続・「養護教諭」という肩書きにとらわれすぎなくて良い。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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勝手に続編シリーズ(笑)

続・「憧れの養護教諭」になる方法。

続・養護教諭としての優先順位。

続・“養護教諭”という肩書きへの付加価値。

続・養護教諭だって嫌われることがあって当然。

続・養護教諭としての「観」を超えて。

続・養護教諭の存在価値に対する「枠」。

 

3年前の記事をリブログ↓

 

ここでは、

中学1年生の1年間だけ一緒だった生徒の卒業文集のお話を書いたのでした。

そこには、

私と出会った時の思い出が、

私との思い出だけが、

原稿用紙一枚にびっしりと書き込まれていました。

それも、私が“養護教諭”としてその子に関わった思い出、ではなくて、

普段の何気ない会話の中での一言に対して、

「○○先生(勤務時代は旧姓)の一言が

私の人生を変えてくれました」

と書かれていたんです。

 

確かこの時にこの子が書いてくれたのは、

「あなたが保健委員をする時に、

協力してくれる周りの友達に対して、

上から目線になっていないかな?

委員の仕事に協力してくれてありがとう、

という感謝の気持ちを持って仕事をしていますか?」

という私の一言だった(と思う)。

 

言った本人(私)はそこまで鮮明に覚えていたわけではないこの言葉。

この子の3年間の集大成となった卒業文集に、

私の言葉を書いてくれたことに、

改めて子どもたちと関わることへの責任感を抱いた出来事でもありました。

 

 

養護教諭だからといって、

保健とか健康とか身体に関わることばかりに意識しすぎてしまうと

(もちろんそこに目を向けるのは大事)、

きっと「人」として大切なものを見失いかけてしまうのではないか…。

 

私自身が養護教諭時代にずっと葛藤し、模索し、挑戦してきたテーマでもありました。

“肩書き”よりも、

“私”としてどう生きるか。

“私”としてどう在りたいのか。

そっちの方が大切だって思えた自分、間違ってないなって思えたんです。

リブログした記事にも書いたように、

「私」という土台が在って、

その上に肩書きを持った「私」がいる。

 

肩書きにとらわれてしまうことで、

「私」を見失うような働き方は「肩書き」に対しても真摯に向き合えていないのでは…

そんな風に感じています。

 

ちょっと苦しくなった時。

ちょっと立ち止まりたくなった時。

そんな時ほど「私」を見る。

そしてもう一度前に進む勇気を「自分」からもらう。

そのための肩書きだと思うから。

 

年度末加えて新型コロナウイルスの件で、

慌ただしい毎日を過ごしているからこそ、

もっともっと大事にしてほしい「在り方」の話です。

 

 

 

(花は可愛いけれどこの時期、花粉症にはつらいね…)

 

 

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