続・養護教諭の存在価値に対する「枠」。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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勝手に続編シリーズ(笑)

続・「憧れの養護教諭」になる方法。

続・養護教諭としての優先順位。

続・“養護教諭”という肩書きへの付加価値。

続・養護教諭だって嫌われることがあって当然。

続・養護教諭としての「観」を超えて。

 

 

↓約2年前の記事。

 

この時のYOUKYOUカフェで出ていた、

「保健室に相談に来てくれた生徒が、

次に相談に来なかった時に、

『自分は役に立てなかったのかな…』

と落ち込んでしまいます。」

 

「養護教諭が最初に、

生徒の心のサインに気づかなきゃいけないのに、

自分じゃない先生に相談していたら、

自分の存在価値がないんじゃないかって思うんです。」

というお悩み相談。

それに対して、

あくまで私の答えですが、

「生徒にとって『問題の解決』がゴールなのであれば、

別に養護教諭である自分に相談しようが、

別の先生に相談しようがどちらでも良くないですか?」

ということです。

 

つまり、少し厳しい言い方になるかもですが、

「自分の存在価値を『相談してもらう』という行為で埋めようとしていませんか?」

ということです。

 

生徒にとって、誰に相談するかも自由です。

「養護教諭に相談しなくてはいけない」というわけではないのです。

(相談しやすい雰囲気創りに努める姿勢を否定しているわけでは決してありません💦)

 

確かに保健室は心のサインに気づきやすい場所かもしれません。

養護教諭はそういう資質も兼ね備えているのかもしれません。

だからといって、

担任の先生や顧問の先生が「心のサインに気づきにくい」わけではありません。

心の支援ができないわけではありません。

 

言葉を選ばずに書かせていただくと、

もしかしたら

「養護教諭は心のサインに気づける人、

一般の先生は養護教諭に比べて心のサインに気づきにくい人」

というレッテルを貼ったり、

そのようなフィルターで先生方を見てしまったりしている一面も

養護教諭の側にあるのではないか、と私は思うのです。

という少し厳しいかも…とドキドキしながら自分の「想い」を書いたのでした。

 

今、定期的に養護教諭志望の方とお会いし、お話させていただく中で、

このような存在価値や存在意義に対する「枠」のようなものを感じます。

 

「養護教諭だから○○しなければならない」

「△△できないようでは養護教諭失格」

そうやってストイックに真面目に一生懸命、

自分を犠牲にしてまで、

自分を責めて責めて責めて…そうやって、

養護教諭になろうとしている人たち。

 

もちろん、

養護教諭になるために必要なことや大切なこともあるとは思いますし、

仕事に対する責任感を抱くことは本当に大事。

 

だけれど…リブログした記事にも書いたように、

もしかして、

他の先生方との比較の中で、

様々なレッテルを貼って自分を苦しめていることもあるのでは…と思うのです。

 

人と比べてできているとかできていないとか、

そういう比較の中で「養護教諭」になるわけではなくて、

子どもたちのために自分は何ができるのか、

といったもっともっと広い視野で自分の「想い」を持つということ。

 

無意識のうちに「枠」の中に縮こまっていませんか?

無自覚のうちに「枠」の中で何かと比べていませんか?

あなたの「養護教諭観」はもっともっと「あなた」のままで良い。

 

私はそう思います。

肩書きは、自分の可能性を狭めるためではなく、

自分の可能性を最大限に拡げるために在るのだから。


(ほうじ茶ティラミス^ ^)

 

 

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