9月です。

みなせの住む京都の田舎も、色づいた稲穂の上をアキアカネが舞い、朝晩も多少過ごしやすくなり、秋の訪れを感じるようになりました。

「謹慎」などと称して夏の間は引きこもってヘタレまくっていたみなせさんですが、そろそろ再始動。
その一発目?として、「第5回広島蘖の会」のお知らせであります~。

~広島蘖(ひこばえ)の会とは?~
広島県を舞台に、いわゆる「宗教二世」をはじめ、「親や親族が信じる宗教や組織により、自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」を対象にした、少人数の自助的な集いです。

※一世、二世(三世)、および関係していた宗派関係なく、大歓迎です!


特に、下記の2点を最も大切にしています。

①瀬戸内海の美しい景色や美味しい味覚を楽しみながら、参加者同士が少人数でゆっくりコミュニケーションを取れること。

 

②東京圏にて数多く開催される「オフ会」への参加が困難な、中四国および九州沖縄エリアの方々が可能な限り参加しやすいこと。

※「蘖の会」コンセプトについてはこちら
※前回(第4回)開催時はこちら
…って、すぐ前の記事です(^^;

 

お申し込み状況(9月22日9時半現在)

※全国の方、お申込み可能です!

0/5名


実施要項
開催日時:
2024年(令和6年)10月27日(日曜日)

募集人数:
5名
※世話人みなせに「現地スタッフ」2名を加えて、全員で最大8名(2卓を囲める人数)
(最少催行人数:0名 → みなせと現地スタッフだけで楽しむw)

集合場所および時間:
JR呉駅前「スクリュー」のモニュメントに10時30分


※前にいる「青いヤツ」は呉市の公式キャラクター「呉氏」

帰省の度にこいつに迎えられるのが、個人的にはみょーに腹立たしいw

 

今回のコース:
安芸路呉、「海の守り」の歴史とみなとの景色に親しむ小さな旅(広島県呉市)

広島県南西部に位置し、瀬戸内海に面する人口20万人の街呉市は、広島市、福山市に次ぐ県内第三位の都市です。

…なお、近いうちに東広島市(人口19万5千人)に抜かれる模様(^^;

 

 

山々に囲まれた入り江であるその地形ゆえ「天然の良港」として、瀬戸内海の島々を結ぶ海運上の拠点として、古くは平清盛(音戸の瀬戸を開削した)また村上水軍の根城として歴史を刻んできました。

 

特に明治時代以降になると、旧帝国海軍の重要拠点として鎮守府、「東洋一の規模」と称された呉海軍工廠(戦艦大和が建造されたヨ!)、海軍病院等々軍港の街として栄え、東郷平八郎山本五十六と言った海軍将校たちもこの呉で日々を送っています。

終戦後も海上自衛隊呉基地、ジャパンマリンユナイテッド呉工場として、現在も「海の守り」、および海運の重要な一翼を担っています。


また2016(平成28)年4月には、「日本近代化の躍動を体感できるまち」として、呉市(広島県)、横須賀市(神奈川県)、佐世保市(長崎県)、舞鶴市(京都府)の「旧軍港四市」揃って文化庁より「日本遺産」の認定を受けています。

最近ではアニメ映画「この世界の片隅に」(こうの史代原作)の舞台としても知られ、ファンによる「聖地巡礼」も行われています。

 

…そして何よりも、呉はわたしみなせが青春時代(14歳から21歳)を過ごした町です!

 

幸か不幸か、東京小金井から呉市内の会衆への移転により、気の合う友人や、(現在でも)人間的に尊敬できる「長老」に出会えたこともあり、「JW二世」として急成長を遂げた土地でもあります。
※そのあたりの詳細は、こちらの記事参照

(JW組織の教理と価値観に基づいた)「最善の生き方」とされている「パートタイムの仕事で全時間奉仕」しか考えることができず、高校受験(工業高校へ進学)、大学受験や就職(どちらもしなかった)など、人生の重要な決断をJW組織にコントロールされた状態で下してしまいました。

 

↑バプテスマ(=洗礼)を受けたばかりの「みなせ兄弟」(当時高校2年)

くそまじめなヒョロガリ君でしたw

 

今から思えばその決定は、純粋に信じていた…と言うより、ただただ母親や信者仲間に受け入れてもらうために自分自身の気持ちを押し殺して必死で「模範的二世」を演じていただけで…。

 

JW組織やその教えから足を洗った現在からすれば、なんて無知で、無駄なエネルギー、無駄な時間を過ごしてしまったのか…とも思います。

 

でも、「(JWをまじめにやっていた)あの日々」があったからこそ、「ほんとうの自分自身」に気づき、足を洗い、人生を生き直す葛藤を経たからこそ、現在の「みなせくみこ」が生まれてわけでして、実は言うほど後悔していなかったりします(笑)

(新卒で就職して結婚して家族をもって…と「普通の人生」を送っていたら、「みなせくみこ」の代わりにさえないオッサンがいて、みなさんと出会う術もなく、至極平凡な日々を送っていたことと思います。)

そんなわけで、現在も両親と妹たち(ちなみに、母親と下の妹が現役信者)、また親族たちが住むデンジャラスゾーン(笑)、加えて「みなせくみこ」のルーツでもあり、良い思い出も辛い思い出も様々に愛憎入り混じる呉市を、今回の「広島蘖の会」の舞台とさせていただきました。

 

…実は、昨年6月の「第2回」に続いての開催なのですが、この時は「参加者ゼロ」に終わったので、実質初開催です。


「しらす」や「あじ」、「甘エビ」といった、瀬戸内の海の恵みや、

※去る8月の週末、「広島蘖現地スタッフ」と一緒に下見をしました♪

いつも、ありがとう!

 

長期間、深海で過ごすサブマリナー(潜水艦乗組員)たちが曜日感覚を失わないよう、毎週金曜日の晩に出されるカレーを基にした「呉海自カレー」

(ステンレスのトレイは、艦内で使用されているものと同じだヨ!)

 

かの東郷平八郎元帥が、「英国で食べたビーフシチューが美味かったから再現しろ」と部下に無茶ぶりし、苦肉の策で出来上がったゆー伝説があり、京都府舞鶴市と「元祖」を張り合っている(笑)「肉じゃが」

 

珈琲(戦艦大和の艦内で飲まれていたと伝えられるコーヒーを、地元コーヒー店が復刻した)といった、海軍ゆかりのグルメ。

 
そして、現役の護衛艦や潜水艦を間近で眺めることのできる港巡りクルーズ等々…。

 

甲斐性無しみなせにはもったいないくらいに、きわめて有能で頼りになる「参謀役」である「広島蘖現地スタッフ」2名が盛りだくさんの観光コースを現在準備中です!

…何よりも、

「来てよかった」以上に「会えて良かった」
「また行きたいな」以上に、「また会いたいな」と。

…そして「あの日々があったからこそ」出会い、この時間を過ごせたのだと、「あの日々」にちょっとでも肯定的な意味づけができるように。

 

そうして、広島と広島の人々をうんと好きになっていただきたい!!
そんな思いで、「つながりを紡ぐ」ことをいちばん大切に「広島蘖の会」を作っています。

「オフ会」や「宗教二世の集まり」には参加してみたいけど、東京は遠いな…と、
もしくは大人数なのはちょっと苦手…と、常々感じられている方。
さらには、この機会に広島へ行ってみたい!と感じられている方。

ぜひぜひ、「広島蘖の会」へ参加してくれんさいや!
世話人みなせと、ぶち有能でぶちマインド溢れる「広島蘖現地スタッフ」共々、心から待っとるけぇね~( ´ ▽ ` )ノ

 


 

当日のスケジュール(進行状況、予約状況により変更あり)
10:30 待ち合わせ
11:00 ランチ(瀬戸内の海鮮づくし、若しくは海軍カレー)
13:00 海自OBによるガイド付きの呉港クルーズ
14:00 入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎)見学
15:00 ティータイムの談笑の時間など
17:00 解散
※希望に応じて「二次会」も有り
※詳細なコースは、現在「広島蘖現地スタッフ」により鋭意作成中(リクエストもOK)。お申込みの方に随時お知らせいたします。


会費について
「広島蘖の会」は、みなせが京都より「出張開催」の形になりますゆえ、会費を下記の通り設定させていただきます。
当日、現金にてスタッフへお渡しくださいませ。

¥3,000(ランチ代込み、交通費等のその他雑費は各自別途負担)
※当日の満足度、次回以降への期待に応じて、参加者からの「自発的な寄付」歓迎(笑)

キャンセルについて
最終締め切り日(10月20日)まで無料。
※それ以後のキャンセルはランチ代相当のキャンセル料(詳細は個別連絡)を請求いたします。

お申込みについて
「広島蘖の会」は、中四国、九州沖縄地域における「宗教二世」はじめとした人々の「つながりを紡ぐ」ことを第一目的として開催します。
よって、お住まいの地域に応じ、お申込期間を以下の通り設定します。

一次募集:
9月2日(月曜日)午前10時~
対象:中四国、九州沖縄在住、もしくは(現住地域に関わらず)この地域で現役時代を過ごされた方

二次募集:
9月8日(日曜日)午前10時~
対象:全国の方

締め切り(一次、二次共通):
10月20日(日曜日)24時

 

お申込み方法:

アメブロ、twitter等SNS上のメッセージ、もしくはLINE、みなせ宛の個人メールにてお申し込みください。

※個人メールアドレスを変更しています

 

お申し込みの際には、下記の2点を含めてお申込みください。


①お名前(HN、仮名可)お住まいの地域と所属されていた教団とその経歴
②呉駅までの交通手段

※みなせのもとに確実に届きさえすれば、どのメディアを使用いただいてもOKです!
※提携をさせていただいている(一社)陽だまりさまへご相談されているみなさまは、「陽だまり」公式LINEから担当相談員を通してお申込みいただくことが可能です。

 


「やむを得ず中止」の判断基準について
 下記のいずれかに該当する「止むを得ない状況」になりました折には、大変申し訳ありませんが開催を中止いたします。




1.開催4日前(10月23日水曜日)20時の時点で、国もしくは広島県知事、呉市長による「緊急事態宣言」 、「まん延防止等重点措置」 およびそれに類する宣言・指示が呉市下に発令されており、その制限の内容が「広島蘖の会」実施に著しい支障(例:移動ができない、食事ができない等)をきたし、当日まで解除の見通しが立たないと判断される場合。



2.開催前日(10月26日土曜日)12時の時点で、呉市内に何らかの気象警報が発令され、翌朝までに解除の見通しが立たないと判断される場合。



上記に該当する場合、(判断に迷う状況を含め)お申込みいただいた方々へ速やかに、個別に連絡させていただきます。


その他注意事項
※「広島蘖の会」は、「京都蘖の会」同様、「完全事前お申し込み制」です。

お店の予約の都合、および正規の手続きにてお申込みくださった方々を「守る」観点より、「アポ無しの当日飛び入り」等、正規のお申し込み手続きを経ない方の参加は固くお断りします。

※ 「広島蘖の会」は、参加者同士がゆっくりコミュニケーションを取るための場です。
よって「広島蘖の会」の場を利用したご自身のビジネスの宣伝や営業、商品の販売、勧誘、集客目的のSNS投稿を厳に禁止します。
(但し、別に定める「宣伝広告料」を世話人みなせにお支払いいただくことで特別に許可します。ご希望の方は、世話人みなせまで直接お問い合わせくださいませ。)

※交通機関の都合上、指定した待ち合わせ時間や場所の変更をご希望の方はその旨お申し出くださいませ。
可能な限り対応させていただきます。

※お子さま同伴での参加をご希望の方は、個人的にその旨ご相談くださいませ。都度対応させていただきます。


※やり取りの際に使用させていただいた個人情報は、当会に関する連絡のみに使用させていただき、(ご本人の要望がない限り)当会終了後に削除いたします。

 

以上

 

↓予習資料として観ておかにゃぁいけんのんじゃろうけどハァ、たぶんボロボロに泣いてしまうんじゃろぉのぅ…(TT)

 

 

去る6月9日日曜日、広島県福山市にて「広島蘖の会」を開催しました。

ずいぶん遅くなっちゃいましたが、当日のご報告をいたします~。

 

 広島蘖の会とは?

 

広島県を舞台に、いわゆる「宗教二世」をはじめ「親や親族が信じる宗教や組織により自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」を対象にした、少人数の自助的な集いです。

特に、下記の2点を最も大切にしています。

 

①瀬戸内海の美しい景色や美味しい味覚を楽しみながら、参加者同士が少人数でゆっくりコミュニケーションを取れること。

 

②東京圏にて数多く開催される「オフ会」への参加が困難な、中四国および九州沖縄エリアの方々が可能な限り参加しやすいこと。

 

今回は、提携をさせていただいている「(一社)陽だまり」さまを通して、地元広島県在住の、旧・統一教会二世である女性の方が1名ご参加下さり、現地スタッフ2名と合わせて計4名の旅路となりました。

 

 対潮楼福禅寺

待ち合わせのJR福山駅からバスで30分。

今回の目的地である「鞆の浦」へ到着です。

 

この日はあいにくの雨。

傘をさしてバス停から徒歩数分の場所にある「対潮楼福禅寺」へ向かいます。

 

本堂の脇にある広間に入ると目の前に広がるこの景色。

古くは朝鮮通信使に「日東第一形勝」と称えられるほどの絶景は、雨に煙っていても、たいへん惹きつけられるものがありました。

 

なんと、下見時にお世話になった「鞆の浦しおまちガイド」の北村女史と偶然にも再会しましてね。

「観光ガイド」を志す一人として、彼女の見事な語り口はほんとうに学ぶところが多く、「早く来ないと鯛めしなくなるよ!!」との、現地スタッフからのメッセージが来なかったら、ずっと聞き入っていたことでしょう(^^;

 

 鯛づくしのランチ

 

「現地スタッフ」のお二人が先に席と料理を押さえてくださっていた「鯛亭」さまにて、「鯛めし」のランチをいただきます。

 

 

お刺身や荒煮。

…そして何より、鯛のだしで炊いたご飯!

 

鞆の浦名産の鯛をふんだんに使用したお料理は、噂に違わず大変に美味しく、参加者の方はじめ、みんな舌鼓を打ったのでありました。
 


 

 「グリスロ潮待ちタクシー」で、鞆港めぐり

 

お腹も満ちたところで、「現地スタッフ」が準備くださった観光コースへ。

 

小型電気自動車「グリーンスローモビリティ」を利用した、全国初の観光タクシー「グリスロ潮待ちタクシー」に乗車します。

 

普通車並みに(運転士含め)5名が乗車できるにも関わらず、そのコンパクトな車体で狭い路地もどんどん入ってゆくことができます。

 

運転手さんのガイドも楽しいです。

 
「仁丹」創業者であり、「日本の広告王」、「大阪三ケチ」等数々の異名をほしいままにした森下博氏も、実はここ鞆の浦の出身。
 
鞆の浦のシンボル、常夜灯。
 
「はい、ポーズ!」ならぬ、「はい、ボーズ!」と帽子を取りながら(当然、頭に髪はないw)シャッターを切った運転手さんに一同、笑顔になりました。
 

 ちくわとふりかけ作り体験

 

鞆港の外れにある水産加工会社「阿藻珍味鯛匠の郷」さまで送っていただき、タクシーを降ります。

ここでは、オリジナルのちくわやふりかけ等、鞆の浦名産の珍味造りを短時間で体験できます。

 

↓ちくわ作りの写真撮るの忘れたので、公式動画


 

20分ほどで、焼き立てホカホカのちくわが届きます。

…なお、ちくわの方は京都に戻ってから酒のアテに美味しくいただきました♪

 

ちくわが焼きあがる間に、オリジナル「ふりかけ調合体験」にもチャレンジしました。

「ワサビ」、「梅」、「かつお」、「たまご」、「さけ」、「ごま」等々のフレーバーを自由に組み合わせて、オリジナルふりかけを作ります。

 

 

シェイクして…って、なんか手つきが別物な気がするけどw

 

専用の容器に詰めて、オリジナルラベル貼って出来上がり!

 

…ちなみに、お味は

予想通り、尖った味
酸っぱいし、山葵辛いし
これこそ、万人受け狙いの市販品では出せない味です✨
お茶漬けにしたら美味しそう

(現地スタッフ・Oさん)

 

なんや、パンチの無いぼんやりした味やんけ…と思っていたら、後からわさびが効いてきて口の中がピリピリする…。
ちょっと、変にクセになるかもw

(みなせ)

 「保命酒」酒蔵見学

 

「鯛匠の郷」を出る頃には雨も止んで、町歩きを兼ねて徒歩で鞆港へ戻ります。

 

鞆の浦のもう一つの名産が、みりんに16種類の生薬を漬け込んだ「保命酒」。

これも告知記事で触れましたが、江戸時代より将軍家や貴族、上級武士に愛飲されただけでなく、幕末には黒船で来航したペリーやハリスへのもてなしにも饗され、「日本にもリキュールがあるのか!」と感動させたといういわくつきの名産品。

 

いくつかある酒蔵のなかから「岡本亀太郎本店」さまを見学させていただきました。

 

店頭に飾られた大変立派な看板は、これだけで鞆の浦の観光名所の一つになっています。

 

丁寧に、わかりやすく説明をしてくださった当主さん。

 

保命酒の元となる、醸造されたばかりの「みりん」は、トロッと甘い味わい。

 

絞った酒かすは、冷やしておやつ代わりになっていたそうです。

 

 

このみりんに、16種類の生薬を漬け込みます。

最近では、より飲みやすく、親しみやすいよう、梅、アンズ、しょうがのフレーバーを加えたものや、保命酒フレーバーのアイスクリームもあります。

 

 町家カフェでティータイム

 

町家と石畳の美しい鞆の港町をそぞろ歩いて辿り着いたのが、古民家カフェ「胡屋」さま。

 

 

味わい深い店内と調度品に目を奪われつつ、バスの発車時刻まで、美味しいコーヒーと手作りケーキをいただきながらゆっくりとおしゃべりを楽しみました。

 

鞆の浦の美しい景色と美味しい味覚。

そして地元のガイドや体験学習等、内容のとても濃かった「第4回広島蘖の会」の一日はこうして幕を閉じたのでありました。

 

 参加者の方のご感想

 

とっても素敵な時間をありがとうございました。
同郷出身の方とばったり出会えて、とても嬉しかったです。

(注:偶然にも現地スタッフのNさんと同郷であることが判明した)

 

みなせさんのグループ(蘖の会)は、少人数でとても居心地が良いです。
今度は家族でゆっくりと鞆の浦をめぐってみたいです。

(女性・旧統一教会二世)

 

今回も、ありがとう!

福山駅前で参加者の方をお見送りした後、駅ビル内のお食事処で打ち上げです!


三国志で言えば、「臥龍鳳雛」を参謀にいただいた劉備玄徳のように、きわめて有能、かつマインド溢れる「現地スタッフ」であるOさんとNさんの知恵と力を借りて「第4回広島蘖の会」を成功させることが出来ました。

 

おつかれさま、そしてこころからありがとう!!

 

「現地案内人」として、観光タクシーにちくわ作り体験、酒蔵見学といった内容の濃い旅路を組み立てて、ナビゲートくださった(おかげで、みなせは参加者の方とのかかわりに集中することが出来ました)スタッフのOさんは、広島までの道中の腹ごしらえ?も兼ねて、ゴーカイに3段重ねハンバーグをペロリ。

…そう、ガイドは想像以上に腹が減るのですよ(笑)

 

 

…なお、ここのお店は食べきれなかった分をテイクアウトできるサービスがありましてね。

ただでさえ食い意地の張ったみなせさん、残り物をしっかり宿の部屋に持って帰っただけでなく、駅前のスーパーでしこたま半額総菜と酒買い込んで「ひとり打ち上げ二次会」やったのはゆーまでもない(笑)

 

…もちろん、無駄なくせーんぶ食べましたゲフッw

 

 「その人自身」を大切に「つながりを紡ぐ」

 

「宗教二世」をめぐる社会の注目もかなりの程度落ち着き、「宗教二世」という言葉自体も耳慣れたものになってきたように感じます。


その発端があまりにも衝撃的(安倍元首相銃撃)だった分、「宗教二世」をめぐる社会の注目度、また「当事者たち」の反応は、そのひとりとしても異常なほどの熱気と興奮だったように感じます。

(みなせ自身も、「乗るしかない!このビッグウェーブに!!」などとはしゃいでいたひとりだったりする^^;)


多くのマスコミの前で華やかに発足した「支援団体」とその活動も、目立たない、地道なものへと収束しつつあり、「淘汰」の流れさえ生まれています。

 

この2年間、「蘖の会」と世話人であるみなせも、その周囲をめぐる人々に良くも悪くも影響を受けて…いえ、かなり振り回されてきました(苦笑)。

 

とはいえ、今後(あの銃撃事件を上回るような)よほどの出来事でも起こらない限り、過去2年間のような「熱狂」はもうやってこないことでしょう。

 

しかし、「当事者」本人の必要、支援活動はまだまだこれから…というよりはスタートしたばかり。

さらに言えば、一時の熱狂が過ぎたこれからが現実であり、本番なのだと思っています。

 

ひと口に「支援」と言っても、「宗教二世」各自の必要はさまざまです。

どれだけ優秀な人であっても、ひとりですべての支援を提供することはできません。

 

「宗教二世」当事者はじめ「一世」の人、さらにはマインドのある人々が自身の経験やスキル、学識、知識をモザイクのように組み合わせ、すりあわせてゆかなければなりません。

 

(その過程でも摩擦や衝突が数多く起こるのが現実。現にみなせはすでにガチギレしてケツまくってしまったため、ほぼ「蚊帳の外」状態←だめじゃんw)

 

数ある「宗教二世支援団体」のひとつに身を置いていても、その地道さ、泥臭さには日々まさに圧倒されるように感じています。

 

「蘖の会」は、そうした「支援」の一角、いわゆる「自助支援活動(オフ会)の一端」…と言うのも憚られるほどに、大変ちっぽけな、弱小な存在に過ぎませんし、「世話人」であるみなせ自身「無学な普通の人」…いえ、無学な上に相当なヘンタイである(ぇ

 

…冗談はさておき、

 

必要としている人が、可能な限りいつでも利用できる「交流のインフラ」であること。

それほど待たされることなく、気軽に参加できること。

最大限に安心して、自身のことを話し、聴き、言葉を交わせること。

なにより、そうした場を長く提供し続けられること。

 

…そのためには、(大規模オフ会によく見られるような)大掛かりな準備や派手なサプライズなど決して必要ない。

参加者の安心を最優先にした、そして主催者側が楽しんで、無理なく継続できるよう、最大限にシンプルな運営が最も大切。

 

そう信じています。

 

 「地方開催」の(つまらん)矜持

 

カープファンがジャイアンツに対して異常に敵愾心を抱くように、こと広島人は中央(東京)への反骨心が異様に旺盛だったりします。

そこへ、「日本の首都は今も京都どす!天皇さん早よ帰って来てや~」などとゆー京都人文化にも漬かってしまっていますのでね。

「蘖の会」が人の集まりやすい東京圏ではなく、広島と京都で開催しているのには、そんな理由があるとかないとか(笑)

 

そんな自身のポリシーに反した活動に巻き込もうとする個人や団体、また東京で開催される「二世の集まり」がすべてであるかのように紹介しているマスコミや学識者には、(無謀にも)それこそジャイアンツ以上に激しい敵愾心を抱いているのは事実であるw

 

「わりゃ『オフ会』は東京だけがすべてじゃないんじゃいやク〇ボケが!!」ww


…どこまで冗談でどこまで本気かわからないくだりはさておき、東京圏へ足を運ぶにはあまりに負担が大きすぎる「地元の人々」を向いていたいのは事実。

 

…そんなわけで「蘖の会」は、広島、京都とも「人が集まらない」要素だらけだったりしまして、「広島現地スタッフ」には苦労かけっぱなしの甲斐性無し…orz

 

でもねでもねっ!

 

参加人数が少ないだけに、人が集まりにくいだけに、

 

「広島(京都)蘖の会」をちょっとでもいいと思って、勇気を出してお申込みしてくださる「ひとり」の存在、そして「つながり」の大切さ、ありがたみがことさらに身に沁みるというものです。


今回ご参加くださったのは「旧統一教会二世」の方でしたが、当日は出身宗派はあまり問題になることはなく、「その人自身」とのかかわりに終始しました。

…そう、その「ひとり」と「その人自身」を大切に。
結局、そこへ帰結するのだと思います。

 

今後も、広島と京都にて「蘖の会」は、「出身宗派」や「一世、二世(三世)」にとらわれず、「その人自身」を支援して参ります!
「蘖の会」、および「世話人みなせ」、「広島現地スタッフ」とご縁をいただく「ひとり」との「つながり」は人生の宝ものなのです。

 

今回ご参加下さった方、

なによりも、まるで甲斐性無しなみなせをいつも支えてくれる「広島現地スタッフ」の大切な仲間たち。

こころより、ありがとうございました。


 

※次回「第5回広島蘖の会」は、10月27日(日曜日)に開催予定。

開催場所等の詳細は、9月1日(日曜日)付けの拙ブログにてお知らせいたします。

 

「ばらの街」福山市限定販売の「薔薇とピーチ」もみじ饅頭は激しくおススメ!

着付け教室へ持っていったら、姉さま方に大変好評いただきました♪

 

↓(Pickにはなかったため、やむなくにしき堂「生もみじ」を)

 

 

 

 

 

 

早いもので、7月も終わりですねー。

世間では「パリオリンピック」がたけなわのようでありまして、何よりであります。

 

オリンピックに限らず、「がんばれニッポン!」的な盛り上がりが個人的にあまり好きでないこともありまして、普段通り淡々と過ごし…たいのですが、毎日時計代わりに聴いているラジオ番組がオリンピックで押されてしまうのに少々イラっとしているこの頃です。

(盛り上がっている読者のみなさま、ごめんなさいです^^;)

 

それはさておき、先の記事では3か月ぶりの更新だったにもかかわらず、たくさんの好意的なリアクションや暖かなお気遣いの言葉、(いるのかどうか知らんがw)アンチのみなさまには生暖かいスルー(笑)もいただきまして、こころより感謝申し上げます。

…実はあれから、ちょっとばかり「荒療治」をしましてですね。
その甲斐あって、暑さに身体が順応したばかりか、すっかり体力回復して「夏バテ解消」と相成った次第です。

いったい何の「荒療治」をやったのかが気になるところですが、それを語りだすと今回の記事の主旨が変わってしまいますので、また別の機会に綴るとします。

 

…まぁ、別にヤバいクスリ使っただのアヤシイ儀式行なっただのヘンテコな洗脳を受けただの、香ばしいことは何一つしておりませんのでご安心くださいとだけ今は(笑)

そんなわけで、お待たせいたしました。

元気を取り戻したところで、「初秋の京都蘖の会」のお知らせでございます~。

~京都蘖(ひこばえ)の会とは?~

京都(時々滋賀)を舞台に、いわゆる「宗教二世」をはじめ、「親や親族が信じる宗教や組織により、自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」のための少人数の集いです。

千年のみやこ京都、並びに湖国滋賀ならではの美しい景色や、美味しいお料理を楽しみつつ、なにより参加者同士が少人数で、ゆっくりと深いコミュニケーションを取れることをいちばん大切にしています。



コンセプト等、詳細はこちらの記事参照。

前回(初夏)開催時はこんな感じです…って、すぐ前の記事だなや(^^;

 

~お申し込み状況~(9月1日22時半現在)

1回目:8月31日(土曜日)

※台風のため中止

 

2回目:9月8日(日曜日)

※本日24時締め切りです!

3/3名(満員御礼)


~実施要項~
開催日:
1回目:2024年(令和6年)8月31日(土曜日)
2回目:2024年(令和6年)9月8日(日曜日)
※いずれの日も雨天決行

募集人数:
3名/回(「世話人」みなせを含め、一卓を囲める人数)
※最小実施人数:1名

集合場所:
京阪祇園四条駅改札へ11時半(1回目、2回目共通)

 

※今回の集合場所は、「京阪祇園四条駅改札」とさせていただきました。

改札は一か所しかなく、また地上に出れば四条大橋があります。

また、橋を(鴨川を)挟んで、「阪急京都河原町駅」とも隣接していますのでわかりやすいかと思いますが、万が一たどり着けるかどうか不安な方は、遠慮なくみなせまでお申し出くださいませ。個別に対応をさせていただきます。

~重要な変更点~
今年より、「初秋の京都蘖の会」は、ランチタイムのみの「ぷちひこ方式」にて開催します

理由:昨今の猛暑の度合いが、危険なレベルに高まったため。

 

古来より「油照り」と呼ばれるほどに、京都の夏はとにかく暑く、猛暑のニュースに「京都市」の名は常連なのはみなさまもよくご存じと思います。

 

今年の大河ドラマの主人公である紫式部も、「源氏物語」の登場人物に京都の暑さを語らせているほどです。

https://x.co

 

↓首が高速回転するほどに納得。

 

…"X"(旧Twitter)にてフォローさせていただいている「みえっぱりな京都人bot」さま、日々勉強させていただいております

 

それはさておき、暑い季節に開催する「初秋の京都蘖の会」は、「お昼過ぎ集合、冷たいスイーツをいただいた後に一か所観光。夕涼みしながらディナーをいただく」という形で運営していました。
…しかし、年を追うごとに暑さは厳しくなり、特にここ数年は外出すること自体危険なレベルになっています。

 

(2021年「初秋の京都蘖の会」にて。この時も西日がかなりキツかった)

 

実際、昨年の「初秋」は両会とも「参加者ゼロ」でした。

 

当時、クソッタレな連中のせいで色々としんどいトラブルに見舞われていた中とはいえ、この時ばかりは「猛暑」が主要な原因だったことは否めません。

また、個人的には絶対に認めたくないのですが、世話人であるみなせ自身も年齢と共に、特に夏場における体力は低下しつつあります。

 

…そのような現状を鑑み、今年より「初秋の京都蘖の会」は、「ぷちひこ(=ぷち蘖の会)」形式で開催することに変更させていただきます。

 

「『参加者同士が安心して、十二分にコミュニケーションを取れる』ことをいちばん大切にする」コンセプトはそのままに、「どこでも、だれでも、最小限の負担と労力で開催できる」ことを目指し、当初は「広島蘖の会」を補完する目的で計画した「ぷちひこ」の形に従い、当日は以下の流れで開催いたします。。

 

①メインタイム(11:30~13:30)
待ち合わせの後ランチ。
いったんお開きの後、希望に応じてオプションタイムへ

②オプションタイム(13:30~15:30)
参加者の希望に応じて開催
カフェ等、お店を変えて引き続きおしゃべり
もしくは、博物館、美術館等屋内施設の見学
二次会は無し
(明日に備えてゆっくりしようw)。

 

以上のように、最短で2時間の短時間開催ですので、特に「オフ会初めて」の方が「お試し」感覚で参加なさるのにはもってこいだと思います。

 

ランチのお店も、「京都観光ガイド」として日々精進中のみなせが厳選したお店です。

今回は、四条大橋に面した老舗洋食店「レストラン菊水」さまを予定しております。

 

2019年の「初秋の京都蘖の会」では、屋上ビアガーデンを利用させていただき、

また昨年は、お世話になっている着付け教室のお出かけイベントで、先生方姉さま方とランチタイムを楽しみました。

 

 

大正5年の創業以来、100年以上に渉り京都人の、加えてとりわけ舌の肥えた花街祇園のお客様をうならせてきた味を、リーズナブルに楽しんでいただけます、

 

そんなわけで、万が一実物のみなせに失望しても、「美味しいランチ食べれたからいいか」と最低限納得できる仕組みになっています(笑)
…ようしらんけどw

 

~会費について~
現地での実費のみ(飲食代、交通費、入場料等)

※大体の目安
ランチ代:¥3,000前後

~お申し込み方法~
8月3日(土曜日)午前10時より受付開始(1回目、2回目共通)

 

アメブロ、twitter等SNS上のメッセージ、もしくはLINE、みなせ宛の個人メールにてお申し込みください。

※お申し込みの際には、下記の3点を必ず含めてくださいませ。

1.参加ご希望の日(8月31日 or 9月8日)

2.京阪祇園四条駅までご利用の交通機関(例:JR、新幹線、地下鉄、私鉄等)
3.みなせと「はじめまして」の方は、お申込みの際に簡単な自己紹介(お住まいの地域、年代、所属教団歴等)もいただければ幸いです。(オフ会、もしくはオンライン等ですでにみなせと面識のある方については必要ありません。)




※みなせのもとに届きさえすれば、どのアプリを使っていただいてもOKです)


※「京都蘖の会」は、お住まいの地域にかかわらず、全国の方がお申込み可能です。

※提携させていただいている(一社)「陽だまり」さまにご相談くださっているみなさまは、公式LINEアカウントより担当相談員を通したお申込みが可能です。

 


~締め切りについて~
定員に達する、あるいは開催当日の1週間前

1回目:8月24日(土曜日)
2回目:9月1日(日曜日)


※いずれも24時最終締め切り

 

以上

 

「オフ会」と呼ばれる集まりは色々あるけど、そこでいちばん大切なことは何だろう?と。

いわゆる「宗教二世」はじめ、サポートを必要としている人たちのニーズにちゃんと応え、満たせるためには何が必要だろう…?

 

社会の激流の中で無学ななりに、それなりに。

みなせは日々思案を巡らせております。

 

今回、7年目にして「初秋の京都蘖の会」については大きく舵を切りました。

参加下さるひとりひとりの「安心」と「満足」の為には、この先も「大きく舵を切る」ことは一切ためらわないつもりです。

 

●(オフ会が数多く行われる)東京圏以外の方々にとって、可能な限り参加しやすい場を作ること。
●「(一世二世等の)カテゴリ」に関わりなく、参加してくださった「その人自身」を大切に、丁寧にかかわること。

 

…この2点を大切に、引き続き「京都蘖の会」を開催して参りますので、どうぞ参加してやってくださいませ。

 

こころをこめて…

「京都蘖の会」世話人

みなせくみこ

 

~その他注意事項~

 

●「やむを得ず中止」の判断について
下記の「止むを得ない状況」になりました折には、大変申し訳ありませんが開催を中止いたします。

開催前日(1回目:8月30日金曜日、2回目:9月7日土曜日)20時の時点で、京都市内に何らかの気象警報が発令され、翌朝までに解除の見通しが立たないと判断される場合。

上記に(判断に迷う状況を含め)お申込みいただいた方々へ速やかに、個別に連絡させていただきます。

●お住まいの地域と交通機関の都合上、待ち合わせ時間や場所の変更ご希望の方はその旨お申し出くださいませ。
可能な限り対応させていただきます。

●小さなお子さま同伴での参加をご希望の方は、個人的にその旨ご相談くださいませ。
最大限対応させていただきます。
(文化財保護の観点より、施設によっては拝観に年齢制限を設けている場合があります。)

●「京都蘖の会」は、「完全事前お申し込み制」です。

世話人であるみなせが特定の個人に参加を依頼したり、特別に招待したりすることはありません。
必ず、記載されている時期と手順にてお申込みいただくようお願いいたします。

●お店の予約の都合上、および正規の手続きにてお申込みくださった方々を「守る」観点より、「アポなしの当日飛び入り」等、正規のお申し込み手続きを経ない方の参加は固くお断りします。

●やり取りの際に使用させていただいた個人情報は、当会に関する連絡のみに使用させていただき、(ご本人の希望がない限り)当会終了後に削除いたします。

● 「京都蘖の会」は、参加者同士がゆっくり交流し、深いコミュニケーションを取るための場です。
よって、「京都蘖の会」の場を利用した、ご自身のビジネスの宣伝や営業、勧誘、商品の販売、集客目的のSNS投稿を厳に禁止し、事前の許可無く行なった方は、以後のご参加をすべてお断りいたします。

 

(例外として、事前にご申告の上、別に定める「宣伝広告料」をお支払いいただくことで特別に許可します。ご希望の方は、みなせまで直接お問い合わせくださいませ。)
 

以上

 

去る5月18日(土曜日)、および6月2日(日曜日)の2日間、「初夏の京都蘖の会」を開催いたしました。

「京都蘖(ひこばえ)の会」とは?
京都(時々滋賀)を舞台に、いわゆる「宗教二世」をはじめ、「親や親族が信じる宗教や組織により自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」を対象にした、少人数の自助的な集いです。
(上記に当てはまれば、いわゆる「一世・二世・三世」、「元・現役」等々のカテゴリ、さらには所属していた宗派、教団問わず大歓迎です!)

京都(時々滋賀)ならではの、ちょっと贅沢なランチとプチガイドツアー。
何よりも、参加者同士がゆっくり深いコミュニケーションを取れることをいちばん大切にしています。

※コンセプト等、詳細はこちらの記事参照。
※昨年に開催した「初夏の京都蘖の会」は、こちらの記事参照

 

昨年の今頃には、もう思い出すのも嫌になるほど色々な出来事に遭い、存続の危機に瀕していた「京都蘖の会」ですが、今年はなんとも大変ありがたいことに、1回目は3名の満員御礼、2回目は2名と盛況をいただきました。

…つか、今日は何月何日よ?…オイコラ(鬼の形相)→自分w

 

前の記事から3か月以上、加えて「蘖の会」当日からも2か月ものブログ放置…。

 

当日ご参加下さったみなさまはじめ、ブログ更新を首を長くして楽しみにしてくださっているありがたい方々には長らくお待たせしてしまい、大変申し訳ありませんでした。

自分で自分を小一時間問い詰めて、自分自身で土下座して反省しているこの頃でございます…。

(「どげせん」より)

 

元来遅筆の性質に加えて、6月中は外出の用事が続き、7月には早々と夏バテで伸びて…と、腰を据えてブログを書くことができずにおりました。

…そんなみなせを怠慢だと責め立てたところで、それは「死体蹴り」にも等しい所業というものです。

 

そもそも、いわゆる「宗教二世界隈」では、「幽霊」にも等しいくらいに影の薄い身です。

 

…加えて、もうそんなに先も長くない身ですのでね。

せめて表向きだけでも優しくスルーして、安らかに彼岸へと旅立たせてやってくださいましな(^^;

 

…三途の川も「ブラックフライデー」にはセールの模様w

 

どこまで冗談で、どこまで本気か分からないくだりはさておきましても、

なにはともあれ、お待たせした分、怨念…いえいえ、こころをこめて綴らせていただきますので、よろしくお付き合いのほどお願いいたします(^^;

 

意外に便利な山科駅

 

コロナ5類移行から1年が経過し、外国人観光客も戻った…とゆーより、アホほど押し寄せてきて色々と困ったことになっている京都。

そんな事情も鑑み、今回は両回とも、待ち合わせ場所を、京都駅よりひとつ東隣の山科駅にしました。

 

 

大ターミナルである京都駅に比べ、山科駅は出入り口がひとつしかないシンプルな構造。

かつ、駅前広場もそれほど広くない。

…よって、大変にわかりやすい。

 

加えて、JRと京阪電車、京都市営地下鉄の三線が合流し、大津方面だけでなく、今回のコースである蹴上には地下鉄でわずか2駅7分。京都市中心部の烏丸御池を経由するよりも便利…と、かなり使い勝手の良い駅だったりします。

 

ランチ

 

毎回ちょっとゼータクなランチから始まる「京都蘖の会」。

今回は予約の都合上、1回目と2回目でお店とメニューが変わりました。

 

1回目:5月18日

山科駅前「ホテル山楽」さまにて、ハーフブッフェのランチ。

 

滋賀県知事にもお墨付きいただいているほど、全国的にも有名な高級和牛「近江牛」をメインディッシュに、ピザやサラダの各種オードブルに「近江牛カレー」、ソフトドリンクを好きなだけ楽しめるという、食いしん坊にはたまらないメニューに、参加者の方全員とても喜んでくださいました。

 

 

2回目:6月2日

南禅寺門前「八千代」さまにて、お庭を眺めながら湯豆腐定食。

 

修行僧の方々が日々精進料理を食される関係上、京都に限らず、歴史のある大寺院のそばには常にお豆腐屋さんが店を構えているものです。

 

寺院の「寺格」ランキングとも言うべき「京都五山」で「別格」に据えられる名刹中の名作である南禅寺もしかり。

 

京都ならではの極上の地下水がその美味しさを増し加えさせ、「南禅寺と言えばお豆腐」と呼ばれるほどに名店が建ち並んでおります。

 

その中の一軒である料理旅館「八千代」さまにて湯豆腐御膳をいただきました。

 

 

お庭の美しいお座敷で、特製のたれでいただく湯豆腐。

加えて、季節野菜の天ぷらや湯葉等、どれをとっても極上かつ絶品。

 

この日にご参加下さったおふたりは全くの初参加で、ちょっと緊張気味でしたが、「八千代」さまの美味しいお料理でぐっとリラックスしていただけました。


南禅寺水路閣

 

お腹が満ちたら、「世話人」みなせが厳選した観光コースへご案内です。

まずは南禅寺の境内を横切る、赤レンガ造りの「水路閣」。

 

 

詳細は後述しますが、1890(明治23)年、滋賀県大津市の琵琶湖から、山科盆地を経て京都市内へ至る琵琶湖疏水の完成の2年前に、京都市北部地域の灌漑用水として利用するための「疏水分線」の一部として建築されました。

 

(ちなみに「哲学の道」を流れる水の流れは、この「疏水分線」になり、京都市において唯一、南から北へ流れて行く水の流れでもあるのです。)

 

建設当時は、歴史ある名刹の境内を横切って水路を建設するのはけしからん!…と、反対もかなり強かったそうですが、古代ローマ帝国の水道橋を模した赤煉瓦の建築は、やがて京都市民の関心も引くようになり、南禅寺三門に上って工事見物する人でにぎわったのだそうです。

かくして、京都を舞台にしたドラマでも定番の風景である「水路閣」が生まれたのでした。

 

もっとも、JW二世的には、「ヨハネへの啓示(黙示録)」にて「吐き出すほどに生ぬるい」とこき下ろされた「ラオデキアの水」を思い出してしまいましてね。

 

当時もきっと同様の形の水路によって遠くより運ばれてきたわけで、すっかり「生ぬるく」なってしまったのも無理はなかったのかもしれませんね(^^;

 

日本初の水力発電所とイン・クライン(傾斜鉄道)

 

…実は「水路閣」の上を流れる疏水は、直に観ることができます。

そればかりか、(水路閣とは反対側になりますが)しばらく疏水伝いにに歩いてゆくことができます。

 

この辺りになると観光客はぐっと…どころかほとんどいなくなり、「知る人ぞ知る穴場」的な雰囲気になってきます。

疏水の水音と日差しに輝く新緑は、まさにマイナスイオンもいっぱい!

 

しばらく歩いてゆくと、ぶっとい鉄の管越しに京都市街の絶景を望むことができます。

 

実はこの鉄管の先は、日本で初めて開設された水力発電所へつながっているのです。

 

琵琶湖疏水の使用目的の一つとして「動力源」もありましたが、当初は水車利用を意図していました、


しかし、当時世界最先端だった米国の水力発電所へ視察に行き、水車の代わりに何百何千倍もの動力が得られる水力発電所を建築。

その動力により、日本初の路面電車や織物の自動化等々、京都の産業は飛躍的に向上したのでした。

 

 

また開業当初、疎水には舟も行き来し、琵琶湖を経て北陸方面への物流も担っていました。

 

疎水の終点である「蹴上船溜」は標高の高い位置にあり、京都の街中に物資を届けるためには、舟を高低差36m下の「南禅寺船溜」まで運ぶことがどうしても必要でした。

 

水の流れに従って下ることはできても、その逆は困難です。

そこで考えられたのが、レールの上を走る鉄の台車に直接舟を載せ、ケーブルカーのように電力で上り下りする、全長582mにおよぶ「インクライン」でした。

 

物流が自動車に代わった現代ではインクラインは廃止されましたが、その遺構は桜咲き乱れる散策路として親しまれており、またバーチャルで船の上り下りの様子を見ることもできます。

(疎水記念館の模型)

 

インクラインの下をくぐる「ねじりまんぽ(蹴上トンネル)」

 

上を走行していたインクラインの台車の重みに耐えられるよう、ねじった形にレンガを積み上げてありまして、こうした細かな点まで、当時の技術力の高さを肌で感じることができます。

 

新緑輝く南禅寺。
水路閣をバックに写真を撮ったり、境内を散策したり、お参りをしたり、腰掛けてゆっくり会話をしたり…。
両会とも時間の許す限り、思い思いに過ごしていただきました。

 

無鄰菴

 

このように京都の町を様々に潤した疎水は、その水の流れを利用して、美しい景観をも作りました。

その景観を楽しめる、南禅寺から徒歩約10分のところにある無鄰菴(むりんあん)へ向かいます。

 

 

「隣に何もない」を意味する無鄰菴は、明治の元勲のひとりであり、第3代第9代の内閣総理大臣(ちなみに、現在の岸田首相はちょうど100代目)を務めた山県有朋の、京都における別荘として建築されました。

 

ちなみに「無鄰菴」と呼ばれる建築物はここを含めて全国に3か所あります。

もう一つは、山県の故郷である下関市に。

もう一つは、京都市高瀬川沿いにあり、現在では日本料理「がんこ高瀬川二条苑」として、お食事を楽しむことができます。


山県の死後に京都市へ譲渡され、京都市から委託を受けた造園会社が現在管理運営を行っています。

 

「景観保全と観光の両立」を軸として、代々伝わる造園技術を駆使すると共に、時間を区切った、事前予約、定員制での入場、庭園内での人物撮影は有料の事前許可制(けっこう高額、かつ常時スタッフが立ち合う)等、かなり厳しく管理されているおかげで、いつ、だれが訪れても気持ちよく、また静かに楽しむことができます。

 

入場後、職員の方による無料のガイドは、歴史だけでなくお庭の見どころも丁寧に教えていただけて、必聴です!


生まれ故郷である長州の里山をモデルにしたかった山県は、当代の名庭師であった小川治兵衛(7代目)に山県自らリクエストを出し、高低差をそのまま生かして疎水の水で自然の流れを作り、庭園内の立ち位置によって景色が変化する…という、名庭園が出来上がったのでした。

 

2回目はあいにくのにわか雨となりましたが、雨に煙る景色もまた風流でありました。

1回目、2回目とも、散策するもよし、座敷でのんびり過ごすのも良し…と、「自由時間」として思い思いに過ごしていただきました。

 

疏水記念館

 

無鄰菴を出たのち、時間に余裕がありましたので、すぐ近くにある「琵琶湖疏水記念館」へ立ち寄りました。

 

京都市上下水道局管理の施設ということもあり、無料で疏水の歴史、また測量や工事に使用された機器など、様々な角度から琵琶湖疏水について学ぶことができます。

 

↑手に持っているのは、館内の自販機で販売されている「疏水物語」(要は水道水w)

とはいえ、30℃超えの猛暑でしたのでね。

 

キンキンに冷えている…というだけでも、これまでになかったほどに美味しい水でありました!

 

当時、井戸水頼みだった京のみやこへ、お隣滋賀県の琵琶湖から水を引くことができたらどんなに良いだろう…。

実は、平清盛や豊臣秀吉など、古来の権力者も夢見ていました。

 

しかし、「逢坂の関」に代表される険しい山を貫く水路など、当時の土木技術では到底実現することはできず、「夢のまた夢」でしかありませんでした。

 

明治初期、「東京奠都」(=天皇さんが東京へちょっとお出かけしはった、はよ帰ってきてくれなはれや)が起こり、それに伴って、天皇側近、および関係する貴族や上流階級の家々、かつ御所御用達の商店(和菓子の「虎屋」も、この時に本店を東京へ移している)や職人たちも天皇の後を追うように東京へと引っ越し、京都御所周辺は空き家に空き店舗だらけ、「狐狸の棲み処」と呼ばれるほどに没落したのでありました。

 

急速に衰退し、活気が失われつつあった京都市再生の「切り札」として計画されたのが琵琶湖疏水。

 

歴史を通じて「夢のまた夢」とされていた「琵琶湖の水」を京都へ引き込み、最先端の産業都市として再生させるための一大プロジェクトをぶち上げたのです。


当時の京都府の年間予算の2倍、京都市の予算で言えば10数年分という莫大な予算を費やし。

当時当たり前であった、外国人技師の指導を一切受けずに、測量や設計、実際の施工まですべて日本人のみで行い。

「立坑方式」といった、日本ではいまだ行われていなかった新たな工法を駆使する…。

 

 

その大事業のすべてを統括する責任者に抜擢されたのが、工部大学校(現在の東大工学部)を卒業したばかり、弱冠21歳の若者だった田辺朔朗

 

 

千年のみやこ京都を再生をかけた「希望の水路」を、それまでの常識にとらわれず、若き才能を見抜いて大抜擢してすべてを任せる…。

 

京都人は伝統を大切にする反面、「新しもの好き」な一面もあり、例えば東海道の終点である三条通りには数多くのモダンな洋館建築が早くから建ち並んだり、パンや牛肉などの洋食文化にも早くから親しんでおりました。

 

こうしたところにも、京都人の「進取の気性」を感じ取ることができます。
かくして明治23年に竣工した「第一疏水」の竣工式には明治天皇も列席され、いかにこの琵琶湖疏水が京都のみならず、国家的な一大プロジェクトだったのかがわかります。

 

後年に開通した「第二疏水」により、新たな発電所の建設等さらなる利用が進み、例えば「日本最初の市内電車」や、「ジャガード織機」に代表されるような工場の解説による産業の活発化により、明治から大正時代にかけての京都市は、日本最先端の産業都市として見事に復活を遂げたのでした。

 

…だからこそ、「琵琶湖の水止めたろか」(by滋賀県人)の殺し文句も、力を帯びてくるものなのですねー(笑)

 

↓詳しくお知りになりたい方はこちらの動画をどうぞ。

色々観た中で、いちばんよくまとまっていて、大変わかりやすいです♪

 

こうして、「琵琶湖疏水」で結んだ「初夏の京都蘖の会」の一日が終了したのでした。

 

参加者の方々の声(抜粋)

 

工業系出身というのもあって産業の歴史は大好きですので、疏水記念館に行けたのもありがたかったです。

今回ご一緒させていただいた方も話しやすい方で、宗教二世の集まりというのを忘れそうなぐらい楽しかったです

(男性:神道系新宗教2世)

今回は別の宗教の方の話を聞けたのが、何よりもいい経験になりました。

外から見て、JWがどう見えてるのか…。

(他宗の方なりに)JWの事を色々理解しようとして下さっていたのがとても嬉しかったです。(女性:JW2世)

元JWの方々と初めてお話しましたが、思ったよりたくさんのお話を聴けましたし、自分自身も話すことができ、自分でも驚きました(女性:JW2世)

 

「しばしの止まり木」のひとつとして

 

安倍元総理の銃撃事件をきっかけに、いわゆる「宗教二世問題」が社会の注目を集めて以来、当事者のみならず、「支援」を謳う多くの個人や団体がせわしなく動き回り、「宗教二世」当事者たちも様々に翻弄される…という状況下、「京都蘖の会」も7年目を迎えました。

 

それまで「ただ一つの正しい答え」、「ただ一つの正しい教え」に縛られていた「宗教二世」当事者たちが、それまでの生育環境や人間関係、思考、行動パターンをどう捉え直し、どのように自身の人生を作り直してゆくのか…

また、周囲の人間は彼らにどんな支援をしてゆけるのか…。

 

その答えは「宗教二世」ひとりひとりの中に、そう、その数だけあります。
いわゆる「オフ会」と呼ばれる、当事者同士の集まりも規模の大小を問わず数多くあり、「蘖の会」もそのひとつにすぎない。

 

…もっと言うなら、「オフ会」そのものも、数多くある「答え」のひとつ、「二世」各個人が自分なりの人生へそれぞれ羽ばたいてゆく過程のひとつに過ぎません。


「二世」当事者たちが自身にフィットした形態の支援を選び、そうして自身が本当に望む人生へと飛び立ってゆけるのであれば、それが何よりなのです。

その上で、選択肢が多いことは大変に良いことなのです。

 

たとえば「支援」の皮を被りつつ、実際には私腹を肥やすべく「二世」たちを食い物にするとか。

たとえば「一世二世」等「カテゴリ」分けして憎しみを煽るとか。

そんなゴミクズのような人間に、勝ち目がなくても(つか、まるで相手にされないw)噛みついてしまうとか…。

 

「宗教二世」界隈をけん引する人々の中にあって、まるでお話にならないほどに、みなせは無学で不器用でがんこです。

 

…でも、「それでもいい」と。

「蘖の会が、みなせがいい!」と感じて下さり、ご一緒してくださる方が一人でもいて下さるのであれば、今後も「蘖の会」と継続する価値があるというものです。

 

いわゆる「二世・一世」、さらには所属していた宗派や団体に関わらず、目の前にいる「その人自身」を大切にしっかりかかわり、しっかりとつながりを作る…。

 

どんな時も、だれに対しても、「蘖の会」という「しばしの止まり木」のひとつを守る者として、ひとりひとり大切にかかわって参りたいと思います。


華やかさはありませんが、細く長く、丁寧に、ひとりひとりとの「つながり」を紡いでまいります。

 

次回「初秋の京都蘖の会」は8月下旬~9月上旬の土、日曜日に開催。

7月30日(火曜日)付の拙ブログにて告知いたします。

(早く計画しなくちゃ^^;)

 

京都市へ「ふるさと納税」して、疎水遊覧船に乗るのはいかが?

 

 

(広島県HPより)
 
桜のピンク色や菜の花の黄色から、若葉の緑色や菖蒲や杜若、そして紫陽花の紫色…。
季節の彩りも変わりつつ、今年も着実に日々が進んでゆきますね。

 

さてさて、大変お待たせしました。

第4回「広島蘖の会」のお知らせでございます~。

 

~広島蘖(ひこばえ)の会とは?~
広島県を舞台に、いわゆる「宗教二世」をはじめ、「親や親族が信じる宗教や組織により、自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」を対象にした、少人数の自助的な集いです。

特に、下記の2点を最も大切にしています。

①瀬戸内海の美しい景色や美味しい味覚を楽しみながら、参加者同士が少人数でゆっくりコミュニケーションを取れること。


②東京圏にて数多く開催される「オフ会」への参加が困難な、中四国および九州沖縄エリアの方々が可能な限り参加しやすいこと。

※「蘖の会」コンセプトについてはこちら
※前回(第3回)開催時はこちら

前編

後編

 

実施要項

開催日時:
2024年(令和6年)6月9日(日曜日)

募集人数:
5名
※世話人みなせに「現地スタッフ」2名を加えて、全員で最大8名(2卓を囲める人数)
 

集合場所および時間:
JR福山駅改札に10時20分

※福山駅は改札が1か所しかなく、新幹線ご利用の方も、新幹線改札から在来線改札を抜ける形になるので、わかりやすいかと思います。


今回のコース:備後鞆の浦、「潮待ちの港町」を味わい尽くす一日広島県福山市)

 

広島県の東端に位置する人口約45万人の街、福山市

広島県第二の、そして瀬戸内沿岸でも5番目の規模を誇る都市。

(ちなみに、①広島市②岡山市③松山市④倉敷市の順)

 

太平洋戦争の空襲による焼け野原を復興すべく、行政と市民が一体となって1000本のバラの苗が植えられて以来、福山市は「ばらの街」として知られるようになり、「思いやり、優しさ、助け合いの心」を表わす「ローズマインド」という言葉も生まれました。

 

現在でも、新生児が誕生した世帯と、新入学生の世帯には、市よりバラの苗木がプレゼントされるという行政サービスも行われています。

 

一度などは「百万本のバラの町」としてギネス世界記録認定を目指したものの、だれも正確な本数を数えることができず、そのまま頓挫した…とゆー、おマヌケなエピソードもあったりする(笑)

 

2010年に誕生した福山市の公式キャラクター、バラの妖精「ローラ」ちゃん。

 

この福山市の南端、沼隈(ぬまくま)半島にある港町「鞆」から備後灘に至る一帯が「鞆の浦(とものうら)」。

瀬戸内海のほぼ中央に位置するこの海域は、西は豊後水道、東は紀伊水道から流れ来る潮流が交差する地点でもあります。

 

 

潮の流れには「満ち引き」がありますので、

 

満潮時:鞆の浦で双方の潮の流れがぶつかって、潮位が増える。

干潮時:鞆の浦を境にして、双方へ潮が引いてゆく

 

…と、潮の変わり目が激しいため(干満差は4.3m。これは有明海の5mに次ぐ、全国2位の大きさ)、古来より瀬戸内海を航る船は、安全上必ずこの鞆の港で停泊し、潮目が変わるのを待たなければならなかったわけです。

 

このような事情もあり、鞆の港は、古くは万葉の時代より「潮待ちの港」として、また瀬戸内海の重要拠点として機能していたのでありました。

 

また、鞆の浦は歴史上、数々の重要な出来事の舞台となってきました。

 

現在でも絶景を楽しめる「福禅寺対潮楼」は、江戸時代の朝鮮通信使の迎賓館として使用され、その眺めは当時の通信使従事官より「日東第一形勝」(朝鮮より東の世界で一番風光明媚な場所の意)と絶賛されるほどでした。

(福山市HPより)

 

また幕末には、坂本龍馬率いる「海援隊」所有の蒸気船「いろは丸」が、「徳川御三家」のひとつである紀州藩の戦艦「明光丸」と衝突、沈没したのもこの鞆の浦であり、日本で初めて国際法を盾にして龍馬が紀州藩と渡り合った場のひとつともなったのがこの「対潮楼」でありました。

 

※龍馬の交渉と周到な根回しの結果、現在の金額に換算して120億から130億円(高知銀行試算)もの賠償金を紀州藩よりせしめたものの、龍馬は11月に京都で暗殺されてしまう。その賠償金をだれが、どのように使ったのかは現在も諸説紛々である。

 

1934年(昭和9)年3月16日、鞆の浦は「瀬戸内海国立公園」として、雲仙(長崎県)、霧島(鹿児島県)と並んで日本最初の国立公園に指定されました。

(国立公園指定時の記念切手:Wikipediaより)

 

「鞆港」は、

 

「常夜灯(灯台)」、

「雁木(階段状の船着場)」、

「波止場(埠頭)」、

「船番所(検問所)」、

「焚場(ドック)」といった、江戸時代当時の港湾施設すべてが現代までそのまま残されている、全国唯一の港です。

 

また、港周辺の街並みもそのまま残されていて、当時の古地図が現在でも通用するほどに大変珍しい、見ごたえのある区域です。

4月初旬、下見時にお世話になった、「鞆の浦しおまちガイド」の北村女史。

ハンドアウトを効果的に使い、わたしたちの身近な事柄に結びつける分かりやすさと興味深さ、何よりも鞆の浦への溢れる愛がガンガンつたわり、「ガイドの端くれ」としてむちゃくちゃ勉強になりました!

 

その他にも、


2017(平成29)年10月:ユネスコ記憶遺産認定
2017(平成29)年11月:国重要伝統的建造物群保存地区認定
2018(平成30)年5月:日本遺産認定(瀬戸の夕凪が包む国内随一の近世港町~セピア色の港町に日常が溶け込む鞆の浦~)

 

…等々、まさに「景観の三冠王」とも言えるほどに、世界的にも評価の高い美しい地域なのであります。

 

さらに、渡し舟で5分の距離にある「仙酔島」は、古代の火山活動によって形成され、現在でもその影響が残る奇岩や奇妙な育ち方をしている植物が溢れる、広島県随一のパワースポットでもあります。

 

船着場付近の「岩のトンネル」。地層にも注目!

 

火山活動の影響?か、うねうねとした生え方をしているウバメガシの木。

 

…そもそも、「仙人もその景色の美しさに酔いしれてうっかり時を忘れてしまった」という言い伝えからその名がついたほど、まさに「人外レベル」の美しさです。

 

これほどまでに美しい鞆の浦は、過去数々の映画やドラマのロケ地になってきました。

 

たとえば…

ウルヴァリンSAMURAI(2013)

 

 

ドラマ「流星ワゴン」(2015)

 

…そして忘れちゃいけない!

「崖の上のポニョ」(2005)!!

 

海を舞台にした作品は、宮崎(駿)がいつか描きたいと長年夢見てきたが、「波を描くのが大変」という理由で、それまで踏み切れずにいた。

2004年11月にスタジオジブリの社員旅行で訪れた瀬戸内海の港町である広島県福山市の鞆の浦(とものうら)を非常に気に入り、準備として2005年の春、鞆の浦の海に隣した崖の上の一軒家に2ヶ月間滞在し、さらに2006年夏、単身でこもった。

 

本作の構想もこの時に練り、自身を極限に追いつめる鬼気迫った姿がNHKで放送された。

2ヶ月間滞在では、瀬戸内と関東の屋根瓦との違いや、太平洋との波の違いに特に興味を引いた。

(Wikipediaより引用)

 

 

 

…だから「猫バス」も走ってる(笑)

 

…さらにさらに!!

 

鞆の浦はその特徴的な潮の流れから、古来より鯛漁が盛んに行われていました。

それゆえに、瀬戸内の鯛を使ったグルメは外せません!

(名店の一軒「千とせ」さま:福山観光コンベンション協会HPより)

 

みなせが食べた「鯛おにぎり」。

 

鞆の浦特産の「保命酒(ほうめいしゅ)」は、江戸時代の公家、上級武士、豪商に愛飲されただけでなく、朝鮮通信使のもてなし、さらには黒船でやってきたペリーやハリスにも饗されたほど、珍重されていたお酒です。

焼酎に餅米と麴を入れて発酵させた味醂に、さらに16種類の生薬を入れて…。

試飲してみましたが、トロリと甘い味わいでした。

「『養命酒』と似たようのものか?」とガイドさんに質問したところ、「全く別物ですっ!!」と、胸張って答えてくださいました(笑)

 

…とまぁ、こないだ自ら下見をしてきたこともありまして、「コレデモカ!!」と言わんばかりにてんこ盛りに綴ってもまだまだ足りないくらいに、見どころ、味わいどころがたくさんあるのです。

 

 

…これほどまでに美しく、素晴らしい「鞆の浦」で、

同じ背景を持つ仲間と美しい景色と美味しいグルメを楽しみつつ、ゆっくりと語らい、「つながりを紡ぐ」時間を過ごすのはいかがでしょうか?

 

「その人自身」と、その「つながり」をいちばん大切に。

マインド溢れる「広島スタッフ」の仲間と一緒に、みなさまのご参加をこころよりお待ちしております♪

 

当日の予定(進行状況により、若干の変更あり)

10時20分:福山駅改札にて待ち合わせ
10時半:福山駅前より「鞆の浦」行きバス乗車
11時:鞆の浦バスセンター着、ランチ
12時半:観光、及び自由行動(「広島スタッフ」が、コースを鋭意準備中)
15時半:再集合、ティータイム
16時25分:鞆の浦バスセンター発のバスに乗車
17時:福山駅前にて解散、希望者は二次会へ

会費について
「広島蘖の会」は、みなせが京都より「出張開催」の形になりますゆえ、会費を下記の通り設定させていただきます。
当日、現金にてスタッフへお渡しくださいませ。

¥3,000(ランチ代込み、交通費等のその他雑費は各自別途負担)


※福山駅前~鞆の浦間の往復バス運賃は¥1,120(ICカード可)

※当日の満足度、次回以降への期待に応じて、参加者からの「自発的な寄付」歓迎(笑)


キャンセル料について
最終締め切り日(5月31日)まで無料。
※それ以後のキャンセルはランチ代相当のキャンセル料(詳細は個別連絡)を請求いたします。

 

お申込みについて
「広島蘖の会」は、中四国、九州沖縄地域における「宗教二世」はじめとした人々の「つながりを紡ぐ」ことを第一目的として開催します。
よって、お住まいの地域に応じ、お申込期間を以下の通り設定します。

一次募集:

4月21日(日曜日)午前10時~

対象:中四国、九州沖縄在住、もしくは(現住地域に関わらず)この地域で現役時代を過ごされた

二次募集:

5月1日(水曜日)午後6時~

対象:全国の方


締め切り(一次、二次共通):
5月31日(金曜日)24時


※提携をさせていただいている(一社)陽だまりさまへご相談されているみなさまは、「陽だまり」公式LINEから担当相談員を通してお申込みいただくことが可能です。

 


「やむを得ず中止」の判断基準について
 下記のいずれかに該当する「止むを得ない状況」になりました折には、大変申し訳ありませんが開催を中止いたします。




1.開催4日前(6月5日水曜日)20時の時点で、国もしくは広島県知事、福山市長による「緊急事態宣言」 、「まん延防止等重点措置」 およびそれに類する宣言・指示が福山市下に発令されており、その制限の内容が「広島蘖の会」実施に著しい支障(例:移動ができない、食事ができない等)をきたし、当日まで解除の見通しが立たないと判断される場合。



2.開催前日(6月8日土曜日)20時の時点で、福山市内に何らかの気象警報が発令され、翌朝までに解除の見通しが立たないと判断される場合。



上記に該当する場合、(判断に迷う状況を含め)お申込みいただいた方々へ速やかに、個別に連絡させていただきます。


その他注意事項
※「広島蘖の会」は、「京都蘖の会」同様、「完全事前お申し込み制」です。

世話人であるみなせ、および広島スタッフが特定の個人に参加を依頼したり、特別に招待したりすることはありません。

※お店の予約の都合、および正規の手続きにてお申込みくださった方々を「守る」観点より、「アポ無しの当日飛び入り」等、正規のお申し込み手続きを経ない方の参加は固くお断りします。

※ 「広島蘖の会」は、参加者同士がゆっくりコミュニケーションを取るための場です。
よって「広島蘖の会」の場を利用したご自身のビジネスの宣伝や営業、商品の販売、勧誘、集客目的のSNS投稿を厳に禁止します。
(但し、別に定める「宣伝広告料」を世話人みなせにお支払いいただくことで特別に許可します。

ご希望の方は、世話人みなせまで直接お問い合わせくださいませ。)

※交通機関の都合上、指定した待ち合わせ時間や場所の変更をご希望の方はその旨お申し出くださいませ。
可能な限り対応させていただきます。

※お子さま同伴での参加をご希望の方は、個人的にその旨ご相談くださいませ。都度対応させていただきます。


※やり取りの際に使用させていただいた個人情報は、当会に関する連絡のみに使用させていただき、(ご本人の要望がない限り)当会終了後に削除いたします。

以上

 

♪ポーニョポニョポニョさかなのこ~…

参加者は当日ちゃんと歌えるようになっておくこと(ウソw

 

すぷりんぐ、はず、かぁむ…。

 

4月。

各地でさくらも満開、一気に春爛漫のこの頃、いかがお過ごしでしょうか?

 

曲がりなりにも「京都観光ガイド」を名乗り、活動しているみなせも、曲がりなりにあれこれと多忙な日々を送っております。

(後は、金につながってくれるのみ!:笑)

 

…そんなわけで7年目のスタートとなる「初夏の京都蘖の会」のお知らせでございます~。

 

「京都蘖(ひこばえ)の会」とは?

京都(時々滋賀)を舞台に、各季節2回ずつ年8回開催する、いわゆる「宗教二世」をはじめ「親や親族が信じる宗教や組織により、自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」を対象にした、少人数の自助的な集いです。

特に、下記の2点を最も大切にしています。

 

①古都京都、湖国滋賀の美しい景色や美味しい味覚を楽しみながら、参加者同士が少人数でゆっくりコミュニケーションを取り、交流を楽しめること。
 

②必要とされる方々がそれほど待たされることなく、かつ必要最小限の費用で参加できる、「交流のインフラ」として機能すること。

コンセプト等、詳細はこちらの記事参照。

昨年開催の「初夏の京都蘖の会」はこちら


前回(早春)の記事はこちら

…って、すぐ前の記事です(^^;

 

実施要項

開催日:
1回目:2024(令和6年)5月18日(土曜日)
2回目:2024 (令和6年)6月2日(日曜日)
※両日とも雨天決行

募集人数:
3名/回(「世話役」みなせを含めて1卓を囲める人数)
※最小催行人数:1名
 
集合場所:
JR京都駅烏丸口、中央改札前(駅ビル正面、0番ホーム向かいの改札)に10時半。
(参加者、その日の状況により変更有。お申込みいただいたみなさまに個別に連絡いたします)

 

お申込み状況

※すべて締め切りました。

次回「第4回広島蘖の会」、および「初秋の京都蘖の会」にてお待ちしております。

 

 

今回のコース:東山蹴上、疏水の流れと名刹の青もみじを愛でるひと時

 

お江戸日本橋七つだち〜

京都三条大橋から江戸日本橋へ至る、「東海道五十三次」。


江戸から京を目指してきた旅人たちにとって、最後の峠越えとなったのが、現在の山科区と左京区を隔てる「日ノ岡峠」でした。

 

長い旅を経て、眼下に広がる京の街を見下ろす、または京の街に別れを告げるべく振り向く…。

長きにわたり、さまざまな旅人たちが、それぞれの思いを抱いてこの道を歩いたのかもしれません。

 

そんな「日ノ岡峠」の京都側の出入り口となる地域が、今回のコースとなる蹴上(けあげ)になります。

 

「蹴上」…京都らしいと言えば京都らしい、背後に深い意味でもありそうな地名であります。

 

その由来を紐解いて見ると、

 

1.平安時代末期、奥州平泉へ向かう源義経に対し、通りすがりの平家の武者が乗った馬が泥水を蹴り上げて刃傷沙汰になった。

 

2.この近くにあった「粟田口処刑場」へ引かれてゆく罪人たちを、役人たちが後ろから蹴り上げた

 

以上2つの、どちらも血なまぐさい?由来から来ているようで、さしずめJWにとっての「誕生日」のように、禁止事項になりそうな地名だったりします(笑)

 

加えて、明治時代、いわゆる「東京奠都」により天皇不在となった京都を再生させる上で、この蹴上の地は非常に重要な拠点ともなりました。

 

…そう、琵琶湖疏水

(4月、山科安朱橋付近)

 

それまでは京都の水源といえば、鴨川や桂川といった川の水、もしくは井戸水。

(京都の井戸水の美味しさは特筆すべきなのですが、この辺を語りだすと長くなるので、別の機会へ…^^;)


そんな京都の街へ、お隣滋賀県から「琵琶湖の水」を引き込む水路(琵琶湖疏水)を建設します。

琵琶湖からやってきた水の最初の拠点となったのが、ここ蹴上の地。


日本最初の水力発電所が建設されたことで、全国に先駆けて市内電車が走るようになり、また京都市内の工業も活発になることで、京都は近代日本の最先端産業技術都市として息を吹き返したのでした!

 


(現在も現役の、関西電力所有の発電所です)

また、京都と大津の間を「疏水船」が行き琵琶湖を経由して遠くは北陸や東京に至る、長く物流の屋台骨を担いました。

特に、船ではクリアできない高低差を解消するために、船ごと車台に乗せてレール上を上下するインクライン(傾斜鉄道)は当時としては画期的な技術であり、現在でもその遺構は桜の名所として知られています。

 

 

さらに、琵琶湖疏水の流れは、新たな景観も生み出しました。

 

その水路と、それに伴う建造物の多くが赤レンガを用いて建築され、伝統的な京都の景観に溶け込んだ、モダンで美しい風景を作っております。

 

とりわけ、南禅寺境内に建設された「水路閣」は、古代ローマ帝国の水道橋をモチーフに、南禅寺の歴史的景観と見事に調和したデザインであります。

 

また、明治の元勲のひとりである山県有朋(第3代、第9代内閣総理大臣)の別荘として造営された「無鄰菴」は、この琵琶湖疏水の流れを引き込み、伝説の庭師、小川治兵衛(7代目)により、彼の故郷、長州の山里を思わせるような見事な景色を作り出しております。

 

 

…それで、7年目のスタートとなる「初夏の京都蘖の会」では、この琵琶湖疏水流れる蹴上の地を舞台に、「水」と「緑」をテーマに一日を作ってみようと思います。

 

清水寺、智積院、青蓮院、南禅寺、永観堂、哲学の道から銀閣寺…。

 

蹴上を含むこの東山界隈は「京都観光のゴールデンエリア」とも言うべき、世界的に有名な名所名刹が集中しておりまして、「京都蘖の会」では混雑を避けるためにもこれまでコースより外していたのですが、この度、7年目のスタートということもあり、新たなチャレンジ?として、今回のコースへと選ばせていただきました。

 

桜の季節が終わり、もみじの若葉輝く「青もみじ」の季節は。一年を通して比較的人出が落ち着くと言われています。

「紅葉の名所は、すなわち新緑の名所」…まさしく!

 

 

また、「無鄰菴」は時間と人数を区切った「事前予約制」を取るなど、少人数でゆっくりと観光できるように配慮がなされており、世話人みなせとしてもこのような制度を最大限活用させていただきます。

 

清々しい新緑の季節、京都市と京都市民にとって「命の水」とも言うべき琵琶湖疏水にまつわる、数々の名跡を楽しむ、少人数のプチツアーの一日をご一緒しませんか?

 

~当日のスケジュール~(進行具合により、若干前後します)

10時半:待ち合わせ、地下鉄で蹴上駅へ移動。

11時半:ランチ

13時:観光(南禅寺庭園、水路閣など)

15時:無鄰菴観光、およびティータイム

17時:解散、希望者は二次会

 

※現地の混雑具合、また無鄰菴の予約状況に応じてスケジュール変更の可能性があります旨、ご了承くださいませ。

 

~会費について~
現地での実費のみ(飲食代、交通費、拝観料等)

※大体の目安
ランチ代:¥3,500前後
地下鉄料金(京都~蹴上往復):¥520
無鄰菴入場料:¥600

~お申し込み方法~

4月13日土曜日午前10時より受付開始(1回目、2回目共通)
アメブロ、twitter等SNS上のメッセージ、もしくはLINE、みなせ宛の個人メールにてお申し込みください。

お申し込みの際には、下記の3点を必ず含めてくださいませ。

1.参加ご希望の日(5月18日 or 6月2日)

2.京都駅までご利用の交通機関(例:JR、新幹線、地下鉄、私鉄等)
3.みなせと「はじめまして」の方は、お申込みの際に簡単な自己紹介(お住まいの地域、年代、所属教団歴等)もいただければ幸いです。(オフ会、もしくはオンライン等ですでにみなせと面識のある方については必要ありません。)



※みなせのもとに届きさえすれば、どのアプリを使っていただいてもOKです)


※「京都蘖の会」は、お住まいの地域にかかわらず、全国の方がお申込み可能です。

※提携させていただいている(一社)「陽だまり」さまにご相談くださっているみなさまは、公式LINEアカウントより担当相談員を通したお申込みが可能です。

 

~締め切り~

定員に達する、あるいは開催当日の2週間前

(無鄰菴が要予約、キャンセル不可である関係上、通常より早く設定させていただきます。)

 

1回目:5月4日(土曜日)

2回目:5月19日(日曜日)

※いずれも24時最終締め切り

 

~「やむを得ず中止」の判断について~

下記のいずれかに該当する「止むを得ない状況」になりました折には、大変申し訳ありませんが開催を中止いたします。

1.開催4日前(1回目:5月14日火曜日、2回目:5月29日水曜日)20時の時点で、国もしくは京都府知事、京都市長による「緊急事態宣言」 、「まん延防止等重点措置」 およびそれに類する宣言・指示が京都市下に発令されており、その制限の内容が「京都蘖の会」実施に著しい支障(例:移動ができない、食事ができない、拝観が出来ない等)をきたし、当日まで解除の見通しが立たないと判断される場合。

2.開催前日(1回目:5月17日金曜日、2回目:6月1日土曜日)20時の時点で、京都市内に何らかの気象警報が発令され、翌朝までに解除の見通しが立たないと判断される場合。

上記に該当する場合、(判断に迷う状況を含め)お申込みいただいた方々へ速やかに、個別に連絡させていただきます。


~ご注意事項~

※お住まいの地域と交通機関の都合上、待ち合わせ時間や場所の変更ご希望の方はその旨お申し出くださいませ。
可能な限り対応させていただきます。

※小さなお子さま同伴での参加をご希望の方は、個人的にその旨ご相談くださいませ。

都度対応させていただきます。
(文化財保護の観点より、施設によっては拝観に年齢制限を設けている場合があります。)

 

※「京都蘖の会」は、「完全事前お申し込み制」です。
世話人であるみなせが特定の個人に参加を依頼したり、特別に招待したりすることはありません。
必ず、記載されている時期と手順にてお申込みいただくようお願いいたします。

※お店の予約の都合上、および正規の手続きにてお申込みくださった方々を「守る」観点より、「アポなしの当日飛び入り」等、正規のお申し込み手続きを経ない方の参加は固くお断りします。

※やり取りの際に使用させていただいた個人情報は、当会に関する連絡のみに使用させていただき、(ご本人の希望がない限り)当会終了後に削除いたします。

※ 「京都蘖の会」は、参加者同士がゆっくり交流し、深いコミュニケーションを取るための場です。
よって、「京都蘖の会」の場を利用した、ご自身のビジネスの宣伝や営業、勧誘、商品の販売、集客目的のSNS投稿を厳に禁止し、事前の許可無く行なった方は、以後のご参加をすべてお断りいたします。

(例外として、事前にご申告の上、別に定める「宣伝広告料」をお支払いいただくことで特別に許可します。ご希望の方は、みなせまで直接お問い合わせくださいませ。)

 

以上

※「芹生」さまに飾ってあったひな人形。

京都では男雛を「向かって右」、女雛を「向かって左」に並べます。

これは太陽が先に当たる側(南に向いて座す「天子」にとって左=東側)が上の位。

つまり、「左をもって尊し」と為す、京都御所の紫宸殿に古来より伝わる風習によります。

 

去る3月3日(日曜日)、および16日(土曜日)の2日間、「早春の京都蘖の会」を開催いたしました。

 

「京都蘖(ひこばえ)の会」とは?
京都(時々滋賀)を舞台に、いわゆる「宗教二世」をはじめ、「親や親族が信じる宗教や組織により自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」を対象にした、少人数の自助的な集いです。
(上記に当てはまれば、いわゆる「一世・二世・三世」、「元・現役」等々のカテゴリ、さらには所属宗派問わず大歓迎です!)

京都(時々滋賀)ならではの、ちょっと贅沢なランチとプチガイドツアー。
何よりも、参加者同士がゆっくり深いコミュニケーションを取れることをいちばん大切にしています。

※コンセプト等、詳細はこちらの記事参照。
※昨年に開催した「早春の京都蘖の会」は、こちらの記事参照

 

1月居ぬる、2月逃げる、3月去る…。

この時期になると、必ず出てくるこの言葉。

 

1月後半に告知記事を出した頃は真冬だったのが、梅の季節を経て桜の開花宣言も出されて…と、季節の移り変わり以上に日々の過ぎすくスピードに恐ろしさすら感じるこの頃です。

相変わらず遅筆なみなせさんですが、「京都蘖の会」で過ごしたこころ満ちる時間、ぼちぼちと綴って参りたいと思います。

 

やっと報われた?大原の里

京都の街中には無い、のどかで魅力いっぱいの山里。

わたしみなせもプライベートでしばしば「こころの洗濯」をしに行くほど、個人的にもイチオシの大原の地なのですが、

「京都蘖の会」においては、何故か今まで「不遇をかこってきた」土地でもありました。

 

…と、言いますのも、この大原を舞台にするのは、今回で3回目になるのですが、

 

1回目(2020年初夏):緊急事態宣言(1回目)ため中止

2回目(2021年初夏):緊急事態宣言(3回目)の中強行開催するものの、両会通じて参加者1名のみ

 

…と、忌まわしきコロナ騒動に伴う「緊急事態宣言」のあおりをもろに受けましてね…。

(それだけに、勇気を出してご参加くださった1名の方には、今更ながらに深く感謝です!)

 

それだけに今回、

 

1回目:4名(母娘でのお申込みをいただいたため、特例で定員プラス1名)

2回目:2名

 

…と、大変な盛況。

かつ、お申込みくださった方全員が初参加という、大変ありがたい状況下での開催となりましてね。

元々思い入れのある大原の地、これまでの分も込めて精いっぱいご案内しましょう!…と、いつも以上に気合が入った次第です。

 

ランチ

地下鉄烏丸線の終点である「国際会館駅」からバスへ乗り継ぎ、20分と少し。

京都駅からでも1時間弱で到着できるほどに気軽に行くことができます。

 

かつて大原にも在住された切り絵作家、望月めぐみ氏による「大原女」が迎えてくれます。

 

「大原バスターミナル」から、参道を約10分ほど登ってゆきます。

1回目は冷たい風吹く冬晴れ、2回目はぽかぽか陽気…と、気温の差こそありましたが、両日ともお天気に恵まれまして、参道の木々の緑や石垣の苔が陽ざしに映えて、それは素敵な光景を作ってくれました。

 

(1回目:3月3日)

 

(2回目:3月16日)

 

三千院の門前に構える料理旅館、「芹生(せりょう)」さまは定番のお食事処。

そのおもてなしの精神は、「ミシュランガイド」に9年連続で紹介されるほどにクオリティの高さを誇ります。

 

 

過去の「京都蘖の会」はじめ、「プライベートガイド(=個人ガイド)」でも何度も利用させていただいていることもあり、お店の方にもすっかり顔を覚えられてしまっていたり…(笑)

 

こちらの名物が「三千草(みちくさ)弁当」

行燈形の器に可愛くおさまった三段重。

重箱の中は、山菜や川魚等、大原の里の味覚が詰まっています!

 

…ただ、当日の仕入れ等の状況で数量が限られていましてね。

運悪く?2回目は希望叶わず、全員「京ゆば御膳」をいただきました。

(これはこれで美味しかったけどね)

 

連日大量の外国人団体客が押し寄せている京都ですが、大原は市内からかなり離れていることもあり、この時のランチもほぼ貸し切り状態…なほどの空き具合。

 

陽ざしに輝く美しいお庭を眺めつつ、お料理に舌鼓打ちつつ、この時間だけで「蘖の会」が終わってしまいそうなほどに、おしゃべりも弾みました。

 

「普段なかなか話せない思い出話や「二世あるある」を存分に話せるのが、こんなに楽しくてうれしいとは思わなかった」

(2回目参加者の方のお言葉)

 

勝林院

三千院の門前をすり抜け、そのどん突きに威容を構える寺院が勝林院(しょうりんいん)。

 

平安時代中期の1013(長和2)年、天台宗の高僧寂源(じゃくげん)により開山。

以来、幾多の火災や洪水の被害を受ける中で再建を繰り返し、現在の本堂は江戸時代中期の1778(安永7)完成のものです。

 

鎌倉幕府が発足したばかりの1186(文治2)年に、当時比叡山の学僧だった顕真(けんしん)が浄土宗の開祖である法然に対して「極楽往生」の教えを巡って一昼夜に渉り討論を繰り広げたという「大原問答」の舞台としても知られています。

 

法然の説いた浄土宗は、「念仏を唱えることで極楽往生できる(=他力)」。

それに対し、顕真が身を置いていた比叡山(天台宗)は、「厳しい修行によってのみ極楽往生の道が開ける(=自力)」

 

…ほな、どっちが正しいねん?

簡単に言えば、そんな所を論点として、京都や奈良の高僧たちも集め、この勝林院にて激論が戦わされたのです。

 

比較の対象になるかどうかわかりませんが、草創期のJWが、いわゆる「キリスト教世界」の神学者や牧師(神父)相手に聖書の教えを巡って激論を戦わせた…。

そんなあたりになぞらえると、わかりやすいでしょうか…?

 

ざっくり動画で知りたい方はこちら

 

詳しく知りたい方はこちら

 

この大原問答の最中、本尊である阿弥陀如来像が、法然の回答に合わせて突如光を放ち、その言葉の正しさを裏付けた…という伝説も残っています。

それゆえ、このご本尊は「証拠の阿弥陀」と呼ばれています。

 

(堂内撮影禁止の為、ネット上より拝借)

 

静寂と美しい景色。

車やバイクのエンジン音といった人工音さえ全くと言ってよいほど聞こえて来ず、心の底からゆっくりと過ごすことができます。

 

とある参加者の方はお仕事柄ということもあり、本堂の彫刻はじめとした、素晴らしい建築を飽かずに眺めていらっしゃいました。

 

実光院

勝林院と目と鼻の先にあるのが実光院

実は、勝林院の住職始め僧たちの生活空間である「房(坊)」として、応永年間(室町時代初期、1394~1428)により設立。

現在の本堂(客殿)は1921(大正10)年に建築…と、かなり歴史の新しい寺院です。

 

 

この実光院、大原を訪れる観光客にはけっこう見過ごされがち?でして、いつお邪魔してもひっそりとしています。

玄関のドラを叩くと、作務衣姿の女性職員(住職さんのご家族の模様)の方が暖かく迎えてくださいます。

 

客殿(本堂)から望む庭園「契心園」

 

…そして、実際に歩いて回ることのできる、季節の花いっぱいの「理覚院庭園」の二つの庭園です。

 

「厳選したスポットを、じっくり時間をかけて味わっていただく」ことが、みなせの観光ガイドです。

 

縁側で、静かに風の音を聴きながら日向ぼっこしたり。

境内やお庭を気ままに歩いてみたり。

おしゃべりをしたり…。

 

今回の「蘖の会」に限らず、「プライベートガイド」も同様なのですが、ご案内するスポットの歴史や背景等々のうんちく等々の情報は、事前に「予習資料」として、毎回参加者の方へお送りしております。

…だから、当日のみなせはうんちく垂れているより、参加者(お客さま)各自の状態や、時間管理、何より最大限に楽しんでいただけるよう、全神経を集中していたりします。

 

そんなわけで、いずれの寺院でも陽だまりの縁側でのんびりと、こころゆくまで時間を楽しんでいただきました。

 

(1回目:3月3日)

(2回目:3月16日)

 

またこの大原の地は、仏教における「讃美歌」とも言える「声明(しょうみょう)」の一派(魚山流声明)が誕生した地であり、(本堂である)勝林院は、声明の道場として多くの僧たちを輩出してきた歴史もあります。

 

この実光院の客殿には、「調律」とも言える音程合わせに使用された楽器類も展示され、実際にその音色を聴くこともできます。

 

お帰りにはお土産を…

過去の「蘖の会」に加えて「プライベートガイド」、さらには純粋に個人的来訪等、過去幾度も訪れている大原の地。

 

…なによりも「デカいエセオンナ」ということで、参道や門前のお店の方にもすっかり顔を覚えられてしまいましてね(笑)

お声がけいただいたら無視するわけにもゆかず、立ち寄ることになりまして…。

 

途中の漬物屋さん「志ば久」さまもその一軒。

 

「味、香り、味とも現品種に最も近く、最高品質」と、大手製薬会社の研究室からお墨付きをもらった紫蘇の葉の産地である大原。

この大原の地で誕生した「しば漬け」始めとしたお漬物や、早春の味わい「ふきのとう味噌」など、たくさんの山里の味を楽しむことができます。

(1回目:3月3日)

 

(2回目:3月16日)

 

「ブラタモリ」始め、TVにも多々紹介されている模様。

 

先の告知記事でも触れましたが、古来より大原の里は、壇ノ浦の戦いをただ一人生き残った「建礼門院(平徳子)」はじめみやこの権力闘争に敗れた、もしくは嫌気がさして隠棲した、いわば「敗者たち」が静かに暮らした土地であり、そんな「敗者たち」を大原の人々は歴史を通じてやさしく迎え、暖かく見守ってきました。

 

「しば漬け」の由来となった、建礼門院と大原の里人のエピソードについて、こんな記述がありました。

 

徳子が敗者だから(「判官びいき」的に憐れみを示した)ではない。

大原の里人たちはそこに「もののあはれ」を見たから心を寄せたのである。

 

全て生きとし生けるものは、やがて終焉を迎える。

その間際をどう生きるか、どう向き合うか。

 

美しくも切ない姿を見せるものに対して、京都人は心を尽くして接する。

それこそが、「おもてなし」の原点だということは知っておきたい

-柏井壽著「できる人の京都術」p215、216より

※カッコ内の注釈、および下線はみなせによる。

 

胸には大原の里での静かで暖かな想い出を。

そして、手には美味しいお漬物を…。

 

…そうして、早春の「早春の京都蘖の会」は無事幕を下ろしたのでした。

 

参加者の方のご感想:

(JW一世・女性)
心を尽くしたおもてなしを、ありがとうございました。
たくさん泣き、そして苦労され、悔しい思いもきっとたくさんされてきたからこそ、本当の意味で気持ちを察することができ、必要な言葉をかけることができるのだと思います。

帰りの新幹線でも母が、またみんなに会いたいと泣いておりました。

(JW二世・男性)
素敵な参加者のみなさまと、史上最高のガイドのもとで京都を楽しめたこと、とても良い思い出になりました!

(JW二世・女性)
とても楽しみにしていたので、無事にお会いできて一緒に過ごせて念願叶い、すごく嬉しく感じました!
一緒にじっくりと観光や美味しいお食事や飲んだりできて、とても貴重な楽しい時間でした。

(JW二世・女性)
初めてのオフ会参加でしたが、長年の心のモヤモヤが少し晴れましたし、気持ちも軽くなり感謝しかありません。
こんなにも素敵な一日をありがとうございました。
お天気もポカポカで最高でした♪

(JW一世・女性)
くみこ様の女性を極めておられるお姿に感動した1日でした。
中途半端ではなくて、極めることの大切さを、くみこ様から学びました。
『感動や楽しみ』が無ければ老けていく、と聞いたことがあります。
少しでも老けるのを食い止めたいと思っています。

 

参加者のひとり、「ぴぃ~たん」さんが素敵に書いてくださったブログも、併せてご覧くださいませ♪

 

「その人自身」と「つながり」を大切に6周年。

今回の「早春」を持ちまして、「京都蘖の会」は6周年を迎えることが出来ました。

 

2018年4月に地元嵯峨野にて初開催して以来、各季節に2回ずつ、一年で8回、6年で48回開催。
 (コロナ騒動や参加者ゼロによる中止10回含む)

その間、延べ74名(リピート参加:延べ40名)のみなさまにご参加いただきました。

大晦日の記事にてちょっと触れました通り、昨今の「宗教二世」を巡る社会の激流の中で、継続の危機に瀕したこともありましたが、心あるたくさんの方々に支えられて踏みとどまることができました。
…ほんとうに、ありがとうございました。

「来てよかった」以上に、「会えて良かった」。
「また行きたい」以上に、「また会いたい」。
小さくても、満足感と安心感は何処にも、だれにも負けない。

 

(いわゆる「オフ会」の代名詞と言えるほど、多数開催される)東京圏ではない。

とかく「規模の大きさ」とか、(「界隈の有名人」や、マスメディア関係者等)「人脈の華やかさ」とかとは全く無縁ではありますが…。

 

ご縁をいただくひとりひとりと、その「つながり」をいちばん大切に。

 

「ちいさいこと」、「少人数である」ことを最大限の強みとして。

「京都蘖の会」、7年目の日々も引き続き定期開催して参ります。

 

※次回「初夏の京都蘖の会」は5月中旬~6月初旬にかけての土、日曜日に開催予定。

4月7日(日曜日)付けの拙ブログにて告知いたします。

 

※加えて「第4回広島蘖の会」を、大切な仲間である「広島スタッフ」と共に、6月中の開催を目指して準備中です。

こちらは4月13日(土曜日)付けの拙ブログにて告知いたします。

 

↓みなせ的、京都ガイドの重要な教科書!

 

 

去る11月25日土曜日および12月3日日曜日の両日、「錦秋の京都蘖の会」を開催しました。

「京都蘖(ひこばえ)の会」とは?
京都(時々滋賀)を舞台に、いわゆる「宗教二世」をはじめ、「親や親族が信じる宗教や組織により自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」を対象にした、少人数の自助的な集いです。
(上記に当てはまれば、いわゆる「一世・二世・三世」、「元・現役」等々のカテゴリ、さらには所属宗派問わず大歓迎です!)

京都(時々滋賀)ならではの、ちょっと贅沢なランチとプチガイドツアー。
何よりも、参加者同士がゆっくり深いコミュニケーションを取れることをいちばん大切にしています。

※コンセプト等、詳細はこちらの記事参照。

※昨年開催の「錦秋の京都蘖の会」は、下記の記事参照

前編

後編

 

開催日から、お正月を越えてはや1か月以上…。

いささか季節外れの感もありますが、なにぶん遅筆のみなせさん。

加えて、大晦日と元旦はがんばった(自分で言ってりゃ世話ないw)ので、その辺はご容赦の上で楽しんでいただければ幸いでございます(^^;

 

ランチ

毎回、京都らしいちょっとゼータクなランチから始まる「京都蘖の会」。

 

しかし、一年で最大級に混雑する紅葉の時期に開催する「錦秋の京都蘖の会」は、毎年のようにランチのお店を押さえるのに苦労します。

ことに今回は、いわゆる「5類引き下げ」により、「コロナ騒動」以前の賑わいが戻ってきた…とゆーより、戻り過ぎて色々ムチャクチャなことになっていましてね。

 

色々と手を回した結果、1回目と2回目のお店が別々になりました。

 

1回目(11月25日):

「ザ・プリンス宝ヶ池」内、中国料理「桃園」さまにて、京都風のアレンジを加えた北京料理。

 

お料理の名前は忘れたけど、美味くて辛くて汗だくになったラーメン。

…食べ残しは絶対にしないポリシーのみなせ、もちろん「全汁」しましたわ(笑)

 

2回目(12月3日):

「宝ヶ池ゆば泉」さまにて、創作湯葉料理のコース。

 

食前酒代わりに、搾りたての豆乳が添えられた前菜。

 

マカロニの代わりに湯葉が入ったグラタン、美味しゅうございました♪

 

お店は違えど、目にも舌にも美味しいお料理はココロを和らげ、また緊張をほぐしてくれるものです.

 

加えて今回は、1回目、2回目とも

 

「蘖の会ベテランの『常連さん』と、初参加の方」

 

…という組み合わせで、「常連さん」がほんとうに話しやすい、暖かな雰囲気を作ってくださいまして、みなせが全く仕事しなくて良いほど(笑)、今更ながらに深く深く感謝でした!

 

鷺森神社

「修学院道」バス停から坂道を登ってゆく途中にあるのが「鷺森(さぎのもり)神社」。

 

平安時代の貞観(じょうがん)年間(859~877年)の創建とされ、祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。

住宅街の中にあるこの神社、参道の並木がほんとうに見事なんです!

 

年々の干支が描かれた絵馬が飾られた本殿でお参り。

 

鎮守の森の木漏れ日の中を抜けてゆきます。

 

曼殊院門跡

 鷺森神社から、さらに10分ほど急坂を上ってゆくと、「曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)」に到着します。

数ある京都の仏教寺院の中でも、特に皇室と結びつきの深い、格式の高い寺院を「門跡(もんぜき)寺院」と呼び、明治時代までは代々の「門主」(≒住職)を皇族の中から招いていました。

 

現在も皇室関係者しかくぐることができない、たいへん立派な門構えの正門。

当日はほぼ散りもみじになってしまいましたが、門の両側のカエデの紅葉も見事です。

 

一般の拝観客は、脇にある「庫裏(くり)」より入るのですが、ここも十二分に立派で豪勢な造りです。

 

創建当時の門主良尚法親王の自筆による、「媚竈(びそう)」の扁額。

「どーせ機嫌を取るなら、奥でふんぞり返っているバカな連中よりも、手前の『竈(かまど)』の前で汗を流している人々にせよ」

 

…とゆー、中国の教え。

昨今の「宗教二世界隈」の動き始め、公私共々、色々と身につまされた思いでありました(^^;

 

この他、境内には皇族の方々が日常的に使用されていた茶器やかるた、貝合わせ等の遊び道具や絵画。

また代々の天皇直筆の写経、さらには足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉直筆の書状等、大変珍しい資料が展示されており(撮影禁止のため写真は無し)非常に興味深いです。

 

国の名勝に指定されている「書院庭園」。

人間に生まれ、また仏教に出会う「縁」の奇しさ、得難さ、貴重さを現したという、枯山水の「盲亀浮木(もうきふぼく)の庭」。

奥に見える横長の石は、「貴船岩」と呼ばれる天然記念物の岩なのだそうです。

 

素晴らしい眺め、貴重な展示の数々。

晩秋の陽ざしの中、縁側でゆっくりと過ごしていただきました。

 

「とっておきの場所」へ

京都市街地からかなり外れた、比叡山のふもとの坂道をけっこう上がった先の、かつ大型バスも通行不可能という場所柄、ハイシーズンでも静かに過ごせる鷺森神社と曼殊院門跡。

…この後、さらに静かに過ごせる、極めつけな「とっておきの場所」へご案内です。

 

見事な紅葉!

見事に誰もいません!!

 

 

ちょうど西日の当たる時間。

色づいた葉も燃え立つがように輝きます。

 

苔の上や水面の散りもみじも、また風情があります。

 

 

…この「とっておきの場所」、実は着付け教室つながりの「姉さま」が関係者でしてね。

「姉さま」経由で許可をいただいて、「見学」の形で特別にお邪魔させていただきました。

 

「紅葉の穴場」などとうっかり紹介して、結果として大量の観光客が殺到する…などとなってはいけませんしね。

静かで美しい環境を守るためにも、詳細は伏せて置きましょう。

(判った方、知っている方も、敢えて黙っておきましょう:笑)

 

二次会

楽しい時間の想い出を胸に、夕陽の坂道を下ってゆきます。

途中の民家のわんこが、人懐っこくてめっちゃカワエエ♪

ふと見上げれば、空に丸い月が昇って…。

ここは江戸時代初期に後水尾天皇が余生を送るべく造営した修学院離宮の周辺。

…こんなに美しい景色の中で隠居生活を送れば、そりゃあ長生き(昭和天皇に次ぐ85歳)もしますわね。

 

京都市街に近づくにつれて、バスの車内も道路も混雑がひどくなります。

「ここから先は大渋滞ですよ!地下鉄に乗り換えてください!!」…などと「振り替え乗車票」まで配られる始末(1回目)


ここしばらく、希望者が無く開催していなかった「二次会」でしたが、両回とも初参加の方が「二次会」もご希望くださったばかりか、おススメのお店まで教えてくださいましてね。久しぶりに開催することができました。

(それだけ楽しい交流だったのだと思います)

 

1回目:四条高倉の「若旦那」さまにて気軽に立ち飲み。

(「おススメのお店」は残念ながら満席でしたが、いいお店を教えていただきました♪)

ここもお教室つながりの「姉さま」に連れて行っていただいた、安くて美味しいお店でしてね。

ひとり2千円そこそこでけっこうお腹いっぱいになりました。

…なにより、地元京都に本社を置く企業ですのでね、今後もうんと利用して参りますよう!

 

2回目:京都タワー"KYOTO TOWER SANDO"地下1階のフードコート

 

初参加の方が「行きつけ&おススメ」としてご紹介くださいました。

フードコートと言っても、並んでいるのは京都でも名の知れたお店ばかり。

そんな「名店」の数々を、ワンフロアでハシゴできちゃう…とゆー、なかなかゼータクで楽しいスポット。

 

↓楽しすぎて写真がこれしかない(^^;

 

…入口に飾られていたオブジェ。

後で調べたら、小野小町の和歌

「思ひつつ ぬればや人の見えつらむ 夢としりせば さめざらましを」

現代語訳なのだそうです。

 

「つながりの人々」に支えられて…

今回ご参加くださった方々からの感想です。

 

(女性:エホバの証人2世)
お陰様で、とても良いひと時を過ごせました。
ありがとうございました。
ご縁を紡ぐ場を作ってくださっている事にも、感謝です。
わたしに出来る力添えは喜んでしますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

(男性:エホバの証人2世、初参加)
京都蘖の会に参加出来て心より感謝致します。
紅葉の美の京都はもちろんの事、それぞれの体験境遇は違えど、共通した悲しみ苦痛を経験してきた同年代の方々と、気持ちを共有し合い肯定出来るという素晴らしい体験が出来ました。
人生のターニングポイントを迎えているのを感じております。
本当にどうもありがとうございます。

(男性:エホバの証人2世)
今回もとても実り大きひとときでした!感謝です!
JW関係外の方にも来て頂いて楽しんでいただけるのもうれしいものですよね。私にとっても大きな刺激になりました。
みなせさんが長く続けてくださっているからこそです。

(男性:神道系新宗教2世、初参加)
今まで心の中でモヤモヤしていたものが少し晴れたようにも感じています。
また予定が合えばぜひ参加させていただきたく思っておりますので、その時はよろしくお願いしますね。

 

大晦日の記事でも触れましたが、2023年は「蘖の会」とみなせ自身にとって色々と苦しい日々でした。

 

この「錦秋」の会を企画・告知した9月末は、ちょうど3連続(第二回広島蘖、初秋1回目、初秋2回目)で「参加者ゼロ」が続いて、今回の企画開催はもちろんのこと「蘖の会」そのものの存続自体、真剣に悩み迷う状況でした。


そのことを思うと、こうして2回とも開催でき、初参加の方含めて大変に喜んでいただけたこと、こうした言葉をいただけたことが、この記事を綴っている現在でも夢のようにも感じますし、それまで味わった苦しみや痛みが改めて癒されるかのように感じます。

 

勇気を出して参加してくださった「初参加」の方々。

そのための「戸口」を開いてくださった「陽だまり」のみなさま。

当日さまざまにサポートしてくださった「常連さん」。

忙しい中、職場の敷地の「見学」許可をいただくべく、ご尽力くださった「姉さま」。

また、ここに至るまで様々に力を貸してくださった「広島蘖の会現地スタッフ」の仲間たち。
(前月に開催した「第3回広島蘖の会」の成功も、大きな大きな後押しになりました!)

 

…陰に日向に、つながっていてくださる一人一人に、「蘖の会」もみなせも支えられ、続けることができているのだな…と、改めて噛み締めています。

 

改めて、ひとりひとりに、こころからの「ありがとう」と「大好き」を…。

 

いわゆる「地方」での開催。

他の大規模オフ会に比べれば、弱小の限り。

マスコミや学識者は言うまでもなく、「宗教二世」界隈の「トップランナー」たちや、空虚な「追従者たち」の鼻にさえかけられない。

…だが、それがいい。

 

ご参加くださるひとりひとりと、ひとりひとりとの「つながり」を大切に。

安心感と満足感はどこにも、だれにも決して負けない。

 

…そうして、約6年間、50回近く開催し続けてきたこと。

 

それが、わたしみなせの、「蘖の会」の、いちばんの誇りなのです。

 

いわゆる「宗教二世」界隈の、社会の、あまりにも激しい流れの中で。

古都京都、湖国滋賀、そして広島瀬戸内の美しい風景の中で、

今後も参加してくださる一人一人を大切に、一回一回丁寧に、「つながり」を紡いで参ります。

 

※次回「早春の京都蘖の会」は、3月中の土曜日、日曜日に開催予定。

1月21日(日曜日)の拙ブログにて詳細を告知いたします。

 

↓ランチでいただいた「ゆば泉」さんの「汲み上げ湯葉」、お取り寄せできちゃいますよぅ(^▽^)ノ

 

 

(京都市上京区、北野天満宮の大絵馬)

 

みなさま、あけましておめでとうございます~♪

 

1月1日元旦。

2024年という真っ白なページに「今年」という新たな軌跡を描き出す「始まりの日」です。

今年も、広島県呉市の実家で過ごす正月、お雑煮食べた後は「コタツトップパソコン」に貼りついて、せっせとこの駄文を綴っております(^^:

 

さてこの「元旦」記事。

大晦日同様、2007年より毎年恒例として、T's Love(「ギョーカイ」専門のSNS)、mixi、そしてこのブログへと引き継がれて続けてきました。

 

かなーり真面目に一年間を振り返り、けっこうホンネもぶつけた大晦日とは打って変わって、元旦はその年の干支にちなんだネタ記事を景気よくぶっ放して参ります。

 

2019年(猪年)
2020年(子年)
2021年(丑年)
2022年(寅年)
2023年(卯年)

 

今年の干支は辰。

龍(竜)、ドラゴンです。

…ドラゴンと言えばやっぱりこれ!

ミュージック、スタート!!

アチョ~!!!
…これだけでもうテンション上がって、昨年までの困難やらうっぷんやらをビシバシなぎ倒せそうな気持ちになってきます。

 

も~ひとつ名言がありますね。
Don’t think.Feel(考えるな、感じろ)

…そうそう、考え込んで煮詰まっていてもしゃーない。

ある程度考えたら、あとは感じるままに突き進んでゆけば良いのです。

昨年、十二分に悩みつくしましたのでね。

今年一年はどんどん感じて参りましょうアハーンアハーン(←違)w

 

「JW二世」として、幼い頃より曲がりなりにも聖書教育を叩き込まれていた身からすれば、「龍=悪魔サタン=邪悪」とゆー図式になってしまうのですが、それはほんの一部。

 

我が国日本をはじめ、世界中の様々な国で、この架空の生き物に様々な願いや夢を託してきたことを学びました。

 

龍が古代から伝わる財宝を守っていて(時々お姫様も監禁していて)、そこへ勇者が戦いを挑み、激闘の末に倒して幸せを手に入れる…。

そんな共通のストーリーが世界中に散在していたりしますね。

「聖ゲオルギウスの竜退治」

山陰出身者なら忘れちゃいけん!

「ヤマタノオロチ」を退治する、スサノオノミコト

 

かの名作ゲーム「ドラゴンクエスト」は、こうした伝説をモチーフにしているのですねー。

たくさんの作品が出ている「ドラクエ」ですが、みなせ的にはやっぱり”Ⅲ”かな。

発売日に学校サボって並んで購入した帰り路、ヤンキー集団にカツアゲされて泣いて帰った…とか、社会問題になりましたっけ。

 

30代の頃にちょっとだけかじった「ユング心理学」では、「龍」は、全人類の潜在意識に存在するとされる母性原理である「グレードマザー」の象徴イメージ。

 

男の子が成長し、やがて母親の影響力から独立をする際の葛藤が、全世界にちらばる「ドラゴン退治」のストーリーの原型になったのかもしれない…などと学びましてね。

母親に加え、JW組織とその教義という「二重の束縛」から脱出するべく、必死であがいていた自身の青年時代をふと思い出したりしたものです。

さらにお隣の中国に目を向ければ、国そのものが「龍」を象徴にしておりますし、我が国日本においても「水、雨の神」として、昔話にも出てきます。

 

京都をはじめ、大きな仏教寺院の天井には、龍が描かれていることが多々あります。

(建仁寺法堂「双龍図」)

 

雨をつかさどる水の神の象徴として、「雨のように仏法をあまねく広める」…と、ちょっと並べただけでもこれだけでブログ記事が終わってしまいそうなくらいに、この「龍」という架空の生き物はたくさんのイメージにあふれています。


…そんな「龍」を、みなせさんの2024年に結び付けてゆくか…。
やっぱり手近な「プロ野球」から始めてみましょう。

龍をシンボルにしている球団…ありますねぇ。

♪いいぞ、がんばれ、ドラゴンズ~
燃~えよドラゴンズ~

 

祖父、親父、そしてわたしと続く「カープファン三世」の身からすると、ドラゴンズは同一リーグのライバルになるわけなのですが、ジャイアンツほどに敵愾心が燃えるわけではなく、逆に不思議な親しみすら感じたりする球団だったりします。

これは現在もわたしの友人にもドラゴンズファンが数名おり、これがまたみんなエエ奴ばかり…とゆー事情に加えて、かつて大変お世話になった「くみこさんのお母さん」ともいうべき美容師さんとその旦那さんが熱烈なドラゴンズファンであったこともある…といいう背景があったりするのです。

 

「ネーミングライツ(命名権)」などと申しまして、最近のスタジアムには企業名や商品名が冠される場合がほとんどになっています。

 

我らが広島カープの本拠地、広島市民球場であれば、”MAZDA Zoom-Zoomスタジアム”

…で、ドラゴンズ本拠地であるナゴヤドームと言えば、「バンテリンドームナゴヤ」。

だから、あの応援歌も…

♪遠い夜空に こだまする
竜の叫びを 耳にして
バンテリンドームに つめかけた
ぼくらをじぃ~んとしびれさす…。


…おぉぅ、バンテリンめっちゃ効いてますやんww
などとネタにされたのを思い出します。

 

リーチフォークリフト乗りという仕事柄、どうしても足腰に負担が行きやすいものでしてね、「じぃ~んとしびれる」ほどにバンテリン塗って、元気に日々を過ごしてゆきたいものであります…って、そーゆーオチかいなww

その他、街に龍が何かないかな…?と考えていると、あるある、ありましたぁ。

 

…いわゆる「オラオラ系」ファッションには「龍」が欠かせませんね。

 

販売元のサイト、なかなかの品ぞろえと品質に加え、秒速で悪党になれる初心者向けページだの、「ムショ割」や「出所割」等、ユニークな?割引サービスがあって、見ているだけでもオモロイです。

(買わないけどw)

 

学生時代、いわゆる「ヤンキー」や「不良」と呼ばれるクラスメイト達がこーゆーデザインを好んでおりましたっけ。
とはいえ、当時は「体罰上等」、生徒の人権云々などとゆー考えはないに等しかった昭和時代でしたからね。

 

髪型検査に服装検査は当たり前、ちょっとでも校則に引っ掛かろうものなら、こわもての生活指導教師や体育教師に職員室に連れて行かれてアイテム没収、バリカンで丸刈り、ついでにビンタの一発二発も添えて…などとゆー、実に手厚い指導がまかり通っていた時代です。

そんな環境下で彼らは、いかに校則をかいくぐって自身のおしゃれを通すか…に頭とエネルギーを使っていたのでした。

結果として導き出した結論が「見えないおしゃれ」。

 

学生服のインナーは言うまでもなく、その学生服の裏地が、燦然と輝く金のドラゴン刺繍…とか。
はたまた裏ボタンをこんなのにするとか…。

ちなみに、わたしのクラスメートが披露してくれたのは、「織」「田」「信」「長」「(竜の絵)」の組み合わせでした。

 

当時の江戸幕府による「奢侈禁止令」で、ぜいたくやおしゃれを厳しく禁止されていた中、江戸っ子たちが編み出した「裏勝り」よろしく、見えないところに凝る…。

今思い出しても、なかなかにおしゃれな連中だったなぁ~と感じます。


こーゆーファッションは言うまでもなく、みなせが自身のファッションに「龍」を取り入れることは天地がひっくり返ってもないと思いますが、彼らのおしゃれセンスと工夫には学ぶべき点が多いな…と感じます。

 

そんなわけで、この2024年は、最近ハマりつつある「ロリータファッション」をさらに究めてゆきたいと思います…って、なんでそーなるww

2023年6月、伊賀の「み」姉さま宅で開催された「姫茶会」にて。

 

団塊ジュニア世代はじめ、多くの男の子にたちには、やっぱり外せない「ドラゴンボール」。

 

みなせの世代はちょうど「週刊少年ジャンプ」にリアルタイムに連載がなされていましてね。

毎週月曜日の朝には、クラスメート連中がバス停横の駄菓子屋へ駈け込んでジャンプを買う。

そして朝一から熟読、熱読、激読。

読み終わったら「かめはめ波」を出すトレーニングに精を出す(笑)
そんなおバk…いえいえ、純真なクラスメイトに囲まれていました。
※ちなみに、実際に「かめはめ波」が出た奴は一人としてなく、「か~め~は~め~波!」と叫びつつ、ターゲットに向かって突進してゆく…とゆースタイルでしたw

わたしみなせは卒業後に、妹の蔵書だったコミック版で読破したのですが、連載当初はドラゴンボールを集めた挙句、「ギャルのパンティ」に代わってしまうとか、亀仙人のもとでトレーニングを兼ねて牛乳配達をする…などとゆーほのぼのしたストーリーがやがて「天下一武闘会」、「ピッコロ大魔王」、「サイヤ人襲来」、「ギニュー特戦隊」、そして「戦闘力530000のフリーザ様」が出てきてスーパーサイヤ人誕生…と、ジンバブエドルもびっくりの天井知らずな戦闘力のインフレーション…。

今から思うと滑稽にも感じますが、当時若者だったわたしたちとしてはハラハラドキドキ、次の発売が待ち遠しい…という青春時代でありました。

 

「努力、友情、勝利」が「少年ジャンプ」の変わらぬコンセプト。
ドラゴンボールはじめ、当時連載されていたマンガに没頭していた「団塊ジュニア」世代も、すっかりオッサン、下手したらジジイに片足突っ込む年代になりました。

しかし、オッサンになっても、ジジイになってもココロは少年のままです。


さすがに「かめはめ波」を練習しているオッサンやジジイはいなくても、あの時のワクワク感や「もっと強くなりたい」という向上心、「クリリンのことかーーーっ!」…などと激しく怒れるほどくらいに熱く仲間を思う気持ち。
そうでありながら、普段は亀仙人のようなどスケベジジイ…と、独特の美学を教えてくれたように思います。

…そんな同年代のオッサン(ジジイ)たちをしり目に、なぜか「オンナ」の道を歩むみなせさん。
しかし、外見は違えど、そのエネルギーや思いは彼らと一緒です、

そう、ベクトルは違えど、そこへ費やす思いやエネルギーの熱さは同じなのです。
傍目にはおバカで滑稽にすら思えるかもしれませんが、「嬉しい」、「楽しい」、「大好き」、と心底言えるものにエネルギーを注いでゆきたいものですね。

そうして、そう遠くない将来に訪れるであろう人生の終着点で、明るくさっぱりとこの言葉をかけられるよう…。

そんな人生を全うしてゆきたいものです。


そんなわけで、昨年2023年に苦しめられた問題は、ブルース・リーのようにバッタバッタ撃破して、
「オラ、ワクワクしてきたぞ」と、公私共々不屈の闘志と飽くなき向上心を持って、
年末には「スーパーサイヤ人」レベルに進化しているよう(笑)日々修練に励んでまいりたいと思います。

今年一年も、どうぞよろしくお願いいたします~。

こころをこめて…
みなせくみこ

9月、信州にて「ギョーカイ」つながりの友人たちと

(お顔出しくださっているみなさまには、ご承認済み)


12月31日。
2023年も最後の一日になりました。

普段は遅筆極まるみなせさんも、なぜか年末年始にはせっせとブログ記事を更新したくなる「みなせさん確変期間」を迎えます。

…こーゆーのを人は「怠け者の節句働き」と呼びます(笑)

 

毎年恒例の大晦日のご挨拶記事「一年の終わりに、こころをこめて」。

コレ、実は2006年より、当時は「ギョーカイ」専門のSNS、mixi、そして拙ブログへと受け継がれている伝統記事だったりします。

2018年
2019年

平成最終日
2020年
2021年
2022年

清水の舞台で書かれる「今年の漢字」に倣うわけではありませんが、この大晦日の記事にて自身の日々を漢字一文字で表わすことにしています。

みなせくみこの2023年。
それは、「省」の一年でした。

財務省、国土交通省、文部科学省等の「省」ではなく、ましてや3月に京都へ移転してきた文化庁とは何の関係もなく、

 

「自省」「反省」の「省」。

「かえりみる、振り返って考える」の「省」です。

年齢的にも大きな節目を迎えた今年。

毎年恒例、信州の山荘で迎える「トリプルバースデー」。

「大きな節目」なのにロリータファッションだって!?

これからは、「周りから見てどう見えるか基準」ではなく、「自分から見てどう見えるか基準」実年齢よりも「見た目年齢」なのですっ!!(><)/

 

かつて、「月五万円の収入で暮らして、あとは伝道活動に打ち込んでさえいれば、数年後には地上のパラダイスで永遠の生命♪」などとゆー、アホな宗教団体のアホゥな教えを鵜呑みにしたどアホゥな青春時代のツケを取り戻すべく。

 

また、自身と向き合う葛藤の中から生まれた、「みなせくみこ」という「いちばん自分らしい自分」を守るべく。
さらには、いわゆる「宗教二世」のひとりとして、「蘖の会」という場を作り、また守るべく…。

 

がむしゃらに、体力任せで突き進んできた十数年間に突如停止信号が灯り、立ち止まらざるを得なくなった…。
それが、わたしみなせの2023年でした。

 

  
職場において、省みる


今年6月。
他の同僚同士が起こした、おバカ極まるトラブルのあおりを受ける形で突然の部署異動を命ぜられ、仕事内容と生活パターンと収入に極めて大きな変化が起こりました。

もっとも、そのひと月ほど前から、(以前の部署で)長年携わっていた「第一線」の立ち位置を外される等の不穏な扱いを受けていた中での異動に、当初は「何の落ち度もないのに、なぜ…」などと、戸惑いと納得できない思い、屈辱感に苛まれていました。

 

たとえば、どんなスター選手であっても、時の流れと共に、活きの良い若い選手にレギュラーの座を明け渡す時が来るのが現実。

冷静に自らを「省みて」見れば、それは自分だけの考え、もしかしたら感情でしかなく、周囲から見れば、会社からすれば、それだけの処置に値する?所業はしていたのかも知れない…と、ひたすら反省するしかないことに気づかされました。

 

そうして、受け容れられない変化を受け入れるべく、新たな部署で「自分にできること」を見つけ出し最善を尽くしながら、仕事や仕事への自身の姿勢、これまでの生活内容や金銭感覚、すべて引っくるめて省み、見直し、仕分けしてゆかねばならないのかな…と真剣に悩み続けた日々でありました。

 

色々と葛藤のただ中に合った6月に、着付け教室で開催された「組みひも体験」。

無心になって紐を組んでゆく時間が、ひと時こころのオアシスになりました。

…それにしても、この頃まで「マスク」していたのねぇ(^^;

 

  
「京都蘖の会」において、省みる

 

昨年7月の、安倍元総理銃撃事件に端を発した「宗教二世」における動きも、また激しい一年となった2023年でした。

旧「統一教会」への解散請求、さらにわたしみなせも所属していた「エホバの証人」に関する各種虐待の告発等、マスメディアで報道されることも多くなり、教団としてもだんまりを決め込むことができなくなるほどに、二世当事者たちの攻勢もいっそう強まりました。

こうした激しい流れの中で6年目を迎えた、わたしみなせが世話人を務める「京都蘖の会」においても、これまでとは違う意図を抱いた、これまでとは違ったタイプの方々が参加されるようになり、そのことが思わぬトラブルを引き起こすことになりました。
注:個人攻撃と受け取られることを防ぐため、時系列をずらし、いくつかのエピソードをミックスしたり、分割したりして綴っています。
ここでわたしみなせがいちばんお伝えしたいのは、誰か特定の個人を非難、攻撃することではなく、「蘖の会」を続ける上で味わった困難です。


例えば、「同じ背景をもつ仲間たちとじっくり交流する」という本来の目的ではなく、自分自身の「ビジネス」を展開し、集客活動や顧客獲得のために「蘖の会」の場やみなせ個人を利用しようとする人。
注:確かに、これだけ社会的に注目されれば、「宗教二世」が新たなビジネスのフロンティアになるのは事実ですし、実際他の「大規模オフ会」では大いに推奨され、そのための告知時間も設けられていて、みなせ自身もその恩恵にあずかったこともありますが、「蘖の会」も同じだなどと考えてもらっては困ります。

例えば、「だれかを支配下に置いていたい、思うようにコントロールしていたい」という自らの欲求のターゲットとして、みなせ個人にロックオンする人。
注:また、みなせがこーゆー連中に若い頃から引っかかりやすいんだな、これが(苦笑)


仲間との交流よりも「私利私欲」を優先する、こうした「我利我利亡者ども」が引き起こしたトラブルに対処する中で、罵倒に限りなく近い、非常に厳しい言葉を浴びせられることもありました。

 

まさしく「餓鬼畜生」。
人はここまで醜く、卑しい性根になるのか…と。

今までやってきた「蘖の会」は何だったんだ…と。

 

しかし翻って考えると、その醜さ卑しさは自身のそれの投影でしかないことに気づき、さらにショックを受けたり…。
控えめに言っても「打ちのめされ」る中で、これまた自身を「省みる」日々でした。

この出来事をきっかけに、「広島蘖の会現地スタッフ」や「ゆるカフェサポーター」等、周囲の方々にもアドバイスをいただきながら、「ビジネス展開厳禁」始めとする参加ルールを再設定しました。

そうして次回「初夏の京都蘖の会」に臨んだものの、第2回に1名のご参加いただいたのを除き、6月に企画した「第二回広島蘖の会」、そして8月と9月に開催した「初秋の京都蘖の会」1回目、2回目と以後3回続けて「参加者ゼロ」が続きました。

もちろん歴史的猛暑等、他の要素も多分に絡んでいたとは思いますが、これだけ「参加者ゼロ」が続くと、さすがに「やけ酒ふて寝」などとネタにして笑い飛ばす余裕もなくなってきます。

追い討ちをかけるかのように、ちょうどこの頃、某・学識者の方より「とある宗教二世の言葉」として、こんな言葉を耳に入れられました。

「『大学教授』や『弁護士』、また(TV等の)マスコミに紹介されている人が主催する集まりなら安心して参加できるけど、どんな人かよくわからない一個人が主催する「オフ会」とか怖くて到底参加できない」。

…おーおー、オフ会開くのにとうとう大学の学位やら司法試験合格やらが必要なご時世になってきたらしいぜエエ時代になったもんじゃのぉどんだけハードル上げよんならどーせあたいは無学な馬の骨じゃいやアホンダラボケカス…などと、この頃は職場のストレスもMAXだったことも相まってずいぶんとやさぐれましてね。


あぁ、これも時代の流れ、「蘖の会」もそろそろ幕引きやな。
少なくとも、7年目に入ることはもうあらへん。

…そんなことを、真剣に考える日々が続きました。

2月14日、NHKーEテレにて放送された「ハートネットTV」にちゃっかり映り込んだのは、今年最大の出来事のひとつです。

 

  
助けをもらおう、手を組もう。

 

元より、みなせの「個人商店」として開催してきた「蘖の会」でしたが、こうした大きなクソッタレな流れの中では、すでにみなせ個人の手には余るのかもしれない。


とっとと白旗掲げて、他の人々の力を借りよう…と、数ある「宗教二世支援団体」の中から「陽だまり」さまへ入会の上、その活動の一環として「蘖の会」の場を提供する…という決断をしました。

 

まるで「押しかけ女房」のように、いきなり連携を持ちかけてきたみなせは、発足間もない「陽だまり」さんにとって迷惑極まりなかったと思いますが、快く受け入れていただいた理事長秋本さまはじめ、みなさまのココロの大きさには、今更ながらにただただ感謝しかありません。

…加えて、この苦しい日々の中でとりわけ力になってくれたのが、「広島蘖の会」現地スタッフとして力を貸してくださっている「広島からあげ会」の3人の仲間たちでした。

みなせがぶちまける愚痴を辛抱強く受け止めてくれたばかりか、参加者ゼロに終わった「第2回広島蘖の会」の際には「残念会」よろしく2日間に渉って時間を取って下さり、楽しい時間と暖かな励ましの言葉をくださり、その場で「第3回」の企画まで立ててくださいました。
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とりわけ、帰り際にスタッフのひとりであるMさんからいただいたメッセージには、どれだけ勇気づけられたかわかりません。

「いつかきっと実を結びますよ。
必要な人に私たちの気持ちが届く時がきっときっと来ます。」


…そして、その言葉通りになりました。
この時に企画した「第3回広島蘖の会」には、九州から1名の方が「勇気を出して」ご参加くださったのです!
(その詳細は、先の記事の通りです)

また、11月、12月に開催した「錦秋の京都蘖の会」には1回目、2回目ともに2名ずつのご参加。
とりわけ、第2回には初めて「エホバの証人」以外の宗教団体の2世さんがご参加下さり、「陽だまり」さまとの連携の成果が生まれつつあります。
(当日の詳細は、また後日記事にいたします。)

…かくして、一度はピリオドを打つことも真剣に考えた「蘖の会」でしたが、7年目となる来年も引き続き開催してゆこうと心を定めることができました。

この場を借りて、「広島蘖の会スタッフ」のMさん、Nさん、Oさん。

(アルファベット順に綺麗に並んでいることに今更ながら気づくとかw)

 

また、個人的にガイドを依頼してくださった中でお話を聴いていただき、援護射撃までしてくださった、同じ広島出身の「ほっとかめ(かぐわ)さん」と「ゆかいな仲間(笑)」さん。

秋の縁側で過ごした嵯峨野のひと時。わたし自身、心底「心のオアシス」になりました!

今更ながらに、ありがとうございました。

 

「みなせさんが長く続けてくださっているからですよ!」と、力強い言葉を下さった、「錦秋の京都蘖の会」にご参加下さった東京のKさん。

冴えないわたしに京都ガイドをご依頼くださった、ひとりひとりのお客さま。

「みなせさんだから」…と、何よりうれしいお言葉と共に、母娘で比叡山ガイドをご依頼くださったお客さま。

(お顔出しご承認済み)

 

…「広島人脈」はじめ、たくさんの人々に、わたしも「蘖の会」も支えられているのだなと、独りで抱え込む必要はないのだな…と、暖かな心持ちで自身を「省みる」日々でもありました。

 

  
地味に、泥臭く「続ける」こと。

※下記の内容はすべて「自戒」として、自分自身にへ向けて綴るものであります。

いわゆる「宗教二世」に限らず、「人を(継続的に)支援する」ことは、本来地道で泥臭いものです。

 

「宗教二世」の大きなうねりと社会の注目の中、数多くの「二世支援団体」が、多数の記者やカメラマンたちを前に華やかに発足してきました。

 

確かにゼロから「作り上げ」、「立ちあげる」ことは大変素晴らしいことです。

 

しかし、その立ち上げたものを5年、10年と「継続」することは全く別問題であり、それがいかに困難で力が要るかは、わたしなりに身に沁みています。

「時の流れ」というものは、ほんとうに恐ろしいです。
ここ二年ほど大きなうねりだった「宗教二世」も、やがて耳慣れた呼称となり、目新しさ、センセーショナルさは薄れ、やがて支援活動は目立たない地道なものへと収斂し、さらには淘汰の動きさえ起こってゆくのではないか…と思います。

「陽だまり」という支援団体のひとつに所属し、その活動に携わるひとりとして、下記の点は常に自分自身へ厳しく問いかけ続けたいです。

 

つまり、自身が「宗教二世」支援活動に携わる動機は一体何なのか…と。

「虎の威を借る狐」よろしく、団体の名を借りて「界隈」でもてはやされたり、あわよくば「有名」になることなのか。

教団追及の「最前線」に立つ、アタマのおよろしい人たちに追従して、なんとなく「スゲエことやってる気になって」自己の空虚で貧弱な自尊心を満たすことなのか。

それとも、地味で地道に、時に泥まみれ血まみれになる思いをしながらも、5年10年という長期スパンでこの二世問題と「取っ組み合う」覚悟があるのか…と。


これもまた、自らを「省」みるべきことなのでしょう。
 

  一年の終わりに、こころをこめて…

 

2024年の新たな日々。
年が改まっただけで、何かが劇的に変わるわけではありません。

しかし、この一年、公私にわたり、特に「蘖の会」については相当に苦しんだ日々が、さらなる前進への原動力になってくれる…。

いえ、絶対にそうして行かなければなりません。

12月、お世話になっている着付け教室の「修了式」(=謝恩会)。

ジャンケン大会で、反物を引き当てましてね。

色々と苦しいこと続きだった今年の日々が、報われたように感じます。

 

昨年の大晦日、「2023年は根を張り巡らす一年」と書きました。

 

時間がかかっても良いです。
深く、広く広がった根っ子から、いつの日か大輪の花が、豊かな実が実りますように…。

 

その日まで、いえ、その後もずっと。

 

「その人自身」を大切に、出会い、つながってくださっているひとりひとりとのご縁を大切にすること。
「京都ガイド」と「蘖の会」の活動を継続すること。
「陽だまり」の一員として、宗教二世支援活動を地道に続けること。

大してアタマも良くない、力も金もない、ヘボいわたしですが、

いちばんわたしらしい「みなせくみこ」として、社会と時代の激流の中で残された人生の日々を全うしてゆきたい…。
そう決意しています。

「広島からあげ会(広島蘖の会現地スタッフ)」の大切な仲間たち。
「陽だまり」のみなさま。
「京都蘖の会」並びに「広島蘖の会」へご参加くださった、また関心を寄せてくださっているみなさま。
京都ガイドをご依頼くださったみなさま。

いつも元気とパワーをくださる、着付け教室の先生方姉さま方。

信州の別荘始め、「ギョーカイ」にてつながっていてくださるみなさま。
そして、日々さまざまにつながってくださっているすべてのみなさま。


わたしみなせくみこは、出会い、つながってくださっているひとりひとりとの「ご縁」で作られています。

今年一年、ほんとうにありがとうございました。
新たな一年も、どうぞよろしくお願いします。

こころをこめて…
みなせくみこ

 

この記事、実は湖北を旅しながら、スマホポチポチして綴っていたんだな。

道々に、美味しそうな鮒寿司が並んでいましたわ…。