一致せざるえないことです。

 

一方、中国はまったく違う形になっています。

 

こちらをお読みください。

 

 

 

 

 

一党独裁システムのもとで、資本主義経済と国家による計画経済を両立させる試みを行っているのが中華人民共和国です。

この国を社会主義として否定すると、あとはモデルとなる国家はありません。

 

 

2.発達した資本主義国から社会主義に進んだ国は何が間違っていたのか?

 

そして、いつものお馴染みの質問と答えです。

 

中山 35問目です。発達した資本主義国から社会主義に進んだ例はほかにいままであったんでしょうか。

志位 ないんです。

中山 ないんですね。

志位 発達した資本主義国から社会主義への前進に踏み出したとりくみというのは、人類の誰もやったことがない。最初の一歩を踏み出した経験もない。人類未踏のまったく新しい事業への挑戦になります。

 どうしてそれがないかというと、発達した資本主義国では、新しい社会へ進むためのいろいろな豊かな条件がつくりだされているわけですが、新しい社会に進むうえでの特別の困難もあるからです。資本主義が発達しますと、この体制の矛盾が深まっていきますが、同時に、この体制を延命するためのいろいろな仕掛けも発達してきます。さきほどのべた巨大メディアなどもその一つです。

 同時に、そこには豊かで壮大な可能性があるということは、これまでお話しした通りです。資本主義の発達のもとで私たちが手にしたすべての価値あるものを引き継いで、豊かに発展させ、花開かせる社会が、私たちの目指す未来社会ですから、まさに豊かで壮大な可能性に満ちた社会といっていいでしょう。

 

発達した資本主義から社会主義に進んだ国はあったのかという質問に対して、「志位 ないんです」と答えています。

それは誤解ではなく、明らかなウソです。

 

第二次大戦のあと、多くの国が社会主義経済に移行しました。
そのなかには、チェコスコロバキアのように革命時には世界10番目の工業国だった国もあります。

チェコスコロバキアでは、議会制民主主義を通じた多数派形成が行われました。

1948年にチェコスコロバキアでは共産党が国会で過半数を得ました。そしてスターリン主義型の計画経済と中央集権的な管理方式を採りました。スターリン死亡後には1956年のフルシチョフによるスターリン批判があり、非スターリン化の道を歩み始めました。チェコスコロバキアの指導者になったドプチェクは、検閲を禁止し、複数政党制などの道を模索していました。しかし、ソ連の軍事介入で指導者の地位を追われました。
この軍事介入は、軍部の独走ではなく、ソ連内の労働組合幹部や東欧諸国の連鎖を恐れる圧力が絡んだ意思決定の結果と言われています。


このことは、小川洋司『ソ連・東欧の社会主義は何であったか』(ロゴス)に詳しく書かれています。

 

 


また、ドイツは第二次大戦終了時、世界で第4位のGDPの国でした。

これを言うと、ほとんどのひとが、「ああ、そう言われれば、そうだったなあ」と思うでしょう。

 

東ドイツは、最初、複数政党制の国家でした。

いきなりソ連が占領して、共産党独裁になったわけではありません。

 

1946年には市町村議会と州議会の選挙が行われています。

その州議会選挙では社会主義統一党が50%弱、キリスト教民主同盟、自由民主党がそれぞれ約25%でしたが、ベルリン市の選挙では社会民主党が48.7%と社会主義統一党の19.8%に圧倒的な差を開けました。

しかし、その後アンチ・ナチズムのもとにソ連による社会主義統一党の共産党化と社会民主党との合併が進められ、信任投票による議会選挙が行われ、社会主義統一党が実質上政権を担うことになります。

 

しかし、ソ連による社会主義統一党の共産党化、その政党での民主集中制による分派の禁止、法律制定の権限掌握、共産党がノーメソクラトゥーラの人事を握るというソ連と同じ体制が築かれていったのです。

 

 憲法を制定した人民会議は、一九五〇年一〇月一五日に議会選挙を経て正式に人民議会となり、この国の立法を担うこととなる。その選挙は一八歳以上の有権者か、あらかじめ候補者がすべて載った統一リストについて、賛成するか反対するかを問う信任投票の形で実施された。
 この統一リストの主体となったのか、ドイツ人民会議を改組した国民戦線である。人民議会の候補者・は総計四〇〇名(東ベルリンから選出される六六名を除く)のうち、社会主義統一党には一〇〇議席(二五%)、キリスト教民主同盟と自由民主党には各六〇議席(計三〇%)が割り当てられた。
 また、国民民主党と民主農民党は、それぞれ三〇議席を確保する。両党は社会主義統一党の純然たる衛星政党である。その他に、自由ドイツ労働組合同盟や民主女性同盟といった大衆団体は計一二〇議席(三〇%)を確保した。これらの組織から選出される議員は、社会主義統一党の党員であった。以上のことから、自前の会派出身の議員は過半数に及ばないものの、社会主義統一党は事実上、議会の過半数を制し決定権を握った。
 社会主義統一党はこのとき、人民議会に提出される法律案や政府の政令等の規則案は党の政治局か書記局に事前に伝えられねばならないと決定する。東ドイツ政府は社会主義統一党の指導部が承認するもの以外に法律を作れなくなる。そして、党中央委員会に設けられた各政策部局か、省庁の指導に責任を持つ体制となった。

・・・

 一九五〇年七月、社会主義統一党は第三回党大会を開催する。ウルブリヒトを党の最高指導者である書記長に選出し、ソ連共産党と同じ党内部の統制メカニズムを確立した。
 党中央の指令には、下部の党機関は必ず従う「民主集中制」と呼ばれる原則を決定した。党の最高意思決定機関は党大会であるか毎年開かれるわけではないため、その間の活動を担う組織として中央委員会が設置された。日々の政策決定は政治決定を下す政治局を頂点として、党の通常業務を取りまとめる書記局と各政策部局が行った。中央の指示や指令は地方組織を通じて、最終的には末端の企業や地域の党組織で活動する党員へと降りていく。
 少数意見は多数意見に従うこととされ、党内でグループを結成して正式な党内決定とは異なる目標を追求する「分派活動」を禁止した。党の幹部人事政策も党学校での教育と上部組織の選抜によって機能するようになる。
 この仕組みは、彼らか奉じるイデオロギーによって正当化されていた。社会主義統一党は労働者の前衛であり、それゆえ。〝党は常に正しい〟という認識、いわゆる党の無謬性が党内秩序を維持する根拠となった。
 党官僚の昇進は一九五一年一月から徐々にソ連と同じく、「カードル・ノーメソクラトゥーラ」システムと呼ばれる人事選抜方法で決定されるようになる。ガードル(幹部人事)局と呼ばれる部局か党の人事のみならず、国家組織の部局長人事にも責任を負った。幹部の選考基準には、本人か党の路線に忠実かどうかという政治的な信頼性や社会的出自も考慮された。その後、この人事システムはおよそ一九六〇年代までには東ドイツ全土に浸透していく。

 

『物語 東ドイツの歴史』p.44~47

 

 

 

資本主義から社会主義への移行は、その国家の生産力が発達しているかどうかで成否が決まるわけではありません。

 

社会主義経済システムを真に理解して導入し、プロレタリア社会の計画経済のもとで、イノベーションが民間の産業でも起きるのかどうか?

政治システムとして、資本家階級を締め出すプロレタリア社会の原則をどのように統治するのかという問題なのです。

政治的な思想信条の自由、表現の自由などの人権を守る政治システムと社会主義経済システムが両立するのは困難なのです。

 

日本共産党が社会主義・共産主義を目指すというなら、今だったら、どの企業を国有化や公有化をどのように行うかを示さないといけません。

それはJRなのか日本郵政なのか、はたまたトヨタ自動車や楽天グループなのか?

そのビジョンを示さないとしたら、それはなぜなのか?

民青同盟はそれを質問すべきでしょう。

(ベルリンの壁崩壊)

 

1.利潤第一主義からの自由という経済的自由の禁止

 

今回は「自由」の問題です。

1989年、自由を求めた人々は社会主義の東ドイツから、資本主義の西ドイツをめざしました。

なんか論じる前から結論はわかっているようですが。

 

志位  第一の角度で使った「自由」――「利潤第一主義」からの自由は、他のものからの害悪を受けないという意味での「自由」です。そういう意味では消極的な自由ともいえるわけです。

 それに対して、第二の角度での「自由」――「人間の自由で全面的な発展」の「自由」は、自分の意志を自由に表現することができる、あるいは実現することができるという意味の「自由」です。そういう意味ではより積極的な自由ともいえます。

 

利益第一主義からの自由ですか。

これは資本主義体制支持派から言えば、生産手段の私的所有の禁止、経済的自由の否定ということになります。

利潤第一主義=搾取の自由を禁止することは、資本家の自由、アントンプレナー(起業家)の自由を禁止することになりますね。

 

 

その次は、『ドイツ・イデオロギー』で出てきた視点です。

分業からの自由です。

 

志位  マルクス、エンゲルスが最初に出した答えは、「社会から分業をなくせばいい」というものでした。

 当時、産業革命によって機械制大工業が発展し、労働者は機械による生産の一部に縛り付けられて生涯働かされていました。この分業こそが「悪の根源」だ、分業をなくせば、人間が自由に発展できるようになるだろう。彼らは最初にこう考えた。

 マルクス、エンゲルスは初期の時期(1845年~46年)に『ドイツ・イデオロギー』という労作を書きます。これは、彼らが生きている間には出版されないで、「鼠(ねずみ)どもがかじって批判するまま」(マルクス)にされており、2人が亡くなった後に出版されるのです。『ドイツ・イデオロギー』では、共産主義社会について、「個人個人の独自な自由な発展がけっして空文句ではない社会」という、『共産党宣言』と同じ特徴づけが行われていますが、それを実現するために「分業の廃止」という構想がのべられています。そこにはこんな言葉が出てきます。

 「私がまさに好きなように、朝には狩りをし、午後には釣りをし、夕方には牧畜を営み、そして食後には哲学をする」

 分業を廃止して、まさに好きなように何でもする人間になる、そういう社会に変えればいい。そうなれば「個人の自由な発展」ができるだろう。こうした牧歌的な構想を描くのです。『ドイツ・イデオロギー』は、2人が「史的唯物論」の考え方を初めてまとめたという点で画期的意義をもつ著作でしたが、経済学については本格的に研究する前の段階に書かれたものでした。「分業の廃止」という構想は、間もなく不可能だということが分かってきます。どんな社会になっても分業は必要になります。

 

こういうユートピア的な自由がマルクスの発想にあります。

しかし、これは不可能だと気づいたとか。

 

 

2.商品が交換されるマルクスの根拠は正しいのか?

 

次に自由時間の問題です。

 

中山 今の日本で、働く人は「自由に処分できる時間」をどのくらい奪われているのですか?

 

志位 いろいろな研究がありますが、今日、私が紹介したいのは、大阪経済大学名誉教授の泉弘志さんが行った推計です(剰余価値率)。2000年のデータをもとにした全産業の雇用者の推計ですが、これを8時間労働に換算しますと、必要労働時間が3時間42分。剰余労働時間が4時間18分になります。(パネル19)

 

図

パネル19

中山 剰余労働の方が多いんですね。

 

志位 そうですね。8時間働いた場合、およそ4時間以上は、本来、労働者が持つべき「自由に処分できる時間」が資本家によって奪われていることになります。これは「サービス残業」という話ではありません。法律通りに働いていてもこういうふうになるということです。この比率は、産業や企業によっても違います。おおよその数字として頭に入れていただいて、これを取り戻すことができたら、どんなに未来が開けるかを楽しく想像していただきたいと思います。

 

ここで、何気なく「剰余価値率」という単語が出てきています。

そして、「必要労働」と「剰余労働」という言い方もでてきています。

 

 

まず、必要労働とは何でしょうか?

直接的生産者が自分と家族に必要な生活資料を生産するための労働を必要労働といい、これを超えて行われる労働を剰余労働といいます。

 

生産力の発展とともに剰余労働が形成されるようになりますが、生産手段の私的所有をするブルジョア階級社会が成立すると、剰余労働の生産物は生産手段の所有者=ブルジョアのものとなります。

 

労働者に支払うと約束されている賃金の額は必要労働時間での生産量と同等です。

仮に一日の労働時間が8時間であった場合に、日給と同額の生産量を上げられる時間が6時間であったならば、この6時間が必要労働時間ということになり、残りの2時間は剰余労働時間ということになります。

 

 

 

先の図も「8時間働いた場合、およそ4時間以上は、本来、労働者が持つべき「自由に処分できる時間」が資本家によって奪われていることになります」と書いているよ言うに、「労働者の持つべき」処分時間なのであって、実際の時間ではありません。

 

マルクスは、商品の価値はそこに投入された労働によって決まると考えました。

しかし、商品の価値を決めるのは、シンプルなことですが、市場での消費者だということなのです。

つまり、その裏に抽象労働があるなんてふつうに考えません。

ただ、その商品がほしいという欲望があるのです。

その結果、誰かの労働時間と食い違った根拠があることに気が付きます。

つまり、要らない商品を何時間かけて作っても、その商品は廃棄される場合もあるのです。

抽象的労働が交換の理由なんて実際には幻想です。

 

でも、市場がない世界ではマルクスが言う通りかもしれません。

そういう経済世界が実現するとどうなるのかは、ソ連・東欧の破綻で見てきました。

 

マルクスは『資本論』第1巻でこう述べます。商品の価値はすべて労働によって生み出され、その価値どおりに市場で売買される。ところが資本家は商品を売って得た代金のうち、労働者には一部を賃金として支払うだけで、原材料費などを除いた残りは利潤として自分の懐に入れてしまう。いいかえれば、労働者が生んだ価値の一部には対価を払うが、残りの価値(剰余価値)には払わない。これは実質的な不払い労働であり、不当な搾取である、と。

これは商品の価値は労働によって決まるという、誤った考えから出発しています。実際には、商品の市場価値を決めるのは労働者の働いた量ではありません。消費者の心に基づく選択です。私たちは買い物をするとき、商品の製造にかかった労働量を調べたりしません。

もしマルクスのいうように商品の価値が労働量で決まるなら、大規模な設備を使い人手を省く資本集約型産業よりも、サービス業など人手を要する労働集約型産業のほうが利益率は高くなるはずです。しかし実際にはそのようなことはなく、長期ではあらゆる産業の利益率は均一化に向かいます。ある産業の利益率が他より高ければ、その産業に参入する企業が増え、価格競争が広がって利益率が低下するからです。

https://bizgate.nikkei.com/article/DGXMZO3064412017052018000000?page=2

 

マルクスにとって、商品が交換されるのはそこに投入された抽象的労働があるからという前提があります。

交換される商品の価格は労働価値を表しており、労働価値は賃金で支払われるものと考えるのです。

 

交換価値についてはマルクスが言い出したことではなく、アダム・スミスも言っていたことです。

マルクスは剰余価値の考え方を提唱し、それを資本家が取得することを搾取と呼んだのです。

 

しかし、商品の価格は市場価値で決まります。

商品の価値は労働によって決まるというモデルは、市場を無視したモデルなのです。

 

志位 こういう言葉が『資本論草稿』のなかに出てきます。マルクスは、「自由に処分できる時間」――一人ひとりの個人が、どんな外的な義務にも束縛されずに、自ら時間の主人公になって、自分の能力と活動を全面的に発展させることのできる時間こそ、人間と社会にとっての「真の富」だと考えたのです。

 

では、「自由に処分できる」時間の実現ということと、労働時間の短縮ということ、賃金の関係はどうなっているのでしょうか?

それはたんに労働時間を短縮して、賃金を下げない(または上げる)と、搾取がなくなるという理屈なのです。

剰余労働時間がすべて労働者に賃金として支払われれば、搾取はゼロになるということです。

 

 

3.市場を無視した生産はどうなるか?

 

でもこれは、生産手段の私的所有を廃止、市場を軽視することになります。

そのような生産計画では国民のニーズを満たせず、政府に不満が集まります。

 

 

 

 

そうなると、政府は独裁的にならざるをえません。

 

 

これでは自由とは反対の方向になります。

高度な生産力から出発したドイツで、東側は生産手段の私的所有を禁止し、不足した以上への国民の不満を押さえつけ、政治的自由を奪いました。

 

志位 ここでマルクスは、人間の生活時間を二つの「国」――「必然性の国」と「真の自由の国」に分けています。「国」という言葉が使われていますが、これは地域という意味ではありません。人間の生活時間を「必然性の国」と「真の自由の国」という独特の概念に分けたのです。

 まず「必然性の国」は、「本来の物質的生産」のためにあてられる労働時間だと規定されています。なぜそれを「必然性の国」と呼ぶのか。それはこの領域での人間の活動が、ちょっと難しい言葉ですが、「窮迫と外的な目的適合性とによって規定される労働」だからです。「窮迫」とは生活上の困難のことであり、「外的な目的」とは社会生活のうえで迫られるいろいろな必要のことです。そういうものに規定され、自分とその家族、社会の生活を維持するためにどうしても必要で余儀なくされる労働時間ということです。「窮迫」や「外的な目的」のために余儀なくされる労働は、人間の本当に自由な活動とは言えない。そこで「必然性の国」とマルクスは呼びました。

 ただ「必然性の国」には自由がないかというと、そんなことはない。マルクスは、社会主義・共産主義社会に進めば、自由な意思で結びついた生産者による労働は、自らの人間性に最もふさわしい労働となり、自然との物質代謝を合理的に規制するような労働へと大きな変化をとげる。つまり、未来社会に進むことによって、「必然性の国」でも人間の活動に素晴らしい「自由」が開けてきます。

 

4.現実の社会主義社会とは?

 

しかし、現実の社会主義社会は自由のない世界でした。

いや、秘密警察を空気のように意識する社会とも言えます。

 

本書では最新の研究成果や私自身の専門の知見を活かし、人びとはシュタージ(秘密警察)によって一方的に抑圧されていた、また、人びとが政治に対して自分の世界のなかに引きこもって「本音」と「たてまえ」を使い分けて行動をしていたというイメージについては覆せたと思います。むしろ体制が人びととの関係に苦慮していた様子が読み取れるのではないかと。社会主義統一党は当初、暴力的にふるまうことがありましたが、ベルリンの壁を作った後は人びとを逃げられないようにしてしまったため、人びとからの批判を無視できなくなったとみることもできます。

 

 

 

 

志位 そして「真の自由の国」は、それを越えた先にあると言っています。すなわち人間がまったく自由に使える時間のなかにある。つまり自分と社会にとってのあらゆる義務から解放されて、完全に自分が時間の主人公となる時間。自分の力をのびのびと自由に伸ばすことそのものが目的になる――「人間の力の発展」そのものが目的になる時間。マルクスはこれを「真の自由の国」と呼び、この「真の自由の国」を万人が十分に持つことができる社会となることに、社会主義・共産主義社会の何よりもの特質を見いだしたのです。そして、「労働時間の短縮が根本条件である」という実に簡明な言葉で結んでいます。私は、マルクスが『資本論』でのべたこの言葉は、『資本論草稿』での「自由に処分できる時間」にかかわる研究を凝縮してのべたものだと思います。

 労働時間が抜本的に短くなって、たとえば1日3~4時間、週2~3日の労働で、あとは「自由な時間」となったとしたら何に使いますか。

中山 私はフルート吹いてみたりとか、本を読んでみたりとか、そういうことしてみたいです。

 

ああ、フルートを吹きますか?

 

 

志位 どうして未来社会では労働時間を抜本的に短くすることが可能になるか。つぎの二つの点が重要です。

 第一に、「生産手段の社会化」によって、人間による人間の搾取がなくなると、社会のすべての構成員が平等に生産活動に参加するようになり、1人当たりの労働時間は大幅に短縮されます。さきほど、資本主義のもとでは、「本来、人々が持つことができる『自由に処分できる時間』――『自由な時間』が奪われている」「資本家によって横領されている」と言いましたが、労働者が資本家によって奪われた「自由な時間」を取り戻すことで、十分な「自由に処分できる時間」が万人のものになります。

 第二に、未来社会に進むことによって、資本主義に固有の浪費がなくなります。資本主義の社会は、一見すると効率的な社会に見えますが、人類の歴史のなかでこれほどはなはだしい浪費を特徴とする社会というのはないんです。繰り返される恐慌と不況は浪費の最たるものです。一方で大量の失業者がいる、他方で多くの企業が生産をストップしている、これは浪費の最たるものです。資本主義が、「利潤第一主義」のもとで「生産のための生産」に突き進み、「大量生産・大量消費・大量廃棄」を繰り返していることも浪費の深刻なあらわれです。その最も重大な帰結が気候危機にほかなりません。これらの浪費を一掃したら、それらに費やされている無用な労働時間が必要でなくなり、「真の自由の国」を大きく拡大することになるでしょう。

 

 

5.1日3~4時間、週2~3日の労働っていいですね。

 

 

志位 労働時間が抜本的に短くなって、たとえば1日3~4時間、週2~3日の労働で、あとは「自由な時間」となったとしたら何に使いますか。

 

一日、3~4時間、週2~3日の労働ですか。

すごいですね。

どんなスーパーマンなんですか?

それでたっぷり給料もらって、あとは自由な時間ですね。

 

1930年代のソ連で、工業化のペースを上げるために、全国民の力を総動員する必要がありました。

そのシンボルの一人となったのが、ドンバスの普通の炭坑労働者、アレクセイ・スタハノフです。

彼はソ連だけでなく世界中で有名になったそうです。

 

 1935年8月31日未明、スタハノフは一度のシフトで自身の仕事のノルマの14.5倍の仕事をした。7トンの石炭を採掘すれば合格のところを、102トンもの石炭を採ってみせたのだ。成功の秘訣はアレクセイ自身の革新的な提案にあった。つまり、それまで採鉱夫が行っていた坑道の壁を補強する作業を助手にさせ、採鉱夫が石炭の採掘に専念できるようにしたのだ。

 スタハノフの名は一種のブランドになった。いわゆる「スタハノフ運動」が全国に広まった。

 運動の要点は、生産過程でとんでもない記録を打ち立て、生産効率を何倍も上げる革新的な手法を導入し、労働の規律を厳しく遵守することにあった。

スタハノフの肖像画を掲げている労働者たち

 英雄は次から次に現れた。製鋼工、フライス盤工、コンバイン運転手、縫製工、さらには靴職人までもがソ連の全国記録を打ち立て、ノルマを200パーセントも400パーセントも超過した。

 だが人々が成果を出そうとしたのは、輝かしいソ連の未来を建設するためだけではなかった。記録を作る度に労働者はボーナスをもらえたのだ。スタハノフ自身も、最初の伝説的なシフトだけで月収の半額のボーナスを受け取った。

 

 

一日3~4時間の労働で、あとは遊んで暮らす。

それって、スタハノフみたいな人ばかりの国でしょうね。

 

 熱狂的な労働が原因で工作機械や仕事道具が頻繁に壊れ、完成品の品質が落ちることも珍しくなかった。労働ノルマが上昇し、少しも功績を求めない人々までも、従来通りの給料を得るために従来以上に働かなければならなくなった。

 その上、スタハノフ運動者の記録樹立を助けた人々は不当に無視された。例えばスタハノフがノルマの何倍もの仕事をしている間坑道の壁を補強していた2人の炭坑労働者がそうだ。

 記録に直接関係した人々が陰に隠れてしまっていた一方で、スタハノフ運動者と認められてボーナスを手に入れるために虚偽の記録を申告する悪意ある労働者も現れた。

 スタハノフ運動は国民経済にとっていつでもどこでも利益になるとは限らなかった。記録的な石炭の採掘は有益だったが、例えば、オーバーシューズをノルマの何倍も生産することは誰の役にも立たず、正当化できるものではなかった。

 

現代版超人スタハノフはどこかにいるのでしょうか?

 

 

ところで、ベルリンの壁を壊したのはふつうの市民たちでした。

それは自由を求める力でもありました。

 

1989年のベルリンの壁の崩壊時の考えを、あるとき何人かの方から聞きました。その想いは一様ではなく、これからどうなってしまうのだろうかと市電の停留所で涙が出てきたという人もいますし、職場から疲れて帰ってきて一晩明けたら壁が崩れていて驚いたという証言も得ています。これで西側の親戚のところに自由にいけるようになり嬉しかったという話も聞いています。

 

 

夢のような世界、根拠のない非現実的な世界をさもありそうな世界だと、運動に誘うのはまるでカルト宗教です。

(ソ連時代のスーパーマーケット)

 

志位氏の講義の今回分は「利益第一主義」への批判です。

 

 

 

 

1.吸血鬼なのか、それとも経済を動かすアニマル・スピリッツなのか?

 

志位氏は、資本主義批判の第一の角度として「利益第一主義」を上げるのです。

 

中山 それではまず第一の角度――「利潤第一主義」からの自由についてお聞きします。そもそも「利潤第一主義」とはどういうことでしょうか? まずそもそも論からお話しください。

志位 資本主義では、生産は何のために行われるか。マルクスは、『資本論』で、“資本主義では、資本のもうけを増やすことへの限りない衝動が、生産の推進力――生産の動機となり目的となる”と繰り返し言っています。私たちはこれを「利潤第一主義」と呼んでいるんです。

・・・

マルクスは「吸血鬼」という言葉まで使っているのですが、さっき紹介した「オックスファム」の「報告書」の超富裕層のもうけぶりは、「吸血鬼」という言葉がぴったりくるのではないでしょうか。もちろんこれは、超富裕層の人々の個々人の人格を批判しているわけではありません。「資本家」である以上は、そういう「資本の魂」を持たざるを得なくなってしまうということが、マルクスが言ったことなのです。

 

人間が生産に対して駆り立てられることを昔から経済学では話題にされます。

ジョン・メイナード・ケインズは1936年の著作『雇用・利子および貨幣の一般理論』でこのことを「アニマル・スピリッツ」よ呼びました。

 

中山 その人が悪い人だからとか、良い人だからとかいうことではないんですね。衝動に突き動かされているということですね。

志位 ある企業の代表がどんな人格者であっても、資本家としては「資本の魂」をもって行動するということです。「衝動」という言葉が使われていますが、抑えがたい力で突き動かされるということですね。

 

ケインズは『雇用・利子および貨幣の一般理論』で次のように書いています。

 

投機による不安定性のほかにも、人間性の特質にもとづく不安定性、すなわち、われわれの積極的活動の大部分は、道徳的なものであれ、快楽的なものであれ、あるいは経済的なものであれ、とにかく数学的期待値のごときに依存するよりは、むしろおのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定性がある。何日も経たなければ結果が出ないことでも積極的になそうとする、その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマル・スピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるのではない。

 

『雇用・利子および貨幣の一般理論』

 

 

 

マルクスはこの資本家の精神を吸血鬼に例えていますが、ケインズは「アニマル・スピリッツ」を人間の経済活動にとってプラスの意味で使っています。

つまり、このアニマルスピリッツがあるから、資本主義社会は製品やサービスのイノベーションを生んだのだと。

ハンガリーの社会主義を経験したコルナイ・ヤーノシュという経済学者は著書『資本主義の本質』のなかで1917年以来の重要なイノベーションを111件ピックアップしています。

 

※リストはこちらを参照。

 

 

 

トランジスタやファックス、電卓、ノート型パソコン、携帯電話、電子レンジからインスタントコーヒー、テトラパック、ボールパンなどです。そのうち合成ゴムだけが、社会主義国であるソ連で開発されたものなのです。その1件だけです。

 

つまり、資本主義のアニマルスピリッツがそういうイノベーションを生み出すことができると結論付けています。

 

 

 

2.商品の余剰と産業予備軍はゼロがいいのか?

 

志位氏は利潤第一主義をパネルにこうまとめています。

 

資本主義では「利潤第一主義」が特別に激烈


1、追求する富は「カネ」の量
2、儲けを市場で競い合う自由競争の社会
3、「生産のための生産」が合言葉

 

そしてこういいます。

 

中山 カネもうけの衝動が特別に激しいと。

志位 そうです。

 

ここまで志位氏は資本主義を批判しているつもりかもわかりませんが、とくにおかしいことを言っているとは思いません。

経済活動における人間の魂の源泉を説明しているだけです。

ただ、ここから資本主義のマイナス面を指摘します。

 

中山 「利潤第一主義」は、具体的にどんな害悪をもたらしているのでしょうか?

志位 大きく言って、二つの害悪を指摘したいと思います。

 第一は、貧困と格差の拡大です。

 第二は、「あとの祭り」の経済です。ちょっと耳なれないかもしれませんが、これについては後で説明します。

 

前者の貧困と格差の拡大については、その通りでしょう。

放っておいたら資本主義のシステムはそうなるようにできています。

そして失業の問題です。

 

志位 マルクスは『資本論』のなかで、資本が蓄積されていくと、技術革新によって、景気が良いときであっても労働者が「過剰」になる、そして「過剰」になった労働者を職場からたえずはじき出すプロセスが進むことを明らかにしています。経済が発展しているのに、仕事につけない「過剰」労働者がいつも大量に存在するという状態が、資本主義社会では当たり前になっていく。

 資本主義が生み出す、現役労働者の数を超える「過剰」な労働者人口のことを、マルクスは「産業予備軍」と呼び、そうした失業、半失業の労働者の大群を生み出すメカニズムを『資本論』で明らかにしました。資本主義社会では、失業は決してなくなりません。資本主義の国で失業者がゼロの国はありませんよね。

 

志位氏はマルクスの言を借りて、失業が絶対悪で、失業者をゼロにすることが良いことだと思わせます。

 

志位 すなわち「産業予備軍」――大量の失業者の存在は、労使の力関係を、資本家にとってすごく有利にしてしまいます。

 

産業予備軍の存在が社会にとって悪なのかどうか、商品の余剰が社会にとって悪なのかどうか?

このあたりが、資本主義社会と社会主義社会の価値観と実際の経済を考えるうえで実は重要なのです。

 

社会主義経済の破綻を経験したコルナイ・ヤーノシュという経済学者はある程度の産業予備軍と商品の余剰は必要だと言っています。

商品に余剰を生まないので良いと思われた「計画経済」のもとで、スーパーマーケットから商品が欠乏し、労働者の品質管理の意欲がない工場から火を噴くテレビが生まれました。

『モスクワのテレビはなぜ火を噴くか』(築地書館)という本があります。

そこにはソ連の計画経済が行き着いたテレビによる月15件の火災事故について書かれています。

 

「ソ連全土で、第11次5カ年計画(1981-85年)の間にカラーテレビが火を噴いて起きた火事は1万8400件、これによる死者927人、負傷者112人、物的損害は1560万ルーブルにのぼった」ソ連内務省の報告として『アガニョーク(灯)』の1987年25号が暴露した数字だ。

 

『モスクワのテレビはなぜ火を噴くか』(築地書館)

 

 

 

計画経済でなく、需要と供給を市場で調整するしくみが資本主義の競争によるイノベーション、品質の向上を保障しているのです。

 

 

3.「あとの祭り」は資本主義より社会主義のほうが反動が大きい

 

志位氏は「あとの祭り」についてこう言っています。

 

志位 マルクスは『資本論』で、資本主義の社会では、「社会的理性」が、いつも“祭りが終わってから”はじめて働くと特徴づけました。これは言葉をかえると「あとの祭り」の経済になるということです。

中山 「あとの祭り」になると。

志位 ええ。資本主義社会では、生産の計画的な管理が可能なのは、個々の企業の内部だけのことです。社会的規模では競争が強制されますから、「生産のための生産」が無政府的に行われる。そのために生産のいろいろなかく乱が起こり、「社会的理性」が働くのは“祭りが終わってから”になる。つまり、「あとの祭り」になる。こういう特徴があります。

 

斎藤幸平氏も同じようなことをマルクスから引用して話を展開するので、けっして志位氏だけが詭弁を使っているとは言いません。

しかし、このあと、恐慌について説明し、こんなことも資本主義のせいにしています。

 

志位 『資本論』を読んでいて驚くのは、資本主義のもとでの「利潤第一主義」による産業活動によって、自然環境の破壊が起こることを早くも告発していることです。これをマルクスは、「物質代謝」の「攪乱(かくらん)」と表現しています。マルクスが『資本論』でとりあげているのは、資本主義のもとでの「利潤第一主義」の農業生産です。もうけ第一で自然がどうなろうとお構いなしという農業経営によって、土地の栄養分がなくなって荒れ地になってしまう。そうすると農業そのものが成り立たなくなってしまう。そうした事態を、マルクスは「物質代謝」の「攪乱」と表現しました。これは、現代に恐るべき規模で起こっていることの先取り的な告発ですね。

 

中国の光化学スモッグ、ソ連のチェルノブイリ原発事故のことはどうなのでしょうか?

そして、農業のことを言うとソ連で進められた農業集団化による失敗、ウズベキスタンでの灌漑の失敗などは資本主義ではなく社会主義計画経済のもとで起きていることです。

 

中山 そうですよね。びっくりしました。

志位 いま起こっている気候危機は、地球的規模での「物質代謝の大攪乱」です。でもこればかりは「あとの祭り」にしてはならなりません。人類は、この最悪の社会的災害を、「あとの祭り」になる前に、「社会的理性」を働かせて、解決することができるかどうかが問われています。

 資本主義のもとでも、その解決のためにありとあらゆる知恵と力を尽くす必要があります。しかし、その解決ができないのであれば、資本主義には退場してもらって、次の社会に席を譲ってもらわなければなりません。

 

 

そうですよね。びっくりしました。

これは、なにかセンスの悪い漫才でも聞かされているようです。

 

中山 害悪だらけの「利潤第一主義」ですが、どうすればこれをとりのぞくことができるのでしょうか?

志位 生産の動機と目的そのものを変える社会変革が必要になってきます。資本主義のもとでは、生産手段――工場とか機械とか土地とか、生産に必要な手段を資本が握っています。そのことから資本はこれを最大限に使って、自分のもうけを最大化しようとする。それがさきほどお話しした「利潤第一主義」を生んで、いろいろな害悪をつくりだす。どうすればこの問題を解決することができるか。マルクスが出した答えは、「生産手段の社会化」――生産手段を個々の資本家の手から社会全体の手に移すということでした。

・・・


中山 「社会化」というのは「国有化」ということですか?

志位 「生産手段の社会化」といいますと、「国有化」を連想される方も多いかと思うんですが、私たちは「国有化」が唯一の方法と考えていません。生産手段を社会の手に移すには、いろいろな方法や形態があって、情勢に応じて、いちばんふさわしい方法や形態を、国民多数の合意で選んでいけばいい。その「青写真」をいまから描くことはできないし、描くことは適切でないというのが、マルクスやエンゲルスの考えでした。社会進歩の道を前進するなかで、みんなで見いだしていく。

 私が、ここで強調しておきたいのは、建前上は、「生産手段の社会化」がやられていたとしても、肝心の生産者が抑圧されているような社会は、社会主義とは無縁だということなんです。崩壊してしまった旧ソ連社会がそうでした。旧ソ連には「国有化」はあった。「集団化」もあった。しかし肝心の生産者がどうなっていたか。抑圧され、弾圧され、強制収容所に閉じ込められ、囚人労働が経済の一部に位置づけられていました。こんな社会は、経済の土台の面でも社会主義とは無縁の社会だったと、日本共産党は大会の決定でそういう歴史的判定をやっています。そして、こういう社会を「絶対に再現させてはならない」と、綱領で固く約束しています。

 

最近ではソ連の国家による計画経済があまりに評判が悪すぎるのを意識してか、日本共産党は「国有化」という表現を避けるようにしているようです。

 

そして、こういうことにしているのです。

 

生産手段を社会の手に移すには、いろいろな方法や形態があって、情勢に応じて、いちばんふさわしい方法や形態を、国民多数の合意で選んでいけばいい。

その「青写真」をいまから描くことはできないし、描くことは適切でないというのが、マルクスやエンゲルスの考えでした。

 

いやいや、計画経済を唱えたのはカール・マルクスで「自由に社会化された人間の産物として彼らの意識的計画的管理のもとにおかれる」(資本論第1部)と言いました。

しかし、マルクスに計画経済によって、経済活動のしくみがどう変わるかの想像力がなかっただけです。

 

1917年のロシア革命の後、内戦状態のなかで戦時共産主義と言う配給制の経済が敷かれました。

生産力があまりにも低いので、レーニンは農業者の資本主義化を一時進めましたが、やがて集団化に切り替えました。

そしてその後、急速な工業化、農業の大規模集団化も導入しました。

農村から都市への労働者の移動や、女性の労働者化などによって労働力人口が急速に増え、ある時点までソ連は経済成長を続けました。労働力人口が増え、工業化が進展する経済成長の時期だったのです。

資本主義の開発独裁の国でも似たような現象になります。

 

しかし、労働力が飽和状態になったあたりから、経済成長は止まり、計画経済が逆に成長を阻害するようになったのです。

 

 

1990年まで東欧の国々は経済成長が止まっていました。

世界の産業構造が変化しているのに、ソ連・東欧ではその波に乗れていませんでした。

そして、商品が市場から欠乏し、不満を言えば反体制派とみなされ、弾圧されました。

ゴルバチョフが改革を唱え、情報公開を進めましたが、それはゴルバチョフの予想を超え、国家の崩壊に至りました。

 

1990~1991年頃の社会主義崩壊により資本主義が一気に導入されました。

しかし、一時期よけいに経済が停滞します。

失業が増え、大量の産業予備軍ができたのです。

 

しかし、数年後、経済は急速に伸びます。

これは産業構造に合わせて、失業者が新たな産業に従事するようになったからです。

 

資本主義社会ではある程度の失業者=産業予備軍を抱え、社会主義国のような壊滅的な社会の崩壊を常に避けています。

 

 

上の表のように東欧のほとんどの国が社会主義計画経済によって国家が壊滅し、資本主義への移行によって蘇っています。

そこには商品の需要と供給を調整する市場があるからです。

同じように労働市場にも需要と供給があり、産業予備軍がその調整をしているのです。

 

しかし、性懲りもなく、志位氏はこういうことを言っています。

 

志位 こうしてマルクスは、「自由」をキーワードにして、「生産手段を集団に返還させること」、つまり「生産手段の社会化」を、わずか数行の論立てで導きだしています。“自由を得るためには生産手段を持つことが必要だが、一人では持てないからみんなで持とう”。これが「生産手段の社会化」だと言っています。ここで言われている「自由」という言葉は、搾取からの自由、抑圧からの自由を意味していると思いますが、もう一つ含意があるように思います。

中山 なんでしょう?

志位 次にお話をする「人間の自由で全面的な発展」につながる「自由」です。これも含まれているように思います。マルクスが、「生産手段の社会化」を「自由」をキーワードにして論じたことは、たいへん重要な意味を持っていると思います。ぜひ心に留めておいてほしいなと思います。

 

レーニン、トロツキー、スターリンはマルクス、エンゲルスを必死で読んでいました。

とくにスターリンの読書量はすさまじく、執務室の隣に専用の図書室がありました。

最近、蔵書のメモ書きも紹介する本が出版されています。

スターリンは、政敵トロツキーの本も線を引きながら読んでいたようです。

 

 

だから、志位氏に言われなくてもレーニンもスターリンもマルクスがどういっていたかは十分に知っているのです。

しかし、「自由」を唱えていて、実際には「自由」を抑圧することはよくあります。

 

その「自由」は一般的には「自由」だが、学校では別だとか。

公務員には「自由」は制限されて当たり前だとか。

 

あっ、そうそう、革命党での「表現の自由」は違うって日本共産党も誰かを除名処分にしましたよね。

唱えていることと、実際に行うこと。

これが一致していない組織が、「自由」を語るのはあまりに説得力が欠けるのです。

 

 

1.モスクワのテレビはなぜ火を噴くのか?

 

1987年に『モスクワのテレビはなぜ火を噴くのか』(築地書館)という本が出版されている。

 

 

ちょうどゴルバチョフのペレストロイカ(改革)が進み、いろんなことが明るみになっていた。

 

テレビが火を噴くという信じられない事件は社会主義の末期現象としてイメージしやすい。
しかし、それがどういうことだったのか忘れていた。

 

「ソ連全土で、第11次5カ年計画(1981-85年)の間にカラーテレビが火を噴いて起きた火事は1万8400件、これによる死者927人、負傷者112人、物的損害は1560万ルーブルにのぼった」ソ連内務省の報告として『アガニョーク(灯)』の1987年25号が暴露した数字だ。

 

『モスクワのテレビはなぜ火を噴くのか』p.3~4


平均するとソ連では一日に約10件のテレビ火事が起き、二日にひとりが亡くなっていることになる。
この当時、日本では東京都内のテレビによる火事は、1985年が年間12件、1986年は5件だったとか。

これは、当時のソ連で火を噴くテレビがいかに多かったかがわかるエピソードだ。

計画経済のもとで製品の生産が工場に割り当てられる。

それをその数だけ作れば給与がもらえる。

品質管理は給与に直結しないので、極めて杜撰だった。

その結果、テレビのブラウン管が壊れ、そこから出荷するという事故が多発していた。

マスコミが報道すればニュースになるのだが、これはソ連の内務省の報告にすぎなかった。

 

 

また、ソ連の乗用車「ヴォルガ」はモデルチェンジしたら、多くの国々から輸入禁止にされた。世界で求められる安全基準に全く合致していないからとか。燃費も悪いし、居住性も悪い。

 

(ヴォルガ)

 

ゴーリキー自動車工場が、ボルガを20年も前に、つまり自動車に対する要求が現在とは違っていたころに開発し、製造を始めたというのであれば、理解できないではない。ところが、そうではないのだ。彼らには、すでに全世界で国際的な安全や排出ガス浄化基準が導入されている今の今になって、「ヴォルガ」のモデルチェンジを行ったのだ。無責任もどこまで行けば気が済むというのか。

 

『モスクワのテレビはなぜ火を噴くのか』p.60~61


ソ連の社会主義体制下では、開発もいい加減だし、必要な物資は不足している。
社会主義とは慢性的な品不足と商品配給制のことだと心得ているらしい。

どうしてこうなるのだろうか?

 

2.社会主義経済でのイノベーションの欠如

 

ハンガリーで社会主義体制下を経験したコルナイ・ヤーノシュという経済学者が『資本主義の本質について』という本を書いている。

 

 

 

ヤーノシュはこれをイノベーションの欠如に起因していると説明している。

社会主義経済では製品やサービスのイノベーションが起きにくいのだ。

 

その例として、ヤーノシュは1917年以来の重要なイノベーションを111件ピックアップし、それがどこの国で起きたかをまとめている。

 

 

『資本主義の本質について』p.52~54

 

 

トランジスタやファックス、電卓、ノート型パソコン、携帯電話、電子レンジからインスタントコーヒー、テトラパック、ボールパンなどのうち合成ゴムだけが、社会主義国であるソ連で開発されている。111件のリストのうち、社会主義国でのイノベーションは、その1件だけなのである。

 

シュンペーターなどはイノベーションを経済の原動力と考えたが、経済学者の多くが「アニマル・スピリッツ」ということをテーマに考えている。

ジョン・メイナード・ケインズは1936年の著作『雇用・利子および貨幣の一般理論』で、そのことを「アニマル・スピリッツ」と呼んだ。

 

投機による不安定性のほかにも、人間性の特質にもとづく不安定性、すなわち、われわれの積極的活動の大部分は、道徳的なものであれ、快楽的なものであれ、あるいは経済的なものであれ、とにかく数学的期待値のごときに依存するよりは、むしろおのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定性がある。何日も経たなければ結果が出ないことでも積極的になそうとする、その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマル・スピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるのではない。

『雇用・利子および貨幣の一般理論』

 

 


つまり、ヤーノシュは、ケインズが名付けた資本主義のアニマルスピリッツが、そういうイノベーションを生み出すことができると結論付けている。

 

111件のイノベーションのうち社会主義は1件だけだったことには、開発の速度も影響している。

 

 

『資本主義の本質について』p.56

 

発明やイノベーションの先行者としてもそうだが、ソ連の場合、追随する速度も遅い。

セロハンの追随には19年、ポリエチレンには25~29年かかっている。

この遅さは、あとで述べる社会主義経済の特質に起因している。

 

 

3.資本主義の本質としてのイノベーション

 

ヤーノシュは、資本主義経済と社会主義経済の特徴を抽出し、それらの特徴をこのようにまとめている。

 

【資本主義経済の特徴】

 

A 分権的創意性

ラリー・ペイジとセルゲイーブリンは特殊な革新的課題を解決するよう上司から命令を受けたわけではなかった。彼らは、上司から、革新的行動にかんして特別な方向で取り組む許可を求める必要もなかった。個々人、小企業の意思決定者、大企業の最高経営
責任者と言い換えるとシステム内部で機能する分離した存在こそが、自らしたいことを決定する。

B 巨額の報酬

 今日、ペイジとプリンは世界最大の金持ちに数えられる。所得分配の倫理的に難しいディレンマを分析することが本書の課題ではない。成果に「比して」報酬はどの程度であったのか。確かなことは次の点である。もっとも成功した革新は通常(常にというわけではないが、しばしば高い確率をもって)巨額の報酬をもたらす。報酬の範囲はかなり不均等に広がっている。この尺度の端にはビルーゲイツ、古い世代にはフォード一族やデュポン一族といった巨額の富の所有者を置くことができる。技術進歩を導く企業家は巨大な独占的レント〔超過利潤〕を手にする。独占的地位を作りだせるので、たとえ一時的であっても最初の人間になることに価値があるのだ。巨額の金銭的報酬は通常、威信、名誉、名声を伴う。

C 競争

 

 これは上記の点と分かちがたい。強くて、しばしば冷酷な競争が顧客を惹きつけるために生じている。より速くより成功するようなイノベーションは、目的を達成する排他的な手段ではなく、競争者に対して優位に立つために重要な手段である。

D 広範囲の実験

 インターネットの検索に適したツールを見つけようとした企業家は何百人、たぶん何千人もいたに違いない。グーグルの創設者ほどの大成功を収めた者はごく一握りにすぎないが、それなりに大・中・小の成功を収めたイノベーションを実現できた。そのうえに、やってみたが失敗に帰した多数、少なくともかなりの数の人間がいたに違いない。
事例以外に、これまで資本主義のあらゆる領域で不断に生じている大量のイノベーションの試みを、そしてそれが成功であれ失敗であれ、その試みが広範囲に分布していることを評価した者は誰もいない。この種の相当重要な活動の効果がわかる者でも、グーグル、マイクロソフト、テトラパック、ノキア、任天堂の物語のようなめったにない劇的な成功に匹敵するほどの試みの多くには、直感的にしか気づくことができない。多くの相当才能にあふれた人々は、次の理由でイノベーションに向けて動機づけられている。
すなわち、ごくわずかな可能性だが並外れた成功を約束されているからであり、それよりずっと可能性は高いが、どちらかと言えば控えめであっても一層重要な成功を実現するからである。失敗のリスクをとるからにはそれなりの理由がある。

 

E 投下を待つ資本準備、融資の柔軟性

 グーグルの二人の創立者は革新的な活動とその提供を開始するための金融資源を手にすることができた。成功を収めた研究者であり革新者であるアンディーベクトルシェイムが(彼もまた偶然富裕なビジネスマンになったのだが)、その過程のごく最初にポケットの小切手に手を伸ばし、一〇万ドル小切手にサインしたのだ。革新的な企業は革新者自身の資源だけで実現されることはめったにない。これには事例もあるのだが、外部の資源に頼るのは相当一般的であ杤。資源を見つける多様な形態には、銀行融資、ビジネス参入志向の投資家、あるいはとくに(イリスクでそして成功の場合には高報酬のプロジェクトに特化した「投資会社」が含まれる(Bygrave and Timmons1992)。
根本的に融通の利く資本がイノベーションを先駆的に導入し早急に拡散させるのに必要となり、それには結局失敗に帰す場合もあるが広範囲の実験が含まれる。

 

『資本主義の本質について』p.60~63

 

それに対して社会主義経済の特徴はこう述べている。

 

【社会主義経済の特徴】

 

A 集権化、官僚的命令と許可

 技術的イノベーションの計画は国家計画の一章を占める。中央計画局は当該製品の製造技術とともに、製品の構成と質にかんして実施すべき重要な変更点を設定する。それに続き、中央計画の数値が部門、下位部門、最終的に企業の計画に振り分けられる。
「命令経済」とは、ある製品をいつ新しい製品に置き換えるべきか、どのような古い機械・技術が新しいものに置き換えられるべきかについて、企業が詳細な指図を受け取ることを意味する。計画が最終的に承認される前に、企業管理者は新しい製品や新しい技術に適応する意思を示すことが認められている。すなわち、彼らはイノベーションの伝播過程に参加できるのだ。しかしながら、彼らは重要なイニシアチヴを行うに際し許可
を求めなければならない。一つの行動が大規模なものになる場合には、直属の上位機関でさえ自ら意思決定することができず、ヒエラルキーのさらなる上位者に承認を求めなければならない。一つのイニシアチブが広範囲になればなるほど、最終決定を求めて上位者に向かわなければならず、実際の行動に先立つ官僚的過程は長くなる。
 上記の状況とはまったく逆の事情になるが、資本主義において、イノベーションがきわめて有望な場合、最初の会社に拒絶されても、別の会社が喜んで応じるかもしれない。こうした結果は、分権化、私的所有、市場によって可能となる。中央集権化された社会主義経済においては革新的なアイディアは公式の経路で生じており、否定的な決定をいったん宣告されると、抗議は行われない。

B 報酬の欠如(あるいはごくわずかの報酬)


 もし上位機関がある工場における技術的イノベーションを成功とみなす場合、管理者とその同僚はボーナスを受け取るが、その額はせいぜい賃金一ヵ月ないし二ヵ月分である。

C 生産者と売り手に競争がない


 生産は高度に集中している。製品グループ全体を生産する場合に、多くの会社は独占的地位か、少なくとも(地域での)独占を享受している。慢性的に製品が不足する場合や、多くの生産者が並行して事業を行っている場合でさえ、独占的行動が生みだされる。社会主義システム特有の強固な特性である「不足経済」は、イノベーションの強力な原動力、顧客を惹きつけようと戦うインセンティブを麻痺させる(Konai 1971;1980;1992 11-12章)。生産者/売り手は新製品や改良された製品を提供することで買い手を惹きつけようとする必要はない。買い手はたとえ時代後れで品質の劣る製品であっても商店で手に入れるだけで幸せだった。
 慢性的不足によって動機づけられた発明行為の事例だってある。すなわち、材料や機械部品の欠落を代替する工夫に富んだ創造物がそれである(Laki 1984-1985)。しかしながら、これらの発明者の創造的な精神はシュンペーター的な意味で広範囲に拡散し営利的に成功したイノベーションではなヅ表2・Iは資本主義国ではなくソヴィエト連邦で最初に現れた唯一の革命的イノベーション、合成ゴムを含んでいる。発明家は長年にわたりこのテーマを研究し続け、工業への合成ゴムの採用は天然ゴム不足により必要に迫られた。

D 実験の厳格な制限

 資本主義下では、数百、数千にのぼる実を結ばないおよそ成果のない試みが可能であり、それは後に数百、数千のうち一つが計り知れない成功をもたらすためである。社会主義計画経済では、誰もがリスクを回避する傾向は強い。その結果、革命的な重要性を持つイノベーションの適用は多かれ少なかれ排除される。そうしたイノベーションはつねに暗中模索を意味するからであり、成功は必ずしも予測しうるものではないからである。追随者にかんしても、すばやく後を追う経済もあれば、遅々としてしか追わない経済もある。社会主義経済は、もっとも遅い集団に属する。彼らは既知の旧式の生産手続きを維持し、旧式の十分に試行された製品を生産している。新技術と新製品には指導部の計画を困難にする不確実な特性が多すぎるのである。

 

E 利用を待つ資本はなく、投資割り当ては厳格である

 中央計画局は資本形成に振り向けられる資源に困ることはない。総生産から分割される投資の比重は資本主義経済よりも一般的に高い。しかし、この巨額の投資は、事前に最後の一銭まで割り当てられている。さらに、多くの場合、過剰な割り当てが生じている。言い換えれば、すべてのプロジェクト計画を合成すると、計画を遂行するのに必要な量よりも資源の調達水準は大きくなることが明らかになる。割り当てられなかった資本が、優れたアイディアを持つ者を待っていることなどありえない。割り当て担当者はイノベーションに向けた提案を持って待機している企業家を探索したりしない。柔軟な資本市場など理解されることはない。代わりに、プロジェクトの活動に対し厳格で官僚的な規制が生じる。不確実な結果しかもたらさない活動に資本となる資源を振り向けることなど想像もできない。資金が無駄になりイノベーションが生じないかもしれないと事前に分かっているベンチャーに資金を要求する愚かな工業大臣も工場長も存在しないのである。

 

『資本主義の本質について』p.68~71

 

各経済の特徴を要約するとこういうことだ。

 

<資本主義経済>           <社会主義経済>

 ・分権的創意性            ・集権化、官僚的命令と許可

 ・巨額の報酬             ・報酬の欠如

 ・競争                ・生産者と売り手に競争がない

 ・広範囲の実験            ・実験の厳格な制限

 ・投下を待つ資本準備、融資の柔軟性  ・利用を待つ資本はなく、投資割り当ては厳格である

 

これは経済における市場の存在の違いが大きいだろう。

競争や投下資本の柔軟性などに影響している。

 

それと連動しているのが政治での国家体制と企業の組織構造だろう。

 

生産手段の国家所有や公的所有(自治体など)はどうしても集権的、官僚制の論理が優先する。

実験のやり方も広範囲に柔軟に行えるのか、厳格な制限があるかの違いになる。

 

これら経済の構成要素の違いがイノベーションの可能性を決定づけているのだ。

 

マルクスは資本主義システムを商品から分析し、その経済学を批判した。

そして、その批判は階級構造の転覆こそ問題を解決することだと結論づけた。

革命後に起きた現実は問題の解決にはならなかった。

そして体制は逆戻りした。

 

マルクスの分析、設定した仮説が間違っていたのだろうか?

それとも実験のやり方がまずかったのだろうか?

 

この問題を考えたい。

体制が逆戻りするなかで、資本主義の本質を問い直した経済学者もいる。

コルナイ・ヤーノシュをはじめとする東欧の経済を体験した経済学者だ。

マルクスがイギリスの労働者階級の状態を見て、資本主義システムを批判したように、東欧の労働者階級を見て、ヤーノシュは社会主義経済システムを批判している。

 

『資本論』を読むより、価値があると思うヤーノシュの本がある。

 

マルクスは哲学、政治学、経済学を刷新していった。

いや、そのように思える時代もあった。

もしマルクスが間違っていたとしたらそれは何だったのか?

最後にそれを考えたい。

 

 

1.社会主義経済システムはどうして生産力を伸ばせないのか?

 

1970~1990年頃までソ連、ハンガリー、ポーランドなど社会主義国は一人当たりGDPがほとんど増えていなかった。

これはどうしてなのか?

 

東欧の社会主義国では製品やサービスのイノベーションが生まれず、商品不足が恒常的だった。

それがどうしてなのかは別の回で解説するが、社会主義経済がそうなってしまうのは経験的にわかっている。


 

 

 

 

ソ連・東欧の社会主義体制が崩壊した様々な要因があるが、政治的には共産党による一党独裁体制がある。ソ連だとノメンクラツゥーラという国家の特権階級の官僚の存在と共産党による任免の恣意性がある。

社会主義は生産手段の私的所有を廃し、階級をなくし不平等を無くすことを理想としていた。
しかし、実際は資本家階級が共産党の指導部とノメンクラツゥーラに入れ替わっただけであった。
たしかに、資本主義経済体制での貧富の差ほど極端なものではなかったので、経済的不平等は是正されたといえるかもしれない。

けれど経済成長はできなくなった。

 

最近、マルクス研究者の斎藤幸平などが脱成長を主張している。しかし、実際に社会主義国のほとんどが、脱成長を唱えなくても経済成長できていなかった。

斎藤幸平はその事実をどう考えているのだろうか?

いや、考えていないのかもしれない。

それは、日本共産党がマルクスの『資本論』をもとに未来社会を語るのに似ている。

その思考を陳腐だと切り捨てられないのは、柄谷行人なども同じようなことを言っているからだ。

近著『力と交換様式』のなかで、柄谷行人は、贈与と返礼の互酬の社会を、高次元で回復したものを「D」と呼び、その到来を予言している。

原始共産主義の高次元での実現ということだ。

 

知識人だけでなく故・坂本龍一もそのアイデアをリスペクトする曲を作ったりしている。

 

人間にとって、ユートピア的世界を夢想するのは仕方ないことなのだろう。

そのように人間の脳の思考様式ができているのだと思う。

 

ここではないどこか。

そういう世界がきっとあると信じている。

 

経済学を一通り批判した最後には、マルクスの「抽象的労働」概念の批判とその裏にある思想の批判、そしてこの人間の避けがたい「ユートピア思考」批判に戻ることになると思う。

 

 

2.体制移行直後に経済が後退するのはなぜか?

 

経済学批判は、けっして社会主義経済学の批判だけにとどまらない。

それは資本主義システムの新たな批判になるかもしれない。

 

その鍵のひとつが、1991年頃のソ連・東欧諸国の体制移行、つまり社会主義から雪崩のように資本主義システムに移行した数年間は経済が落ち込んでいることだ。

ここに、経済の需要と供給のバランスの問題、体制移行による産業構造の転換の問題がある。

その後、資本主義経済システムのなかで東欧諸国は急激な経済成長を遂げる。

物資は豊かになり、スーパーに商品が欠乏することが少なくなった。

 

体制移行前の経済、移行後の経済の停滞、ここに経済学の本質的な答えが潜んでいる。

 

 

 

 

上の図ではポーランドの成長の変化、ロシアの経済の後退とその後の成長が分かる。

これは、ほかの東欧諸国に共通のことなのだ。

 

 

 

こんなことが起きる法則がある。

これはなぜだろうか?

 

 

3.資本主義経済システムをどのようにコントロールできるのか?

 

人類は二度の世界大戦を経験した。

一度目のときには、マルクスの予言が違う形で実現した。

マルクスは社会体制の発展系として共産主義を描いていたが、レーニンが描いた帝国主義段階の資本主義の弱い環を破って後進国ロシアで革命が起きた。

しかし、その革命は周辺に波及しなかった。

というよりドイツを始め革命はことごとく弾圧された。

トロツキーが描いた永続革命、世界革命は起きなかった。

しかし、その後、民族主義的なイデオロギーに基づくファシズムが起き、二度目の世界大戦になった。

 

そのとき、需要の創出によって恐慌を避ける方法などを考えたケインズや、大戦後の経済復興を考えたマーシャルなどの経済学により、マルクス経済学を必要としなくなった。

一方で、社会主義国家のもとで軍事支出を最大限に創出できたソ連が東欧を支配し、その世界では別の経済学が支配した。

 

資本主義システムは、自由競争のもとで過当競争に悩まされる。

また、競争力のある企業が市場を独占する傾向も常にある。

そこで公共支出と独占や不正競争の法規制が時代に合わせて行われている。

資本主義システムはコントロールが必要な経済システムである。

 

資本主義の本質が何であり、どういうコントロールを行う必要があるのかを問う。

それは経済学の問題である。

 

4.マルクスはどこで間違ったのか?

 

これは難題だ。

ぼんやりと仮説的に思うのは、哲学の疎外論から経済学としての商品論に向かう当たりではないかと思う。

 

マルクスに最も不足していたのは、人間の欲望に関する哲学的、心理学的考察なのではないかと思う。

計画経済のアイデアを出したのはマルクスであるが、計画経済で人間の欲望をコントロールできると思ったのだろう。

生産手段の私的所有を廃するという経済的自由の放棄によって、結局、その経済を維持するために思想や表現の自由も奪うことになった。

マルクスには自由競争vs計画経済という安易な設計図しかなかった。

それは生産と消費を支える「欲望」について考えがあまりにも浅かったのだろう。

 

また、商品が交換されるメカニズムの裏にある倫理観に偏りがあったのではないかと思う。

マルクスは商品が交換される、価格が付けられる根拠を抽象的労働と考え、そこに投入される労働時間の問題を重視した。

労働時間が同じならそこに費やされる労働の価値、商品の価値も同じと考えた。

それはあまりにも現実を無視している。

マルクスにとって、「能力に応じて」の能力や「必要に応じて」の必要の欲望についてあまりにもナイーブだったのだろう。

 

また、最近現代貨幣理論で、貨幣を商品と考えることに異論が出されている。貨幣は商品ではなく、証文であると。

社会主義経済を批判的に振り返ると、市場と貨幣は経済システムのなかで重要なものだ。マルクスもMMTも間違っていると思うが、その分析も必要だろう。

さらに、マルクスが予言したように社会主義社会で国家は消滅するどころか、その兆しすら見せなかった。むしろ国家としては強大になった。

国家、市場、貨幣。

マルクスは階級闘争の歴史として唯物史観を描いたが、それはただのあとづけの物語に過ぎなかったのではないか。

革命のための経済学、革命のための歴史学の創出だったのではないか。

 

今となってはマルクスがどこで間違ったのかを問うのはあまり意味がないのかもしれない。

 

社会主義を経験した経済学者は社会主義に批判的であるが、そうでない経済学者はむしろ資本主義に否定的であるとヤーノシュは言っている。

それは、国民も同じだろう。

社会主義を経験した国民は社会主義に批判的であるが、そうでない国民はむしろ資本主義に否定的である傾向ということだ。

 

マルクスの著書を読んで、ここではないどこかがあると思う人がいる。

そういうひとは、ここを決して悪くない場所だとは思わず、なんでもかんでも否定的に見える。

 

マルクス主義のことを語っているのに、それでは今の保守の政権党はいいのかという論点そらしを行う。そうするのがあたかも当然のことだと思っている。

 

まあ、そういう人たちは放っておくしかない。

 

経済学・哲学批判を始めよう。

 

今日から「しんぶん赤旗」で志位和夫議長を講師に迎えて行われた民青同盟主催の学生オンラインゼミが5回に分けて掲載されます。

 

 

 

 

簡単にいえば、今の社会を批判してマルクスの『資本論』分析から、『ゴータ綱領批判』や『ドイツイデオロギー』の共産主義ユートピアの世界を話す内容です。

これは先日のダイジェストでわかっています。

 

でもどうしてこういう子供だましの詭弁に頭の柔らかいと思われる若者が騙されてしまうのでしょうか?

それが不思議です。

 

けれど、今回はダイジェストと異なり、かなりその内容が詳しく書かれていますので、どこで騙されるのかを解説していきます。

 

1.現代資本主義社会の批判はカルト宗教でも同じ

 

まず、志位氏は今の社会のマイナス面から入ります。

 

日頃、誰もが不安に思っていることをそれは●●のせいだと断定するのは、オウム真理教などカルト宗教の手口でしたが、志位氏もそれによく似た話の展開です。

 

志位 資本主義というシステムのもとで「人間の自由」を阻むいろいろな害悪が生まれ、拡大しつつあることもまた事実だと思います。今日はその害悪について、貧困と格差の拡大、深刻化の一途をたどる気候危機――二つの大問題で考えていきたいと思います。

 

「人間の自由」を阻むのは、格差の拡大と気候危機なのだそうです。

 

志位 「報告書」は、「もうひとつの大きな勝者はグローバル企業」だと告発しています。2021~22年の世界の大企業の利益は、17~20年の平均に比べて、およそ3年で89%も増えたとあります。そして、このグローバル大企業の利益増の最大の恩恵にあずかったのは、超富裕層です。次のパネルを見てください(パネル2)。こう書いてあります。
 「世界の最も大きい10の企業のうち、7社には億万長者のCEOか億万長者が主要株主として名を連ねている。これらの企業の総資産は10兆2000億ドルである」
 巨大企業の利益増が、億万長者をますます富裕にしている、という告発です。
 これは2020年代に起こったことなのです。2020年代といったら、「世界的な(新型コロナ)パンデミック、戦争、生活費の危機、気候崩壊」(「報告書」)など、世界でも日本でも、多くの人々がかつてない困難な生活を強いられている時期です。そのときに、超富裕層とグローバル大企業は空前の繁栄を謳歌(おうか)している。
 「オックスファム」の「報告書」では、そのことが、労働者の賃金の押し下げ、とりわけ女性に低賃金と不安定雇用を押し付けていると告発しています。「オックスファム」は、多くの女性や少女が無償のケア労働を強いられていることを強く告発しています。

 

超富裕層の存在、これはよく聞くことです。

ジェフ・ベソスやザッカーバーグやトーマス・クックなどGAFAMSと呼ばれる巨大企業の創設者や経営者などは超富裕層で有名です。

ああ、自分もあんな起業家になりたいと思う人もいれば、とてもなれないと思うとそれが憎悪の対象ともなり得ます。

 

 

2.社会の自由の問題が階級的不平等の問題にすり替わる

 

志位 これが資本主義世界の現実です。個々人がいくら努力しても、この現実からのがれられないじゃないですか。これが「人間の自由」が保障されている社会といえるか。社会の大きな変革が求められているのではないでしょうか。これが一つの大問題です。

中山 資本家と労働者という対立はもう古いんじゃないかといわれることもあるんですが、現実にこういった資本家は存在するんですね。

志位 そうです。まさに巨大資本家は存在している。生きた形で。

 

あれ、たしか人間の自由がテーマでしたよね。

それが巨大資本家という憎悪の対象をつくるんですか?

それって経済格差の問題であって、人間の自由を抑圧しているって問題とは違いますよね。

それに経済システムと自由の話をするのなら資本家の話ではなく、資本家階級のことを話すべきですよね。

 

これは具体的な憎悪対象を植え付けるイスラム原理主義のやり方に似ています。

 

でも、どういうわけか、司会者はそういうツッコミも入れません。

 

 

3.経済発展による自然破壊、気候変動の話が資本主義システムが原因に転嫁される

 

次が気候変動です。

 

志位 昨年、2023年は観測史上で最も熱い年になりました。世界気象機関(WMO)は、今年(24年)1月、23年の世界の平均気温は、産業革命前に比べて1・45度上昇したと発表しました。気候変動抑制に関する国際的協定――「パリ協定」(2015年)では1・5度未満に抑えることを「目指す」と取り決めています。すでにその寸前まできているのです。

 科学者たちが一番警戒していることの一つは、気温上昇がある一点――ティッピング・ポイント(転換点)を超えますと、地球全体の環境が急激に、かつ大規模に、不可逆的な変化におちいり、人間の力ではコントロールできなくなってしまうことです。

(略)

 これは16の現象のうち、ティッピング・ポイントを超える危険が差し迫っている四つの現象――「グリーンランド氷床融解」、「西部南極氷床融解」、「低緯度のサンゴ礁消滅」、「北方永久凍土の急速融解」を図にしたものです。どれも、現在の1・45度という気温上昇は、ティッピング・ポイントの「可能性」がある0・8度から1・0度を超えてしまっています。「可能性が高い」とされる1・5度に近づいています。これらの現象は、非常に危険な状態に陥っているといわれています。

(略)

 

 これはすべてが、資本主義が引き起こした社会的大災害です。人類の生存という、根本的な「人間の自由」にかかわる問題が深刻に脅かされているのです。私たちは、これは、資本主義の枠内でも最大の知恵と力を総結集して緊急の対応を行うことを強く求めてたたかっていきますが、同時に資本主義というシステムを続けていいのかということが、気候危機では問われていると思うんです。

中山 そうですね。とくにここに集まっている青年にとっては何十年も生きる人生の中でこんなことが起きたら死活問題だと思います。

志位 本当にそうだと思います。若い人たちにとっては、文字通り未来を奪われてしまうということになります。

 

あれれ、CO2って社会主義の中国が一番排出していませんでしたっけ?

 

2017年度におけるCO2の総排出量は約328億t-CO2で、排出量が多い順に中国の28.2%、アメリカ14.5%、インド6.6%、ロシア4.7%、日本3.4%、ドイツ2.2%となっています。

 

自然環境破壊、気候変動問題は資本主義システムというより、経済発展と各国の環境規制の遅れの問題ですよね。

すべて資本主義システムの問題だというのは詭弁でしょう。

 

それと、人間の自由の問題からは大きく逸れているように思いますが。

 

 

4.社会主義の光の部分だけを見せるトンネル効果

 

その次が社会主義のプラス面の強調です。

というよりマイナス面をまったく説明しないことです。

これはイスラム原理主義者にイスラムの聖戦や虐げられた歴史だけを教えて、自爆テロを行う信者を作るやり方に類似です。

 

志位 最近のうれしいニュースを、みなさんに紹介したいと思います。オーストリア共産党の躍進が、この間起こって、世界的な注目を集めているんです。オーストリア共産党は、2021年9月、オーストリア第2の都市・グラーツの市議会議員選挙で29%を獲得して市議会第1党となり、市長の座を獲得しました。つづいて、今年(24年)の3月、音楽の都・ザルツブルク――モーツァルトが生まれた都市で、私はモーツァルトが大好きで、一回ザルツブルク音楽祭に行ってみたいと思っているんですが――、ザルツブルクの市議会議員選挙で23%を獲得して、第2党となり、市長の決選投票では35歳の共産党員候補が37・5%を獲得し、副市長に選ばれました。

 ザルツブルクでは、現政権による不動産投機の優遇政策のもとで、オーストリアの中で最も家賃が高い。他の都市に人口が流れていってしまう事態も起こっているもとで、オーストリア共産党が、「住まいは人権」を一貫して訴えてきたことが躍進につながったということです。

 2022年11月、日本共産党の緒方靖夫副委員長を団長とする代表団が、欧州各国を歴訪したさいに、オーストリアも訪問し、オーストリア共産党の幹部と突っ込んだ懇談をして、交流を強化していこうということで一致しました。そこでお話を聞きますと、ずいぶんいろいろな努力をしている。一つ目に、オーストリア共産党は、過去に、ソ連追随の姿勢をとったことで国民の支持を失ってしまったという歴史があるのですが、その誤りを克服して自主独立の路線を確立した。二つ目に、党の組織のあり方として、民主と集中という考え方を堅持して、みんなで団結して頑張る党として前進している。三つ目に、オーストリアでもずいぶん反共攻撃が厳しいのですが、そういうなかでも「共産党」という党名は変えない。これを堅持して、共産党だからこそ、未来社会への見通しを持ちながら働く人の利益を守れるんだという観点を前面に押し出しているとのことでした。

 

ちょっと待ってください。

東欧では社会主義の国はなくなりましたよね。

スーパーでは商品が欠乏し、思想は統制されるそういう社会にNOと市民が言ったんじゃなかったですか?

それにオーストリアの国会で共産党の議席はゼロですよね。

ザルツブルクだけのニュースをあたかも世界のトップニュースのように説明する。

これは詐欺師のやり方なんじゃないでしょうか?

カルト問題では、あるところにだけ光を当て、あとはトンネルのように闇の中にするマインド・コントロール手法が「トンネル効果」と呼ばれたりします。

 

社会主義の問題では、崩壊理由の脈絡でこそ、人間の自由と抑圧について語るべきなんじゃないでしょうか?

(フリーダ・カルロ博物館)

 

3.ノルウェー 1935年6月~

 

1935年の6月にトロツキーはノルウェーに渡るが、そこでさんざんな目にあう。

 

 

 八月二十八日、トロツキーはノルウェーのナチ党がクニューセン家に押し入った事件の証人として、エルヴィンーヴォルフと一緒にオスロへ出向いた。ところが、ファシストたちにたいする追及は、トロツキーへの訊問にかたちを変えた。トロツキーは証人から被告へと立場が一変したのである。その日の午後、私がクニューセン家の居間で新聞記者との電話を終えて、受話器をかけた途端、ノルウェーの警官が二人、いきなり部屋に入って来て、私を戸外へ連れ出した。家の前にはトロツキーをオスロから連れて来た車が停っていて、何人かの警官がいた。トロツキーがその車から下りて来た。私たちはことばを交すこともできなかった。ヴォルフを乗せて来たもう一台の車に私は押しこめられた。一人の警官が急ぎ足で家の中に取って返して、若干の私物の入っている私の旅行鞄を持って来ると、私たちの車はオスロへむかって動き出した。
この間、警官からは一言の説明もなかった。エルヴィンと私はオスロの中央警察署へ連れて行かれ、ノルウェーから自発的に立ち去るという供述書に署名することを要求された。警察側はドイツ語で話し、「自発的」にはfreiwilligというドイツ語が使われていた。これを拒めばドイツへ、つまりヒトラーのドイツへ追放するという。私たちは署名を拒否した。ヴォルフはいくらかの金を身につけていた。私は全くの文なしだった。監房で、彼は私に紙幣を一枚渡してくれ、それを私は靴下の中に忍ばせた。このあと自分たちは一体どうなるのか、トロツキーの身に何が起ったのか、私たちには皆目分らなかった。一夜明けると、何の説明もなしに、両側を二人の警官に挟まれて、私たちは汽車に乗せられた。その二人の警官はスウェーデンとの国境で私たちを二人のスウェーデンの警官に引き渡し、更にその二人はデンマークまで同行して、私たちをデンマークの警官に引き渡した。今度は二人どころか、デンマークの六人の警官に監視されながら、コペンハーゲンに着いたのは八月三十日だった。依然として自分たちの行先は分らず、外の世界がどうなっているのかも分らない。コペンハーゲン駅では警察の高官が非常に丁寧な口調で、それではホテルへ御案内しましょうと言った。両側を警官に挟まれて車に乗りこみ、車は全速力で並木道を疾走して一つの建物に入った。「ホテル」というのは監獄だった。それも重罪人のための監獄だったのである。その夜、私たちはべつべつの監房に入れられた。監房は壁に作り付けの寝板と毛布が一枚あるだけで、あとは何の設備もなかった。夜間は一切の衣類と所持品を取り上げられ、ハンカチ一枚すら残されなかった。次の日、依然何の説明もなしに監獄から引き出され、波止場まで連れて行かれて、私たちはアルガルヴェ号という小さなぼろ船に乗せられた。船は即刻、錨を揚げた。船内には警官の姿はなく、船長は誠意のある人物だった。この小さな貨物船はモロッコヘコプラ油を積みに行くのだが、途中アンヴェルスに寄港するので、そこで下船するのがよかろうという。暫くして、船が沖へ出てから、トロツキーとナターリヤがノルウェー政府によって間もなく拘禁されるというニュースを、私たちはラジオで聞いた。

 

『亡命者トロツキー』p.155~156

 

 

 九月二日、トロツキーとナターリヤは、ノルウェー政府によって、オスロの南西三十六キロのストルサン村に近いスンビュという部落に拘禁された。二人が寝起きしたのは小さな家の二階で、一階には二十人ほどの警官が入っていた。トロツキーは訪問客と逢うこともできず、例外的にノルウェーの弁護士は何度か面会できたが、パリの弁護士ジェラールーロザンタールは一度しか訪問を許されなかった。文通は厳しい監視を受けた。トロツキーが書いた手紙は非常に遅れて宛先に届くか、もしくは宛先に届かずに返送された。トロツキー宛の手紙は短いメッセージが稀に届けられるだけだった。

 

『亡命者トロツキー』p.156

 

この頃、ジノヴィエフとカーメネフはモスクワ裁判にかけられていた。

ジノヴィエフ・カーメネフ裁判は捏造であったが、エジュールとトロツキーの息子のリョーヴァがその反論書を作成した。

この時モスクワ裁判に対する調査委員会がパリで結成された。

その委員会にアンドレ・ブルトンも出席していた。

 

(アンドレ・ブルトン)

 

そのブルトンは、メキシコでトロツキーと会うことになる。

 

トロツキーはノルウェーでは散々な目にあったが、大著『裏切られた革命』はここで脱稿している。

 

『裏切られた革命』はこう結ばれている。

 

 今日、十月革命の運命はかつてなくヨーロッパと全世界の運命と結ばれている。今ソヴェト連邦の問題はイベリア半島、フランス、ベルギーで決せられっつある。今日、マドリード近郊で内戦がつづいているが、本書が世に出る頃までには事態はたぶん、ずっと明瞭になっているであろう。ソヴェト官僚が「人民戦線」なる背信的な政策によってスペインやフランスでの反動の勝利を保障する-コミンテルンはその方向でやれることはなんでもやっている-ことに成功するとしたら、ソヴェト連邦は破滅の淵に立だされることになるであろうし、官僚にたいする労働者の蜂起よりもむしろブルジョア反革命のほうが日程にのぼることであろう。しかし改良主義的指導者と「共産主義的」指導者との合同サボタージュにもかかわらず、西ヨーロッパのプロレタリアートが権力への道を切り開くならば、ソ連の歴史にも新たな一章が開かれるであろう。ヨーロッパの革命の最初の勝利は電流のようにソ連の大衆をつらぬき、かれらの体をまっすぐにさせ、独立の精神をふるいただせ、一九〇五年と一九一七年の伝統をめざめさせ、ボナパルティズム官僚の陣地を掘りくずすであろう。そしてそれは十月革命が第三インターナショナルにたいしてもった意義に劣らない意義を第四インターナショナルにたいしてもつことであろう。初の労働者国家はこの道でのみ社会主義の未来をもつものとして救われるであろう。

 

『裏切られた革命』p.360~361

 

 

 

「ヨーロッパの革命の最初の勝利は電流のようにソ連の大衆をつらぬき、かれらの体をまっすぐにさせ、独立の精神をふるいただせ、一九〇五年と一九一七年の伝統をめざめさせ、ボナパルティズム官僚の陣地を掘りくずすであろう。そしてそれは十月革命が第三インターナショナルにたいしてもった意義に劣らない意義を第四インターナショナルにたいしてもつことであろう。初の労働者国家はこの道でのみ社会主義の未来をもつものとして救われるであろう」

 

トロツキーは裏切られた革命に対して、新たな革命を呼び掛けていたのだ。

ペトログラードで冬宮を包囲したかつての熱さで。

 

 

4.コヨアカン 1937年1月~

 

ノルウェーでは散々だったが、メキシコに来たトロツキーは元気を取り戻す。

 

 

トロツキーがメキシコシティのコヨアカン地区で住んでいた場所は、最初に住んだ通称「青い家」はフリーダ・カーロ博物館、引っ越したところはトロツキー博物館として残っている。

 

 

最初に住んだ「青い家」は、芸術家のフリーダ・カーロの家だった。

 

フリーダ・カーロ6歳の時にポリオに罹り、以来カーロの右脚は左脚より細く短いままになった。彼女のトレードマークでもある民族衣装のロングスカートは、メキシコ人としての誇りを表す単なるファッションステートメントではなく、変形した脚を隠すためのものでもあった。

1925年には、カーロと当時のボーイフレンドが乗っていたバスが路面電車と衝突した。

この事故で、カーロは背骨や鎖骨、骨盤、右脚を骨折し、内臓にも重傷を負った。彼女は、それ以降もずっとコルセットをつけなければならなくなった。さらにはこの事故による外傷が原因で、その人生において何度も流産や治療的な中絶をくり返すことになった。

波乱に富んだカーロの人生だ。

大事故によるケガから回復して数年後、カーロは芸術家として名を成していディエゴ・リベラと結婚した。リベラはカーロより20歳以上年上だった。二人は一度離婚するが、すぐにまた再婚する。

それぞれ浮気をし、時には同じ相手と度々関係を持った。

 

カーロは独特の画風で有名になっていく。

 

 

青い家に住むようになったトロツキーとカーロの間にやがて恋が芽生え、短いアバンチュールの時期があった。

 

その頃、アンドレブルトンがメキシコに講演旅行に来ることになった。

それまでトロツキーはブルトンの作品を読んだことがなく、慌てて、『シュルレアリスト宣言』『ナジャ』などの作品を取り寄せて読んだ。

最初の出会いから会話は刺激的だった。

 

トロツキーは続けて言った。
「あなたはフロイトを援用なさるけれども、それはちょっと逆ではないだろうか。フロイトは意識のなかに潜在意識を浮びあがらせる。あなたは無意識によって意識の息の根を止めたいのではありませんか」。
ブルトンは「いや、そんなことはありません」と答え、それから不可避的な質問を発した。「フロイトはマルクスと両立するものでしょうか」。
トロツキーは答えた。「さあ、それは……そのあたりの問題はマルクスも考究しなかった。フロイトにとって社会とは一つの絶対だけれども、『幻想の未来』では少しばかり様子が違って、社会とは抽象化された強制の一形式ということになっています。その社会を徹底的に分析する必要がある」。
 ナターリヤがお茶をいれ、会話の緊張が少し緩んだ。話題は芸術と政治の関係ということに転じた。トロツキーは、スターリン主義的な組織に対抗するために、革命的な芸術家や作家の国際的組織の創設を提唱した。これは明らかに、ブルトンのメキシコ訪問を知ったときからトロツキーが考えていた計画だった。宣言文の話になり、ブルトンはその草稿を書くことを引き受けると明言した。

 

『亡命者トロツキー』p.212

 

ここでも、トロツキーはフロイトに触れている。

潜在意識とシュールレアリズムへの関心が高いのだろう。

 

(中央はレフ・トロツキー、右から二人目がアンドレ・ブルトン)

 

そうして、トロツキーとブルトンの合作による革命芸術のための宣言が出来上がった。

 

現代の世界では、知的創造を可能にする条件の破壊がますます広がっていることを認識しなければなりません。そこからは必然的に、芸術作品だけでなく、特別 に「芸術的」な人格の劣化がますます明らかになる。ヒトラーの政権は、自由へのわずかな共感を表現した芸術家を、たとえ表面的であっても、ドイツから排除 してしまったため、ペンや筆を取ることに同意している人々を、最悪の美学的慣習に従って、命令によって政権を賛美することを任務とする、政権の家政婦の地 位に貶めている。報道によれば、テルミドール反応が今まさにクライマックスに達しているソビエト連邦でも同じだという。

言うまでもなく、私たちは、「ファシズムでも共産主義でもない!」という現在の流行のキャッチフレーズには同調しません。この言葉は、「民主主義」の過去 のぼろぼろの残骸にしがみつく、保守的でおびえた哲学者の気質に合っています。既製のモデルのバリエーションを演じることに満足するのではなく、むしろ人 間の、そしてその時代の人間の内的なニーズを表現することに固執する真の芸術、真の芸術は、革命的ではなく、社会の完全で過激な再構築を目指すことができ ない。これは、知的創造物をそれを縛っている鎖から解放し、全人類が、過去に孤立した天才だけが達成した高みに自分自身を引き上げることを可能にするため だけに、しなければならないことです。我々は、社会革命のみが新しい文化のための道を一掃することができると認識している。しかし、もし我々が、現在ソ連 を支配している官僚機構とのあらゆる連帯を拒否するならば、それはまさに我々の目には、官僚機構が共産主義ではなく、その最も危険な敵を象徴していると映 るからである。

・・・・

このアピールの目的は、すべての革命的な作家や芸術家が、自分の芸術によって革命に貢献し、その芸術自体の自由を革命の簒奪者から守るために、再結集する ための共通の基盤を見つけることです。私たちは、最も多様な種類の美学的、哲学的、政治的傾向が、ここに共通の基盤を見出すことができると信じている。マ ルクス主義者は、無政府主義者と一緒にここで行進することができます。ただし、両方の党が、ジョセフ・スターリンとその子分であるガルシア・オリバーに代 表される反動的な警察のパトロール精神を妥協せずに拒否する場合に限ります。

我々は、今日、何千何万という孤立した思想家や芸術家が世界中に散らばっており、彼らの声がよく訓練された嘘つきたちの大合唱によってかき消されているこ とをよく知っている。何百もの小さな地方誌が、新しい道を求めて若い力を集めようとしていますが、補助金は出ません。芸術におけるあらゆる進歩的な傾向 は、ファシズムによって「退化した」ものとして破壊される。あらゆる自由な創造は、スターリン主義者によって「ファシスト」と呼ばれる。独立した革命的な 芸術は、今、反動的な迫害に対抗する闘いのために、その力を結集しなければならない。それは、存在する権利を声高に宣言しなければならない。このような力 の結集が、私たちが今、必要だと考えている「独立革命芸術国際連盟」の目的である。

 

それは、ソ連で進む芸術の抑圧とは正反対の芸術家の創造的な革命的な活動を讃える宣言だった。

 

そんな日々も長くは続かなかった。

1940年8月20日、トロツキーはスターリンが送った刺客に暗殺された。

秘書の恋人になりすましたカナダ人ラモン・メルカデルによってピッケルで後頭部を打ち砕かれた。

 

 

(トロツキーが殺害された場所)

 

殺害現場であるトロツキーの自宅は、1990年にトロツキーの死後50年を機に博物館として公開された。

敷地の中央にあるトロツキーが妻と過ごした建物は、当時のまま保存されており、トロツキーの日記は殺害された日のページが開かれた状態で置かれている。

庭園には旧ソ連の国旗にも描かれたハンマーと鎌のマークが彫られたトロツキーの墓石がある。他の建物にはトロツキーの写真が展示されている。

 

 

トロツキーは1917年に10月革命をレーニンとともに成就した。

自身はレーニンを敬愛し、その後継者を自認していた。

スターリンによる一国社会主義建設と官僚主義的な国家を裏切られた革命と名付けた。

亡命週に第四インターナショナルを結成し、さらなる世界革命を目指していた。

 

トロツキーの亡命はトルコのプリンキポから始まり、フランス、ノルウェーを経て、メキシコのコヨアカンに行き着いた。

祖国を追放されたトロツキーは亡命者となり彷徨った。

トロツキーが目指したプロレタリア革命は、ソ連では1991年に瓦解した。

トロツキーがぺトログラードで包囲した宮殿の熱気は歴史の中にだけに残っている。

マルクスの描いた粗いビジョンをトロツキーの手によって初めて実現した国家に見えただろう。

 

それは、まぼろしだったのか。

ただ、トロツキーが残した魂は今もどこかを彷徨っているように思える。

 

< 完 >

 

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