ナルトです
Boa tarde! こんにちは🌱
ボアタルジ
プロ歌手になると決めて、
17歳で入学した大学を半年でやめて…
日本に来ちゃった日系三世ブラジル人です。
演歌歌手としてデビューした日が
緊急事態宣言が出た翌日…
こんな前代未聞のスタートとなったボクの
日本のルーツについて勉強したことを書いてます。
今日は3話目…
65年前ブラジルへ渡ったボクのおじいちゃんが
ブラジルへ渡るチャンスに出会います。
祖父「黒木 慧」くろぎ けい
1934年(昭和9年)宮崎県日向市生まれ
現在、85歳
【チャンスをつかめ!】
祖父慧が、戦後の貧しい時代、故郷宮崎で、学校に通いながら港の重労働と畑仕事で大家族を支えていた20歳のとき、父が57歳で急死した。
※1955年2月 父葬儀の日
戦後の生活…それはあまりにも苦しく、主食は「いも」中心で、米の飯は「夢のまた夢」、麦飯すらままならない日々だった。
農地の規模拡大も難しく、この状況から抜け出す新しい「光」を常に探していた。
そんなとき、新聞のある記事に目がとまった。
〜ブラジルで農業従事する独身青年募集〜
南米最大の日系産業組合が、3年間で1,500名の独身青年ブラジル移住募集をスタートしたというものだった。
思い起こせば、高校時代に世界地図を眺めては、広い世界へ飛び出したい…なかでも最も日本から遠い南米大陸へ行ってみたいと、密かに憧れをいだいていた。
そんなこと叶うはずがない…と思っていたそのチャンスが、ここにあるではないか!
だが当時、法的に21歳にならなければ、自分のことは自分で決められない時代…
20歳の祖父慧は黒木家の大黒柱。父を亡くして間もない今、家族の暮らしはどうなるのか…しかも、地球の反対側までとなれば、もう二度と会うことができないかもしれない…。
母は、なんとか考え直してくれと、哀願した。
しかし、この人生のチャンスを「何がなんでも」絶対に逃したくはなかった。
自分のわがままを許して欲しいと何度も説得し、息子の気持ちが、1ミリもゆるがないとわかると、悲しい顔をしながらも承知してくれた。
それからの母は、旅立ちのために応援者となった。
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家族のために犠牲ならなくてはならない時代のつらさ、そして戦後の日本の貧しさは、こうして話を聞いても、今のナルトには想像ができません。
ブラジルにいるときに、もっともっと勉強しておけば良かったです。
今は、神様がくださった貴重な時間なんですね。
次回は、祖父慧が、ブラジル行きの船に乗るまでをご紹介します。
さぁー
今日も一日
太陽スマイルでやりきります😊