※「芹生」さまに飾ってあったひな人形。
京都では男雛を「向かって右」、女雛を「向かって左」に並べます。
これは太陽が先に当たる側(南に向いて座す「天子」にとって左=東側)が上の位。
つまり、「左をもって尊し」と為す、京都御所の紫宸殿に古来より伝わる風習によります。
去る3月3日(日曜日)、および16日(土曜日)の2日間、「早春の京都蘖の会」を開催いたしました。
「京都蘖(ひこばえ)の会」とは?
京都(時々滋賀)を舞台に、いわゆる「宗教二世」をはじめ、「親や親族が信じる宗教や組織により自身の生活に多大な影響を受け、問題を抱えるすべての方々」を対象にした、少人数の自助的な集いです。
(上記に当てはまれば、いわゆる「一世・二世・三世」、「元・現役」等々のカテゴリ、さらには所属宗派問わず大歓迎です!)
京都(時々滋賀)ならではの、ちょっと贅沢なランチとプチガイドツアー。
何よりも、参加者同士がゆっくり深いコミュニケーションを取れることをいちばん大切にしています。
※コンセプト等、詳細はこちらの記事参照。
※昨年に開催した「早春の京都蘖の会」は、こちらの記事参照
1月居ぬる、2月逃げる、3月去る…。
この時期になると、必ず出てくるこの言葉。
1月後半に告知記事を出した頃は真冬だったのが、梅の季節を経て桜の開花宣言も出されて…と、季節の移り変わり以上に日々の過ぎすくスピードに恐ろしさすら感じるこの頃です。
相変わらず遅筆なみなせさんですが、「京都蘖の会」で過ごしたこころ満ちる時間、ぼちぼちと綴って参りたいと思います。
やっと報われた?大原の里
京都の街中には無い、のどかで魅力いっぱいの山里。
わたしみなせもプライベートでしばしば「こころの洗濯」をしに行くほど、個人的にもイチオシの大原の地なのですが、
「京都蘖の会」においては、何故か今まで「不遇をかこってきた」土地でもありました。
…と、言いますのも、この大原を舞台にするのは、今回で3回目になるのですが、
1回目(2020年初夏):緊急事態宣言(1回目)ため中止
2回目(2021年初夏):緊急事態宣言(3回目)の中強行開催するものの、両会通じて参加者1名のみ。
…と、忌まわしきコロナ騒動に伴う「緊急事態宣言」のあおりをもろに受けましてね…。
(それだけに、勇気を出してご参加くださった1名の方には、今更ながらに深く感謝です!)
それだけに今回、
1回目:4名(母娘でのお申込みをいただいたため、特例で定員プラス1名)
2回目:2名
…と、大変な盛況。
かつ、お申込みくださった方全員が初参加という、大変ありがたい状況下での開催となりましてね。
元々思い入れのある大原の地、これまでの分も込めて精いっぱいご案内しましょう!…と、いつも以上に気合が入った次第です。
ランチ
地下鉄烏丸線の終点である「国際会館駅」からバスへ乗り継ぎ、20分と少し。
京都駅からでも1時間弱で到着できるほどに気軽に行くことができます。
かつて大原にも在住された切り絵作家、望月めぐみ氏による「大原女」が迎えてくれます。
「大原バスターミナル」から、参道を約10分ほど登ってゆきます。
1回目は冷たい風吹く冬晴れ、2回目はぽかぽか陽気…と、気温の差こそありましたが、両日ともお天気に恵まれまして、参道の木々の緑や石垣の苔が陽ざしに映えて、それは素敵な光景を作ってくれました。
(1回目:3月3日)
(2回目:3月16日)
三千院の門前に構える料理旅館、「芹生(せりょう)」さまは定番のお食事処。
そのおもてなしの精神は、「ミシュランガイド」に9年連続で紹介されるほどにクオリティの高さを誇ります。
過去の「京都蘖の会」はじめ、「プライベートガイド(=個人ガイド)」でも何度も利用させていただいていることもあり、お店の方にもすっかり顔を覚えられてしまっていたり…(笑)
こちらの名物が「三千草(みちくさ)弁当」
行燈形の器に可愛くおさまった三段重。
重箱の中は、山菜や川魚等、大原の里の味覚が詰まっています!
…ただ、当日の仕入れ等の状況で数量が限られていましてね。
運悪く?2回目は希望叶わず、全員「京ゆば御膳」をいただきました。
(これはこれで美味しかったけどね)
連日大量の外国人団体客が押し寄せている京都ですが、大原は市内からかなり離れていることもあり、この時のランチもほぼ貸し切り状態…なほどの空き具合。
陽ざしに輝く美しいお庭を眺めつつ、お料理に舌鼓打ちつつ、この時間だけで「蘖の会」が終わってしまいそうなほどに、おしゃべりも弾みました。
「普段なかなか話せない思い出話や「二世あるある」を存分に話せるのが、こんなに楽しくてうれしいとは思わなかった」
(2回目参加者の方のお言葉)
勝林院
三千院の門前をすり抜け、そのどん突きに威容を構える寺院が勝林院(しょうりんいん)。
平安時代中期の1013(長和2)年、天台宗の高僧寂源(じゃくげん)により開山。
以来、幾多の火災や洪水の被害を受ける中で再建を繰り返し、現在の本堂は江戸時代中期の1778(安永7)完成のものです。
鎌倉幕府が発足したばかりの1186(文治2)年に、当時比叡山の学僧だった顕真(けんしん)が浄土宗の開祖である法然に対して「極楽往生」の教えを巡って一昼夜に渉り討論を繰り広げたという「大原問答」の舞台としても知られています。
法然の説いた浄土宗は、「念仏を唱えることで極楽往生できる(=他力)」。
それに対し、顕真が身を置いていた比叡山(天台宗)は、「厳しい修行によってのみ極楽往生の道が開ける(=自力)」
…ほな、どっちが正しいねん?
簡単に言えば、そんな所を論点として、京都や奈良の高僧たちも集め、この勝林院にて激論が戦わされたのです。
比較の対象になるかどうかわかりませんが、草創期のJWが、いわゆる「キリスト教世界」の神学者や牧師(神父)相手に聖書の教えを巡って激論を戦わせた…。
そんなあたりになぞらえると、わかりやすいでしょうか…?
ざっくり動画で知りたい方はこちら
詳しく知りたい方はこちら
この大原問答の最中、本尊である阿弥陀如来像が、法然の回答に合わせて突如光を放ち、その言葉の正しさを裏付けた…という伝説も残っています。
それゆえ、このご本尊は「証拠の阿弥陀」と呼ばれています。
(堂内撮影禁止の為、ネット上より拝借)
静寂と美しい景色。
車やバイクのエンジン音といった人工音さえ全くと言ってよいほど聞こえて来ず、心の底からゆっくりと過ごすことができます。
とある参加者の方はお仕事柄ということもあり、本堂の彫刻はじめとした、素晴らしい建築を飽かずに眺めていらっしゃいました。
実光院
勝林院と目と鼻の先にあるのが実光院。
実は、勝林院の住職始め僧たちの生活空間である「房(坊)」として、応永年間(室町時代初期、1394~1428)により設立。
現在の本堂(客殿)は1921(大正10)年に建築…と、かなり歴史の新しい寺院です。
この実光院、大原を訪れる観光客にはけっこう見過ごされがち?でして、いつお邪魔してもひっそりとしています。
玄関のドラを叩くと、作務衣姿の女性職員(住職さんのご家族の模様)の方が暖かく迎えてくださいます。
客殿(本堂)から望む庭園「契心園」
…そして、実際に歩いて回ることのできる、季節の花いっぱいの「理覚院庭園」の二つの庭園です。
「厳選したスポットを、じっくり時間をかけて味わっていただく」ことが、みなせの観光ガイドです。
縁側で、静かに風の音を聴きながら日向ぼっこしたり。
境内やお庭を気ままに歩いてみたり。
おしゃべりをしたり…。
今回の「蘖の会」に限らず、「プライベートガイド」も同様なのですが、ご案内するスポットの歴史や背景等々のうんちく等々の情報は、事前に「予習資料」として、毎回参加者の方へお送りしております。
…だから、当日のみなせはうんちく垂れているより、参加者(お客さま)各自の状態や、時間管理、何より最大限に楽しんでいただけるよう、全神経を集中していたりします。
そんなわけで、いずれの寺院でも陽だまりの縁側でのんびりと、こころゆくまで時間を楽しんでいただきました。
(1回目:3月3日)
(2回目:3月16日)
またこの大原の地は、仏教における「讃美歌」とも言える「声明(しょうみょう)」の一派(魚山流声明)が誕生した地であり、(本堂である)勝林院は、声明の道場として多くの僧たちを輩出してきた歴史もあります。
この実光院の客殿には、「調律」とも言える音程合わせに使用された楽器類も展示され、実際にその音色を聴くこともできます。
お帰りにはお土産を…
過去の「蘖の会」に加えて「プライベートガイド」、さらには純粋に個人的来訪等、過去幾度も訪れている大原の地。
…なによりも「デカいエセオンナ」ということで、参道や門前のお店の方にもすっかり顔を覚えられてしまいましてね(笑)
お声がけいただいたら無視するわけにもゆかず、立ち寄ることになりまして…。
途中の漬物屋さん「志ば久」さまもその一軒。
「味、香り、味とも現品種に最も近く、最高品質」と、大手製薬会社の研究室からお墨付きをもらった紫蘇の葉の産地である大原。
この大原の地で誕生した「しば漬け」始めとしたお漬物や、早春の味わい「ふきのとう味噌」など、たくさんの山里の味を楽しむことができます。
(1回目:3月3日)
(2回目:3月16日)
「ブラタモリ」始め、TVにも多々紹介されている模様。
先の告知記事でも触れましたが、古来より大原の里は、壇ノ浦の戦いをただ一人生き残った「建礼門院(平徳子)」はじめみやこの権力闘争に敗れた、もしくは嫌気がさして隠棲した、いわば「敗者たち」が静かに暮らした土地であり、そんな「敗者たち」を大原の人々は歴史を通じてやさしく迎え、暖かく見守ってきました。
「しば漬け」の由来となった、建礼門院と大原の里人のエピソードについて、こんな記述がありました。
徳子が敗者だから(「判官びいき」的に憐れみを示した)ではない。
大原の里人たちはそこに「もののあはれ」を見たから心を寄せたのである。
全て生きとし生けるものは、やがて終焉を迎える。
その間際をどう生きるか、どう向き合うか。
美しくも切ない姿を見せるものに対して、京都人は心を尽くして接する。
それこそが、「おもてなし」の原点だということは知っておきたい
-柏井壽著「できる人の京都術」p215、216より
※カッコ内の注釈、および下線はみなせによる。
胸には大原の里での静かで暖かな想い出を。
そして、手には美味しいお漬物を…。
…そうして、早春の「早春の京都蘖の会」は無事幕を下ろしたのでした。
参加者の方のご感想:
(JW一世・女性)
心を尽くしたおもてなしを、ありがとうございました。
たくさん泣き、そして苦労され、悔しい思いもきっとたくさんされてきたからこそ、本当の意味で気持ちを察することができ、必要な言葉をかけることができるのだと思います。
帰りの新幹線でも母が、またみんなに会いたいと泣いておりました。
(JW二世・男性)
素敵な参加者のみなさまと、史上最高のガイドのもとで京都を楽しめたこと、とても良い思い出になりました!
(JW二世・女性)
とても楽しみにしていたので、無事にお会いできて一緒に過ごせて念願叶い、すごく嬉しく感じました!
一緒にじっくりと観光や美味しいお食事や飲んだりできて、とても貴重な楽しい時間でした。
(JW二世・女性)
初めてのオフ会参加でしたが、長年の心のモヤモヤが少し晴れましたし、気持ちも軽くなり感謝しかありません。
こんなにも素敵な一日をありがとうございました。
お天気もポカポカで最高でした♪
(JW一世・女性)
くみこ様の女性を極めておられるお姿に感動した1日でした。
中途半端ではなくて、極めることの大切さを、くみこ様から学びました。
『感動や楽しみ』が無ければ老けていく、と聞いたことがあります。
少しでも老けるのを食い止めたいと思っています。
参加者のひとり、「ぴぃ~たん」さんが素敵に書いてくださったブログも、併せてご覧くださいませ♪
「その人自身」と「つながり」を大切に6周年。
今回の「早春」を持ちまして、「京都蘖の会」は6周年を迎えることが出来ました。
2018年4月に地元嵯峨野にて初開催して以来、各季節に2回ずつ、一年で8回、6年で48回開催。
(コロナ騒動や参加者ゼロによる中止10回含む)
その間、延べ74名(リピート参加:延べ40名)のみなさまにご参加いただきました。
大晦日の記事にてちょっと触れました通り、昨今の「宗教二世」を巡る社会の激流の中で、継続の危機に瀕したこともありましたが、心あるたくさんの方々に支えられて踏みとどまることができました。
…ほんとうに、ありがとうございました。
「来てよかった」以上に、「会えて良かった」。
「また行きたい」以上に、「また会いたい」。
小さくても、満足感と安心感は何処にも、だれにも負けない。
(いわゆる「オフ会」の代名詞と言えるほど、多数開催される)東京圏ではない。
とかく「規模の大きさ」とか、(「界隈の有名人」や、マスメディア関係者等)「人脈の華やかさ」とかとは全く無縁ではありますが…。
ご縁をいただくひとりひとりと、その「つながり」をいちばん大切に。
「ちいさいこと」、「少人数である」ことを最大限の強みとして。
「京都蘖の会」、7年目の日々も引き続き定期開催して参ります。
※次回「初夏の京都蘖の会」は5月中旬~6月初旬にかけての土、日曜日に開催予定。
4月7日(日曜日)付けの拙ブログにて告知いたします。
※加えて「第4回広島蘖の会」を、大切な仲間である「広島スタッフ」と共に、6月中の開催を目指して準備中です。
こちらは4月13日(土曜日)付けの拙ブログにて告知いたします。
↓みなせ的、京都ガイドの重要な教科書!