ナルトです
Boa tarde! こんにちは🌱
ボアタルジ
プロ歌手になると決めて、
17歳で入学した大学を半年でやめて…
日本に来ちゃった日系三世ブラジル人です。
演歌歌手としてデビューした日が
緊急事態宣言が出た翌日…
こんな前代未聞のスタートとなったボクの
日本のルーツについて勉強したことを書いてます。
今日は18話目…
65年前ブラジルへ渡ったボクのおじいちゃんと、おばあちゃんの結婚式…です。
祖父「黒木 慧」くろぎ けい
1934年(昭和9年)宮崎県日向市生まれ
現在、85歳
※ブラジルの長閑な田舎風景
【結婚式と花嫁修行】
日本からブラジルへ向かうあるぜんちな丸🚢に乗り合わせた移民たちの中には、トランク何個分もの荷物を積んでいた人もおり、多くの男性は背広を着て、女性もおしゃれな服を着ていた。
祖父慧からの手紙に「荷物はなにもいりません。丈夫な体一つを持ってきてください…」とあったとおり、嫁入り道具もなく海を渡った祖母美佐子は、自分で縫った着物を着て、ブラジルサントス港に到着した。
待ち構えていた青年たちがあるぜんちな丸にあがってきて、花嫁を探し始めると、写真で見たとおりの太陽の様な笑顔の美佐子と、真っ黒に日焼けした穏やかな笑顔の慧がお互いを見つけるのに時間はかからなかった。
二人の初対面は、何を話したのか…緊張と感激のあまり、お互いよく覚えていない。
荷物は慧の働く農場主の森田さんのトラックで運んでもらい、隣りの農場で働く堀込君のカップルと共に、サントス港からサンパウロまでをバスで移動した。
この80キロのバスの旅が新婚旅行となり、肩を寄せ合い楽しい語らいの時間となった。
美佐子は目的地に近づくほど、少しがっかりした。
ブラジルといえば、大平原にバナナ畑が広がっていて、そこに夕日が沈む風景を想像していたが、実際はとんでもない山奥だったので、日本とあまり変わらないね…と。
※ブラジルの母実家にあるバナナの木
楽しい時はあっという間に過ぎ、サンパウロの組合本部で森田さんと合流し、トラックで農場へとたどり着いたときは、もう夜になっていた。
翌日、近くの家族や友だちが集まって、農場仲間がブラジル名物のご馳走「シュラスコ」を焼いてくれ、ビール、ぶどう酒、ブラジル独特のグァラナを飲んで食べて二人の門出を祝ってくれた。
そして休むまもなく次の日には、もう花嫁修行が始まった。
豆を煎って粉にして、布で濾してコーヒーをいれたり、豚の脂でフェイジョンを煮たり、鶏をしめるのも妻の仕事ということで、驚きの連続となる修行は1か月続いた。