私が生きることに貪欲な理由。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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「遠慮しない未来の創り方」<私の場合>

プロローグ

その① 「受ける」と腹の底から決断する。

その② 「目的地」までの距離を知る。

その③ 「現在地」を正確に把握する。

その④ 「目的地」までの「行き方」を計画する。【前編】

その④ 「目的地」までの「行き方」を計画する。【後編】

エピローグ 「想い」を大事にする。

 

 

タイトル通り、

今日は私がなぜここまで「生きること」に貪欲なのかについて、

ちらっと話したこともありますが、

ちゃんと書いてみようと思います。

 

今日は、朝から病院での定期検査でした。

かれこれ28年ほど、定期検査に通っております。

 

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(今通っているのは2つ目の病院です。桜がきれいでした。)

 

プロフィールにはさらっと書いているのですが、

私は、二十歳まで生きられないと言われていた人間です。

 

一度目の病気で

「手術の成功確率は20%」とまで言われた私の病気。

その病気で、私は消化器官の

大部分を切除してしまったため、

その後遺症で、

食事と運動に大きな制限がかかった幼少時代を過ごします。

 

幼稚園はほとんど行けていないし、

小学校中学年までは、

遠足は欠席、

体育は内容によっては見学、もちろんプールも見学です。

給食も一人だけお弁当ということで、

正直、周りの友だちと同じように過ごせないことが辛かった。

「お前だけ特別扱いされてずるいよな」と

男子に言われるのが悔しかった。

 

二度目の手術は、

もはやあと半日遅れていたら助からなかった、とのこと。

一命はとりとめましたが。

その時にもまた、私は消化器官の一部が壊死して機能を失います。

 

給食のおかずが食べたくて、

こっそり食べたこともあります。

結果、その日の夜に救急搬送。

そのまま入院。

学校の先生も大変だっただろうと今では申し訳ない気持ち…。

 

小学校4年生くらいまでは、

とにかく体が弱く、

入退院と自宅療養を繰り返していました。

(今の姿からは想像できない!(笑))

 

私は、皆と同じように学校に行きたかった。

皆と同じように遊びたかったし、勉強がしたかった。

いつも病院のベッドの上で、

一人で計算ドリルをしたり、漢字ドリルをしたり。

ぬいぐるみを並べては話しかけて遊んだり。

本を読んで空想の世界で自由になってみたり。

 

一緒に入院していた仲間の中には、

私より先に退院する子、

私が退院しても退院できない子。

そして…今思えば、天国に行ってしまったんだろうな、という子。

色々なお友達と出会いました。

きっと幼心に、

「生きること」と「死ぬこと」の表裏一体の感覚を

その時点で身につけていたのだと思います。

 

そんな過去があったから、

自然と目指す進路は医療系でした。

その後養護教諭(教育職)に舵を切っても、

根っこにある想いはずっとつながっています。

そして何より、

そんな過去があったからこそ、

今も私は生きることに貪欲なのだと思います。

 

 

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