ナルトです


Boa tarde! こんにちは🌱
ボアタルジ




プロ歌手になると決めて、
17歳で入学した大学を半年でやめて…
日本に来ちゃった日系三世ブラジル人です。




演歌歌手としてデビューした日が
緊急事態宣言が出た翌日…





こんな前代未聞のスタートとなったボクの
日本のルーツについて勉強したことを書いてます。









今日は6話目…

65年前ブラジルへ渡ったボクのおじいちゃんが、
世界の国を経由した船の旅です。








祖父「黒木 
」くろ けい

1934年(昭和9年)宮崎県日向市生まれ
現在、85歳




【世界の国々に心踊る】 

1955年8月15日

日本を出発して11日目にアメリカ大陸が見えてきた。



ロサンゼルスの港に近づくと、陸地の丘を走る自動車がスイスイ走っている。すごいなぁー。



すると南の方角の空から、大きな怪物が現れて度肝を抜かれた。気球船だった。


見たこともない大きな気球船が「あめりか丸」の上空をゆっくり北へ向かって流れて行った。


※ナルト画「気球船」



やがて船が接岸すると、黒人さんがきれいな乗用車に乗って作業にやってきた。一般労働者でさえ自家用車を持ってるなんて、すごい国だと感心するばかり。

戦後10年の宮崎では、医者か社長さんくらいしか車を持てなかったのだから、これが勝戦国と、敗戦国の違いかと妙に納得をした瞬間だった。


ロスへの一般移住者の上陸はかなわなかったが、船からみたアメリカはすごい国だと強い印象を受けた。





ロスの港を出ると、メキシコ沖から中米の西海岸を南下し、パナマ運河を通過。

このパナマ運河は、水のエレベーターとなっていて、このしくみには、まぁー感心した。水門で仕切ったドックに注水・排水して水面の高さを調節することで、船を昇降させる方式だ。


パナマ運河の建設は1881年に開始、マラリアや黄熱病の流行に苦しめられ、一旦中断するも、1904年に再度着工し、1914年に完成している。





この運河を通って太平洋から大西洋に渡り、プエルトリコの港町クリストバールで上陸が許可された。

異国の地への初上陸。久しぶりに大地を感じることができて嬉しかった。

町は黒人さんであふれていて、暑さもあり熱気もむんむん。息苦しいまでのパワーに圧倒された。




次はベネズエラの港町ラガイラでも上陸が許可された。ここはもう少し素朴さを感じる静かな町に感じられた。

※1955年9月 ベネズエラの港町ラガイラにて



この港を出ると、さあ次はいよいよ…

ブラジルが見えてくる。





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ボクが初めてブラジルから出たのが18歳の日本行き…見知らぬ何カ国かを経由してやってきました。ボクは飛行機でしたが、各空港での驚きの感覚は、近いものがあります。




次回は、祖父慧が、いよいよ目的地、ブラジルサントス港に到着します。



さぁー
今日も一日
太陽スマイルでやりきります😊