「養護教諭=保健室の先生」を考える。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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実は私は、意図的に、

「保健室の先生」という表現等を使わないようにしています。

昨日の記事のように、

あえて「保健室」というワードを出すこともありますし、

ハッシュタグもつけていますが…。

それも自分の中で整理できている事象だったり、

その方がイメージやメッセージ性がある場合等に限って使っています)

 

以前、「保健室」を前面に出した個人向けのメニューを出していたこともありますし、

今でも「保健室って書いた方が分かりやすいのに」

と言われることもありますが、

私なりの理由があって辞めてしまいました。

 

 

 

「養護教諭」って、

一般的に「保健室の先生」と言われることも多い。

保健室にいることが多いからだし、

その方がイメージがつきやすいですよね。

 

「お仕事は?」

と聴かれて、

「中学校で教員やっています」

と答えると、

「へぇ、科目は?」

という返しが多くて。

「養護教諭です」

と答えると、

「ん?養護学校で働いているの?」

と混乱される方もいらっしゃるので、

(養護学校は今では特別支援学校といわれています。

ちなみに特別支援学校の教員の多くは特別支援の教員免許があり、

養護教諭は特別支援学校の養護教諭として勤務することはありますが、

学級担任等を持つことは原則ありません。)

「あ、違います。保健室にいます。」

とお答えしていました。

そこで、ようやく

「あぁ~“保健室の先生”ね!!」

となるわけです。

 

 

でも。

正直私は現役時代から違和感を抱いていました。

最初に抱いた違和感は、

「養護教諭だからって保健室にずっといることが「正解」なの?」
ということ。

私が保健室を離れて職員室で仕事をしている際に、

「前の養護教諭はずっと保健室にいたのに…」

「養護教諭のくせにどうして保健室にいないの?」

と言われたことがきっかけ。

 

ここでは詳細を割愛しますが私自身は

「子どもたちを保健室での“点”での姿ではなく、“線”で、“面”で知りたい」

という想いがあったので、

実際に色々な子どもたちの「リアル」を見たかったのです。

 

 

その後も

「養護教諭が休みだと保健室に何があるか分からないんだよね」

という先生方のお声や、

「保健室は養護教諭のお城だから!」

というお声。

そういう声を聴くたびに、「それってどうなの?」って思っていました。

 

正直に言えば、

「私が不在の時に他の先生が保健室に勝手に入っている」

「保健室の中のことは養護教諭に全て一任されているのだから」

という養護教諭自身の声に対して私は全面的な肯定はできませんでした。

 

「保健室って養護教諭“だけ”の場所なの?」

「時に学級王国と言われてしまうことのある担任とそれは何が違うの?」と。

 

 

「養護教諭=保健室の先生」という構図。

実際に大学院に入って研究を続けるうちに、

それが必ずしも「絶対」ではないのではないか、という考えが膨らんでいます。

(少し難しい話になると、

養護教諭を定めている法律と、

保健室の設置を定めている法律はあれど、

「養護教諭=保健室の先生」

と明記されている法律や法的解釈は私の知る限りないように思います。)

(あとは「保健室」は養護教諭の専売特許ではないと思っているのもあるかな。

別に養護教諭以外の人が「まちの保健室」だったり、

ご自身のサービスなどで「保健室」という名称を使っていらっしゃることもありますし。)

 

 

別に、現在の学校現場が

「養護教諭=保健室の先生」

で上手くいっていれば特に問題はないと思うのです。

それは目に見えての「問題」ではなく、

目に見えない部分も踏まえての「問題」です。

きっとこれまでの多くの実践や、社会の要請によって、

必要だから作られた構図だからです。

そこに対する敬意は当然ながら持っています。

 

 

しかし、「養護教諭=保健室の先生」という「枠」が、

養護教諭自身を悩ませたり、

悩むことはなくても思考停止に陥るきっかけになったり、

それによって学校の課題が見えなくなったり、

結果として子どもたちにしわ寄せがいってしまうのであれば、

刹那的な解決策では太刀打ちない「課題」として、

その「枠」自体をフラットにして考える余地はあると私は考えるのです。

今までの智慧を最大限に活かし、発展させていくためにも。

 

そして何より子どもたちの笑顔のためにも。

 

 

そんなこんなで

今日はまだまだ理論的には整理できていないけれど、

自分の中で大事にしたい視点ということで、備忘録的な記事になってしまいました。

きっと賛否両論あると思います。

あくまで私個人の考えですので、

この記事が誰かの「思考の種」になれば幸いです。

 

 

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☆養護教諭シリーズ

「憧れの養護教諭」になる方法。

養護教諭としての優先順位。

“養護教諭”という肩書きへの付加価値。

自分の「楽しい」へのアンテナの張り方。

養護教諭だって嫌われることがあって当然。

仕事を辞めたい、異動したい、と思った時。

養護教諭としての「観」を超えて。

養護教諭の存在価値に対する「枠」。

「養護教諭」という肩書きにとらわれすぎなくて良い。

「前例」との付き合い方。

“養護教諭”として「あなた」が伝えたいこと。

受かっても落ちても「価値」は変わらない。

「不在の存在」としての養護教諭。

「補う」のではなく「引き出す」養護教諭になるために。

 

番外編

仕事と勉強を両立する方法

講師の話が来なくて不安な人へ。

養護教諭の未来について考えていたこと。

養護教諭教員採用試験の対策法

過去問対策について。