ナルトです
 
Boa tarde! こんにちは🌱
ボアタルジ
 
 
 
 
プロ歌手になると決めて、
17歳で入学した大学を半年でやめて…
日本に来ちゃった日系三世ブラジル人です。
 
 
 
 
演歌歌手としてデビューした日が
緊急事態宣言が出た翌日…
 
 
 
こんな前代未聞のスタートとなったボクの
日本のルーツについて勉強したことを書いてます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
今日は22話目…
 
 
65年前ブラジルへ渡ったボクのおじいちゃんと、おばあちゃんが独立して、最初の作付けです。
 
 
 
 
 
祖父「黒木 」くろ けい
 
1934年(昭和9年)宮崎県日向市生まれ
現在、85歳
 
 
 
 
 
【最初の作付け】
 
 

慧は借地をした原生林を開墾し終え、1960年2月中旬、いよいよ独立最初の馬鈴薯の植え付けをした。

 




 
種芋と肥料、農薬などとわずかな人件費をコチア組合が独立資金として融資してくれたので、4年の契約期間お世話になった森田さんの裏書きで利用させてもらった。
 
種芋は、病気には弱いが品質が良く、市場価値の高い品種を選んで手配した。
 
 
 
※ナルト画「馬鈴薯」
 
 
植え付けの日は、耕馬をを森田さんから借りて、植え手も同僚だった谷脇さんたちが手伝いに来てくれた。
 

 
ブラジルでは、急に人手を必要とする植え付けなどの作業のときには、近所の人たちにたくさん来てもらって手伝ってもらうムチロンと呼ばれる日本で言うところの隣組制度がある。


そんなときは、食事の準備をして皆に振る舞うのである。
 
 
黒木家の最初の植え付けは、一日で終わり、夕食は皆でにぎやかに飲んで食べて楽しいひとときであった。
 
 
 
 
 
 その頃から、美佐子の体調が優れず、食べ物をうけつけなくなっていた。

 
どうしたことかと心配したが、親代わりの森田さんのママイに相談したら、それは一番うれしいことで、子どもが生まれることを知らされた。
 
 
うれしくて天にも昇る気持ちだったが、畑を休むことができず、美佐子はそんなときでもがんばり続けた。






 
 
 
そんなとき危惧していたことが起こった。


 
馬鈴薯に病気が入ったのだ。
 
 
 
 
 

 

 
 
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
 
 
 
 
 
なにをしても、毎日果てしない労働の数々が、手に取るように見えてくるお話です。

 
この頃のお話は、聞けば聞くほど、今すぐにでも、おじいちゃんと、おばあちゃんにハグしたくなります。
 
 
会いたくなります。

 
絶対、ボクが一人前になるまで、元気に見守ってね!
 
 
 
 
 
 
次回は、畑の病気との闘いと、収穫…です。
 
 
 
 
お楽しみに!
 
 
 
 
 
 
さぁー
今日も一日
太陽スマイルでやりきります😊