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ぱちここと柏木むつきです。
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プロフィールにも書かせていただいていますが、
私は持病があるので半年に一度定期的に検査を受けています。
定期検査を受けに行った日、
3年前の記事がマイページにあがっていました。
3年前の記事↓
3年前の3月2日は大好きな恩師が亡くなった日です。
その時のことを書いた3年前の記事。
(昨年もその続きを書いていました→何気ない「今」の豊かさ。
こちらではより具体的に先生のエピソードを書いたな…)
定期検査の診察待ちでスマホを見た時、
こちらの記事が目に入ったのでした。
「死」と隣り合わせだった私が今も生きていて。
長年「死」とは無縁だった先生がもうこの世にはいなくて。
なんて無常なんだろう…と思ってしまいます。
ついつい当たり前にやってくる日常に、
時に不満を抱き、
時に不条理を嘆き、
時に生きている意味を模索しては落胆する。
私も含めて当たり前の日常を「当たり前」だと思いすぎてしまうゆえのこと。
ついつい日々の慌ただしい中にいると、
先生の生きたかった「今」をないがしろにしてしまう。
先生が、先生の家族が、先生のことを大好きな皆が、
喉から手が出るほど欲しかった「今」なのに、
私はついつい周りと比べて「自分」を見失いかけてしまうことがたまにある。
(略)
「今」こうやって何気ない毎日を過ごせていることが豊かなんだなということ。
かりゆし58さんの『さよなら』という曲にもある、
ぼくが生きる今日は
もっと生きたかった誰かの
明日かもしれないから
という歌詞。
このことをどれだけの人が噛みしめて生きているだろうか。
何気ない日常の中に実は「生」と「死」が
それこそ当たり前のようにあるのが本当の意味での「日常」。
生きる意味なんて、
死ぬ間際まで、
もしかしたら死んでからも分からないかもしれないけれど、
私は、
生きていることそのものが、
生きる意味なんだろうと思います。
生きるということそれ自体が、
生きる意味であり、生きる意義なんだと思う。
今日は人生で一番若い日で、
今日は人生で一番死に近い日なのだとすれば。
「私」が生きることそのものが、
「私」で在ることの証なのだと思います。
(定期検査の日の空も相変わらず青かった^ ^)
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