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ぱちここと柏木むつきです。
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2年前にこんな記事を書きました↓
「前例」が勇気をくれる場合もあるけれど、
「前例」にとらわれて一歩踏み出せない時もある。
そんなことを記事にしたのでした。
「あの生徒の時はこう対応したら上手くいったから…」
「前回の時はこの手順だったから…」
「前の勤務校ではああやってたし」
「前の養護教諭がそうしてたから」
そういうのは少し厳しめかもしれませんが、
「過去の栄光」にとらわれてしまっているのかもしれません。
それは目の前の子どもを見ているのではなく、
自分の保身のための行動になっているのかもしれません。
「前にこんなこと言って叱られたことがあるから…」
「昔、こんなことをしたときに失敗したから…」
「○○って伝えたら嫌われてしまったことあるし…」
一方、こういう「前例」はあくまで「前例」なのに、
それが今の自分の成長を妨げてしまっているのだとしたら。
ここを乗り越えることが今の自分の課題なのかもしれません。
いつでも「今ここに在るもの」に目を向ける。
「今」の自分に素直になる。
「今」の自分を大事にする。
そんな姿勢が、
「今」の相手を大事にすること、
「今」の関係を大事にすること、
「今ここの瞬間」を積み重ねていくことになるのだと思います。
以前の記事ではこんなことを書いていましたが、
今でもこの気持ちはまさしく同じ。
過去の「前例」をデータにすることは、
自分自身の成長のためであるはず。
「前例」と同じような場面はあるとしても、
全く同じ場面などはあり得ないから。
「前例」との付き合い方は、
結局は自分が「自分」とどう付き合っていくか、
というところに帰結するのだと思います。
この記事の翌日、
というタイトルで続きの記事を書きましたが、
「あの時のあの生徒への対応、あぁすればもっと良かったかな…」
「○○ではなくて△△って声かけしていれば、もしかしたら…」
「あぁ、あそこで□□先生への報告、別のタイミングの方がスムーズだったかも」
そんな「後悔」も「前例」の一つとして、
自分の中でどう折り合いをつけるか、なのだと思います。
私の研究が「歴史」にあるのも、
こういった「前例」を乗り越えたいから。
「前例」によって、
「できる」ことさえも臆病になって「できない」状態になっている養護教諭の「今」を、
私は過去から乗り越えたい。
そう考えています。
それは決して過去をないがしろにしているのではなく、
過去にとらわれているのでもなく。
過去を過去としてフラットに見ることで、
今を、そして未来をフラットに見ることができると思うのです。
本来、「過去」は私たちを縛るものではなく、
「過去」は私たちの「今」の可能性を拡げてくれるものだから。
勝手に続編シリーズ
番外編
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