4月30日。

平成最後の一日です。

 

いつもと同じ日付変わりには違いないとはいえ、時の流れの中でやってくる「区切り」は、やはり大切にしたいな…と思っています。
ましてや、天皇陛下の退位、新天皇陛下即位という、日本ならではの「時代」の変わり目と言えばなおさらですもの。

 

さて、昭和天皇の崩御、そして新元号「平成」の発表があった昭和64年1月7日は、広島県呉市内の当時の実家で迎えました。
ちょうど高校受験直前の頃…って、そこのあーた!年齢計算しんとってや!!(笑)

 

 

美術の授業で作成した卒業作品が、オリジナル(木製)「卒業証書入れ」でした。

何しろ初めての新元号でしたからね。

証書入れの側面に、彫刻刀で「平成元年三月」と嬉し気に彫ったのを思い出します。

そうして高校入学。
「区切りの年」に「人生の区切り」を迎えられたのが、わけもなく嬉しかったのを思い出します。

 

そんなわけで、みなせさんの平成30年間をかる~く振り返ってみましょう。


「平成ひとケタ」時代(1989~1997):

イケイケの「模範的JW2世」としてブイブイ言わせた頃(←古っ!w)

平成元年(1989年):高校1年生、6月に「伝道者」として任命。
※ 信者数増加と教勢拡大を第一の目的としているJW組織は、早い段階から信者をいわば「営業マン」として育成する。
そのようなわけで、信者は洗礼の前段階として「伝道者」(駆け出し営業マン)から始める。

 

平成2年(1990年):高校2年生の8月。バプテスマ(=洗礼)

※伝道中の当時のみなせくん。くそマジメなヒョロガリ君でしたw

 

平成4年(1992年):3月高校卒業、実家を出てパートナー生活。9月開拓者任命。

※年間1000時間(当時)の布教活動のノルマを果たし、布教活動の先頭に立つ信者のこと。組織内では一種のステータスではあるが、まったくの無給である。

 

平成5年(1993年):9月、開拓者学校招待

※2年目を迎える開拓者が特別に招待される、2週間にわたる特別「研修」。「世を照らす者として輝く」選民思想と営業テクニックをみっちりと叩き込まれる。

 

平成6年(1994年):11月、開拓奉仕は中断(最初の挫折)するものの、開拓者学校の教訓者であった巡回監督(≒エリアマネージャー)の推薦?で、広島市北部の「必要の大きな会衆」へ移動。

まるで「拾ってもらえた」かのような人事異動に感激して、移動先の会衆の仕事に打ち込んだものです。

また、たくさん旅をした時期でもありました。

(JR木次線亀嵩駅にて)
 

平成10年代(1998~2007):

挫折と内省、大転換の時期。

 

それまでのJW人生で大きな挫折を味わうと共に、自分自身と向き合った時期。

「他の誰のものでもない、自分らしい人生」のステージとして選んだ京都の街へ、自身の足場を固めた時期。
そうして、いちばんわたしらしいわたし、「みなせくみこ」が生まれた時期でもあります。


平成10年(1998年):10月、パートナー生活解消、独り暮らしを始める。
平成11年(1999年):1月、大きな挫折に直面。以後、3年間に渉り日記を綴ることで自己と向き合う。
平成13年(2001年):9月、「しがらみ」だらけの環境にいては自分がダメになる!と、人生リセットのつもりで広島から京都への転居を決意。
平成14年(2002年):10月、京都市内へ転居。

平成16年(2004年):「水瀬久美子」の誕生。当時は「女装」とも言えない、表にも到底出れない「仮装」…いえ「汚装」状態でしたが:苦笑)
平成17年(2005年):やっとこさ就職した会社がどブラック企業。「仕事よりも霊的事柄(宗教活動)最優先!」という、JW特有の仕事観について色々と「荒療治」を受ける日々(笑)
平成18年(2006年):3月、3度目の挫折により、JW人生に見切りをつける決意が固まる。

4月、現住所へ引っ越し。7月、T's Love(「ギョーカイ」専門のSNS)登録。
(↑「ギョーカイ」のみなさまには、この年からお世話になっております♪)

平成19年(2007年):「ギョーカイ」での交友が本格化するが、人間関係のスキルの無さ、距離感の無さ、社会常識の無さに方々迷惑まき散らしつつ七転八倒、たくさん迷惑かけてたくさん叱られた日々。

平成20年代(2008~2017):

素敵なご縁に恵まれる中、JWフェイドアウトと、「みなせくみこ」フェイドインを果たせた時期。

平成20年(2008年):初めて恋愛らしい恋愛をするが、「愛情」と「依存」の区別がつかず、大火傷して打ちのめされる。

12月、「くみこさんの母親」ともいうべき女性と出会い、以後6年間に渉り、彼女と彼女の夫が経営する愛知県下の美容サロンに月参、外面内面共々、「オンナ」として「ひとりの人間」として、薫陶を受ける。

現在の「みなせくみこ」は、このご夫妻とのかかわりの中で作り上げていただいたと言っても過言ではありません。

(「わがこころのふるさと」とも言うべきこのサロンとご夫妻のことは、また後日詳しく記事にしたいと思います)

※お顔出しご承認済み

 

平成21年(2009年):某オレンジ色のSNS内の元JWコミュに参加。以後1年間ほど「毒吐き」に明け暮れると共に、当時の「仲間」との交流にいそしむ。


平成25年(2013年):着付けの恩師の先生と出会い、着付けのおけいこを始める。
(↑お教室の先生方姉さま方には、この年からお世話になっております♪)

※市内のレンタルスペースを借りて、おけいこ中のみなせ(当時)

 

平成26年(2014年):9月、当時の職場消滅決定、就職活動を余儀なくされる。併せて、お世話になっていた美容サロンの閉店等様々に暗転の日々ながら、12月のどん詰まりに、現在の職場への採用決定。
平成27年(2015年):2月、現在の職場への勤務開始。徐々に仕事と収入が安定してくる。
平成28年(2016年):ひょんなきっかけで、それまでのJW人脈がほぼ全解消され、女性「みなせくみこ」として堂々と現れ出す。
(↑お着物つながりの姉さま方には、この年あたりよりお世話になっております♪)


平成29年(2017年):2月、京都検定2級合格。5月「エビのしっぽ」座談会(秋本弘毅氏主催)参加をきっかけに、アメブロでの活動を実質的に開始。
(↑アメブロのみなさまには、この年からお世話になっております♪)

 

平成30年代(2018、2019):

「京都観光ガイド、元JW2世、(いわゆる)トランスジェンダーみなせくみこ」としての活動を確立した日々。

 

平成30年(2018年):4月「京都蘖の会」初開催。以後、各季節ごとに2回ずつ開催。
平成31年(2019年):←いまここ!(笑)

 

…ひとまず、以上。


少し前まで、10年前というものは「(幼すぎて)記憶に残っていない日々」のはずでした。
ふと気づけば、10年どころか、30年分の日々を昨日のように思い出し、総括するようになるとは…。
それだけ時間が流れ、わたし自身もまた年齢を重ねたということなのでしょう。

でも、ひとつだけ常にズレなかったことがあったと思います。
それは、「自分のこころに正直であったこと」。

おかしいと感じたことは、おかしいと思って調べる。

おかしいと確信したら見切り、戦略的に身を引いてゆく。

 

「好きだ」と思うことには、アタマから飛び込んでみる。

出会った人たちの中で、最初は七転八倒しながらも人間関係の機微を、コツを身体で覚えてゆく。


そうしてまたひとつ、新しいご縁が引き寄せられる。
そうして出会った人たちとのご縁を、うんと大切にする。
そうしてまたひとつ、「オンナ」として「人間」として成長する。

 

人生のちょうど3分の2、社会人となってほとんどすべての時期を過ごしたので当然と言えば当然ですが、

平成時代の30年間は、現在の「みなせくみこ」を作り上げた激動と成長、そして出会いの日々でした。

 

新たな「令和」の時代はどれだけの長さになるのか…。
それは、今はだれにも分かりません。
いずれにしても、令和の日々のどこか一日は、わたしの命日となる可能性も決して低くはない…そう思っています。

…実はね、臨終の際の言葉はもう決めているんです。

「あぁ、楽しかった。
みんな、ありがとうね」

 

って…。

実は、これも捨てがたくてちょっと迷っていたりする
「あたいは酒に殺されんじゃないの。
酒があったから今まで生きてこれたの」(笑)


それから、大切な想い出の人たちとの写真を入れて、荼毘に付してほしい。
そうして、生まれ故郷の鳥取の日本海にわたしの骨を撒いてほしいって…。
…あ、あと、パソコン内の恥ずかしい写真やらデータやらが保存されたハードディスクを、跡形もなく完全破壊して欲しいって(←激しく切実ww)

冗談はさておき、そのためにもね、今まで以上に美に気を遣って、健康に気を遣って。
今以上に「わたしらしく」いなくちゃ。
今以上に、人間的な魅力を磨かなくっちゃ。

「わたしらしさ」と「つながり」と…。

わたしがわたしらしくいること。
わたしのことを好きでいてくださる、大切な友人たちとつながっていること。
これこそ、わたしの人生の宝!
決してブレることなく、日々を歩んで参りますよう!!

…ぃぁ、すでにブレブレですやん(笑)

 

平成の日々をご一緒くださったすべてのみなさま、こころよりありがとうございました。
そして、来るべき「令和」の日々も、どうぞよろしくお願いいたします。

こころをこめて…
水瀬久美子