ナルトです
 
Boa tarde! こんにちは🌱
ボアタルジ
 
 
 
 
プロ歌手になると決めて、
17歳で入学した大学を半年でやめて…
日本に来ちゃった日系三世ブラジル人です。
 
 
 
 
演歌歌手としてデビューした日が
緊急事態宣言が出た翌日…
 
 
 
こんな前代未聞のスタートとなったボクの
日本のルーツについて勉強したことを書いてます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今日は19話目…
 
 
65年前ブラジルへ渡ったボクのおじいちゃんと、おばあちゃんが雑誌の取材を受けることに…。
 
 
 
祖父「黒木 」くろ けい
 
1934年(昭和9年)宮崎県日向市生まれ
現在、85歳
 
 
 
 
 
【日本の雑誌に取材される】
 
 
 
1959年8月15日にブラジル到着し、翌々日から始まった祖母美佐子の花嫁修行は、毎日びっくりする事の連続だったが、その覚悟は出来ていたし、苦になることはまったくなかった。
 
 
 
 
そんな花嫁修行が1週間ほど過ぎたある日、組合本部のジープがやってきた。
 
 
 
 
日本の農業雑誌「家の光」のグラビア欄に「南の花嫁」というタイトルで載せたいので、取材をさせて欲しいとのことで、有名な飯山達雄カメラマンを連れてやってきた。
 
 
 
 
 
「家の光」といえば…
 
1925年(大正14年)5月に産業組合中央会によって創刊された月刊誌。情報にとぼしかった農村部を中心に部数を伸ばし、当時180万部を発行していたという雑誌である。
 
 
 
 
 
 
 
 
何枚もの写真を撮影してもらい、1960年正月号に掲載された「ブラジルの花嫁さん」は、故郷の家族や親戚一同を感激させた。
 
 
 
 
 
そして、初々しい結婚1週間で取材を受けた後、なんと55年後の2015年に「創刊90周年特別企画」として「家族の幸せ」と題し、グラビア8ページにわたり再び取材を受けることになるのである。
 
 
※美佐子取材写真/21歳(1960年)と76歳(2015年)
 
 

 
以下、1960年正月号掲載抜粋。
 
 

※「家の光」1960年正月号
 
 
◆キャプション◆
 
食事を知らせる鐘の音が、農園のすみずみまで響きわたる。夫の慧君の耳にいち早くとどくようにと、美佐子さんの心ははずむ。
 
 
 
 
 
※「家の光」1960年正月号より、祖父慧と祖母美佐子

 
 
 
◆本文◆
 
四年前、単独青年移住者として、ブラジルのコチア産業組合に呼び寄せられた青年のうち、無事契約期間を終え、晴れの独立と同時に結婚と二重の喜びにひたっている青年たちがいる。
 
サンパウロ郊外の森田農場に働く黒木慧くんもその一人。
 
さきごろ日本からぴちぴちした若アユのような花嫁美佐子さんを迎えた。新婦のはちきれそうな健康美と屈託のない性格は、まさにブラジル向けの明朗型。美佐子さんはここでなにもかも新しい生活に飛び込んだ。
 
朝のコーヒーわかしから始まって、野菜の収穫、鶏舎の世話、卵磨きと選別の手つだい、料理という日課だ。そうした美佐子さんに「おくにが恋しくなりませんか。」とたずねると、「毎日の仕事が珍しく、おもしろくて…それにみなさんからかわいがられるので、日本のことなど思い出せません。」といわれた。
 
郷里の御両親、御安心ください。新居の建設も二人の力で進んでいる。ブラジルの大地に、しっかり根をおろす自信にあふれた慧くんと美佐子さんだった。
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
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雑誌に載ったのよ…と、ブラジルにいるとき聞いていましたが、

日本の本屋さんにおいていない雑誌だったので、

雑誌社に連絡してみると…購入は出来ませんとの残念なお返事。
 



 
でも、ブラジルから夢を追ってやってきた孫なんです…
と、お話したところ、


なんと!
コピーを送っていただき、65年前の笑顔にであえました。
 
 

雑誌社の方、ありがとうございました。
 
 
 
 
結婚1週間という、新婚ホヤホヤの二人の笑顔を見て涙が出て止まりませんでした。
 



 
おじいちゃんのこの見たことのないくらいの嬉しさにあふれた笑顔には、

ボクの心があらわれました。
 
 
 
どんなことがあっても、ボクもあきらめず笑顔でやっていこう…と、また今日も思います。
 
 
 
 
次回は、家づくり!…です。
 
 
 
 
お楽しみに!
 
 
 
 
 
 
さぁー
今日も一日
太陽スマイルでやりきります😊