1.モスクワのテレビはなぜ火を噴くのか?

 

1987年に『モスクワのテレビはなぜ火を噴くのか』(築地書館)という本が出版されている。

 

 

ちょうどゴルバチョフのペレストロイカ(改革)が進み、いろんなことが明るみになっていた。

 

テレビが火を噴くという信じられない事件は社会主義の末期現象としてイメージしやすい。
しかし、それがどういうことだったのか忘れていた。

 

「ソ連全土で、第11次5カ年計画(1981-85年)の間にカラーテレビが火を噴いて起きた火事は1万8400件、これによる死者927人、負傷者112人、物的損害は1560万ルーブルにのぼった」ソ連内務省の報告として『アガニョーク(灯)』の1987年25号が暴露した数字だ。

 

『モスクワのテレビはなぜ火を噴くのか』p.3~4


平均するとソ連では一日に約10件のテレビ火事が起き、二日にひとりが亡くなっていることになる。
この当時、日本では東京都内のテレビによる火事は、1985年が年間12件、1986年は5件だったとか。

これは、当時のソ連で火を噴くテレビがいかに多かったかがわかるエピソードだ。

計画経済のもとで製品の生産が工場に割り当てられる。

それをその数だけ作れば給与がもらえる。

品質管理は給与に直結しないので、極めて杜撰だった。

その結果、テレビのブラウン管が壊れ、そこから出荷するという事故が多発していた。

マスコミが報道すればニュースになるのだが、これはソ連の内務省の報告にすぎなかった。

 

 

また、ソ連の乗用車「ヴォルガ」はモデルチェンジしたら、多くの国々から輸入禁止にされた。世界で求められる安全基準に全く合致していないからとか。燃費も悪いし、居住性も悪い。

 

(ヴォルガ)

 

ゴーリキー自動車工場が、ボルガを20年も前に、つまり自動車に対する要求が現在とは違っていたころに開発し、製造を始めたというのであれば、理解できないではない。ところが、そうではないのだ。彼らには、すでに全世界で国際的な安全や排出ガス浄化基準が導入されている今の今になって、「ヴォルガ」のモデルチェンジを行ったのだ。無責任もどこまで行けば気が済むというのか。

 

『モスクワのテレビはなぜ火を噴くのか』p.60~61


ソ連の社会主義体制下では、開発もいい加減だし、必要な物資は不足している。
社会主義とは慢性的な品不足と商品配給制のことだと心得ているらしい。

どうしてこうなるのだろうか?

 

2.社会主義経済でのイノベーションの欠如

 

ハンガリーで社会主義体制下を経験したコルナイ・ヤーノシュという経済学者が『資本主義の本質について』という本を書いている。

 

 

 

ヤーノシュはこれをイノベーションの欠如に起因していると説明している。

社会主義経済では製品やサービスのイノベーションが起きにくいのだ。

 

その例として、ヤーノシュは1917年以来の重要なイノベーションを111件ピックアップし、それがどこの国で起きたかをまとめている。

 

 

『資本主義の本質について』p.52~54

 

 

トランジスタやファックス、電卓、ノート型パソコン、携帯電話、電子レンジからインスタントコーヒー、テトラパック、ボールパンなどのうち合成ゴムだけが、社会主義国であるソ連で開発されている。111件のリストのうち、社会主義国でのイノベーションは、その1件だけなのである。

 

シュンペーターなどはイノベーションを経済の原動力と考えたが、経済学者の多くが「アニマル・スピリッツ」ということをテーマに考えている。

ジョン・メイナード・ケインズは1936年の著作『雇用・利子および貨幣の一般理論』で、そのことを「アニマル・スピリッツ」と呼んだ。

 

投機による不安定性のほかにも、人間性の特質にもとづく不安定性、すなわち、われわれの積極的活動の大部分は、道徳的なものであれ、快楽的なものであれ、あるいは経済的なものであれ、とにかく数学的期待値のごときに依存するよりは、むしろおのずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定性がある。何日も経たなければ結果が出ないことでも積極的になそうとする、その決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマル・スピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるのではない。

『雇用・利子および貨幣の一般理論』

 

 


つまり、ヤーノシュは、ケインズが名付けた資本主義のアニマルスピリッツが、そういうイノベーションを生み出すことができると結論付けている。

 

111件のイノベーションのうち社会主義は1件だけだったことには、開発の速度も影響している。

 

 

『資本主義の本質について』p.56

 

発明やイノベーションの先行者としてもそうだが、ソ連の場合、追随する速度も遅い。

セロハンの追随には19年、ポリエチレンには25~29年かかっている。

この遅さは、あとで述べる社会主義経済の特質に起因している。

 

 

3.資本主義の本質としてのイノベーション

 

ヤーノシュは、資本主義経済と社会主義経済の特徴を抽出し、それらの特徴をこのようにまとめている。

 

【資本主義経済の特徴】

 

A 分権的創意性

ラリー・ペイジとセルゲイーブリンは特殊な革新的課題を解決するよう上司から命令を受けたわけではなかった。彼らは、上司から、革新的行動にかんして特別な方向で取り組む許可を求める必要もなかった。個々人、小企業の意思決定者、大企業の最高経営
責任者と言い換えるとシステム内部で機能する分離した存在こそが、自らしたいことを決定する。

B 巨額の報酬

 今日、ペイジとプリンは世界最大の金持ちに数えられる。所得分配の倫理的に難しいディレンマを分析することが本書の課題ではない。成果に「比して」報酬はどの程度であったのか。確かなことは次の点である。もっとも成功した革新は通常(常にというわけではないが、しばしば高い確率をもって)巨額の報酬をもたらす。報酬の範囲はかなり不均等に広がっている。この尺度の端にはビルーゲイツ、古い世代にはフォード一族やデュポン一族といった巨額の富の所有者を置くことができる。技術進歩を導く企業家は巨大な独占的レント〔超過利潤〕を手にする。独占的地位を作りだせるので、たとえ一時的であっても最初の人間になることに価値があるのだ。巨額の金銭的報酬は通常、威信、名誉、名声を伴う。

C 競争

 

 これは上記の点と分かちがたい。強くて、しばしば冷酷な競争が顧客を惹きつけるために生じている。より速くより成功するようなイノベーションは、目的を達成する排他的な手段ではなく、競争者に対して優位に立つために重要な手段である。

D 広範囲の実験

 インターネットの検索に適したツールを見つけようとした企業家は何百人、たぶん何千人もいたに違いない。グーグルの創設者ほどの大成功を収めた者はごく一握りにすぎないが、それなりに大・中・小の成功を収めたイノベーションを実現できた。そのうえに、やってみたが失敗に帰した多数、少なくともかなりの数の人間がいたに違いない。
事例以外に、これまで資本主義のあらゆる領域で不断に生じている大量のイノベーションの試みを、そしてそれが成功であれ失敗であれ、その試みが広範囲に分布していることを評価した者は誰もいない。この種の相当重要な活動の効果がわかる者でも、グーグル、マイクロソフト、テトラパック、ノキア、任天堂の物語のようなめったにない劇的な成功に匹敵するほどの試みの多くには、直感的にしか気づくことができない。多くの相当才能にあふれた人々は、次の理由でイノベーションに向けて動機づけられている。
すなわち、ごくわずかな可能性だが並外れた成功を約束されているからであり、それよりずっと可能性は高いが、どちらかと言えば控えめであっても一層重要な成功を実現するからである。失敗のリスクをとるからにはそれなりの理由がある。

 

E 投下を待つ資本準備、融資の柔軟性

 グーグルの二人の創立者は革新的な活動とその提供を開始するための金融資源を手にすることができた。成功を収めた研究者であり革新者であるアンディーベクトルシェイムが(彼もまた偶然富裕なビジネスマンになったのだが)、その過程のごく最初にポケットの小切手に手を伸ばし、一〇万ドル小切手にサインしたのだ。革新的な企業は革新者自身の資源だけで実現されることはめったにない。これには事例もあるのだが、外部の資源に頼るのは相当一般的であ杤。資源を見つける多様な形態には、銀行融資、ビジネス参入志向の投資家、あるいはとくに(イリスクでそして成功の場合には高報酬のプロジェクトに特化した「投資会社」が含まれる(Bygrave and Timmons1992)。
根本的に融通の利く資本がイノベーションを先駆的に導入し早急に拡散させるのに必要となり、それには結局失敗に帰す場合もあるが広範囲の実験が含まれる。

 

『資本主義の本質について』p.60~63

 

それに対して社会主義経済の特徴はこう述べている。

 

【社会主義経済の特徴】

 

A 集権化、官僚的命令と許可

 技術的イノベーションの計画は国家計画の一章を占める。中央計画局は当該製品の製造技術とともに、製品の構成と質にかんして実施すべき重要な変更点を設定する。それに続き、中央計画の数値が部門、下位部門、最終的に企業の計画に振り分けられる。
「命令経済」とは、ある製品をいつ新しい製品に置き換えるべきか、どのような古い機械・技術が新しいものに置き換えられるべきかについて、企業が詳細な指図を受け取ることを意味する。計画が最終的に承認される前に、企業管理者は新しい製品や新しい技術に適応する意思を示すことが認められている。すなわち、彼らはイノベーションの伝播過程に参加できるのだ。しかしながら、彼らは重要なイニシアチヴを行うに際し許可
を求めなければならない。一つの行動が大規模なものになる場合には、直属の上位機関でさえ自ら意思決定することができず、ヒエラルキーのさらなる上位者に承認を求めなければならない。一つのイニシアチブが広範囲になればなるほど、最終決定を求めて上位者に向かわなければならず、実際の行動に先立つ官僚的過程は長くなる。
 上記の状況とはまったく逆の事情になるが、資本主義において、イノベーションがきわめて有望な場合、最初の会社に拒絶されても、別の会社が喜んで応じるかもしれない。こうした結果は、分権化、私的所有、市場によって可能となる。中央集権化された社会主義経済においては革新的なアイディアは公式の経路で生じており、否定的な決定をいったん宣告されると、抗議は行われない。

B 報酬の欠如(あるいはごくわずかの報酬)


 もし上位機関がある工場における技術的イノベーションを成功とみなす場合、管理者とその同僚はボーナスを受け取るが、その額はせいぜい賃金一ヵ月ないし二ヵ月分である。

C 生産者と売り手に競争がない


 生産は高度に集中している。製品グループ全体を生産する場合に、多くの会社は独占的地位か、少なくとも(地域での)独占を享受している。慢性的に製品が不足する場合や、多くの生産者が並行して事業を行っている場合でさえ、独占的行動が生みだされる。社会主義システム特有の強固な特性である「不足経済」は、イノベーションの強力な原動力、顧客を惹きつけようと戦うインセンティブを麻痺させる(Konai 1971;1980;1992 11-12章)。生産者/売り手は新製品や改良された製品を提供することで買い手を惹きつけようとする必要はない。買い手はたとえ時代後れで品質の劣る製品であっても商店で手に入れるだけで幸せだった。
 慢性的不足によって動機づけられた発明行為の事例だってある。すなわち、材料や機械部品の欠落を代替する工夫に富んだ創造物がそれである(Laki 1984-1985)。しかしながら、これらの発明者の創造的な精神はシュンペーター的な意味で広範囲に拡散し営利的に成功したイノベーションではなヅ表2・Iは資本主義国ではなくソヴィエト連邦で最初に現れた唯一の革命的イノベーション、合成ゴムを含んでいる。発明家は長年にわたりこのテーマを研究し続け、工業への合成ゴムの採用は天然ゴム不足により必要に迫られた。

D 実験の厳格な制限

 資本主義下では、数百、数千にのぼる実を結ばないおよそ成果のない試みが可能であり、それは後に数百、数千のうち一つが計り知れない成功をもたらすためである。社会主義計画経済では、誰もがリスクを回避する傾向は強い。その結果、革命的な重要性を持つイノベーションの適用は多かれ少なかれ排除される。そうしたイノベーションはつねに暗中模索を意味するからであり、成功は必ずしも予測しうるものではないからである。追随者にかんしても、すばやく後を追う経済もあれば、遅々としてしか追わない経済もある。社会主義経済は、もっとも遅い集団に属する。彼らは既知の旧式の生産手続きを維持し、旧式の十分に試行された製品を生産している。新技術と新製品には指導部の計画を困難にする不確実な特性が多すぎるのである。

 

E 利用を待つ資本はなく、投資割り当ては厳格である

 中央計画局は資本形成に振り向けられる資源に困ることはない。総生産から分割される投資の比重は資本主義経済よりも一般的に高い。しかし、この巨額の投資は、事前に最後の一銭まで割り当てられている。さらに、多くの場合、過剰な割り当てが生じている。言い換えれば、すべてのプロジェクト計画を合成すると、計画を遂行するのに必要な量よりも資源の調達水準は大きくなることが明らかになる。割り当てられなかった資本が、優れたアイディアを持つ者を待っていることなどありえない。割り当て担当者はイノベーションに向けた提案を持って待機している企業家を探索したりしない。柔軟な資本市場など理解されることはない。代わりに、プロジェクトの活動に対し厳格で官僚的な規制が生じる。不確実な結果しかもたらさない活動に資本となる資源を振り向けることなど想像もできない。資金が無駄になりイノベーションが生じないかもしれないと事前に分かっているベンチャーに資金を要求する愚かな工業大臣も工場長も存在しないのである。

 

『資本主義の本質について』p.68~71

 

各経済の特徴を要約するとこういうことだ。

 

<資本主義経済>           <社会主義経済>

 ・分権的創意性            ・集権化、官僚的命令と許可

 ・巨額の報酬             ・報酬の欠如

 ・競争                ・生産者と売り手に競争がない

 ・広範囲の実験            ・実験の厳格な制限

 ・投下を待つ資本準備、融資の柔軟性  ・利用を待つ資本はなく、投資割り当ては厳格である

 

これは経済における市場の存在の違いが大きいだろう。

競争や投下資本の柔軟性などに影響している。

 

それと連動しているのが政治での国家体制と企業の組織構造だろう。

 

生産手段の国家所有や公的所有(自治体など)はどうしても集権的、官僚制の論理が優先する。

実験のやり方も広範囲に柔軟に行えるのか、厳格な制限があるかの違いになる。

 

これら経済の構成要素の違いがイノベーションの可能性を決定づけているのだ。