源光庵庭園
年末年始のご挨拶を挟みまして、再び11月13日(日曜日)に開催しました「錦秋の京都蘖の会」の続きをご報告いたします~。
前編はこちらからどうぞ♪
源光庵
松野醤油さまから源光庵はバス停ひとつ分。
この頃には雨もひと息つき、さほど遠い距離でもありませんので歩いて向かいます。
1346(貞和2)年、臨済宗の寺院として開山。
1694(元禄7)年、加賀(石川県金沢市)より、当世随一の高僧であった卍山道白(まんざんどうはく)禅師を迎えたことをきっかけに曹洞宗の寺院に改まりました。
同時に、彼に帰依していた金沢の豪商の寄付により、現在の本堂が建立されて現代に至ります。
ここ源光庵で何より有名なのが、本堂にある四角い「迷いの窓」と、丸い「悟りの窓」。
「そうだ、京都行こう」はじめとするCMやポスター、メディアに幾度も紹介されています。
「悟りの窓は円形に「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現する。
迷いの窓は角形に「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表わしている」
(拝観のしおりより)
天井に目を向ければ、「血天井」。
「伏見桃山城の遺構であり、1600(慶長5)年7月、徳川家康の忠臣、鳥居彦右衛門元忠一党1800余人が、石田三成の軍勢と交戦したが、武運拙なく討死し、残る380余人が自刃して相果てた時の痕跡である」
(同じく、拝観のしおりより)
…つまり、武将380人分の血がしみ込んだ伏見桃山城の床板という「究極の訳あり建材」を使用した、なんともおどろおどろしい天井ではありますが、その陰には、家康に生涯を通して仕えたひとりの忠臣のドラマが隠されています。
(実際、この元忠の奮戦により、石田三成は10日間以上も足止めを喰らい、直後の「関ヶ原の戦い」の勝敗を大きく左右した一因となっているのです。
鳥居元忠、今年のNHK大河ドラマ「どうする家康」でも登場しますよー。
実はこの源光庵を含め、京都市内の5つの寺院で見ることができますが、血染めの手形や足形も大量に残っているここ源光庵のものが、わたしみなせ的には一、二を争う生々しさに感じます。
武士の誇りと自らの人生を賭けて主君家康に尽くした元忠と配下の武士たちの魂を慰めるべく、本堂内には立派な祭壇も据えられています。
雨天のおかげで観光客も少なくてですね。
(別の日にご案内した際には大変な行列だった)
こうした場では、ガイドの蘊蓄も(必要以外の)おしゃべりも無用というもの。
出口での集合時間だけ決めて、それぞれこころゆくまで自由に向き合っていただくようにしています。
(臨済宗も曹洞宗も、修行の中心として重視されているのが「座禅(=静かに自己と向き合う)」です。)
隣の座敷には美しい表紙の「旅ノート」も用意され、訪れた旅人たちの言葉が書きつけられています。
常照寺
家康や光悦と時代を同じくした人物である、吉野太夫(二代目)。
(京人形師・關原紫水氏作の京人形)
才色兼備、当代随一の島原の名妓であり、その美貌の評判は遠く中国にまで響いていた彼女も、光悦と同じく日蓮宗に深く帰依しており、この常照寺の境内には彼女の墓をはじめ、たくさんの史跡が残されています。
吉野太夫ゆかりの常照寺は、源光庵と目と鼻の先。
奥に見える朱塗りの山門は、彼女自らが寄進をしたことから「吉野門」と呼ばれています。
本堂の裏手にある「遺芳庵(いほうあん)」もまた、大夫ゆかりの茶室。
円の下部が少し欠けて平らになっている形の窓も、彼女が好んだ形と伝えられ、「吉野窓」として茶室はじめ日本建築の代表的な形式となっています。
源光庵の「悟りの窓」は真円。
この「吉野窓」は、真円に少し届かず。
…つまり、我が身は常に「不完全」。
芸の道も人生も、修業に終わりがなく…。
なんとも奥ゆかしく、なんとも謙虚、なによりも太夫らしく「粋」なしつらえであります。
少なくとも"666"と刻むより、はるかに粋でありますねー(笑)
(※聖書「ヨハネ黙示録」に出てくる野獣に刻まれた数字。聖書では”6”が不完全数とされ、JW的には「人間とその統治機構が極めて不完全である」ことを表すと解釈される)
雨に濡れる紅葉を愛でつつ、境内をゆっくりと散策しました。
ティータイム
ティータイムがてら、お抹茶のサービスをいただきました。
(常照寺の場合、拝観料に¥500プラス)
お茶請けは、松屋藤兵衛の「紫野松風」。
カステラのようでいて、カステラ以上に密度が高くもっちりとした生地と、中に隠された大徳寺納豆の塩味がアクセント。
お庭を眺めながらほっこり和む時間を過ごして、雨の中の小さな旅路のフィナーレとしたのでありました。
命をかけても守り抜きたいもの
ご参加くださったひとりの方から、後日メッセージをいただきました。
昨日の源光庵の血天井と悟りの窓と迷いの窓、外から眺めたお庭の美しさには感じ入るものがありました。
幼少時代からまるで型にはめ込まれるように教え込まれたJWの教理と価値観や人生観を、勇気を出して自分自身の意志で手放した。
そして、試行錯誤しながら手探りしながら、曲がりなりにも人生を作ってきた。
良い悪い、正しい間違いは誰にも決められない。
自分自身が心から納得さえできれば、それでいい。
京都駅で握手を交わして、それぞれの日々、それぞれの人生に戻ってゆきます。
悠久の歴史の中では一瞬の、ほんの短い時間であっても、いちばん納得のゆく形で、悔いなく燃やし尽くしたい。
必要以上にベタベタすることはなくても、日々「つながり」を実感しながら、それぞれの人生を思い切り生きて行く。
また、会う日まで。
小さな集まりですが、過ごす時間の濃さ、安心感と満足感はだれにも、どこにも決して負けない。
そんな思いを胸に、みやこ京都の地(滋賀と広島も)で、今後も「つながり」と「あとおし」の時間を紡いで参ります。
※次回「早春の京都蘖の会」は、2月下旬から3月中にかけての土、日曜日に開催予定。
詳細は1月4日(水)付の拙ブログにて告知、1月21日(土)午前10時より受付開始いたします。
彼も同じ時代を生きた人物です。
吉野太夫に「緩める」ことの重要性を教えられる「断弦」のくだりはとても印象的です。
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